事故物件ガール

まさみ

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十話

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『ヒカリちゃん、スキ。大きくなったら結婚してね』
まどやかな光が降り注ぐどこかの空き地、シロツメクサの花畑に座った男の子が無邪気にせがむ。
『ごめんね隼人くん』
私は甲高く澄んだ声で断る。
途端に男の顔がくしゃりと歪んでべそをかく。
『なんで!?   でも結婚できるって聞いたよ!』
『   でも結婚できるしハヤトくんは弟みたいで好きだけど』
『ヒカリちゃんとずっと一緒がいい!結婚してくれなきゃやだ!』
ああ、子供の頃の隼人だ。面影があるからすぐわかる。
幼稚園の年長さん位だろうか、しきりに駄々をこねる彼を微笑ましく見守る一方、わがままぶりに手こずらされた私はお説教モードに入る。
『私ね、夢を叶えるまでは結婚しないって決めてるの』
『ヒカリちゃんの夢ってなあに?』
『幼稚園の先生』
『わあ、ヒカリちゃんが先生になったら毎日楽しいね!でもなんで先生になるまで結婚しないの』
シロツメクサの花畑にお座りした隼人の傍らに行き、優しく頭をなでてやる。膝には赤いランドセルがのっかっている。
『一度に両方ほしがったらどっちも中途半端になるからどっちかにしなさいって、お母さんが言ってるもん。だからひとまずどうしても叶えたいほうをとるの』
『ふーん』
ませた口調で宣言すれば、わかったのかわかってないのか微妙な反応で隼人が流す。
『隼人の夢は世界一のサッカー選手でしょ』
『うん』
『お嫁さんになってあげてもいいけど、代わりにサッカー選手になるのは諦めてって言われたらどうする』
『え……やだ、どっちもほしい』
『そーゆーこと』
幼い隼人と視線を合わせ、にっこり微笑む。
『隼人はまず世界一のサッカー選手になる夢を叶えて。お嫁さんになってあげるかどうかはそれから決める』
『わかった』
漸く納得して頷く隼人。指きりげんまん、シロツメクサの約束。絡めた小指はどちらも折れそうに華奢で、ああ、これは子供時代の二人の思い出なのだと悟る。


悔しいな。
勝てっこないよ、見せ付けられて。
ヒカリさんの仕返しかな。
だとしてもあんまりだ。
過ごした歳月の長さと思われた年月の重みじゃ、どうしたってあなたにかないっこないのに……


瞼を開けると、常夜灯が点々と灯る夜道に一人立ち尽くしていた。
「え……」
違和感が膨らんで自分の姿を見下ろす。なんと裸足のまま、パジャマにはカーディガンも羽織ってない。
寝起きのボンヤリした頭で周囲を見回し、鼻がむず痒くなる。
「ふぇ……ふぇ……っくちゅん!」
くしゃみを一発、寒さに鳥肌立った二の腕を抱く。
「は?なんで?外?」
意味がわからない。ソファーに凭れて寝オチたはずが、なんで川べりの道路に裸足で突っ立ってるのか。
脳裏に増殖する疑問符を蹴散らしたのは、私の部屋の窓に朦朧と揺らめく人影だ。定まらない輪郭を蠢かし、じっと地上を見下ろしている……
「ヒカリさん」
目が合った、気がした。
ぞっとする。
私、追い出された?
隼人のそばで眠りこけたのが気にさわって?寝てるのをいいことに頭をなでたのまで見られたら言い逃れできない。
窓べにたたずむ幽霊の手が緩やかに動き、次はお前だ、と宣言するように私の顔を指さす。
真冬の肌寒さだけじゃない、紛れもない悪寒が全身に駆け抜ける。
ところが。
幽霊の指がツと動き、私の視線を道端の排水溝へ導く。
ヒカリの指の動きを追って排水溝に接近、闇に目を凝らす。排水溝はコンクリのかたまりで栓がされていたが、持ち上げられない程じゃない。
「ここに何かあるの」
ヒカリさんは何かを伝えようとしてる。たぶん、大事なことを。
ほんの少し躊躇したものの、おもいきって腕まくりしふたを動かす。ゴトリと鈍い音たて石が外れ、乾いた排水溝の内部がさらされる。
「ぎゃっ」
生理的嫌悪が滾った悲鳴を上げかけ、反射的に口を塞ぐ。
深夜の住宅街に絶叫が響いたら、近隣住民が一斉に起き出すのは想像に難くない。
干からびた排水溝の底に転がっていた物……即ち、蜘蛛の死骸。
ではない。
「……なんだ、ゴムのおもちゃじゃん」
おそるおそる摘まみ上げ、てのひらに乗せて常夜灯の光にかざす。
それは本物と紛う、精巧な出来の蜘蛛のおもちゃだった。毒々しい黒い体表、八本脚に密生した毛までやけにリアルで、造り物だとわかっていても長くさわっていたくはない。
「子供が落っことしたのかな」
ヒカリさんはコレを探しにこさせたの?なんでわざわざ?隼人の話だと蜘蛛は大嫌いなはずなのに……
ちょっと待って。
それはそれとして、ヒカリさんの幽霊はなんで排水溝にコレがあるって知ってたの?
千里眼だとしても都合がよすぎる。ヒカリさんは地縛霊だ、多分。
自分が死んだ部屋から動けないから、催眠術か何かを使って私だけ追い出したと仮定すれば、このおもちゃが排水溝に落ちるのを見たタイミングは……
その場に這い蹲り、常夜灯の乏しい明かりを頼りに周囲をよく調べる。
排水溝のふたの中央には、幅2センチほどの隙間が穿たれていた。
ゴム製の柔軟なおもちゃなら、誰かが落っことした拍子にすり抜けてもおかしくない。
他にめぼしい収穫はなさそうなので、蜘蛛をパジャマのポケットに入れて部屋に戻る。幸い鍵はかかってなかった。
「開けっ放しは不用心だけど、閉め出されるよりマシか」
序でにサンダルでもはかせてくれたらよかったのに。
心の中でぼやいてドアを開けた途端、枕元のスマホが低く振動しているのに気付く。足を拭くのも忘れて駆け込む。
叔母さんからだ。
「もしもし?どうしたのおばさん、こんな夜遅く」
『どうしたじゃないのよ、心配したのよ!前の人の知り合いを部屋に泊めたんでしょ』
「あーそのこと……言ったでしょ心配ないって」
スマホを手でかばってソファーを振り返る。大丈夫、よく寝てる。
「変な子じゃないよ、いい子だよ。挨拶もしっかりしてるし礼儀もちゃんとしてる」
『玄関で靴を揃えて脱がないお客なんて叩きだしてやりなさい』
「おさえて叔母さん」
スマホの向こうで特大のため息が落ちる。こんな時間まで心配してくれたのかな、と申し訳なくなる。
『アンタの話聞いてからどうにも気になって、私なりに調べてみたの。ネットや新聞、そっちの不動産屋にメールしてね……』
「どうだった?」
『301号室で起きたことは不幸な事故よ。それ以外考えられない』
「だよねー……」
語尾が自信なさげに萎む。
『鍵は内側から施錠された密室、居住者はベランダで脳挫傷。どこに他殺の疑いがあるのよ、悪いけどその子の妄想としか思えないわ。恋人さんが亡くなったのはショックだろうけど、アパート中の人を疑って押しかけるなんて行きすぎよ。ベランダから見えるトコに週一で花を手向けるのも嫌がらせみたい、ストーカー入ってるんじゃないの』
ちょっとむっとする。
「待って、確かに思い込み激しいかもしれないけどそれ位好きだったんだよわかるでしょ?大好きな人が突然いなくなっちゃった時、無理矢理にでも納得できる理由をこじ付けようとするのそんなに変?」
『わからないわよ。アンタ感情移入しすぎじゃないの、ただのバイト先のお客でしょ?何をそんなむきになるのよ、挙句よく知らない人間を部屋に上げて危機管理意識ガバガバじゃない。何か盗られでもしたら』
「おばさん!」
『いくら女の子だってね、泊めるまでいくと行き過ぎよ。探偵ごっこに熱を上げる年じゃないでしょアンタ』
男の子を部屋に泊めるとはどうしても言えず、性別を偽った。
『北へ南へ東へ西へ、事故物件をふらふらしてるのも探偵ごっこの延長なの?人様の不幸な死因をほじくり返して娯楽にしてるの?もしそうなら即刻やめなさい、事故物件クリーナーなんてばかげた副業から足を洗って正社員になりなさいよ、なんならウチの雑用として雇ってあげる』
「ばかげた副業ってなによ、おばさんが最初に持って来たんじゃない」
『こんな事になるなら最初から持ってこなかったわよ。挙句何よ料金表って、値段高い順に他殺・自殺・その他って不謹慎の極み、完全に馬鹿にしてるじゃない。アンタ遺族やご本人の気持ち考えたことある?』
「死んだ人の気持ちなんてわからないよ!」
だから困ってるんじゃない。
ヒカリさんの気持ちがわからなくて、ヒカリさんが頑なに「殺された」と主張する意図がわからなくて、そんなヒカリさんの事故死を認められず探偵ごっこに躍起な隼人がわからなくて。
『人の心がわからない小娘にその仕事は無理よ!』
叔母さんがヒステリックに叫ぶ。
私もキレて喚き散らす。
「いい加減な気持ちで仕事したことなんか一度もないよ、人が不幸な死に方した部屋だってちゃんとわかってる、だけど人入らないと困るの叔母さんたち不動産屋じゃん、幽霊出るとか変な匂いするとかどんな悪評立ったって回らないと困るから、業者さん入れて内装だけキレイにしたって履歴は白紙にできないから、だから私みたいな事故物件クリーナーがいるんでしょ!?」
背後で物音がする。
「事故物件クリーナーって何?」
振り向く。
隼人がソファーに上体を起こし、警戒心が漲る顔付きで、スマホと喧嘩する私を見てる。
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