身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

56、初代皇帝の逸話

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 意味不明な動揺振りを見せているサラの返事を待たずに、キースは落ち着いた声で朗読を開始した。

「かつて人々は神を敬い、恵まれた大地で互いに助け合い共存していた。しかし自分勝手な欲に溺れていった人間達は、奪い合い、殺し合い、それは世界の穢れとなり、邪悪な闇を生み出した。闇に支配された世界は混沌とした時代を迎える。

 絶望の中で闇の存在を知った人々はそれを悪魔と呼び、神に救いを求めた。神は人々の切なる願いに応え、聖なる力を無垢な少女の体に宿し、人々に希望を与えた。

 貪欲な悪魔は神の力を恐れるどころか、その力を欲して遂に人間達の前に姿を現した。だが聖女は一人の戦士と共に闇に立ち向かい、そして悪魔を封印する事に成功したのだった。

 人々は神への信仰と世界の復興を誓い立ち上がった。そして神に愛されし少女は、その役目を終えて神の下へ帰っていった」

 訳しながら読み終えたキースは本を閉じてサラに視線を戻した。

「こんな内容だ。君が知っている逸話と同じはず―――」

 キースはサラが尊敬の眼差しでじっと自分を見ていることに気づき、恥ずかしさのあまり逃げ場のないソファの端にいても出来る限り身を引いてしまうが、サラはそんな事などお構いなしにキースを褒め始めた。

「す、ごい…、すごいです!旧ヴェーダ語といえば、それを読める人は帝国内でも限られた方々のみだと聞いた事があります。それをこんなにすらすらと訳して読む事ができるなんて、すごい事ですよね!?」

 マティアス家の次期当主として、何でも完璧に出来る事が当然のように厳しく育てられてきたキースは、純粋な気持ちで褒められる事に慣れていなかった。彼は今読み上げたばかりの本をサラの前に持ち上げて、赤面している顔を隠した。

「旧ヴェーダ語を話せる人は他にもいるんだ、これくらい大した事じゃない…!と、とりあえず、中の挿絵も見ておくべきだと思うんだが…!」

「あ、はい。見たいです。見せて下さい」

 再び本を受け取ったサラは、パラパラとめくりながら丁寧に描かれている挿絵の中から一枚の絵に目を留めた。剣先を上に向けて掲げている聖女の姿を見つめながら、背中に当たる柔らかいクッションに深くもたれていく。

(私が夢で見た通り、初代皇帝ミハエルと聖女ソフィアが一緒に戦っていた事は書かれていたけれど、逸話通りだとしたら二人は結局結ばれず、ソフィアは聖女として神様の下へ帰っていったという事になるわ。それにしても…なぜかこの本から深い悲しみが伝わってくる。でもただそんな気がしているだけで、私自身が悲しいとか寂しいとは思わない。この不思議な感覚は何かしら?)

 サラはふと幻想的な空間の中で、キースと二人、静かで満たされた時間を過ごしていることに気づいて、複雑な気持ちになってしまった。

「あの…、この際ですから、お聞きしたい事があるんです」

「何だ?」

「…キース様は妹のオリビア様とどうして疎遠になってしまったのですか?お嬢様はキース様の事をよく知らないまま、ただ怖がっていただけのような気がします。もしお二人で過ごす時間があればそのような誤解もすぐに解けていたんじゃないかと思うのですが…」

「…そうだな、いくら自分の事で精一杯だったと言っても、俺は兄として失格だな」

「そっ、そんな事を言わせる為に聞いたんじゃないんです…!キース様がずっと旦那様と別々に暮らしていたと聞いた時は正直驚きました。色々とご事情があったのだと分かっています。ただキース様がこんなに立派で優しいお兄様だとわかっていたら、お嬢様はきっと喜んでくれていたんじゃないかと、ただ残念に思うんです」

「……君が俺の事を過大評価してくれる事は嬉しいが、俺は義理の母に嫌われていて、歓迎された事が一度もないんだ」

「え?侯爵夫人が…キース様を…?」

「初対面の時からすでに、夫人からはオリビアに必要以上に近づくなと言われていたんだ。俺が夫人を義理の母として受け入れられなかったように、夫人も前妻の子である俺を警戒していたようだ。オリビアは甘やかされて大切に育てられていたようだし、考えるのも面倒で一生疎遠になっても構わないとさえ思っていたが…。こうして振り返ってみると、母の記憶がない俺は妹に嫉妬していたのかもしれないな」

 疎遠になった理由をあっさりとキースが語ってくれたのは後悔の表れなのか、それともただ愚痴をこぼしたかっただけなのかサラにはわからなかった。それでもずっと完璧な人だと思っていたキースの事を知れば知るほど、サラの中で話をもっと聞かせてほしいと思う気持ちは日々増していくばかりだ。

 その一方で、こんなふうにキースと語り合えるはずだったオリビアの時間を奪ってしまった過去の出来事がどうしても悔やまれて仕方がない。その想いがサラの心をぎゅっと締め付けて息苦しさを感じてしまう。

(私がマティアス家のお家事情に口を出す権利はない。それにオリビア様の居場所を奪ってしまった私が、この人の側にいる事で満たされた気持ちでいていい訳がない……)

 そっと本を閉じたサラは、乱れかけた呼吸を落ち着かせようと、いつもの様にオリビアが無事でいる事を心の中で祈るように願い始めた。

(お嬢様…、眠り姫のようにどこかで眠り続けているあなたを早く見つけて助けてあげたい。でも聖女の力を使ってあなたを探そうとすると、いつもなぜか失敗してしまうの。きっと私が本物の聖女じゃないせいね…。だけど「孤独な聖女と王子様」の小説に書かれていた通り、あなたが聖女として目覚める日が必ずくると信じている。それにお嬢様は孤独なんかじゃないわ。だってあなたにはこんなに素敵なお兄様がいるのだから……)

 いつからか、サラとキースの間に静かな沈黙が続いている。キースは正面のドアを見つめながら話を続けた。

「君は…オリビアが誘拐された事も、階段から落ちて意識が戻らなくなってしまった事も、責任を感じて妹の身代わりになる事を引き受けてここにやって来た。だが結果的に見れば君は死にかけていたオリビアを救ってくれた恩人で、マティアス家の事情に巻き込まれてしまっただけだ……。自分でも今更こんな事を言うのもどうかと思うが、俺が君を守ると言った約束をどうか信じていてほしい。君がここを出て行く時は全力で支援するし、君さえよければ男爵家か子爵家に養子縁組を斡旋する事も考えている。ずっと淑女教育を受けてきた君には、それが一番相応しいと思うんだ。いずれにせよ…、もし君が許してくれるのなら、君がここを出て行った後も、俺が君の無事を確認する為に時々会いに行っても―――」

「いいだろうか?」とキースが緊張した口調で最後まで言いかけたその時、絨毯の上に本がバサッと落ちて、片腕に何か重たいものがのし掛かってきた。

 嫌な予感がして横を見ると、クッションにもたれていたはずのサラの体が横にずれて、小さな頭がキースの腕に寄りかかっている。

「――まさか…、寝てしまったのか…?」

 何が起きているのか否が応でも理解せざるを得なくなったキースは、そのまましばらく動けなくなってしまった。





「……サラ、本当に寝てしまったのか?」

 キースはソファに座ったまま眠りに落ちたサラを、とりあえず横向けに寝かせた後で何度か声をかけた。しかしサラの唇からはすぅ、すぅと小さな吐息がこぼれ続けている。ちょっとやそっとでは起きそうもないサラに呆れつつ、キースは不安気にその寝顔を見つめた。

(やはり様子がおかしくないか?確かに遅い時間ではあるが、さっきまでしっかりと会話をしていた人が、こんなに急に深く眠りに落ちてしまえるものなのか?)

 明かりが乏しい部屋の中では、見た目だけで具合を判断することは難しい。それでもサラが体を丸めて両手を胸元でぎゅっと握りしめている事が気になったキースは、その手に触れてはっと何かに驚いた後、次にサラの頬と額にも手を当てて、サラの体温が異常に冷たい事を確認した。

「体が冷えているのか…!?」

 サラはナイトドレスの上から分厚いナイトガウンを着ているが、この部屋は暖炉を設置していない。キースは非常時の為に置いてあった毛布を棚から取り出して、それをすぐにサラの体の上に掛けようとするが、

「ん…、んん」

「あ、動くな!」

身動きをしたサラがソファから転がり落ちる寸前、毛布を掛け損ねたキースは慌ててサラを抱きかかえたまま、一緒に絨毯の上に倒れてしまった。

「―――はぁ…」

 深い溜め息を吐いたキースは、サラを抱えたままこの状況をどうすべきか頭を悩ませている。

「サラ、すまない、やはり起きてくれ。君を抱えてあの狭い通路を抜けるのは無理だ!」

 キースはサラを起こそうと繰り返し呼びかけるが、もぞもぞと動き出したサラはキースの胸の上で子供のようにイヤイヤと顔を埋めてくる。そのうえサラの手はいつのまにか、キースの服の一部を掴んだままぎゅっと握りしめて離そうとしない。

「…まさか、オリビアじゃないよな?また彼女の体を使って、俺をからかおうとしているんじゃないだろうな?」

 教会での出来事を思い出したキースは、警戒しながら慎重にサラの体を揺さぶって起こそうとするが、サラの手はずっとキースの服を掴んだまま、体はスリスリと温もりを求めてしがみついてくるばかりで、そのぎこちない動きに耐え切れなくなったキースは声を張り上げた。

「ッつ、待て、サラ!動かないでくれ!」

 キースの声が届いたかどうかわからないが、サラは身動きを止めて静かに寝息を立てている。だがこの時すでにキースの下半身がしっかりと反応して硬くなってしまったせいで、仰向けの体勢でサラにしがみつかれたまま動く事も出来なくなってしまった。

「―――ッツ、くそッ!俺はいったい何を試されているんだ…!」

 キースは必死に自制心をフル稼働させた。だが胸の上でまだ寒そうに眠っているサラを見た途端、冷え切ったその体を裸にして抱き崩して温めてやりたいという邪な感情で狂いそうになり、思わずぎゅっとサラの体を抱きしめていた。
 
 ただそれだけで体も心も満たされた気になれたキースは少し冷静さを取り戻し、中途半端にかかっていた毛布をサラの肩まで引き寄せる。そしてじっと時間が過ぎていくのを待ちながら、気づかぬうちにそのままゆっくりと瞼を閉じていった。

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