道産子令嬢は雪かき中 〜ヒロインに構っている暇がありません〜

荒瀬ヤヒロ

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91、過去の涙

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 地面に叩きつけられると悟り、ぎゅっと目を瞑った。
 だけど、次の瞬間に感じた衝撃は想像よりも軽く、全身を打った痛みも無かった。

「ぐっ……!」

 呻くような声と共に、二度目の衝撃。
 目を開けると、顔をしかめて私をみつめるジェンスと目が合った。

「レイシー! 無事か!?」
「ジェンス……」

 体の下に感じるのはジェンスの腕のぬくもりだった。落ちた私を受け止めてくれたのだ。二度目の衝撃は、ジェンスが尻餅をついたためだろう。

「レイシー! レイシール!」

 私の目から涙が一筋、つうっと頬を伝った。
 私を呼ぶジェンスの声を最後に、私は意識を失ったのだった。




 ここがゲームの世界だと気づいてからしばらくは、ふわふわとした感覚で生きていた気がする。
「生まれ変わった」と思いながらも、どこか現実感を得られなかった。

 お兄様を凍死から救ったのも、ジェンスを凍死から救ったのも、シナリオ通りに進ませたくなかったからで、彼らの生命をどうあっても救いたかったからじゃない。

 ここは架空の世界。彼らは架空のキャラ。

 そんな気持ちが拭えなかった。

 いつかパッと終わる世界、醒める夢の中だとどこかで思っていて、それなら好きに過ごそうと気楽に生きてきた。

 だけど、違ったんだ。ここは、ゲームの世界ではあっても、ここに生きている人々は皆、ちゃんと自分でものを考えて生きていて、誰かを愛したり愛されたいと願ったりしている。

 私は、ゲームの世界に生まれ変わってしまった現実の人間ではなくて、たまたま違う世界の記憶を持って生まれてしまっただけの、この世界の人間なんだ。

 他の皆と同じ、ただの人間なんだ。

「レイシー。レイシール」

 私を呼ぶ声が聞こえる。
 私を愛していると、この世界の人間だと、認めてくれる声がする。
 私はここで生きていると、教えてくれる声がする。

 その声に導かれるように、私は目を開けた。

「レイシー! 目が覚めたか?」

 私の手を握って顔を覗き込んでいたジェンスが目を見開いた。

「わたし……?」
「医務室だよ。よかった……」

 ジェンスがほーっと息を吐く。

「レイシール! 気分はどうだ?」

 ジェンスの肩越しに、お兄様が覗き込んでくる。
 お兄様とジェンスが生きている。そのことに、何故だか今さら、ものすごく安堵がこみ上げてきて、私はぼろぼろ泣き出した。

「ふぇっ……ふえぇ~んっ」

 突然泣き出した私に、ジェンスとお兄様は慌てふためいた。

「怖かったなレイシー! よしよし、もう大丈夫だ!」
「どけ、ジェンスロッド! レイシール! お兄様がついているからな!」

 ごめんなさい、二人とも。怖くて泣いたんじゃないんです。
 この涙は本当は、あの時に、二人が凍死の運命を免れた時に、「二人が無事で良かった」って流すべき涙だったんです。

 あの頃の私には流せなかった涙を、今ようやく流しているだけなんです。


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