事故物件ガール

まさみ

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八話

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隼人は親御さんに泊まりの連絡を入れた。
「友達んちに泊まるって言ったらあっさり信じてくれた」
「放任主義だね」
「夕飯にかける手間が1人減って助かるって。兄弟多いし」
「何人?」
「大学生の兄貴と中学生の妹と小学生の弟」
「大家族じゃん。いいな、賑やかで」
「そうでもないよ、特に下はぎゃあぎゃあうるさいし。お兄ちゃんのカツのほうがでっかいとかごねて、テーブルの下で足蹴っ飛ばしてくるんだぜ」
「あはは、超元気」
怪我人は大人しく休んでてって言ったのに、隼人は率先して夕飯作りを手伝ってくれた。まずは近所のスーパーへ二人で行き、ショッピングカートに材料を投げ込んでいく。豚のバラ肉、にんじん、じゃがいも、たまねぎ……定番の贖罪を選んでいたら、すぐに気付いたようだ。
「今夜はカレー?」
「あたり」
「やった」
「一人暮らしだとなかなかできないしね。育ち盛りの胃袋に期待」
「おかわりするよ」
「おいしいかはわかんないよ?」
レジで会計を済まして帰宅後、二人並んで台所に立ってカレーを作る。本当に久しぶりだ。隼人にはなるべく手首を動かさないでできる仕事をまかせた……といってもそんなにない。たまねぎやじゃがいものを皮を剥くのも切って炒めるのも、必然手を動かす。
「しょうがないなあ、お鍋かきまぜるくらいはできるでしょ」
「人使い荒いね。こっちが本性?」
「働かざるもの食うべからずってね。居候に拒否権ありません」
深鍋のカレーが焦げ付かないように、お玉でかきまぜる隼人がおどけて肩を竦める。
もちろん、私は怪我人を働かせるような鬼じゃない。どちらかというと隼人を気遣っての判断だ。
無理矢理転がり込んだ手前何もしないでいるのは居心地悪いだろうし、家事でも手伝ってた方が後ろめたさが紛れるんじゃないか、と想像したのだ。
鼻歌まじりにお玉を回す隼人の横顔を一瞥、念を押す。
「部活は大丈夫なの?」
「全然。ひねったのが足ならヤバかったけど」
「ちゃんと病院行ってよ、素人の処置じゃ限度がある」
「保険証家だし」
「取りに戻れば」
「閉め出されちゃたまんない」
「信用ないな」
「たかが捻挫で大袈裟だよ、初めてじゃないし」
「捻挫癖付いてるんじゃない?変な受け止め方したとか」
「まぁ、ちょっと重かったな」
「は?」
「ナンデモアリマセン」
拗ねたように口を尖らせる顔が子どもっぽい。正直な所、彼とカレーを作るのは楽しかった。
一人で食べる時は自炊をする気力もなく廃棄弁当で済ませていたけど、たとえ一日限りとはいえ、高校生の男の子を部屋に泊めるのに手抜きはしたくない。
おいしいご飯をたくさん食べさせてあげたい。
私の目論見は見事にあたった。
「「いただきまーす」」
隼人が行儀よく手を合わせて言い、スプーンをもってカレーをがっ付く。
「お味は?」
「イケる」
「よかった」
気に入ってもらえて鼻が高い。まあ、市販のルーだけど。特別な香辛料も入れてないし、おいしいのは元の素材がいいからだ。
隼人は気持ちいいほどの食べっぷりだ。
時々コップの水を呷る以外はカレーに集中している。育ち盛りの男の子の食事を間近で見るのが珍しく、スプーンを止めて感動していたら、隼人が唐突に話題をふってくる。
「うちじゃたまねぎみじん切りで煮込むけど、巻波さんのは輪切りなんだね」
「えっ、みじん切りにするの?初めて聞いた」
「そっちのがコクがでる。って母さんが言ってた」
「そうなんだ……今度やってみようかな。あー、でも一人だと食べきれないんだよね。アパートの人と仲良しならお裾分けに回るのもアリだけど、今じゃ都市伝説だよね。隣に住んでても顔知らないのがフツーだよ」
事故物件クリーナーの経歴はだてじゃない。
これまで何件もアパートやマンションを渡り歩いてきたけど、どの物件も人付き合いが稀薄で、せいぜい廊下やゴミ捨て場ですれ違ったら挨拶する程度の関係だった。
……っていうか、事故物件に住んでる変わり者として避けられてたのかもしれない。
「なんか変な感じ」
隼人がコップの水を嚥下する。
「何が」
スプーンを口に運びながら返す。
「隣の部屋の人のカオも知らないのに、バイト先のお客とカレー食ってるなんて」
「……確かに」
思わず頷かざるえられない。同時に吹き出す。カレーをたいらげて空の深皿にスプーンを放った隼人は、フォークに持ち替えてサラダにとりかかる。
気付くかな、と少し緊張する。
サラダの食材はプチトマトとレタスときゅうりとワカメ、ヒカリの好物と同じ構成だ。添えてあるのは和風ドレッシング。もし隼人が以前この部屋を訪れ、同じものを食べたなら懐かしがるかもしれない……
ばかみたい、試すようなまねして。
ヒカリさんに対抗心でも抱いてるの?
スプーンの先端を咥えて隼人の動向を観察。隼人は和風ドレッシングを掴み、何か言いたげに一瞬黙る。
気付いてくれた?
「どうしたの?」
心臓の高鳴りをおさえ、努めて平静を装って問えば、隼人が「いや……」と遠慮がちに瞳を揺らす。
「フレンチドレッシングないかな」
一気に脱力した。
「なんて、お呼ばれしてんのにわがままだよな……」
「ううん。私もそっちのが好きだし」
「え?」
じゃあなんで和風ドレッシング出したんだよ、と隼人が特大の疑問符を浮かべる。私はあえてはぐらかし、冷蔵庫の扉を開けてまだ大分中身が残ってるフレンチドレッシングを取り出す。
「勘。隼人君は和風ドレが好きそうかなって」
「えー?別に嫌いじゃないけど、サラダにかけんならフレンチでしょ」
「うんうん」
期待が裏切られた脱力感に、嗜好が合った喜びが取って代わる。たかがドレッシングの好みごときで浮き沈みする、お手軽な自分が恨めしい。
隼人はよくシェイクしたドレッシングを逆さにたらし、おいしそうにサラダを食べた。
向かい合ってのんびり会話していると、お互いの立場を忘れそうになる。
隼人はヒカリの死因に疑いを持って調べにきたんであって、私自身には何も興味ないのに、うっかり勘違いしちゃいそうになる。
「あのさ隼人くん」
「ん?」
「ヒカリさんてどんな人だったの」
咀嚼が一瞬止まって再開。私は自然な素振りで続ける。
「よく考えてみたらさ、前の人のこと何にも知らないんだよね。別にそれで不便も不都合もないけど……」
リラックスして後ろ手付き、テーブルの下に足を伸ばす。
「私ね、けっこー引っ越ししてるんだ。もともと落ち着きない性格もあるけど、主に仕事の関係で」
嘘じゃない。事故物件クリーナーだもの。
「他の県も行った?」
「都内は出てない。一番遠いトコで八王子かな」
「へー。引っ越し好きなの?職さがすの大変そうだね」
「そこはホラ、フリーターだし。コンビニならどこも大抵バイト募集中でしょ」
「接客のプロっぽかった、巻波さん」
「よくゆー。ともあれいろんなトコ転々としてるとね、どうしたって前の人の痕跡が目に付いちゃうのよ」
「たとえば」
「シンクに煙草の焦げ跡があったり、壁に画鋲のあとがあったりね」
完全に荷ほどきが済み、クッションベッドにしろローテブルにしろ、完全にあるべきものがあるべき場所におさまったワンルームを見回す。
贅沢は望まない。
居心地がよければいい。
ずっとそうやってやってきた。
「ヒカリさん、すごい綺麗に使ってたんだね」
ヒカリさんは真面目な人だった。
「隣人のゴミ出しを注意する位だもん。正義感や責任感も強かったんでしょ」
なにもかもいい加減で、ぐうたら生きてる私とは大違いだ。
口の中の物を一旦呑みこんでから、隼人は落ち着いて話しだす。
「巻波さんの言うとおり、ヒカリさんは真面目で優しい人だよ。大学じゃ保育士めざして、児童心理学を勉強してた」
「子供好きだったの」
「だね。昔はよく遊んでもらった」
「幼馴染?」
「みたいなもん」
意外だ、そんな前からの付き合いだなんて。
「あとはさ……女の子っぽい人だったかな、綺麗好きで。怖がりだし」
「ホラーとか絶対ムリなタイプ?」
「そーそー、一緒に映画見てもずっと顔を手で覆ってるから内容入ってここねーの」
ベランダから手を振る。なびくセミロング。
隼人は生き生きと、実に楽しそうに、ほんの少し寂しそうにヒカリの思い出話をする。
私は軽快に相槌を打ち、ちょっぴり疎外感と孤独感を抱く。
その時だ、不意打ちがきた。
「でもさ、正義感強いのは巻波さんもでしょ」
「え。なんで」
「あの人、止めてくれたじゃん」
花束の事だ。
「あー……あれは……」
だって、キミが買った花だから。
心をこめて手向けたものだから。
「一人で大の男に注意するの、すげー勇気いったろ。俺が勝手においてってる花なのに、体張って守ってくれる人がいるなんて思わなくて、ちょっと感動しちゃった」
ちがうよ。そうじゃないの。私はそんなできた人間じゃないキレイな女でもない、ヒカリさんとはちがうんだよ。
言ってしまおうか、ホントはとっくに気付いてたって。
キミがあそこに花束を手向けていることも、ヒカリさんと深い仲だったことも、私が花束を守ったのはただ単にキミが……
「お店の商品にすごい責任もってるんだなって」
聞こえてたのか。
「うーーーーん、まあそー、そーだね。自分が売ったモノが目の前で蹴散らされちゃムッとすんのが人情でしょ、たまたま目に入って、咄嗟に身体が動いちゃって……隼人くんが手向けたなんて知らなかったし、でもイヤじゃん、お供え物が散らかされるのは」
ずっと知ってたんだよ、キミが通ってるの。
夢の中で何度も手を振った、オレンジの夕日に溶ける背中を見送った。
「あそこで轢かれた人とかいるのかなって……」
苦しい言い訳。自分でもわかってる、追い詰められる。
「巻波さん、優しいよね」
隼人がポツリと呟く。
弾かれたように顔を上げる。
「初めて会った時のこと覚えてる?花がどこにあるか、口で済ますんじゃなくわざわざ立って連れてってくれたでしょ」
「当たり前でしょ、お客さんに聞かれのにほっとけないよ」
「当たり前かもしれないけど嬉しかった。その後の言葉も」
「あとって」
「花屋に男がいてもおかしくないって」
隼人が褒めてくれたのは全部当たり前のことだ。
いちいち褒められるにも値しないちっぽけな親切、ちっぽけな常識。
「ああ言ってくれたから、あそこで買おうって思ったんだ」
隼人は私の言葉がきっかけで、コンビニを選んでくれたんだ。
「……実はさ、前のコンビニじゃ結構ジロジロ見られてたんだよね。制服姿の高校生と花って珍しい組み合わせだろ?道も汚すし、通る人の迷惑になるならもうやめようか悩んでた」
本当になにげない言葉が、ひとを救うこともある。
「……死んだ人を悼むのは悪い事じゃないでしょ」
「うん」
ごめんヒカリさん。
私、偽善者だ。
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