身代わり聖女は悪魔に魅入られて

唯月カイト

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第三章

59、甘い仕返し(二)

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 キースの荒げた声に驚いたサラは、口ごたえし過ぎた事を後悔して黙り込んでしまった。一方のキースは息を整えて、気まずそうにサラを見つめている。

「……怒鳴ってすまなかった。両手を出してくれ」

「手…、両手、ですか…?」

「そうだ」

 サラが戸惑いながら両手を差し出すと、キースも両手でサラの手を包み込み、握りしめてきた。驚いたサラは困惑が入り混じった声を上げる。

「キース様!いきなり何を――!」

「隠し部屋に入った時、この手は今と同じくらい温かった。だが昨夜、君の体は驚くほどに冷たくなって、何度呼びかけても君は目覚めなかった!もし俺以外の人間が…俺以外の男が君の側にいたらどうなっていたかと思うと……!!」

 キースが悲痛な表情でサラの両手を強く握りしめている。単なる冷え性だと思い込んで気付けなかった新しい事実を知る事になったサラは、キースが心底心配してくれていた事を思い知ると同時に、手から伝わる熱で腰から崩れ落ちそうな感覚が押し寄せ、初めて味わう感覚に体が震え出している。

「こ、これからは気をつけます!だから、お願い…!もう、手を…離して下さい…!」

 キースは強く握っていた手を離す前に、さり気なくリードしてサラを椅子に座らせた。キースも席に着いて昂った感情を落ち着かせようとしているが、この展開についていけないサラは眩暈がしそうなほどに頭が混乱している。

「――他に隠している事は?」

「あ、ありません!隠していたつもりもありません!」

 その返事を聞いたキースは、不意にサラの前に出されたケーキ皿を引き寄せ、チョコレートケーキの横に添えられたマスカットの一粒を未使用のデザートフォークで突き刺した。

 キースの謎の行動を見ていたサラは、次に何が起こるのか予測出来ずに戸惑っていると、キースはフォークに刺さっているマスカットを持ち上げて見せた。

「今日の君のデザートはこれだけだ」

「え?ひどい!」

 サラは楽しみにしていたチョコレートケーキがお預けにされる事を知って、つい口をついて反論した。幼稚な言い方をしてしまった事に気付いて口を閉ざし、視線も別の所に逸らしたのだが、キースはフォークを持ち直して熱い眼差しをサラに送っている。

「口を開けて」

「く、くち?なぜ……」

 理由を聞く前に、サラの唇にマスカットの一部がぽとっと当てられた。

「…?」

「食べてごらん」

 キースを見てみると、彼は微笑みながらサラの口にマスカットを入れようとしている。この状況を理解したサラは、顔が熱くなっていくのを止められない。

(……なっ、何これ!?これってもしかして、キースが私に食べさせようとしているの!?)

 抗議の言葉を述べようにも、唇に当たっているマスカットのせいで口を動かす事が出来ない。サラの動揺を他所にキースは悪戯な笑みを浮かべている。

「早く口に入れないと、誰か来てしまうかもしれないぞ」

「…!?」

(ま、まさか、このタイミングでギルバートを呼んだりしないよね?しかも、そんな…そんな素敵な笑顔で…すごく卑怯じゃない!?)

 根負けしたサラがマスカットを口に含むと、フォークから簡単に抜け落ちて舌の上に転がり落ちてきた。一つの丸い実だと思い込んでいた果実には切れ目が入っていて、その種はすでに抜き取られており、噛んでみれば甘い果汁が溢れ出てくる。その果汁のせいで火傷した舌に僅かな痛みが走ると、声が出そうになったサラはすぐに飲み込んだ。

 キースはフォークをケーキ皿に戻して待っているようだが、その顔を見る勇気さえも失ってしまったサラは俯いたままだ。

「…もう隠し事は無しだ。もし他にもあるようであれば――」

「ありません!先ほども言いましたが、隠していた訳じゃないんです…!ただ私の力不足なだけです…!」

「それでも闇雲に聖女の力を使うのは止めるべきだ。体力を消耗させ、体を危険に晒すような危険な真似はさせられない。もし同じ事をしたら、また同じ罰を与えるからな」

「こんな―――ッ」

 「こんな甘い罰は罰なんかじゃない」そう言いかけたサラは、そんなセリフを言うのもおかしい気がして、最後まで言うのを止めてしまった。そしてふと、キースが言う所の罰の内容が具体的に何を指しているのかさえわからなくなっている事に気付いてしまった。

(ちょっと待って…。罰ってデザートがお預けになる事?それともキースに食べさせてもらう事?もしかして両方?…え?どっち、どっちなの?どうしてキースは私を混乱させるの!?)

 サラの考えている事など分からないキースは、ナプキンで口元を拭って席を立つと、今度はすまし顔でサラの前にケーキ皿を戻し、低い声で囁いた。

「もう俺に頭を下げたり、二度と土下座もしないでくれ。それから…君にはこれからも紳士的に接していくつもりだが、俺も普通の男と同じように我慢にも限界がある。昨日はかなり辛かったぞ」

 言い終えたキースは、小さな呼び鈴を強く振ってギルバートを呼び戻した。

「先に部屋に戻る」

「おや…キース様、葡萄酒に合わせたディッシュはお気に召しませんでしたか?それとも部屋にお持ちしますか?」

「いや、今夜はもう水だけで十分だ。おやすみ、オリビア」

 キースの優しい声を無視出来ず、サラは精一杯か細い声を絞り出した。

「………おやすみなさい!」

 キースがダイニングルームを退室した後も、サラはずっとキースの言葉を頭の中で反芻している。

(最後にキースは何て言ってた?我慢の限界?それが辛かったって…。それって、まさか…)

 前世も現世も含め、まだ夜の経験はなくても情報化社会で生きていた前世の記憶が残っているサラは、性に関する知識はそれなりに持ち合わせている。

 だからこそキースが言った言葉の意味を初心うぶな振りをして聞き流す事も出来ず、自然と導き出される解釈に悩まされていた。

 キースに一人の女性として見られていた事も、手を出さずに我慢を強いられた夜の仕返しとして、魅力的な微笑みを武器に意地悪な事をされたのだと後になって気がついても、恥ずかしさと怒りよりも先に喜びを抱いている自分の感情と向き合えず、胸の奥が押し潰されそうになっている。

「お嬢様…」

 ギルバートの声で我に返ったサラは、目の前のチョコレートケーキに視線を戻した。

(本当は胸が一杯で食べられる気がしなかったんだけど、せっかく料理長が気を遣って作ってくれたのに、残したらまた心配させてしまう…)

「ギルバート、…紅茶の代わりにお水を頂戴。喉が渇いてしまったの」

「承知しました」

 キースが返してくれたケーキを無理して食べ始めたサラは、ビターチョコレートの甘味とほろ苦さを噛みしめた。

 そして、胸の奥の息苦しさを溶かす甘さと、これからの不安を予兆する苦味が、サラの初恋を象徴するものに近い事を知ったのだった。




 ※   ※   ※




 廊下に出たキースは扉が閉まった途端、口元に手をかざし、赤面した顔でぼそっと呟いた。

「くそッ、やり過ぎた…!」

 マティアス一族は知性・体力のみならず容姿にも恵まれた家系で、幼少期から美青年だと言われ続けてきたキースにとって、男女問わず人の関心を引き寄せてしまうこの顔は悩みの種でもあった。

 だが大人になって、窮地に追い込まれた時は微笑むだけで逃げ切れる事もあるのだと知ってからは、状況に応じて上手く使うようになっていた。

『困っちゃうくらい、寝顔も素敵ね』

 そう呟いたサラの声を聞いたキースは、寝ている振りをしているのも忘れて、つい目を開けて起きてしまった。そのせいでサラと気まずい対面をする事になったのだが、そこで土下座をしたサラの行動に少なからずショックを受けていた。

(そんな扱いをしてきたつもりはなかったが、オリビアの使用人だった彼女の目には、この俺も父と同じ立場に見えていたという事だ。彼女の信用を得られているとはいえ、そんな事にも気付けなかったとは、俺は本当に愚かだ)
 
 そして誰も来ない隠し部屋で一夜を共に眠り過ごしたと言うのに、何もされていないはずだとキースを疑う気配もないサラに対して若干の苛立ちを覚えたキースは、無防備過ぎるサラに意地悪をしたくなってしまった。

(彼女がこの顔を気に入っているようだったから、あれは軽い意趣返しのつもりだったんだが……、それなのにどうしてあんな可愛い反応を見せるんだ!)

 いざ仕返しを実行してみると、サラは恥ずかしそうにしながらも観念して口を開けて食べてくれた。だがマスカットの甘い果汁に反応し、潤んだ瞳で「ン…」と発した小さな声を聞いてしまった瞬間、不覚にもその唇を奪いたい衝動に襲われたキースは、フォークを置いてすぐに身を引き、顔を真っ赤に染めて俯いているサラを見つめた。

 サラは以前から天使のような愛らしさを持っていた少女だったが、聖女の力を使う者への恩恵なのか、月日の経過と共にその美貌に磨きが増していく彼女の変化に、キースは一抹の不安と焦りを抱いていた。

 それでも以前よりも素直に感情を表現するようになったサラを見ていると安心するのだが、胸に秘めた恋心はサラの素顔を側で見ているだけで満足できていたはずなのに、最近物足りなさを感じ始めていた矢先に起きてしまった昨日の一件は、キースの男としての本能に火を点けてしまった。

(これまでと違った目で俺を見てくれたらいい。もっと男として意識してもらえれば……)

 もうすぐ皇室が主催するデビュタントの開催日が差し迫ってきている。サラはデビュタントへの参加を拒否するだろうが、父親のマティアス侯爵がそれを許さないだろうとキースは考えていた。

(どうせなら、サラの瞳に似合ったドレスを贈ってやりたいが…彼女はそれを喜んでくれるだろうか)

 そう考え始めたキースは侍女頭のエレナを書斎に呼び出し、デビュタントに向けた準備を進めるよう細かい点まで指示を与えたのだった。


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