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第三章
49、噴水広場と音楽の夜(ニ)
しおりを挟む「この店を選んだのは、何か理由があるのですか」
口にしたフライドポテトを飲み込んだラウラは、男達の気まずい空気を読んで話題を変えた。
「あ、あぁ。演奏が始まれば、珍しいものが見られるはずだ」
キースの視線の先を追うと、数人の男達がステージ上に椅子を並べて、持ち込んだ楽器を手に演奏の準備を進めている。ギターやバイオリン、牛皮が張られたドラムはさほど珍しい物ではないが、細い管を数本束ねたような小型の楽器が店内にいる客達の注目を集めている。
準備が整って演奏が始まると、その音に聞き覚えがあったサラは心の中で叫んだ。
(あの音!あれは…アイルランドの楽器だわ!)
サラはその楽器の名前までは覚えてはいない。それでも一度耳にすれば忘れられない特徴のあるイリアン・パイプスの音は、前世の記憶を掘り起こし感動がこみ上げてくる。
高音でも撫でらかに響き渡るその音は他の楽器との相性も良く、リズミカルなメロディーラインに乗った周りの客達も手足でリズムを刻んでいる。ステージ前の空間に出てきた数組のカップルが自由に踊り出すと、賑やかさはより一層増していった。
いつも冷静で無口なリックも、この光景に感嘆の声を上げずにはいられない。
「すごいな…。いえ、すごい盛り上がりですね。こんな音楽も初めて聞きます」
「あのフルートのような管が何本もついている楽器は何なんですか!?口で吹いてもいないのに音が出ていますよ!」
ラウラも仰天しているのだから、イリアン・パイプスがかなり珍しい楽器であることは間違いない。サラも興味津々で、ラウラとキースの会話に耳を傾ける。
「ピーブかピブ・イーランだったか、その発音から遠方のエーラ国の物じゃないかと考えているが、帝国内にどうやって持ち込まれたのかは不明だ。肘下に皮袋があって、そこに空気を取り込んで音が出るらしい」
「どうやって突き止めたのですか」
「強奪された盗品が貧民街で流れているという噂を追っていた頃、不審な動きをしている男を捕らえた。それが今まさに、あの不思議な楽器を弾いている男だ。見知らぬ商人から買った物らしい」
「初耳です。上に報告しなかったのですか」
「団長には報告済だが、もし他の騎士に捕まったら私の名前を出すように伝えてある。ここの店主はあの男とは昔からの知り合いで、彼のおかげで客が増えたと喜んでいた。入手経路も不明な楽器の出所が国防に関わっている可能性があるなどと想像もしていないのだろう。とにかく、あの男を捕まえて追求するよりも、泳がせてその商人を見かけたら通報するように取引をしたんだ」
違法な密売ルートは盗品だけでなく武器も流通している事が多い。その密売人達が組織的になれば帝国に謀反を起こすことも考えられる。それがもし他国と通じているとなれば事態は深刻なものとなる。
騎士団がこの帝国を守る組織として幅広く活躍していることを再認識させられたサラは、乾いた喉をオレンジジュースで潤わせた。
(やっぱりあの楽器は珍しい物だったのね。口を堅く閉じていて正解だったわ。それにしても、あの楽器は先に取り上げられていてもおかしくなかったんじゃない?外国の珍しい物は特権階級の間で流行った後、庶民に流通していくのが普通だわ。でもキースが見逃してくれたおかげで、ここの人達は特別に楽しい時間を過ごせているのね)
サラは賑やかな演奏に合わせて自由に踊っているカップル達を見つめた。幸せそうな彼らを羨ましく思いながらも、演奏に目と耳を集中させれば純粋にこのひと時を楽しませてくれるのだから、今はそれだけで十分だと思えた。
「…もし俺がこの件について黙認した事が罪だと言うのなら、マダムの事を騎士団に隠していたルアンの方がよっぽど重罪だ。リック、君は彼がパウロ公爵とマダムを引き会わせたと思わないか」
「それは…、わかりません。彼がマダムと直接面識があるとは知りませんでした」
リックは正直に答えた。そしてキースもそれ以上は言及せず、穏やかな雰囲気で水を口にしただけだった。キースの向かい側に座るサラの体が僅かに揺れているのは、音楽に合わせてリズムを刻んでいるに違いない。
緊張感が緩みそうになったリックは、常に警戒心が高いラウラに倣って賑わう店内に目を配った。
※ ※ ※
次の演奏が始まる前にバーを出た四人は、広場にある大きな噴水の近くまでやってきた。噴水と言ってもそれは自然な湧水を貯めるだけの作りになっていて、その中心にある女神像が夜の街中でも一際目立っている。サラが目を凝らして観察していると、ラウラが横から話かけてきた。
「ねぇ、リビ。あんなにうるさくて狭い店でも平気だった?音楽が好きなら屋敷に宮廷楽団を呼んだり、演劇に興味があればグローブ座っていう劇場もあるのよ。そういう場所に行くなら綺麗なドレスを着ておしゃれも楽しめるわ」
「ラウラ姉さん、私はさっきのお店でも十分楽しめたわ。それに重たいドレスよりもシンプルな方が動きやすくて好きなの。だからこの格好も気に入っているわ」
「あなたが流行のドレスに目もくれないのは、そういう場に行く機会がないからだと思っていたわ。でも社交界デビューをする前の出会いは、そういう場所で起こるものよ」
「出会い?」
「そうよ。デビュー前の貴族の子供達は劇場や展覧会、乗馬クラブとか、家族と出掛けた先で他の貴族の子供達と顔見知りになることが多いの。そこで友達ができれば互いの屋敷に遊びに行ったり、気になる人がいればデビュタントのパートナーを申し込んだり、申し込まれたりすることもあるのよ」
ラウラの話を聞いたサラは思わず眉をひそめた。貴族令嬢は十七歳になると、皇室主催のデビュタントへの参加が義務付けられていることを思い出したせいだ。
(やっぱり早くオリビアお嬢様を見つけて、治療して戻ってきてもらわなくちゃ困るわ。あの事故は私にも責任はあるけれど、いくら身代わりと言っても私自身が目立ちたいとは思わないし、デビュタントも何が起こるかわからなくて行きたくないもの)
「ラウラ、彼女に…妹に余計な事を吹き込まないでくれ。彼女のデビュタントは俺がエスコートすることになっている」
「え?」
姉妹の振りをしているサラとラウラの会話に、口を挟んできたキースがラウラに釘を刺した。サラにとってはデビュタントに出席すると言う話は初耳で、キースがエスコートをすると敢えて公言した理由もわからない。
(今の言葉、本気じゃないよね…?デビュタントは仮病を使って欠席するわ。そしたら次のデビュタントでオリビア様が出られるかもしれないし、絶対にその方がいいに決まってる)
「ですが見識を広げるためにも歳の近い友人は必要です。ご不安なら変な虫がつかないように見張っていれば済む話です」
サラの意志とは関係なく、ラウラがなぜか強めに言い返している。それを見たサラは、ラウラの態度が不敬罪にあたるのではないかと不安になってしまう。
(ラウラは純粋に私の事を想って言ってくれている。だけど貴族のお友達を作っても、お嬢様と入れ替わった後、顔が似ていても話が通じなければ困るのはお嬢様の方だわ。これ以上話が大きくなる前に止めなくちゃ)
「待って、ラウラ姉さん、落ち着いて。ラウラの言う事にも一理あるけれど、それでも私、今日は本当に楽しかったの。あの音も懐かしかったし、だから―――」
「懐かしい?」
キースの疑問の声でサラは失言した事に気がついた。「しまった」と言わんばかりの、サラの硬直した表情を見逃さなかったリックは、サラがまた不思議なことを言っているのだとわかって一人苦笑している。
「いえ、あの、えっとですね…、つまり、踊りたくなるような楽しい音楽を聞いたのは久しぶりで、それが懐かしかったと言いたかったんです。それであの、もし機会があればまたこの四人で出掛けられますか?もちろん、マダムのところに置いてきてしまったルアンも一緒に」
この様子を見ていたラウラは、サラから「この四人で」と指名された事への嬉しさで感極まって口を手で覆っている。
口下手で恥ずかし気にお願いをするサラの愛らしい姿を見たキースもまた、顔が熱くなるのを誤魔化すようにぶっきらぼうな口調で答えた。
「君が頼りにしている部下を選んできて正解だったな。ルアンはおまけみたいなものだが、まぁ、いいだろう。二人とも、帰りも頼んだぞ」
「「はい。承知いたしました」」
リックとラウラが同時に返事をした。そしてサラは少し残念な気持ちになっている。
(…という事は、これでラウラとの姉妹ごっこも終わりか。楽しい時間はあっという間ね)
三人と共に噴水から離れようとした時、重要なことを思い出したサラは大きな声を上げた。
「あ、待って下さい!ここで試したいことがあるんです!ここで…『祈り』をしてみてもいいでしょうか」
「『祈り』?誰に、……まさか」
サラが試したい事、それは行方がわからなくなったキースの妹オリビアを、聖女の力を使って探してみるというものだ。
(私ったら、楽しくて夢中になるあまり大切な事を忘れるところだった!もしオリビア様がこの近くにいて私の『祈り』に反応してくれたら、何か手掛かりが得られるかもしれないのに)
真剣な眼差しで見つめられたキースは一抹の不安はあったものの、サラの願いを聞く事にした。
リックはともかく何も知らないラウラには、この「祈り」は街の人達に捧げるものだと説明をして、噴水の側で人目を遮るように取り囲む三人の騎士に見守られながら、サラは目を閉じて静かに祈り始めた。
(オリビア様、サラです。あなたのお兄様も一緒です。お嬢様はどこにいますか?お嬢様を今度こそ助けたいんです。お願い、この声が聞こえたら―――)
サラはこれまでも何度かこの方法を試してオリビアを探し出そうとした事がある。だがこの方法は体への負担が大きく、無駄骨に終わったとしても最後に疲れが押し寄せてくる事を覚悟しなくてはいけない。
そして今回もまたその限界はすぐにやってきた。サラの顔色が悪くなってきた段階で、正面にいたキースがその異変に気づく。
キースはすぐに「祈り」を止めるよう言いかけた。だがその直前に、背後から何かが近づいている気配を察して振り返った瞬間、飛び掛かってきた物体を払い除けようと腕を伸ばした。だがその物体はキースの腕で振り払われるどころか、彼の肩を踏み台にしてサラに飛び掛かっていった。
ふらつきそうになりながら一心に祈っていたサラは、顔面にいきなり何かがぶつかった衝撃で「うあッ」と叫んでよろめいた。そして足を噴水の淵に引っかけてしまい、体勢を崩したサラの体は斜めに傾いていく。
「お嬢様!」
ラウラの声と同時に豪快に跳ね上がった水の音が広場に響き渡った。
キースとラウラが伸ばした手はどちらも間に合わなかった。サラの後ろにいたリックも、背中を向けて周囲を警戒していたせいで、顔の真横をかすめて逃げて行った生き物に気を取られ、振り向いた時にはすべてが手遅れだった。
全身ずぶ濡れで、噴水の中で座り込んだまま放心状態のサラに、最初に声をかけることができたのはキースだ。
「だ、大丈夫か!?」
「―――は、はい。でも、濡れてしまいました…」
「お嬢様!早く、早く出ないと風邪をひいてしまいます!」
キースとラウラの手を借りて噴水から出ると、リックが自分のマントを脱いでサラに差し出している。サラはそれをすぐには受け取らずに、伊達メガネの水気を軽く振り払ってかけ直し、洋服の水を絞り出しながら質問をした。
「さっき…何がぶつかったのでしょうか?重たくて、温かくて柔らかい感触でした」
「はい、あれは猫でした。申し訳ございません」
リックが謝罪した理由がよくわからないまま、サラは呆然と呟いた。
「猫。あ、あぁ。なるほど……ッくしゅん!」
「お嬢様、猫にアレルギーがありましたね。早く帰って医者に診せましょう。とりあえず濡れたマントを外して、リックのマントを着けて下さい」
「え、そんな、大袈裟よ。猫の毛なんてきっと洗い流されているわ。それにリックのマントも濡れちゃう……くしゅッ!」
「ずぶ濡れの状態で何を心配しているのですか。本当はお召し物を全部変えないといけないくらいですよ! 」
ラウラが指摘した通り、濡れた服が夜気に冷やされて一気に体が冷えていく。これではオリビアを探す「祈り」をした後の疲労感などどうでもよく感じられるほどに、今の状況がおかしなものに見えてくる。
濡れたマントを脱いでリックのマントを着け直していると、その傍らでキースがラウラに指示を出している。
「ラウラ、馬車の隠し場所に戻ったら君のマントをリックに渡してくれ。そして君は妹と一緒に馬車に乗るんだ。君の馬は俺が引き受ける」
サラはこそばゆい鼻先をおさえながら、どこからか感じる視線の元を探るように辺りを見回した。だが周囲は物珍しい出来事を見つめる人々の好機の目と、夜の街を楽しむ人々で賑わっているだけだった。
(……どうして私がやる事はいつも上手くいかないのかしら)
リックから借りたマントの長さがサラに合わないのは当然の事で、サラはマントの端を掴んでとぼとぼと歩き出した。
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