上 下
29 / 31
第2章 『手繰り寄せた終焉』

第28話 『兄弟』

しおりを挟む
 雷鳴が轟いたその時、少女の視界は闇に覆われた。
 正確には、黒蜘蛛が少女の周囲を覆い、衝撃を防いでいたのだ。
 あまりに一瞬の出来事に、驚きの声をあげる暇も与えられなかったために、はよく聞こえた。

 ──幾度となく聞いた、肉が千切れる音。

 黒蜘蛛が収まると、親切にもそこに答えが用意されていた。

「……くっ……狙いをわざわざ外してやったのにも関わらず……抵抗の余地も与えないとは……全く見事な反撃だな……」

 左肩から先を欠損し、そこから血液がどくどくと溢れ出ている。
 始終冷静だったテンペストも、流石にそれには顔を歪ませていた様子だった。

「……死んで……ない……?」

 しかし、不思議だった。
 魔法という不確かな攻撃だったせいだろうか。
 これだけ大規模な攻撃に対する黒蜘蛛の反撃が、死を及ぼさないはずがないと、すっかり高を括っていた。
 腕が吹き飛ぼうと、生きてさえいればどうとでもなるのだ。
 そう、生きてさえいれば、生きてさえいれば──

「護衛を差し置いて……敵の心配か? 随分と悠長だな」

「……えっ……?」

「……言っただろう……狙いをわざわざ……と…………」

 はっとして後ろを振り返る。
 そして、それとは比にならない驚愕が少女を襲った。

「……君に……そんな覚悟があったとはな……予想外だった……」

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 倒れないで、死なないで。
 もう見たくない。
 自分のせいで人が死ぬのは、もう見たくないのに。

「……全く……情け……ないな……」

 倒れ伏せようとする身体を、地面に剣を突き立てることでどうにか保つ。
 しかし、血液の巡らなくなった身体ではそこから顔を上げることも叶わない。

「……グレイスさん……!」

 少女の悲痛な叫びも、もはや彼に届いているのかすら怪しい。
 か細い声で何度も叫んだ。
 彼がもう一度立ち上がってくれることを祈って、傍らで呼びかけた。

「……はっ……ぁ…………はぁ……」

 何だ……? 寒いな……
 手も足も……氷のように冷たい。
 僕が……凍え死ぬのか?
 俄には信じ難いな……
 こんな死に方……が見たら怒るだろうな……
 せいぜい僕も……みたいに焔が使えたら……

「……なんて……野暮だよな……?」

 僕が焔を使うんじゃない──

「──お前が氷を使え! フレイム!」

 突如、その剣先から凍てつく波紋が広がり、大地を伝ってテンペストの足を静止させた。
 苦しそうに息を乱し、とうとうその剣から手が離れるも、グレイスは最期まで少女を気遣っていた。
 その証拠は少女の足元を見れば明確であった。

「……まだ……待って……死なないで……ください……」

「……悪いが……それは無理な願いだね。でも、もう安心していいはずだよ……」

 ──君の騎士ナイトが、きっとこの戦いに終止符を打つ──

「……だから、もうそんな顔しなくていい。僕の役目はここまで……あとはお前の番だよ」


 ……初めてだな。こうやって、まじまじとお前の顔を見上げたのは。
 僕はいつだってお前の先を走って……お前の手を引いていたつもりでも、実際には振り返ることもしなかった酷い兄貴だった。
 お前が僕の背中を追いかけていた時、お前がどんな顔をしていたのか全く知ろうともせず、僕はただがむしゃらに前を見てた。
 だから気づけなかったんだ。初めて振り返った時、お前の身体は凍傷やけどだらけになっていたのに、僕は何もしてやれなかった。
 幼い頃の僕は……いや、今までも多分そうだった。それでもお前とちゃんと向き合おうとしないで、また逃げるように走った。親にも言われた通り、お前と関わらないことが最良の方法だと高を括って、向き合うことから逃げたんだ。

 ──僕たちはきっと、兄弟じゃなかった。

 そう錯覚してもらうために、僕は昇進を重ねてきた。
 勲等なんてのは笑止千万。これっぽっちも興味ない。
 お前が改めて僕の名前を聞いた時、遠い存在だと認知してくれるようにと願うばかり……だってのに実際に再会したのは凡そ10年振りだし、それも最悪のきっかけだしで、諸々笑えてくる。
 あの時、両親を僕が見捨てたように見せかけたこと……今ならはっきりと間違いだったと断言できる。
 お前は僕と違って弱くない。真正面から真実と向き合える強さを持っている。
 そのことに、もう少し早く気づけていたら……

「──何勝手にてめぇの役目終わらせようとしてんだよ」

「……は……?」

 心中の後に預けようと思っていたつるぎが、もう一度自分の目の前に寄せられた。

「立ち上がらなくてもいい。でも、最後まで付き合え」

「……全く本当に……お前は……」

 何もかも変わったように見えた。
 性格も、振る舞いも、扱う魔法さえも……
 でも違ったんだな。
 その芯の強さだけは、昔から何も変わっていない──

「ミズカ、離れてろ。少しばかり派手にやる」

「……は……はい……!……でも、グレイスさんは……!」

「──大丈夫だよ、ミズカちゃん。心配しなくても、僕はまだ死なない」

 2人が作る笑顔は全く差異の無いものだった。
 互いに草臥れた身体で、それでも最後まで笑顔を見せてくれる2人だ。
 これ以上何を言うにも差し出がましいだろう。

 少女は涙を振り切り、2人の目の前を去った。

「さて……大して時間も残されてねえんだ。さっさと構えろ」

「全く無茶を言う……凍傷やけど、するなよ?」

「……こっちの台詞だ」

 2本の刃が織り成す焔と氷は、互いに打ち消すように調和する。
 その標的は、嘗て吹き荒れた暴風の姿。

「……ヴェノムの毒に侵され、勝手に押された念のイグニスをも振り切った貴様が合流したことが敗因か……この期に及んでも、やはり俺は貴様ら兄弟と相性が悪いらしい」

「そうかそうか、そりゃ良かった。ならせいぜい、最期は元『風刃』らしく、そよ風でも靡かせながら優雅に逝っとけ」


 ──『雷刃』様の重鎮は、さぞ重かっただろうよ。
しおりを挟む

処理中です...