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第三章
74、ギルバートの報告
しおりを挟むキースとサラは西地区の活気ある市場へとやって来た。乗ってきた馬を近くの厩舎に返却し、雑貨店やスイーツ店などを自由に見て回っている。
午前中と違って護衛の目がないせいか、何気ない会話の中でも二人は互いによく微笑み合い、幸せで穏やかな時間は刻々と過ぎていった。
最後に立ち寄った菓子店で使用人達へのお土産を買って外に出た時、そこでサラはふと、執事のギルバートと侍女頭のエレナの顔を同時に思い浮かべ、ずっと気になっていたことをキースに尋ねた。
「ギルバートとエレナは独身ですよね。互いに信頼し合っているようにみえますが、二人は実際のところ、どんな関係なのですか?」
「…もどかしい関係としか言いようがないな。ギルバートの気持ちはエレナに伝わってはいるが、彼はエレナの亡き夫とも顔見知りだったらしく、彼女が再婚する気になるまで待つそうだ」
「エレナは未亡人だったんですね…。ご主人を亡くされたのは何年前ですか?」
「……二十一年前だ。エレナの夫はマティアス家専属の騎士で、馬車が襲撃された事件で命を落とした」
サラはゆっくりと歩みを止めて、キースを振り向かせた。
「……マティアス家の馬車って、まさか…」
「父上と母上、そして俺の三人が乗っていた。母上は生後数カ月の私を庇って亡くなったと聞いている」
「……ごめんなさい。知らなかったとはいえ、辛い話をさせてしまいました」
きゅっと唇を結んでいるサラの手を握ったキースは、その手を引いて歩き出した。
「いいんだ。いつか君に話そうと思っていたし、赤ん坊だった頃の出来事を俺が覚えているはずがない。だがエレナのように苦しみ続けている人もいる。最愛の夫を亡くしたエレナを支えてきたのはギルバートだ。彼のような人間が周りにいなければ、俺の性根はきっと父への反抗心で腐りきっていたかもしれないな」
休暇中でしばらく顔を見ていないギルバートのことを想いながら待ち合わせの広場に辿り着くと、ラウラと数人の騎士たちが集まっている様子が視界に飛び込んできた。
「リックとルアンもいるわ。どうして二人がここにいるのかしら」
彼らは変装をしているサラとキースの存在に気がつくと、ラウラに何かを告げて、二人だけで近づいてきた。颯爽と歩く彼らの姿は周囲から羨望の的になっているが、身に纏う空気はどこか冷たい。
立ち止まって先に声をかけてきたのは、安堵と落胆の色を浮かべているリックではなく、呆れた眼差しで見つめてくるルアンだ。
「変装してお出かけですか。本当に仲のいいご兄弟ですね」
ルアンにそう言われるまで、ずっとキースと手をつないでいたことを忘れていたサラは慌て始めるが、何故かキースが手を放してくれないので、ここは「仲のいい兄弟」の振りを続けるしかない。
「今日は休みだったので、お兄様に街を案内して頂きました!」
「そうですか…」
ルアンが疑いの目を止めないので緊張していると、リックが重々しい口調で話し始めた。
「キース・マティアス副団長、あなたに遠征団の指揮官として出兵命令が出ています。出発は五日後です。これから騎士館に戻って、ベンダル副司令官から詳細を伺って下さい」
「――――遠征?」
リックの口から聞き慣れない言葉を聞いたサラが驚いてキースを見てみると、彼はすでに覚悟していたことのように、ためらいもなく返事をした。
「了解した」
(待って…。どういう事?遠征って何?いつ帰ってくるの?まさか……私のせい?)
「オリビア、今夜また話そう。アイゼン隊長、この袋を屋敷に持って帰ってくれ」
キースがサラの手を放し、お土産の菓子がたくさん入った袋をリックに預けてその場を離れようとするが、サラがキースの腕を強く掴んで引き留めた。
「待って、キース様!」
その瞬間に居合わせたリックとルアンは、サラの悲痛な声に衝撃を受けて硬直している。キースもサラに腕を掴まれて驚いているが、困った顔で優しく言い直した。
「話を聞くだけで、遅くはならないはずだ。ラウラ達と先に帰って待っていてくれ」
騎士館に戻らなければいけないキースを困らせていることを、サラはしっかりと自覚している。唇を噛みながら無言で頷き、掴んでいたキースの腕を放した。
「それじゃ、夜に」
そう告げて立ち去っていくキースの後ろ姿を見つめていると、
「聖女様」
と、リックに呼びかけられたサラは、びくっと体を震わせた。
「ラウラが馬車を用意しています。どうぞ、こちらへ」
「……はい」
大人しくリックとルアンの後をついていくと、馬車の前で待機していたラウラに「お嬢様、お帰りなさいませ」と声をかけられた。御者の席にはラウラの部下である若い青年が座っている。
「お怪我はございませんか」
「ないわ。二人を置き去りにしてごめんなさい」
「お嬢様のせいではありません。気にしないで下さい。それよりも…」
ラウラが元気のないサラを気遣って、こそっと話しかけてきた。
「今日は楽しかったですか?」
「…えぇ、とても有意義な時間だったわ。待っていてくれてありがとう、ラウラ」
キースと一緒に過ごした時間を思い出せば、心は勝手に温まって幸せを感じられる。それでも馬車に揺られながら屋敷に向かう間、サラは思い詰めた表情をして、膝の上で手を重ね握りしめていた。
(初めてリックに「聖女様」って呼ばれた気がする…。彼は私の素性を知っているから深い意味なんてあるはずがなのに、どうして強い不安を抱いてしまうのかしら。キースが遠征に行くと聞いた直後だったから?……いいえ、何かが違う気がする…。あぁ、キース、お願い。今夜は早く帰ってきて……)
屋敷に戻って着替えるとすぐに応接間に移動し、待たせていたリックとルアンから今後しばらくの予定について説明を受けることになった。
その間もリックの紳士的な態度はいつもと変わりなく、それでもなおサラを「聖女様」と呼んだ彼の一言は、水面に落ちた一滴の黒インクように、その心に不安の影を忍ばせていった。
※ ※ ※
キースとサラが変装をして街に出かけたその日の夜、騎士館から帰ってきたキースは、今回の遠征の目的は現地騎士団との合同訓練であり、半月ほどで帰還する予定であることをサラに説明した。それだけでなく、本当は別の責任者が行くはずだったものを、騎士団の総司令官でもある父親の命令によって人選が変えられた事情までも、包み隠さず打ち明けた。
サラはこうなってしまったのは自分のせいだと落ち込んでいたが、キースはそうではないと繰り返した。
「今回の件は俺と父上の問題だ。君が気に病むことではない。それだけはわかってくれ」
そして翌日から遠征の準備に追われるキースと、聖女の活動を開始したサラは、慌ただしい日々を送っている。二人で過ごせる時間は夕食後の短い時間に限られていて、キースの執務室でその日の事などを語り合うだけで時間はあっという間に過ぎていった。
今夜も遅い時間になる前にサラを部屋まで送り届けたキースは、再び執務室に引き籠り、領地から届いた書類に目を通している。
(ギルバートがいないと作業が二倍だな。俺が遠征に行く前に、予定通り帰ってきてくれると助かるんだが…)
キースが執事のギルバートを密かにサラの出身地グローリアに行かせた理由は、孤児で幼少期の記憶をまともに覚えていなかったサラのために、何か一つでも有益な情報があればと願ってのことだった。
(遠征に行けば例の計画も進められるとわかってはいるが、半月とはいえ彼女を王都に残して行くのはかなり不安だ。特に問題なのはエバニエル殿下と父上だが、それから…リック・アイゼンか…)
この二日間の活動の様子を聞いていると、サラは聖女の力を使ってでも人の役に立てていることが嬉しいらしく、外で見聞きしてきたことも楽しそうに話してくれるのだが、気付かぬうちに他の男の名前を頻繁に出してしまっているせいで、キースは一人でもやもやとした感情を抱えていることも多い。
「孤児院で癇癪を起こしてしまった男の子を、リックが抱っこして落ち着くまでなだめてくれたんです。その子は私たちが帰る時には『また来てね』と言って手を振ってくれました。きっとリックのことを父親のように思ったかもしれません。最後は王都で一番小さな教会を訪ねたのですが、じつはそこでルアンが教会の屋根裏に隠れて寝泊りしていた泥棒を発見して捕まえてしまって、――――」
(俺が一緒に同行できていれば見苦しい嫉妬心など抱かずに済んだはずだが、今は耐えるしかないな…。リックのことはまだ信用していいと思ってはいるが、ルアンはどうだろうか。貧民街にも精通している彼が危険な地域に同行してくれていることはありがたいことだ。だが貴族や上官に対して一切気後れする気配がないのも問題だ。あの妙な気配を、俺は別のところでも感じたことがあるような気がするんだが……)
キースがルアンの事を考えていると、誰かが執務室をノックしている音で我に返った。
「キース様、ギルバートです。夜分に失礼いたします。入ってもよろしいでしょうか」
「ギルバート?まさか…」
耳を疑ったキースは自ら扉を開けて、ギルバート本人が目の前にいることを確認して胸を撫で下ろした。ギルバートは片道一日はかかるグローリアから帰宅してすぐに、身なりを整えて執務室にやって来てくれたらしい。
「エレナから遠征の件を聞きました。出発前に必要な物はございますか?」
「準備は一応済ませてはあるが、明日にでもトランクの中身を確認しておいてくれ。早速で悪いが、報告を聞かせてくれないか」
「はい。アーノルドの話によりますと、『サラ』という少女は当時六歳だったオリビア様の話し相手として屋敷に連れてこられたようです。使用人のつてを頼って見つけてきたそうですが、その少女は孤児院から農家の夫婦に引き取られ、同じ境遇の子供たちとそこで一緒に働かされていたそうです」
「……そうか。それで、『サラ』の出生に関する情報は何か残されていたか?」
「はい。『サラ』の出生証明書には両親の名前はなく、孤児院のサインがあったことをアーノルドが覚えていました」
「覚えていた?…証明書はもう手元にはないという事か?」
「はい。旦那様にお渡ししたそうです」
「………」
キースが黙り込んだせいで、その場に緊張感が漂い始める。ギルバートはポケットから折り畳まれたメモ紙を慎重に取り出し、それを手に持ったまま報告を続ける。
「少女の持ち物は全て処分された後でしたが、アーノルドがこの日付を忘れないようにと書き留めていました」
キースは渡された紙を広げて、横に並んだ一列の数字を眺めた。
「これは…」
「その少女の誕生日だそうです。お嬢様がグローリアを出た時に一緒について行ったそうですが、こちらに来ていないということは、旦那様の屋敷で働いていると考えられます。もしサラという少女に会えたら、紙に書いてある日付を教えてあげてほしいと彼に頼まれました。そしてその日付通りであれば、明日がその少女の誕生日ということになります。もしよろしければ、私が先に会いに行って確かめて―――」
「駄目だ!」
キースがいきなり声を荒げたため、ギルバートは驚いて口を閉ざした。
「私が…、私が彼女の居所を知っている。だから探さなくていい…!この話はオリビアにも黙っていてくれ…!」
キースの言葉には動揺、焦り、不安、憤りが強く表れている。これ以上ここにいてはいけないと察したギルバートは、追及することなく退室することを選んだ。
「…承知しました。それでは失礼いたします」
ギルバートの声がキースの耳に届いたかどうかわからない。執務室で再び一人になったキースは、日付が書かれている紙を、破り捨てることも燃やすこともできず、睨みつけたまま震える拳を強く握りしめていた。
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