少年プリズン

まさみ

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百八十六話

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 「器用だな」
 タジマの視線が僕の手首へと注がれる。手錠を外した左手首へと。
 「どうやって手錠外したんだよ、縄抜けの特技があるなんて知らなかった。まさかたあ思うが」
 そこでちらりと床に目をやり、大の字に寝転がっている少年を顎でしゃくる。
 「見張りを誘惑して外してもらったのか」
 「そうだと言ったら?」
 僕はもう諦めていた。タジマの考えていることなどお見通しだ。抵抗しても避けられないなら無抵抗で受容したほうが体の負担が軽くなる。ヤケ気味の僕の台詞に、タジマは一瞬驚き、次の瞬間にはこの上なく愉快そうな笑顔になった。
 「ふたりきりになるのは久しぶりだな」
 「正確にはもう一人いますが」
 タジマに敬語を使うなんて反吐が出る。でも、敬語を使わなければ何をされるかわからない。床に寝転んだ囚人をそっけなく一瞥すれば、揚げ足をとられて癇に障ったのか、タジマの形相が険悪になる。大股に歩いてきたタジマが胸ポケットに手を入れる。
 タジマの指先で鈍く輝いているのは、安全ピンの針の先端。
 何をする気だ?本人に確認するまでもなく、どうせろくでもないことに決まってる。予想通り、大股に僕に接近したタジマに手首を掴まれて壁に押し付けられる。壁際に追い詰められて身動きできない僕の足元では睡眠薬で眠らされた囚人が豪快な寝息をたてている。
 手にした木刀でタジマを攻撃する選択肢を考慮しなかったわけではない。しかし、勝算はあまりに低い。タジマを攻撃してドアに走り寄っても外側から施錠されてればどのみち逃げられない。壁に背を預けた僕の耳元で、いやらしくタジマが囁く。
 「五十嵐はちゃんと言うこと聞いたみたいだな、鍵かける音が聞こえた。躾のいい召使だぜ。こないだはロンいじめるのに夢中になって鍵閉め忘れて邪魔者が入ったからな、通りがかりのお節介野郎にお楽しみパァにされねえよう今度は気をつけなきゃ」
 「ロン?彼に何かしたのか」
 「敬語を使え」
 まずい。不機嫌になったタジマに前髪を掴まれ、顔を上向きに固定される。タジマの右手では安全ピンが光っている。
 鋭い痛みが生じた。
 タジマの手が下降し、ズボンの膝のあたりに安全ピン先端を突き刺されたのだ。いや、突き刺されたというより突つかれたと表現したほうが正しい。ズボン越しではたいした痛みを感じなかったが、皮膚にちくりと走った刺激にいやな予感が増す。僕は性的刺激に一切反応しない不感症だが、どういうわけだが痛覚は正常に働く。太股に落ちた安全ピンが膝から上へとじれったく這い上る途中、鋭利な先端がズボン越しの皮膚をなぞる刺激が、微電流でも通すみたいに神経に伝達される。
 膝から太股へ、太股から腰へ。たまに圧力をこめて鋭い痛みを与えながら、安全ピンの針が上方へと移動してゆく。へたに払い落とせばタジマの手元が狂って目玉を刺されそうで、僕は呼吸さえ止めて自分の体をなぞる安全ピンの行方を見守るしかない。
 「ここ最近、俺に抱かれなくて物足りなかったろ」
 そうに違いないと決め付けた口調でからかわれ、急激に怒りが沸騰した。
 「!―っ、」
 「おっと、動くなよ。ぶすりと刺しちまっても知らねえからな」
 安全ピンの先端に圧力が加わり、痛覚への刺激に条件反射で体が硬直する。シャツの上から卑猥な戯れにへその窪みをつついていた安全ピンが上へと移動し、嗜虐心に酔った笑みがタジマの顔に広がる。
 「ずいぶん大人しくなったな。俺の躾の成果だな。ご褒美にピアス穴開けてやるよ」
 屈辱と羞恥に染まる僕の顔と自分の手とを見比べ、ぞっとするような提案を述べる。性感帯を探らんと、シャツの上から執拗に胸の突起をつついていた安全ピンを耳朶に押し当てられる。
 「僕にピアスは似合わない、」
 「遠慮すんなよ」
 「遠慮ではない、事実だ」
 強硬に反対したところで、僕の意見を聞き入れる素振りなどタジマには微塵もない。耳朶を掴まれ、人体で最も柔らかく敏感な皮膚に針を埋めこまれかけ、性的興奮に勃起したタジマの股間が目に入ると同時に生理的嫌悪が我慢の限界に達する。 
 金属質の針のひやりとした感触が両親を刺したときに握っていたナイフの感触と重なり―
 「やめろ!!」
 「ぎゃっ!?」
 気付けば無我夢中で叫んでいた。殆ど反射的にタジマの手から安全ピンを叩き落とし、疼く耳朶に手をやる。緊張の糸が切れて壁際に座りこんだ僕の正面、手首を押さえたタジマが憎憎しげに唸る。
 「親殺しの分際でよくも……、」
 次の瞬間、タジマがとびかかってきた。
 僕に反抗されたことで逆上したらしく、目を血走らせて口角泡を噴いた凄まじい形相で胴に跨られる。嗜虐心に火がつき、残虐な衝動に駆り立てられたタジマが僕に馬乗りになって力任せに襟首を締める。タジマの手の甲に血管が浮かび、握力をこめるごとにその血管は太くなる。押し倒された衝撃で背後の壁で後頭部を打ち、眩暈に襲われて手足に力が入らない。血管中に水銀でも注射されたみたいに鈍重な動作で顔を上げれば、朦朧とぼやけた視界にタジマの顔が映る。
 「そうか、そんなに俺に乱暴されるのが好きか、痛くされるのが好きか。しょうもねえど淫乱だなお前は、東京プリズンで真性のマゾに目覚めちまったわけか。いいさ、目覚めさせた張本人のこの俺様が責任とってやるよ」
 唾を飛び散らせ、性欲に目をぎらつかせ、僕の太股に勃起した股間を擦り付けながら続ける。
 「覚えてるか?売春班におちるまえまでお前はオナニーも知らなかったんだよな、一人でヤるの覚えるまえに男にヤられちまったんじゃ悲惨だな。感謝しろよ、オナニーもバックも対面座位も全部おれが教えてやったんだ。ぴったりそばで監督してその体に教え込んでやったんだ。一人で気持ちよくなるやり方覚えて東京プリズンの暮らしが楽しくなったろうが!」
 「馬鹿、を言うな。全部貴様に命令されてやったことだ、僕の自由意志じゃない。貴様に強制されなければ誰があんな屈辱的な真似をするか、だいたい僕は不感症だ、一人でやろうが誰にやられようが一切性的快感を感じないように出来てるんだ」
 下肢が弛緩して立つこともできない、このままではタジマに犯されてしまう。逃げなければ、早く逃げなければ。せっかく売春班から逃れられたのに、来る日も来る日も男に犯される生き地獄から解放されたのに、ここでタジマに犯されたらすべてが水の泡だ。 

 『ああ、やっぱりだ……妹の名前呼ばせると締まりよくなるな。興奮してんのかよ近親相姦の変態が』
 まただ。
 また、僕を捕まえようと手が追いかけてくる。

 今度は幻覚じゃない、現実だ。現実に僕は危機に瀕してる。物分りよく無抵抗を決めこむのはやめだ、また男に、それもタジマに犯されるなんて冗談じゃない。サムライは今も戦ってる、売春班から僕を救い出すためにペア戦100人抜きを成し遂げるべく戦っている。
 サムライが戦っているのに、彼を死地に赴かせた僕が戦わなくてどうするんだ。
 僕の決断とは裏腹に、上に跨ったタジマが発情期の犬みたいに首筋を舐めてくる。生温かい粘膜とやわらかに蠢く襞とが、濃厚な唾液の筋で首筋をぬらしてゆく。
 「聞けよ。お前が好きな大人の玩具しこたま買いこんだんだ、売春班に戻ってきたらたっぷり仕込んでやる。しばらくこなしてねえからケツの穴縮んじまったかもしんねーが、」
 「『僕が好きな』?今そう言ったのか、貴様は」
 口元に笑みが浮かぶ。押さえようにも押さえきれない憎悪が瘴気のように噴き出す笑顔。
 「何回おなじことを言わせれば気が済むんだ度し難い低能が、僕はどんなセックスにも快感を感じない不感症だと再三言ってるだろう。卑猥な玩具が好きなのは貴様、そう、今僕の目の前で下品に笑っている虐待性愛者で少年愛好者の真性の変態、僕の首を締めて股間を勃起させてる人間の屑の方だ」
 「なっ……、」
 皮肉げな笑顔で暴言を吐けば、怒りのあまり口もきけなくなったタジマが目を見開く。 襟首を掴んだ手が緩み、どうにか上体を動かせるようになった。上体を起こした拍子に、背後の壁を通っていた配管に肘が触れた。配管に水を通して暖め、暖房用の水蒸気に気化させるのがボイラー室の役割である。僕の肘がぶつかった配管にも水が通ってるらしく、ボイラー室にたちこめる水蒸気で眼鏡が曇る。
 水。その手があったか。
 曇ったレンズ越しにタジマを睨み付ける。タジマに気付かれぬよう右手の木刀を握りなおし、体の脇に引きつける。
 「それとも」
 慎重に、悟られないように。壁の配管に背中を凭せ掛け、怒りに絶句したタジマを挑発。
 「あなたが玩具を好むのは、『それ』で僕を満足させる自信がないからですか?」
 タジマの股間に顎をしゃくり、斜に構えた笑顔を浮かべてやれば思ったとおりの、いや、思った以上の反応を引き出せた。
 「~~~~こっんのクソガキがああああああああっ!!」
 怒り狂ったタジマが咆哮、両腕を広げて僕に襲い来る。今だ!心の中でカウントをとり、タジマの注意が手元から逸れたまさにその瞬間に、右手の木刀で後ろ向きに配管を刺突する。水蒸気が濛々と噴き出す接合部を直撃し、来るべき事態を予期して上体を突っ伏す。
 ―「ぎゃああああっ!?」― 
 配管の接合部から噴出した水がタジマの顔面を直撃する。いくらボイラー室でも視界を遮るほどに水蒸気がたちこめてるのは異常だ。何箇所か配管の接合が緩んでいるにちがいないと予想して賭けにでたのだが、上手くいった。びしょぬれでうろたえるタジマの横を走り抜け、横ざまに木刀を抱えてドアに駆け付ける。
 「ここを開けろ五十嵐!早く!」
 「なっ、……」
 ドアを閉じて施錠し、中で起きてることには見て見ぬふりを決めこんでいた五十嵐が狼狽する。
 「いいから早く、もう時間がない!早くしなければサムライが負けてしまう、僕には木刀を届ける義務がある!!」
 眼鏡のレンズが曇って周囲が良く見えない状況がさらに焦りと苛立ちを加速させる。ドアの向こう、顔の見えない五十嵐に焦慮に揉まれて叫べば、突然背中を殴られる。
 「舐めた真似しやがって!」
 まともに水を浴び、紺の制服の上半身をどす黒く染めたタジマが、水蒸気の帳の向こうから姿を現す。僕を殴打したのはタジマが腰から抜いた警棒だった。そのままタジマに殴り倒され、背中を床に強打して肺が圧迫される。転んだはずみに木刀を落としてしまった。五指からすり抜けた木刀を手探りで拾おうとして、そんな暇も与えられず首を締められる。
 「看守に逆らったらどうなるかわかってんだろうな親殺し、これからじっくり時間をかけて生まれてきたこと後悔させてやるよ!安全ピンで目ん玉抉って欲しいか、爪の肉のあいだに刺してほしいか?泣き喚いても無駄だ、容赦しねえからな。お前が痛がれば痛がるほどこちとら楽しいんだ、楽しくて楽しくて笑いが止まらなくなんだよ!」
 僕に馬乗りになったタジマが渾身の力をこめて首を絞め上げる。気道が圧迫されて満足に呼吸できず、窒息の苦しみに顔が充血する。脳に十分に酸素が届かず、視界が薄暗く狭窄して思考が泡のように拡散してゆく。

 僕はこんなところで死ぬのか?
 タジマに殺されるのか?
 サムライに会えず、恵にも会えず、何一つやるべきことを果たせずに殺されるのか?

 「おいなにやってんだよタジマ、中でなにが起きてんだよ!?しまいにゃ上の人間呼んでくるぞっ」
 ドアの外の五十嵐が焦れた手つきで鍵束を探ってるらしく、金属の鍵と鍵とが触れ合う耳障りな音がした。しかしタジマは振り返りもせず、僕の首を締める手を緩めもせず怒鳴り返す。
 「ひっこんでろ五十嵐、看守クビになりてえのか!?!失職したくなきゃ黙って俺の言うこと聞いてりゃいいんだよ。お前が仕事クビになったらフィリピ―ナの嫁はどうすんだよ、情緒不安定なアルコール依存症患者で毎日酒に溺れてるカミさんをどうやって養ってくんだよ?精神病院送りか強制送還か知らねえが無職の中年男が生活費いれられるわきゃねえしどのみち家庭崩壊だな。あ、悪ィ、おまえの家庭はもうとっくのとうに崩壊してるか!可愛い可愛い娘がばらばらの肉片になった五年前にな!」
 「………っ!!」
 満腔の憎悪をこめ、こぶしでドアを殴る音がした。
 五十嵐とタジマとの言い争いを意識朦朧と聞き流しながら、気道を圧迫する太い指を掻き毟る。つま先で床を蹴り、少しでも手の力を緩めようと抵抗してるうちに幻聴の靴音が近付いてくる。
 幻聴?違う、現実だ。
 廊下の向こうから、だれかがボイラー室目指してやってくる。タジマもそれに気付いたのか、表情を固く強張らせてドアに叫ぶ。
 「……五十嵐、わかってんだろうな。だれがこようが何食わぬ顔でごまかせよ」
 「………」
 五十嵐は無言だった。片手で僕の首を絞め、もう片方の手で僕の口を塞ぎ、タジマが言い聞かせる。
 「おまえもだ。助け呼ぼうなんて気ィ起こしてみろ、絞め殺すからな」
 言われなくても、首を締められていては叫び声もあげられない。喉を掌握され声帯を封じられた今の状態では、ボイラー室へとやってきた誰かに位置を知らせることさえできない。
 僕が助かる道はただひとつ。
 ドアを凝視するタジマから視線を外し、目だけを動かし、今だ水が噴出する配管の継ぎ目を見る。ボイラー室の床を浸した水溜りがドアの下から廊下へと広がりだすのを確認し、何の目的かは知らないがボイラー室に足を運んだ人物が異変を察してくれないかと期待する。
 そうして遂に、ボイラー室の前で足音が止む。
 固唾を飲んでドアを凝視するタジマの下、ぎこちなく顔を傾げてドアを見る。
 廊下で立ち止まったその人物は、ドアの前にたたずむ五十嵐に意外げな声をあげた。
 「五十嵐?」
 ロンだった。   
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