事故物件ガール

まさみ

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十四話

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301号室に帰還するなりコートを脱ぎ、ハンガーに掛けるのも忘れて大の字に寝転がる。
「だるー……」
やる気がしない。
夏見さんにはああ言ったけど、冷蔵庫の残り物を片す気力すらわいてこない。このままじゃトマトが腐っちゃうと懸念、ずるずると冷蔵庫まで這いずって扉をかぱと開け、手掴みでトマトをとりだす。
適当に塩をふってまるかじり。
「……しょっぱ」
かけすぎた。
私の人生、どこで間違えたんだろ。
この部屋に来た時?最初の事故物件に入った時?受験に失敗して第二志望に行った時?それとももっと前―……

『波さんの言うとおり、ヒカリさんは真面目で優しい人だよ。大学じゃ保育士めざして、児童心理学を勉強してた』

ヒカリさんは保育士をめざして頑張ってた。
まだはたちで、若くてキレイでかっこいい彼氏がいて、私よりよっぽど生きてる価値があったんじゃないの?

やりたいこと、あって。
なんで死んじゃったのよ。

「ぅ……」
甘酸っぱい果汁を種ごと飛び散らせ、真っ赤に手を染めてガツガツとトマトをかじってると無性に泣きたくなる。
世の中不公平だ。いい子が早く死んで私みたいなのが長生きする。いや、私だって明日にはぽっくり逝くかもしれない。
あるいは数分後には……

ピンポンと間の抜けた音が響く。

「誰?」
冷蔵庫の前にへたりこみ、トマトをむさぼるのをやめてドアを向く。
こんな夜更けにお客?心当たりがまるでない。そもそも私の住所を知ってる人が限られる。
不動産屋、叔母さん、夏見さん……次々候補を浮かべては却下、皆事前連絡もなしに突撃訪問するような礼儀知らずじゃない。夏見さんはまあ、そうとも言いきれないか。いやさっき別れたばかりだし無理でしょ、尾行の気配もなかったし……
消去法で一番最後に浮上した少年の顔に心臓が高鳴る。

まさか、隼人?

慌ててトマトの残りを口に詰めて飲み下し、手を洗ってハンドタオルで拭く。サンダルに足を突っ込み、前のめりにチェーンを解いてドアを開ける。
そこにいたのは、思いがけない人物だった。
「401の……三枝さん、でしたっけ」
「覚えてたんだ。記憶力いいじゃん」
「その節はお世話になりました。ご用件は」
力一杯ドアを開け放ってから脱力。廊下に立った茶髪ショートの女の子は、完全に虚を衝かれた私の鼻先でピザの平箱を開く。
チーズとトマトソースの香ばしい匂いが食欲を刺激。
「駅前にできた店で買ったんだけど、思ったよりデカくてさ。一人じゃ食べられないし、よかったらって思って」
「半分こ……って事?」
間抜けな質問。
よく考えたら更新された暗証番号を隼人が知る訳ないし、来訪者は内部の人間に決まってる。
そんな私の後悔を快活な笑いで吹っ飛ばし、三枝さんはマシンガントークをまくしたてる。
「そ、お裾分け。友達呼ぼうか迷ったけど、クリスマス近いせいかみんな忙しそうでさーなかなか捕まんないし。ていうか、他の物ならともかく冷めたピザなんてまずいっしょ。レンチンじゃ味けないし、やっぱ焼き立てにかぎるよね」
ピザのふたを閉じて持ち替え、心配そうに眉をひそめ。
「ホントゆーとアレから気になってたの、アイツがまた絡んできやしないかって」
「花束蹴ってた人ですか」
「あの高校生は自業自得だけど、アンタまで巻き込まれちゃ可哀想」
ほぼ初対面、赤の他人にタメ口を叩くあたり、さばさばした性格が読みとれる。
「見たトコ女の独り暮らしみたいだし、ゴミ出しン時にいちゃもんふっかけられりとかしてない?あの手のタイプは逆恨みが生きがいだから」
「ご心配ありがとうございます、三枝さんの脅しが利いたのか全然何も」
「ああ……花束もなくなっちゃったし、暴れる理由もないか」
ご近所さんの親切が傷心にしみる。
「同じ若い女の独り暮らしだからって訳じゃないけどね、すぐ上の階だしまたなんかありゃ頼ってよ。前の人の時は手遅れでなんもできなかったの、ホントいうとちょっと気にしてんの。第一発見者なのにね」
見るからに派手な遊び人、ご近所付き合いに関心なさそうなタイプだけど、同年代のヒカリの事故死が心境の変化を促したのかもしれない。
「同じアパートのよしみ、前の人のぶんもこれから支えあってこ」
人懐こい笑顔に釣られて表情を綻ばせ、「あれ」と基本的な疑問に突き当たる。
「三枝さんピザのお裾分けにしてくれたんですよね」
「そーだけど?」
「取り分けないでいいんですか」
有名ピザチェーンのロゴ入り平箱を指して聞けば、三枝さんが「げっ」とふたを開いて難色を示す。
「やば……帰りがけに寄ったからそのまんまだ。ごめん、一回帰って取り分けてくる」
「待ってください」
私の部屋は三階、彼女の部屋は四階。往復で上り下りさせるのは忍びないし二度手間だ。
「私がお皿に取り分けて、三枝さんが箱を持ってたらどうでしょうか」
「冴えてるね」
褒められる程の知恵じゃないのに、照れる。
「じゃあ箱だけお預かりして……すぐ切ってお渡ししますね」
平箱を受け取って玄関に引っ込みかけ、三枝さんが二の腕をこすり、しきりに足踏みしてるのに気付く。
「すいません気付かなくって、玄関で待っててください」
「マジ?ラッキー」
真冬の廊下で数分立ち話してたのだ、寒いはずだ。
平箱を傾けないように支えて台所に行き、調理場にのっけて包丁をさがす。
三枝さん、いい子っぽい。わざわざ心配してきてくれるなんて。
殆どご近所と交流なかったけど、これをきっかけに友達になれるかもしれない……
人恋しさに駆られ、包丁でピザを切り分けていたら。
「きゃあっ!!」
玄関先で甲高い絶叫が上がる。
「どうしたの!?」
包丁を握って振り返ると、下駄箱の上を見た三枝さんが、真っ青になって震えてる。視線の先には悪趣味な蜘蛛のおもちゃ。
「あ、それは」
「すげーリアルなんでホンモノと間違えちゃった。なんで玄関に飾ってんの、ドッキリ?ウケる」
「ごめんね、拾い物なの。道の前の排水溝あるでしょ、あそこに落ちてて」
「なんで排水溝に手ェ突っ込んだの」
「話せば長いんだけど」
三枝さんがタメ口に徹するせいか、こっちの口調もカジュアルになる。
「虫の知らせっていうのかな。ダジャレじゃないよ蜘蛛だけに」
まさか「夢遊病状態で外に出て、幽霊に場所を教えてもらった」なんて言えない。まだ芽生えてもない友情がぶち壊れる。
「ふーん。いろいろと秘密がありそうだね」
「ただの平凡なフリーターなのに……あ、どれ位もらっていい?」
「お好きにどうぞ」
「そーゆー返し一番困る」
「食べれるだけ」
「じゃあコレだけ」
苦笑いしてピザに切り込みを入れ、包丁を斜めに使って三切れほどお皿によそる。さすがに四切れもらうほど厚かましくない。
「遠慮しないでいいのに」
三枝さんが呟く。
「この年になると油っこいのあんまり食べられなくて」
「二十代でしょ?」
「アラサーね。そっちは学生さん?」
「まあね。殆ど行ってないけど」
三枝さんはおしゃべり好きらしく、私が手を動かしてる時もおかまいなしに話しかけてくる。
ピザをお皿に移し終え、三枝さんの質問に答えながら、私の中では急激に違和感が育っていく。
さっきの反応大袈裟すぎない?
いくらホンモノと見間違えたからって……
虫嫌いな女の子なんてそこらじゅうにいる。別段珍しくもない。私だって蜘蛛は苦手だし、ゴキブリがでようものなら殺虫剤を即ぶっかける。
考え過ぎで流し、ピザの箱を持って振り向く―

ヒカリさんが、いた。
ドアに張り付いた彼女さんのすぐ後ろ、隙間なんて全くない場所に立ち、三枝さんを指さしている。

ボンヤリした影じゃない、薄っぺらいのを除けば実体と区別が付かないリアルな姿で、セミロングの髪を肩に流して。

手からピザの箱を取りこぼす。
床に叩き付けられた箱のふたが開き、ピザがぶち撒かれる。
「もったいない」
三枝さんが後ろ手に鍵を回す。出入口は封じられた。
逃げ場はない。
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