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七話
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目覚めた時、春虎は屋敷の一間に寝かされていた。
「気付いたの、春虎」
枕元には介抱してくれた寿安と、心配そうに見守るお嬢様がいた。
「ここは……」
「あなた藪の近くで倒れてたの。酷い怪我をして……三日三晩高熱を出して」
「楊たちは……」
寿安が言葉を濁す。
お嬢様はさも恐ろしげに柳眉をひそめる。
「知ってる?お屋敷のはずれに古い廟があるの。あそこでたくさん死体が見付かったわ、中は血の海だったそうよ」
血の海。
「勝手に出入りした罰があたったのよ。鬼神の祟りだわ、きっと」
「生き残りはあんただけよ」
朋輩たちの悶死は鬼神の祟りで片付けられた。
廟を荒らした報いを受けたのだと。
なるほど、あの死に様はそうこじ付けでもしなければ腑に落ちない惨たらしさだ。
お嬢様と寿安の手厚い介抱の甲斐あり、春虎は次第に回復していった。
お嬢様は毎日のように病床の春虎を見舞い、匙で粥をすくい、自らの吐息で冷まして食べさせた。
「早く元気にならなきゃね」
「ありがとうございます」
お嬢様は春虎を労わり、春虎はお嬢様に感謝する。
一方、疑問もあった。
藪の手前で衰弱しきって倒れているところを発見され、使用人たちによって屋敷に運ばれた春虎は、下半身に酷い怪我を負っていた。
当然その事を聞かれるだろうと覚悟していたが、使用人たちは何故かそろって口を噤む。
春虎の身のまわりの世話をしながら、後ろめたげにこちらを盗み見る使用人たちの態度を観察し、春虎を考える。
ひょっとしたら、彼らのうち何割かは楊たちの企みを知っていたんじゃないかと。
知りながら放置していたんじゃないか。
お嬢様との結婚が決まった春虎は不公平を恨む使用人たちの嫉妬を一身に浴び、それ故彼らは楊たちの企てを放置したんじゃないかと。
人は弱く醜く汚い。
そういう可能性も十分にありえるだろうと春虎は諦観する。
いまだ歩けない春虎のもとへ膳を運びながら、寿安は心配顔で述べる。
「春虎、あんた見付かったとき素っ裸だったのよ?下半身がひどく痛め付けられてたっていうし……その……」
アイツらに何かされたのとは続けられず、口ごもるお嬢様に春虎は気丈に笑いかける。
「大丈夫ですよ。もう終わったことです」
あの日起きた事、廟で見聞きした事はすべて忘れたい。
そうするのが一番いい。
そして、何より。
『コイツらは報いを受けたんだ』
見るんじゃなかった。
瞼など開くんじゃなかった。
鬼風の本当の姿など、本性など、暴くんじゃなかった。
鬼風は廟で大殺戮を行った。狂気を孕んだ断罪の風は朋輩たちの命をことごとく刈り取った。
鬼風は、アイツは、人ではない。
僕とは違う。
「………っ」
瞼を閉ざすのが怖い。
閉ざせば夢に見る、悪夢が像を結ぶ。
腕に抱かれた位置から一瞬だけ見た容貌は目鼻口がねじれ、歪み、溶け合い、混沌と渦を巻く。
「どうしたの、顔真っ青よ」
膳を片付けた寿安が跪き、将来の伴侶の背中をさする。
楊たちは鬼神の顔をまともに見たせいで、死んだ。
ほんの一瞬、半分が影に沈む角度から仰いだ春虎さえ、三日三晩意識不明だった。
鬼風は春虎がおもっていたより、はるかに恐ろしく禍々しい存在だった。
友達になど、なれるはずがない。
あんな化け物と。
窓の紅格子から月が冴え冴え射す晩。
甲斐甲斐しい看護と滋養ある食事のおかげで傷もすっかり癒えた。明日には床が払える春虎は、夜半に目を覚ます。
こつん、こつん。
誰かが窓に小石を投げている。
「……起きてるか、春虎」
懐かしい声に名を呼ばれ、春虎は頭から布団を被る。
アイツがすぐそこまできている。
「怪我はすっかりいのか?すまなかったな、素っ裸でほうりだしちまって。だけど俺が連れてくのもまずいし……」
去れ、化け物。
楊たちを皆殺しにしたくせに。
布団の中でぎゅっと目を瞑り退散を念じる。
窓の向こうからぼそぼそと声がする。
「……傷、残んねえかな。酷え怪我だから歩けるか心配で……大丈夫だよな、偉い医者が診てるって話だし。にしてもさ、下働きの小僧にすぎなかったお前が大出世じゃねえか。こーんないい部屋に寝かされて三食膳を運んでもらって至れり尽くせりだな。お嬢様のはからいか?」
耳を貸すな。
口を利くな。
五感を塞げ。
相手は化け物だ。
「寝てんのか」
化け物がいう。
「起きてんだろ?」
化け物がいう。
「愛想がねえな、せっかく見舞いにきてやったのに」
「化け物め」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
「……ずっと嘘吐いてたのか。力が回復してないから実体をとれない、本性をさらせないって」
「春虎」
窓の外、障子に映る影が途方に暮れる。
蓮池のほとりで語り合った思い出、ふざけあった思い出、その全てが今は忌まわしく厭わしい。
騙されていた。
「………化け物じゃないか………」
知っていれば、友達になってくれなんて乞わなかった。
「どうしようもない化け物じゃないかお前、目も鼻も口もばらばらで……っ、わざと顔をさらしたんだ楊たちに、そうやって殺した、知らなかった、ずっとずっと知らなかった、僕はお前がいつ素顔を見せてくれるのか愚かに待ちわびて」
化け物を人と錯覚してしまったのは、彼があまりにも人間臭く飄々としてたから。
全然化け物らしくなかった。
騙されていた。
化け物は化け物だ。
彼の声と気配を愛しく感じた頃が懐かしい、もし素顔を知っていれば有り得なかった、そばによるはずなかった
恋い慕いなどしなかった。
「肝試しの晩に魔物たちの話は本当だった。お前は悪い化け物だ、ずっと廟に閉じ込められて馬鹿な人間がまよいこむのを待ってた、それが僕だ」
あの時、札をはがさなければ
「どうして殺した、あんな残虐なやり方で」
形は魂の器、心を映す鏡。
ならば鬼神は
「あんな奴ら死んで当然だ。俺を見て悶死する前に体中の骨を砕いてやりゃよかった」
心は人に似て形は非なるもの。
「劉を助けたじゃないか」
「お前の頼みだからな」
「代わりに殺してくれなんて頼んだか!?」
「声に出さない願いを汲んだ」
「願ってない!」
「嘘つきめ」
「お前の顔なんて二度と見たくない……!」
「醜いからか」
「化け物だからだ!」
「お前に何かしたか?」
玲瓏たる月光を浴び、影が言葉を紡ぐ。
「鬼神ってのは気紛れに人と契約する。原則として本当の姿は明かさない。力を貸す条件として、絶対に顔を見ねえし見たがんねえってのを真っ先にあげる奴もいるくらいさ。……どうしてかわかるか?」
窓辺にたたずむ影が、哀しい真実を明かす。
「本当の俺たちはとても邪で醜くて、到底人に好いてなんてもらえねえからだ」
淡々としゃべる鬼風を見る勇気が湧かない。
見ればきっと、狂ってしまう。
「上手くいかねえもんだよなあ。だめって言われると見たくなっちまうんだよ人ってのは、怖いもの見たさっってのかね……馬鹿な生き物だよなあ」
うっそりと自嘲の笑いを吐く。
「……マジんなっちまった俺も馬鹿だよな」
耳を貸すな。
「最初は気まぐれだった。百年廟に閉じ込められて、力がなまってるんじゃないかってがらにもなく不安になって、肩慣らしのつもりで手伝ってやった。あの頃のお前ときたらちびで泣き虫で、下穿きべらっと捲れたくらいでべそかいて、可愛かった。ちょっかいかけるのが楽しくて……赤くなったり青くなったりすんのが面白くて、ついつい調子のっちまった」
窓の外で気配が動く。
風が渦を巻く。
「あばよ、春虎」
咄嗟に布団を払って這い出し、窓辺に取り付く。
「俺はいわゆる化け物だから、人間を手懐けられたら箔が付くんじゃねえかって下心があった」
どこへ行く?
問いを発する寸前、巻き起こった旋風が春虎の髪を蹂躙する。
「俺のこともアイツらのこともみんな忘れちまえ、お前が心を砕くに足りねえ化け物だ」
逆巻く風に目を凝らしても鬼風の姿は見えない、最後まで姿を隠し続ける気だ。
春虎のためを思って。
「俺は、お前が人として幸せになる道を拓く」
待てと、どうしてもその一言が喉にひっかかってでてこない。
数年間一緒だった、ただひとり心を開いて全てを打ち明けられる友だった、お嬢様との縁を取り持ってくれた、今の春虎があるのは全部全部彼のおかげだ
その彼を化け物と罵った。
「お前は人として幸せになれ」
鬼風の別れの台詞だった。
「気付いたの、春虎」
枕元には介抱してくれた寿安と、心配そうに見守るお嬢様がいた。
「ここは……」
「あなた藪の近くで倒れてたの。酷い怪我をして……三日三晩高熱を出して」
「楊たちは……」
寿安が言葉を濁す。
お嬢様はさも恐ろしげに柳眉をひそめる。
「知ってる?お屋敷のはずれに古い廟があるの。あそこでたくさん死体が見付かったわ、中は血の海だったそうよ」
血の海。
「勝手に出入りした罰があたったのよ。鬼神の祟りだわ、きっと」
「生き残りはあんただけよ」
朋輩たちの悶死は鬼神の祟りで片付けられた。
廟を荒らした報いを受けたのだと。
なるほど、あの死に様はそうこじ付けでもしなければ腑に落ちない惨たらしさだ。
お嬢様と寿安の手厚い介抱の甲斐あり、春虎は次第に回復していった。
お嬢様は毎日のように病床の春虎を見舞い、匙で粥をすくい、自らの吐息で冷まして食べさせた。
「早く元気にならなきゃね」
「ありがとうございます」
お嬢様は春虎を労わり、春虎はお嬢様に感謝する。
一方、疑問もあった。
藪の手前で衰弱しきって倒れているところを発見され、使用人たちによって屋敷に運ばれた春虎は、下半身に酷い怪我を負っていた。
当然その事を聞かれるだろうと覚悟していたが、使用人たちは何故かそろって口を噤む。
春虎の身のまわりの世話をしながら、後ろめたげにこちらを盗み見る使用人たちの態度を観察し、春虎を考える。
ひょっとしたら、彼らのうち何割かは楊たちの企みを知っていたんじゃないかと。
知りながら放置していたんじゃないか。
お嬢様との結婚が決まった春虎は不公平を恨む使用人たちの嫉妬を一身に浴び、それ故彼らは楊たちの企てを放置したんじゃないかと。
人は弱く醜く汚い。
そういう可能性も十分にありえるだろうと春虎は諦観する。
いまだ歩けない春虎のもとへ膳を運びながら、寿安は心配顔で述べる。
「春虎、あんた見付かったとき素っ裸だったのよ?下半身がひどく痛め付けられてたっていうし……その……」
アイツらに何かされたのとは続けられず、口ごもるお嬢様に春虎は気丈に笑いかける。
「大丈夫ですよ。もう終わったことです」
あの日起きた事、廟で見聞きした事はすべて忘れたい。
そうするのが一番いい。
そして、何より。
『コイツらは報いを受けたんだ』
見るんじゃなかった。
瞼など開くんじゃなかった。
鬼風の本当の姿など、本性など、暴くんじゃなかった。
鬼風は廟で大殺戮を行った。狂気を孕んだ断罪の風は朋輩たちの命をことごとく刈り取った。
鬼風は、アイツは、人ではない。
僕とは違う。
「………っ」
瞼を閉ざすのが怖い。
閉ざせば夢に見る、悪夢が像を結ぶ。
腕に抱かれた位置から一瞬だけ見た容貌は目鼻口がねじれ、歪み、溶け合い、混沌と渦を巻く。
「どうしたの、顔真っ青よ」
膳を片付けた寿安が跪き、将来の伴侶の背中をさする。
楊たちは鬼神の顔をまともに見たせいで、死んだ。
ほんの一瞬、半分が影に沈む角度から仰いだ春虎さえ、三日三晩意識不明だった。
鬼風は春虎がおもっていたより、はるかに恐ろしく禍々しい存在だった。
友達になど、なれるはずがない。
あんな化け物と。
窓の紅格子から月が冴え冴え射す晩。
甲斐甲斐しい看護と滋養ある食事のおかげで傷もすっかり癒えた。明日には床が払える春虎は、夜半に目を覚ます。
こつん、こつん。
誰かが窓に小石を投げている。
「……起きてるか、春虎」
懐かしい声に名を呼ばれ、春虎は頭から布団を被る。
アイツがすぐそこまできている。
「怪我はすっかりいのか?すまなかったな、素っ裸でほうりだしちまって。だけど俺が連れてくのもまずいし……」
去れ、化け物。
楊たちを皆殺しにしたくせに。
布団の中でぎゅっと目を瞑り退散を念じる。
窓の向こうからぼそぼそと声がする。
「……傷、残んねえかな。酷え怪我だから歩けるか心配で……大丈夫だよな、偉い医者が診てるって話だし。にしてもさ、下働きの小僧にすぎなかったお前が大出世じゃねえか。こーんないい部屋に寝かされて三食膳を運んでもらって至れり尽くせりだな。お嬢様のはからいか?」
耳を貸すな。
口を利くな。
五感を塞げ。
相手は化け物だ。
「寝てんのか」
化け物がいう。
「起きてんだろ?」
化け物がいう。
「愛想がねえな、せっかく見舞いにきてやったのに」
「化け物め」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
「……ずっと嘘吐いてたのか。力が回復してないから実体をとれない、本性をさらせないって」
「春虎」
窓の外、障子に映る影が途方に暮れる。
蓮池のほとりで語り合った思い出、ふざけあった思い出、その全てが今は忌まわしく厭わしい。
騙されていた。
「………化け物じゃないか………」
知っていれば、友達になってくれなんて乞わなかった。
「どうしようもない化け物じゃないかお前、目も鼻も口もばらばらで……っ、わざと顔をさらしたんだ楊たちに、そうやって殺した、知らなかった、ずっとずっと知らなかった、僕はお前がいつ素顔を見せてくれるのか愚かに待ちわびて」
化け物を人と錯覚してしまったのは、彼があまりにも人間臭く飄々としてたから。
全然化け物らしくなかった。
騙されていた。
化け物は化け物だ。
彼の声と気配を愛しく感じた頃が懐かしい、もし素顔を知っていれば有り得なかった、そばによるはずなかった
恋い慕いなどしなかった。
「肝試しの晩に魔物たちの話は本当だった。お前は悪い化け物だ、ずっと廟に閉じ込められて馬鹿な人間がまよいこむのを待ってた、それが僕だ」
あの時、札をはがさなければ
「どうして殺した、あんな残虐なやり方で」
形は魂の器、心を映す鏡。
ならば鬼神は
「あんな奴ら死んで当然だ。俺を見て悶死する前に体中の骨を砕いてやりゃよかった」
心は人に似て形は非なるもの。
「劉を助けたじゃないか」
「お前の頼みだからな」
「代わりに殺してくれなんて頼んだか!?」
「声に出さない願いを汲んだ」
「願ってない!」
「嘘つきめ」
「お前の顔なんて二度と見たくない……!」
「醜いからか」
「化け物だからだ!」
「お前に何かしたか?」
玲瓏たる月光を浴び、影が言葉を紡ぐ。
「鬼神ってのは気紛れに人と契約する。原則として本当の姿は明かさない。力を貸す条件として、絶対に顔を見ねえし見たがんねえってのを真っ先にあげる奴もいるくらいさ。……どうしてかわかるか?」
窓辺にたたずむ影が、哀しい真実を明かす。
「本当の俺たちはとても邪で醜くて、到底人に好いてなんてもらえねえからだ」
淡々としゃべる鬼風を見る勇気が湧かない。
見ればきっと、狂ってしまう。
「上手くいかねえもんだよなあ。だめって言われると見たくなっちまうんだよ人ってのは、怖いもの見たさっってのかね……馬鹿な生き物だよなあ」
うっそりと自嘲の笑いを吐く。
「……マジんなっちまった俺も馬鹿だよな」
耳を貸すな。
「最初は気まぐれだった。百年廟に閉じ込められて、力がなまってるんじゃないかってがらにもなく不安になって、肩慣らしのつもりで手伝ってやった。あの頃のお前ときたらちびで泣き虫で、下穿きべらっと捲れたくらいでべそかいて、可愛かった。ちょっかいかけるのが楽しくて……赤くなったり青くなったりすんのが面白くて、ついつい調子のっちまった」
窓の外で気配が動く。
風が渦を巻く。
「あばよ、春虎」
咄嗟に布団を払って這い出し、窓辺に取り付く。
「俺はいわゆる化け物だから、人間を手懐けられたら箔が付くんじゃねえかって下心があった」
どこへ行く?
問いを発する寸前、巻き起こった旋風が春虎の髪を蹂躙する。
「俺のこともアイツらのこともみんな忘れちまえ、お前が心を砕くに足りねえ化け物だ」
逆巻く風に目を凝らしても鬼風の姿は見えない、最後まで姿を隠し続ける気だ。
春虎のためを思って。
「俺は、お前が人として幸せになる道を拓く」
待てと、どうしてもその一言が喉にひっかかってでてこない。
数年間一緒だった、ただひとり心を開いて全てを打ち明けられる友だった、お嬢様との縁を取り持ってくれた、今の春虎があるのは全部全部彼のおかげだ
その彼を化け物と罵った。
「お前は人として幸せになれ」
鬼風の別れの台詞だった。
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