事故物件ガール

まさみ

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九話

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夕飯を食べ終えたあと、お風呂を交代で使った私と隼人は、二人でテレビを見てすごした。
お風呂上がりの男の子と肩を並べてバラエティを見るのは新鮮な体験だった。
火照った肌から漂うせっけんの清潔な匂いにそわそわして、隼人が馬鹿笑いしてるバラエティの内容がちっとも頭に入ってこない。
夜10時を回った頃、どちらからともなく寝ようってなった。
「隼人くんはソファー使って、ちょっと窮屈だけど」
「爪先縮めて寝る」
「明日は土曜だからそのまま帰る?」
「うん……」
「朝イチで起きて全部屋ガサ入れしようとか考えてる?」
「どうしてそれを」
「あてずっぽだよ。あたったことにびっくりだよ」
毛布を剥いだ隼人が血相を変えるのにあきれ返るものの、急に睡魔が押し寄せてあくびを隠す。
「先走らないって約束して。ヒカリさんの死因に納得できないなら、納得いくまで調べるの付き合うから」
「本当?」
縋るように聞かれ、思い付きを饒舌に口走る。
「まずは現場検証ね、ベランダを徹底的に調べる。君の推理通り、ヒカリさんとトラブった人間の復讐ならベランダに仕掛けた可能性が高い。下手に探りを入れて反感煽るより、まずはできる範囲で証拠を固めましょ」
「巻波さん探偵みてえ」
「推理小説割と好き」
「協力者ゲット……やった……」
「寝オチ?」
初めて来る女の部屋でそっこー寝入るってどうなの。異性として意識されてないみたいで複雑。
……いや、「初めて」じゃないか。
「前にも来てるんだよね」
どうかしたら何回も。何十回も。
ソファーで熟睡する隼人の傍らに忍び足で接近、あどけない寝顔を覗き込む。
よく見たら目の下に薄くクマがある。あんまり睡眠をとれてないらしい。
ヒカリの死が影を落として。
ソファーの肘掛けに突っ伏し、深々ため息に暮れる。
「はあ。ほんとやんなる」
十歳近く年下の高校生に振り回されて、探偵ごっこに付き合わされて。
挙句自分の部屋に泊めるはめになるなんて、全く計算外だ。
彼の真剣な眼差しを見たらどうしても断りきれず、些か強引な推理を信じるフリをするしかなかった。
大事な誰かを失って、現実から目を背けたくなる気持ちはよくわかる。
苦い罪悪感がこみ上げ、表情が歪む。
「ごめん、ヒカリさん」
前の人の彼氏とおなじ部屋で楽しそうしてたら、呪われたって文句は言えない。ていうか、私だったらそうする。
隼人に出会いを聞いてみたい。
聞くのが怖い。
これ以上聞きたくない。
バイト先に週一顔を見せる高校生にすぎなかったのに、道に転んだ所を抱き止められ、捻挫を手当てし、ばかげた推理を聞かされて、きょう一日一緒に過ごし、カレーを作って食べ、バラエティに馬鹿笑いし、そんなこんなですっかり情が移ってしまった。
独りでいた歳月は想像以上に私の心を弱くしていた。
隼人と部屋で過ごした間、ヒカリは一度もコンタクトしてこなかった。洗面所の鏡や窓ガラスに白っぽい影がチラ付きもせず、脳内に直接語りかけてきたりもしない。

あなた、本当に殺されたの?
勘違いじゃなくて?

心の中だけで問いかけ、隼人の髪の毛をそうっとなでる。
もしヒカリの死が事故に見せかけた殺人で、アパートの住人が容疑者だとしたら、一番怪しいのは花束に当たり散らした男だ。いくらなんでも過剰反応だと、隼人も怪しんでいた。
今日の素行だけ見たら、ゴミ出しを注意され逆上する可能性はとても高そうに思える。
人は見かけに寄らない。言動が粗暴な人が、ただ粗暴なだけの人間かどうかはもっと突っこんでみないとわからない。
「うーん……」
脳内を一度整理する。事故当時は内側から施錠され密室状態、ヒカリはベランダで頭を強打して死亡、死因は転倒時の脳挫傷。聞いた限りじゃ不審な点はどこにもない。
じゃあなんで、ヒカリの霊は『コロサレタ』なんて言ったの?
「もしかして……殺されたって思いたがってる?」
強く肘掛けを握り締め、新たに浮上した可能性をあらゆる角度から検討する。

ヒカリは事故死した。
彼女はそれを認めたくない。
自分の過失で世を去り、大好きな隼人を哀しませた現実を受け入れる位なら、誰かのせいにして憎んだ方がまだ慰めを得られる……

「こんがらがってきた……」
ヒカリの死を事故で片付ける証拠はそろってる。対して、他殺を疑わせる根拠は日記の記述のみ。心証は限りなく事故死。
なのに断定しきれないのは、私がきっと、彼女に感情移入しちゃってるからだ。
同情。憐憫。あるいは嫉妬と苛立ち。
「こんなにいい彼氏がいたのに」
隼人は心底ヒカリが好きだった。彼女の事を語ってる時の生き生きした表情、弾む笑顔からそれが伝わる。
羨ましいな、と思った。
隼人に思ってもらえる彼女が。彼女に思ってもらえた隼人が。引っ越し業者と不動産屋以外の誰かを、気兼ねなく部屋に招ける関係が……
だんだん瞼が重くなる。眠気が限界。自分の布団に戻るのも億劫で、ソファーの肘掛けにもたれて目を閉じた。
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