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第一章 グローリア編
14、旦那様の怒り(一)/15、旦那様の怒り(二)
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※本編は一部残虐性を連想させるシーンがあります。ご注意ください。
――――――――――――――――――――――――――――
14、旦那様の怒り(一)
オリビアが誘拐されたという知らせを受けたマティアス侯爵は、三十人余りの騎士を引き連れて、二日後の朝には領地のグローリア内に到達していた。その騎士団一行が間もなく到着するという事前の知らせを受けて、屋敷の入り口では『聖女』探しの為に派遣されていた調査団も集められ、人々は皆緊張した面持ちで侯爵を出迎えた。
「オリビアが『聖女』であると知っていたのか」
馬車から降りてきた侯爵は第一声でずっと抱えていた疑問をぶつけた。労りの言葉もなく、真っ先にその質問を受けた侯爵夫人は、唇を震わせながら答えた。
「いいえ。私も先日知りましたので…」
「―そうか。役立たずめ」
侯爵はそう言い捨てて、数名の騎士と共に颯爽と屋敷の中へと入って行った。酷い言葉を投げられた夫人は顔面蒼白になり、その場にいた使用人達も凍り付いたように動けなくなってしまった。そんな中、執事のアーノルドと調査団数名は急いで侯爵の後を追って書斎へと向かったのだった。
侯爵が書斎に入って来客用のソファとテーブルに目を向けると、そこにはグローリアの中心街と周辺が描かれた地図が広げられており、その上にはチェスの駒であるポーンが幾つかある場所を示すように置かれていた。
「探す場所の見当はついているのか」
「はい。誘拐犯は昔この屋敷に勤めていたサッシェンという下働きの男だとわかっております。その男が頻繁に出入りする場所に目星をつけました。調査団と協力してこの三か所に一人ずつ見張りをつけて、異変があれば報告を受けることになっております」
アーノルドが素早く回答すると、侯爵は冷ややかな眼差しで再び執事に問いかけた。
「優秀だな。そんなお前にここを任せていたはずなのに、何故こんなことが起こるんだ」
アーノルドは言葉を詰まらせ、冷や汗をかきながら深く頭を下げて謝罪した。
「…弁解のしようもございません」
「とにかく各地に二人ずつ騎士を配置して、うち一名を報告に戻らせる。そして確信がついた場所に騎士団を送り込むぞ。アイゼン隊長、六名を人選して今の通り指示を出せ」
侯爵の命令を受けた騎士が「はい」と答えて部屋から出ていった。
「アーノルド。連れてきた騎士団に食事と仮眠場所を提供しろ。今出て行った指揮官に指示を仰ぎ、適切に対処するんだ」
「承知いたしました」
「それが終わったら戻ってきて、どうしてこうなったのかお前の口で説明をしろ。それまで私も仮眠を取る」
「はい。後ほど伺います」
書斎を出たアーノルドは早速、支度部屋で待機させていた使用人達に声を上げた。
「イージーはいますか!」
「ここです!」
手を挙げた侍女頭のイージーは、すぐにアーノルドのもとへ駆けつけた。
「旦那様のお食事は?」
「ご用意してます。すぐ運ばせます」
「今は飲み物だけでいい。食事は私が後で運ぼう。先に指揮官のアイゼン殿に会って騎士団への対応について相談をしてくる。彼らはいつ救助に動くかわからない。皆、気を抜かず迅速に動くように!」
「はい!」
※ ※ ※
地下牢に入れられたサラは、現在の正確な日付と時間がわからず、食事が出た回数を数えて三日以上が過ぎているだろうと計算していた。毎回冷えたスープとパンだけを与えられ、眠気に襲われても飢えと寒さと不安のせいで、まともに眠ることさえできずにいた。
オリビアの様子を聞きたくて、交代で来る見回り役や食事を運ぶ使用人に何度尋ねても冷たく無視をされ、遂に何も聞くことが出来ないまま無情な時間だけが過ぎていった。
カツカツと鳴り響く複数の人の足音と共に、眩しい光が近づいてくる事に気づいたサラは、横にしていた体をゆっくりと起こした。
最初に見えた顔が執事のアーノルドではなくマティアス侯爵だとわかったサラは、無言のまま地面にひれ伏した。牢屋の鍵が開けられると、侯爵が一人で中に入ってきた。
しばらく沈黙の時間が流れた後、侯爵はやっと口を開いた。
「お前のせいで大きな損失をするところだったぞ」
侯爵の言葉を聞いたサラは体を震わせながら、頭の中でその意味を探った。
「恐れながら…、お嬢様はご無事でしょうか」
サラは許可を得ずに質問をしてしまった。そう気づいた時には遅すぎて、耳元に鋭利な剣先を突きつけられて、ビクッと肩を震わせた。
「不安か。そうだろな。『聖女』を殺すところだったからな。生きていなければ即刻この場で切り捨てていたぞ」
『生きていなければ―』、この一言でサラはオリビアがひとまず無事であることを知ることができた。しかしこれ以上は何も言ってはならず、サラは無言のまま冷たい床石に涙を落としていた。
「アーノルド。ここはもういい。何かあればアイゼン隊長に指示を仰ぐんだ。全員下がれ」
「しょ、承知いたしました…」
この場にいることから逃れられると安心した大人たちは、気もそぞろに立ち去っていった。
「罰として鞭打ちと禁錮刑を科す。壁に手を置いて背中を向けて立つんだ」
侯爵が下した処罰の内容は、サラが想定していた以上のものだった。
(あぁ、そうだわ。ここはそういう世界だった…)
体力も精神的にも限界にきていたが、声を押し殺し泣きながらサラは立ち上がった。壁に両手を置いて侯爵に背中を向けると、ぐっと歯を噛みしめた。
「ここ数日私がどんな気持ちだったか、お前には想像もつかないだろう。『聖女』を先に見つける為にどれほどの労力を費やしたことか…。それをこんなにも容易く失いかけたんだぞ」
侯爵の声が近くなった気がして、サラの体は硬直した。侯爵はいきなりサラの長い髪をまとめて持ち上げると、剣を使って肩の辺りで乱雑に切っていった。
「鞭に髪がからむと面倒だ」
サラの小さな体はぶるぶると震えているが、それよりも侯爵の目を引いたのは、わずかな光の下でもなめらかに輝く美しい髪であった。
「珍しいな…」
侯爵は切り取った髪をひとまとめにして隅に置くと、鞭を取り出し、容赦なく厳しい言葉をかけた。
「しっかり立っていろ」
まさにこの時、サラは地獄に落ちたことを確信した。
※ ※ ※
「ん…」
少女は目を覚まし、最初に目に入ってきたものに気がつくと、しばらくそれをじっと見つめていた。ベッドの天蓋に描かれた天使と目が合ったオリビアは、天使に向かって挨拶をすることを日課としていた。
「おはよう。天使様。久しぶりね…」
オリビアの声を聞いたメイドがベッドへと近づいてきた。
「お嬢様。おはようございます。お目覚めですか」
ジェーンの声を聞いたオリビアは起き上がって背伸びをした。
「んーっ!サラを呼んでちょうだい。マッサージをしてから朝食をいただくわ」
いつも通りの調子で言ったのだが、何故かジェーンからの返事がすぐに返ってこない。
「…?何よ。サラは?」
「あの…地下牢にいます」
「は?なんで?」
「旦那様がお怒りになって、罰として地下牢に入れられております」
「嘘でしょ!」
オリビアはベッドから飛び降りてジェーンの前に立った。オリビアにとってサラが侯爵の怒りを買うなど想定外のことだった。
(まずい。まずい!まずいわ!どうしよう!)
爪を噛みながら真剣に悩むオリビアに、ジェーンが堪らず話しかけた。
「お嬢様!サラを助けてください!どんな酷い目に遭っているかと思うと――」
「うるさいわね!黙りなさい!私だってわかっているわよ!」
焦りからくる感情で怒鳴るオリビアに、ジェーンは恐怖を感じて黙り込んだ。
「ああ…!どうしよう!」
どうしてこうなったのだろうかと、オリビアは記憶を辿って、どこで間違えたのかを考え始めた。
――――――――――――――――――――――――――――
15、旦那様の怒り(二)
街中でサラに「オリビア」と名乗らせながら聖女の力を使わせているうちに、オリビア本人は二人の男達が後をつけてきている事に気がついていた。調査団かと思って観察をしているうちに、そのうちの一人が見覚えのある入れ墨をしていたので、昔のある出来事を思い出していた。
「そうだわ。あの男。銀食器を盗もうとして捕まっていたわね。あんまりにも間抜けな話だったから覚えているわ。そっか。馬鹿で金に目がないのね…」
街を歩き回っているうちに、何故か自分にも相手の意志を操れる能力があることに気づいたオリビアは、ちょっとした誘拐劇を男達に実行させることにした。
オリビアがこそこそと画策している間、サラは街中で出会った商人達に旅先でケガをしたいきさつを聞きながら治療を施すのに夢中になっていたので、オリビアが姿を消していたことに気づいていなかった。
サラが彼らに別れを告げて元の場所へ戻ってみると、肝心のオリビアの姿が見えないので、慌てて辺りを見回していたところにオリビアが戻ってきて、サラの手を掴んで何故か再び別の場所に逃げ込んだのだった。
それから起こった出来事は、すべて今につながっている。
誘拐犯の男達を思うままに操り、隠れ家で数日間気ままな生活を送っていたオリビアは、だんだんと彼らにかけた暗示が薄くなっていることに気づき始めた。そこで先手を打って、所持していた金と宝石を持たせて彼らを裏口から逃がしたのだが、もし後で捕まったとしても「私は何も知らない」と泣いて言えば話は済むはずで、あの男達がどうなっても構わないと考えていた。そして誘拐ごっこに飽きてきたこともあって、帰ろうかなと思っていた直後に騎士団が駆け込んで来たので、オリビアはか弱い貴族令嬢を装った迫真的な演技で、想定していた通りに話を進めたのだった。
こうして、当初の目的であった「オリビアが『聖女』である」ことを印象づける計画は成功したかのように見えていた。
(全部上手くいったのに、聖女が捕まったら意味がないじゃない!)
「何とかしなくちゃ…!」
オリビアは意を決し、マティアス侯爵のもとへ向かった。
※ ※ ※
オリビアにとって父親であるマティアス侯爵は、あまりにも異質な存在だった。オリビアの母はそんな父に対し、ずっと恋い焦がれる少女のような憧れを持ち続け、侯爵夫人になった今でもいつか捨てられてしまうのではないかと常に恐れていることを感じ取っていた。
オリビアは母親に対しても冷淡な態度を取る侯爵のことを実の父として見ることもできず、無駄口を叩けば教育がなっていないと叱られ、愛情というものを感じたことはない。その為、例え親子という血の繋がりはあっても、他人に近い関係性でしかないと思って極力避けるようにしていた。
しかし今日のオリビアは『聖女』という称号を掲げて、侯爵の前に立ちはだかった。
「お父様!」
廊下で行く手を阻まれた侯爵は、それが娘であるのか、それとも地下牢の罪人であるのか一瞬の迷いが生じたが、そんなはずはないと一人納得してオリビアと向き直った。
「どうした。まだ部屋で休んでいなさい」
普段から家族に気を遣う言葉などかける人ではないとわかっていたオリビアは、父親が権威や象徴に弱い人間であることを知った。
「私のメイドを返してください!」
「…何を言っているんだ」
眉をひそめて娘を見ている父親に、オリビアは泣きながらすがりついた。
「あの子は私の我儘のせいで、あらぬ疑いをかけられているのでしょう?全部私が悪いのです!この不思議な力に目覚めた私は、街に出て困っている人たちを助けたいと我儘を言ったのです。純真無垢なあの子は私の気持ちに応えただけです。すべては私の軽率な行動が招いた結果です。だからサラは悪くありません!今すぐに地下牢から出してあげてください。そして私に返してください!」
用意しておいた台詞を一気に言い終えると、オリビアはそのまま侯爵の足元で泣き崩れた。これでもかと言わんばかりの大芝居を打ったのだから、これでサラは助かるはずだと考えていた。
しかしそれは甘い考えだったと、すぐにわかるのである。
「許さん。あの罪人はお前が『聖女』であることを知りながら、たかがメイドの分際で勝手にお前を街に連れ出し、挙句の果てには誘拐までされて守り切れなかった女だ。お前にも過失があったと言うならば、それは腕の立つ護衛を連れて行かなかった事だけだ」
侯爵はオリビアを見下ろしてこう続けた。
「その様子だとすぐに旅立てるな。明後日には王都に出発するぞ」
オリビアの体を張った演技は報われず、侯爵は泣いてすがりつく娘を引き離して歩き出した。オリビアはその背中に向かって、勇気を絞り出して声をあげた。
「あの子は私の物です!私が育ててきました!お父様が駄目と言っても必ず王都に連れて行きます!」
侯爵が急に立ち止まって振り向くと、オリビアのいる場所まで真っすぐに戻ってきた。オリビアは「あ」と声を発する間もなく細い首を掴まれ、足先が床につくかつかないかのギリギリの位置までその体を持ち上げられた。
「『聖女』である前に、この家の娘であることを忘れるな!」
数秒のこととは言え、締め上げられた首から侯爵の手が離れると、オリビアはごほごほと咳をしながらその場に崩れ落ちた。
「王都には上級教育を受けた使用人達がすでにいる。私が許可した者以外、この城から連れていくことは許さないぞ」
厳しい言葉を吐き捨てた侯爵は娘を置き去りにしてそのまま立ち去って行った。侯爵に同行していた数名の騎士達がオリビアに同情の目を向けつつ、足早に侯爵の後を追ってその場から誰もいなくなった。
後に残されたオリビアは、廊下でただ一人愕然としたまま、何もない空間を呆然と見つめていた。
――――――――――――――――――――――――――――
14、旦那様の怒り(一)
オリビアが誘拐されたという知らせを受けたマティアス侯爵は、三十人余りの騎士を引き連れて、二日後の朝には領地のグローリア内に到達していた。その騎士団一行が間もなく到着するという事前の知らせを受けて、屋敷の入り口では『聖女』探しの為に派遣されていた調査団も集められ、人々は皆緊張した面持ちで侯爵を出迎えた。
「オリビアが『聖女』であると知っていたのか」
馬車から降りてきた侯爵は第一声でずっと抱えていた疑問をぶつけた。労りの言葉もなく、真っ先にその質問を受けた侯爵夫人は、唇を震わせながら答えた。
「いいえ。私も先日知りましたので…」
「―そうか。役立たずめ」
侯爵はそう言い捨てて、数名の騎士と共に颯爽と屋敷の中へと入って行った。酷い言葉を投げられた夫人は顔面蒼白になり、その場にいた使用人達も凍り付いたように動けなくなってしまった。そんな中、執事のアーノルドと調査団数名は急いで侯爵の後を追って書斎へと向かったのだった。
侯爵が書斎に入って来客用のソファとテーブルに目を向けると、そこにはグローリアの中心街と周辺が描かれた地図が広げられており、その上にはチェスの駒であるポーンが幾つかある場所を示すように置かれていた。
「探す場所の見当はついているのか」
「はい。誘拐犯は昔この屋敷に勤めていたサッシェンという下働きの男だとわかっております。その男が頻繁に出入りする場所に目星をつけました。調査団と協力してこの三か所に一人ずつ見張りをつけて、異変があれば報告を受けることになっております」
アーノルドが素早く回答すると、侯爵は冷ややかな眼差しで再び執事に問いかけた。
「優秀だな。そんなお前にここを任せていたはずなのに、何故こんなことが起こるんだ」
アーノルドは言葉を詰まらせ、冷や汗をかきながら深く頭を下げて謝罪した。
「…弁解のしようもございません」
「とにかく各地に二人ずつ騎士を配置して、うち一名を報告に戻らせる。そして確信がついた場所に騎士団を送り込むぞ。アイゼン隊長、六名を人選して今の通り指示を出せ」
侯爵の命令を受けた騎士が「はい」と答えて部屋から出ていった。
「アーノルド。連れてきた騎士団に食事と仮眠場所を提供しろ。今出て行った指揮官に指示を仰ぎ、適切に対処するんだ」
「承知いたしました」
「それが終わったら戻ってきて、どうしてこうなったのかお前の口で説明をしろ。それまで私も仮眠を取る」
「はい。後ほど伺います」
書斎を出たアーノルドは早速、支度部屋で待機させていた使用人達に声を上げた。
「イージーはいますか!」
「ここです!」
手を挙げた侍女頭のイージーは、すぐにアーノルドのもとへ駆けつけた。
「旦那様のお食事は?」
「ご用意してます。すぐ運ばせます」
「今は飲み物だけでいい。食事は私が後で運ぼう。先に指揮官のアイゼン殿に会って騎士団への対応について相談をしてくる。彼らはいつ救助に動くかわからない。皆、気を抜かず迅速に動くように!」
「はい!」
※ ※ ※
地下牢に入れられたサラは、現在の正確な日付と時間がわからず、食事が出た回数を数えて三日以上が過ぎているだろうと計算していた。毎回冷えたスープとパンだけを与えられ、眠気に襲われても飢えと寒さと不安のせいで、まともに眠ることさえできずにいた。
オリビアの様子を聞きたくて、交代で来る見回り役や食事を運ぶ使用人に何度尋ねても冷たく無視をされ、遂に何も聞くことが出来ないまま無情な時間だけが過ぎていった。
カツカツと鳴り響く複数の人の足音と共に、眩しい光が近づいてくる事に気づいたサラは、横にしていた体をゆっくりと起こした。
最初に見えた顔が執事のアーノルドではなくマティアス侯爵だとわかったサラは、無言のまま地面にひれ伏した。牢屋の鍵が開けられると、侯爵が一人で中に入ってきた。
しばらく沈黙の時間が流れた後、侯爵はやっと口を開いた。
「お前のせいで大きな損失をするところだったぞ」
侯爵の言葉を聞いたサラは体を震わせながら、頭の中でその意味を探った。
「恐れながら…、お嬢様はご無事でしょうか」
サラは許可を得ずに質問をしてしまった。そう気づいた時には遅すぎて、耳元に鋭利な剣先を突きつけられて、ビクッと肩を震わせた。
「不安か。そうだろな。『聖女』を殺すところだったからな。生きていなければ即刻この場で切り捨てていたぞ」
『生きていなければ―』、この一言でサラはオリビアがひとまず無事であることを知ることができた。しかしこれ以上は何も言ってはならず、サラは無言のまま冷たい床石に涙を落としていた。
「アーノルド。ここはもういい。何かあればアイゼン隊長に指示を仰ぐんだ。全員下がれ」
「しょ、承知いたしました…」
この場にいることから逃れられると安心した大人たちは、気もそぞろに立ち去っていった。
「罰として鞭打ちと禁錮刑を科す。壁に手を置いて背中を向けて立つんだ」
侯爵が下した処罰の内容は、サラが想定していた以上のものだった。
(あぁ、そうだわ。ここはそういう世界だった…)
体力も精神的にも限界にきていたが、声を押し殺し泣きながらサラは立ち上がった。壁に両手を置いて侯爵に背中を向けると、ぐっと歯を噛みしめた。
「ここ数日私がどんな気持ちだったか、お前には想像もつかないだろう。『聖女』を先に見つける為にどれほどの労力を費やしたことか…。それをこんなにも容易く失いかけたんだぞ」
侯爵の声が近くなった気がして、サラの体は硬直した。侯爵はいきなりサラの長い髪をまとめて持ち上げると、剣を使って肩の辺りで乱雑に切っていった。
「鞭に髪がからむと面倒だ」
サラの小さな体はぶるぶると震えているが、それよりも侯爵の目を引いたのは、わずかな光の下でもなめらかに輝く美しい髪であった。
「珍しいな…」
侯爵は切り取った髪をひとまとめにして隅に置くと、鞭を取り出し、容赦なく厳しい言葉をかけた。
「しっかり立っていろ」
まさにこの時、サラは地獄に落ちたことを確信した。
※ ※ ※
「ん…」
少女は目を覚まし、最初に目に入ってきたものに気がつくと、しばらくそれをじっと見つめていた。ベッドの天蓋に描かれた天使と目が合ったオリビアは、天使に向かって挨拶をすることを日課としていた。
「おはよう。天使様。久しぶりね…」
オリビアの声を聞いたメイドがベッドへと近づいてきた。
「お嬢様。おはようございます。お目覚めですか」
ジェーンの声を聞いたオリビアは起き上がって背伸びをした。
「んーっ!サラを呼んでちょうだい。マッサージをしてから朝食をいただくわ」
いつも通りの調子で言ったのだが、何故かジェーンからの返事がすぐに返ってこない。
「…?何よ。サラは?」
「あの…地下牢にいます」
「は?なんで?」
「旦那様がお怒りになって、罰として地下牢に入れられております」
「嘘でしょ!」
オリビアはベッドから飛び降りてジェーンの前に立った。オリビアにとってサラが侯爵の怒りを買うなど想定外のことだった。
(まずい。まずい!まずいわ!どうしよう!)
爪を噛みながら真剣に悩むオリビアに、ジェーンが堪らず話しかけた。
「お嬢様!サラを助けてください!どんな酷い目に遭っているかと思うと――」
「うるさいわね!黙りなさい!私だってわかっているわよ!」
焦りからくる感情で怒鳴るオリビアに、ジェーンは恐怖を感じて黙り込んだ。
「ああ…!どうしよう!」
どうしてこうなったのだろうかと、オリビアは記憶を辿って、どこで間違えたのかを考え始めた。
――――――――――――――――――――――――――――
15、旦那様の怒り(二)
街中でサラに「オリビア」と名乗らせながら聖女の力を使わせているうちに、オリビア本人は二人の男達が後をつけてきている事に気がついていた。調査団かと思って観察をしているうちに、そのうちの一人が見覚えのある入れ墨をしていたので、昔のある出来事を思い出していた。
「そうだわ。あの男。銀食器を盗もうとして捕まっていたわね。あんまりにも間抜けな話だったから覚えているわ。そっか。馬鹿で金に目がないのね…」
街を歩き回っているうちに、何故か自分にも相手の意志を操れる能力があることに気づいたオリビアは、ちょっとした誘拐劇を男達に実行させることにした。
オリビアがこそこそと画策している間、サラは街中で出会った商人達に旅先でケガをしたいきさつを聞きながら治療を施すのに夢中になっていたので、オリビアが姿を消していたことに気づいていなかった。
サラが彼らに別れを告げて元の場所へ戻ってみると、肝心のオリビアの姿が見えないので、慌てて辺りを見回していたところにオリビアが戻ってきて、サラの手を掴んで何故か再び別の場所に逃げ込んだのだった。
それから起こった出来事は、すべて今につながっている。
誘拐犯の男達を思うままに操り、隠れ家で数日間気ままな生活を送っていたオリビアは、だんだんと彼らにかけた暗示が薄くなっていることに気づき始めた。そこで先手を打って、所持していた金と宝石を持たせて彼らを裏口から逃がしたのだが、もし後で捕まったとしても「私は何も知らない」と泣いて言えば話は済むはずで、あの男達がどうなっても構わないと考えていた。そして誘拐ごっこに飽きてきたこともあって、帰ろうかなと思っていた直後に騎士団が駆け込んで来たので、オリビアはか弱い貴族令嬢を装った迫真的な演技で、想定していた通りに話を進めたのだった。
こうして、当初の目的であった「オリビアが『聖女』である」ことを印象づける計画は成功したかのように見えていた。
(全部上手くいったのに、聖女が捕まったら意味がないじゃない!)
「何とかしなくちゃ…!」
オリビアは意を決し、マティアス侯爵のもとへ向かった。
※ ※ ※
オリビアにとって父親であるマティアス侯爵は、あまりにも異質な存在だった。オリビアの母はそんな父に対し、ずっと恋い焦がれる少女のような憧れを持ち続け、侯爵夫人になった今でもいつか捨てられてしまうのではないかと常に恐れていることを感じ取っていた。
オリビアは母親に対しても冷淡な態度を取る侯爵のことを実の父として見ることもできず、無駄口を叩けば教育がなっていないと叱られ、愛情というものを感じたことはない。その為、例え親子という血の繋がりはあっても、他人に近い関係性でしかないと思って極力避けるようにしていた。
しかし今日のオリビアは『聖女』という称号を掲げて、侯爵の前に立ちはだかった。
「お父様!」
廊下で行く手を阻まれた侯爵は、それが娘であるのか、それとも地下牢の罪人であるのか一瞬の迷いが生じたが、そんなはずはないと一人納得してオリビアと向き直った。
「どうした。まだ部屋で休んでいなさい」
普段から家族に気を遣う言葉などかける人ではないとわかっていたオリビアは、父親が権威や象徴に弱い人間であることを知った。
「私のメイドを返してください!」
「…何を言っているんだ」
眉をひそめて娘を見ている父親に、オリビアは泣きながらすがりついた。
「あの子は私の我儘のせいで、あらぬ疑いをかけられているのでしょう?全部私が悪いのです!この不思議な力に目覚めた私は、街に出て困っている人たちを助けたいと我儘を言ったのです。純真無垢なあの子は私の気持ちに応えただけです。すべては私の軽率な行動が招いた結果です。だからサラは悪くありません!今すぐに地下牢から出してあげてください。そして私に返してください!」
用意しておいた台詞を一気に言い終えると、オリビアはそのまま侯爵の足元で泣き崩れた。これでもかと言わんばかりの大芝居を打ったのだから、これでサラは助かるはずだと考えていた。
しかしそれは甘い考えだったと、すぐにわかるのである。
「許さん。あの罪人はお前が『聖女』であることを知りながら、たかがメイドの分際で勝手にお前を街に連れ出し、挙句の果てには誘拐までされて守り切れなかった女だ。お前にも過失があったと言うならば、それは腕の立つ護衛を連れて行かなかった事だけだ」
侯爵はオリビアを見下ろしてこう続けた。
「その様子だとすぐに旅立てるな。明後日には王都に出発するぞ」
オリビアの体を張った演技は報われず、侯爵は泣いてすがりつく娘を引き離して歩き出した。オリビアはその背中に向かって、勇気を絞り出して声をあげた。
「あの子は私の物です!私が育ててきました!お父様が駄目と言っても必ず王都に連れて行きます!」
侯爵が急に立ち止まって振り向くと、オリビアのいる場所まで真っすぐに戻ってきた。オリビアは「あ」と声を発する間もなく細い首を掴まれ、足先が床につくかつかないかのギリギリの位置までその体を持ち上げられた。
「『聖女』である前に、この家の娘であることを忘れるな!」
数秒のこととは言え、締め上げられた首から侯爵の手が離れると、オリビアはごほごほと咳をしながらその場に崩れ落ちた。
「王都には上級教育を受けた使用人達がすでにいる。私が許可した者以外、この城から連れていくことは許さないぞ」
厳しい言葉を吐き捨てた侯爵は娘を置き去りにしてそのまま立ち去って行った。侯爵に同行していた数名の騎士達がオリビアに同情の目を向けつつ、足早に侯爵の後を追ってその場から誰もいなくなった。
後に残されたオリビアは、廊下でただ一人愕然としたまま、何もない空間を呆然と見つめていた。
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余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。
会話がわからない!となるよりは・・
試みですね。
誤字・脱字・文章修正 随時行います。
短編タグが長編に変更になることがございます。
*タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。
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