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大魔女カーラ・ウィンストンの大往生

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偉大なる魔女の訃報が世界を駆け巡り一か月が経った。

「カーラ・ウィンストンと言えば大陸に知らぬ者とてない大戦の英雄ですよね」
「世間では伝説的な魔女ということになっていますわね。私にとっては手のかかる患者、厄介な愁訴老人でしたけど」

さんざん手こずらされました、と嘘かまことかおっとり微笑むのは、青と白を基調にした清潔そうなエプロンドレスの婦長だ。
年齢は七十前後だろうか、若き日の美貌の名残りを留めた顔には長年看護婦として務め上げた矜持が浮かび、歩き方はきびきびとして微塵も衰えを感じさせない。

「ああ、訂正します。問題児に年齢は関係ございません、カーラ・ウィンストンが厄介だったのは偏に彼女がカーラ・ウィンストンだったからに尽きます。彼女の本質が問題児なんですよ、あれほど手のかかる人は私の看護婦人生において初めてでした」
「は、はあ」

謎めいた発言が要領得ず首を傾げるのは、ストロボ式カメラを抱え、こじゃれたキャスケット帽を被った青年だ。
彼が当惑している原因は、元担当患者をこてんぱんにこきおろす婦長の舌鋒のみにあらず、婦長が酷評しているのが他でもない「あの」カーラ・ウィンストンだからだ。
上品な白髪をひっ詰め髪にし、愛情深く潤んだ瞳をした婦長は、皺ばんだ頬を綻ばせて窓の外を仰ぐ。
綺麗に刈り込まれた芝生の中心には虹の光沢帯びた噴水があり、その周囲ではいずれも看護婦に付き添われた老人たちが三々五々憩っている。
記者はしばしば廊下の半ばでフラッシュを焚き、どこもかしこも古い木材が飴色に磨き込まれた、養老院の内観を物珍しげに撮影している。

「そんなに珍しいかしら」
「ええ……なんといっても大陸でも激レアな魔女専門の養老院、あそこにいるのもここにいるのも、いま看護婦さんに付き添われて部屋に帰ってくのも魔女なんですよね」

魔女が恐怖の代名詞だった暗黒時代はとうに過ぎた。
文明開化をむかえた大陸では、魔女の存在自体が絶滅危惧種である。
多くは魔女狩りで狩られ、戦争の兵器として使い捨てられ、血筋は絶えて久しい。

好奇心のかたまりとなった記者が指さす先、窓ガラスを隔てた中庭の芝生は刈りこまれ、ベンチでは老いた老女が日なたぼっこしている。
看護婦が押す車椅子には恍惚とした老女が座り、虚空の一点を薄ぼんやりと凝視していた。

「記者さん位のお年だと生きている魔女に会うこと自体まれでしょうね」
「ですので今日の取材は楽しみにしていました。叶うなら生前のカーラ・ウィンストンにお会いしたかったんですがガードが厳しくて……葬儀が恙無く済んだ今、漸く関係者の話を聞く許しが出たんです」
「カーラ・ウィンストンの何を知りたいのですが。武勇伝や英雄譚、面白おかしく脚色されたミュージカルや物語、眉唾な噂は巷にあふれておりますでしょうに」

婦長に質問された若き記者は高揚に駆られ、初々しく上気した頬で告げる。

「僕が知りたいのはカーラ・ウィンストンの知られざる晩年です。地上最強の魔女、大戦の英雄と称えられた彼女が、第一線を退いたその後の人生です」
「ご隠居の余生が知りたいなんて変わってらっしゃるわね」
小さく頷くも、そう評す口調に嫌味はない。
率直な感想を述べたのみ、という素朴さが伝わってくる。むしろ青臭い情熱にあふれた記者の提案を面白がっている節さえあった。
記者は光沢ある万年筆を掲げ、さらに熱を入れて補足する。
「カーラ・ウィンストンの最盛期をしるした書籍は既に何十冊と出版され、どれも空前のベストセラーを記録しています。でもですね、彼女の晩年を掘り下げた書籍は一冊もないんですよ?生き馬の目を抜く業界で人のまねしてたって頭打ちだ、まだ誰も挑戦してない領域こそ無限の可能性を秘めている。最強の魔女として世界中を震え上がらせ、大戦を終結に導いたカーラ・ウィンストンの晩年の真実、気になりませんか?」

カーラ・ウィンストン。

その名は大陸中の人々の記憶に焼き付いている。

婦長は記者を西の角部屋に案内する。

「ここがカーラが使っていた部屋です」
「何もありませんね」
「彼女の希望で遺品は全部慈善団体に寄付されました」
「もったいない……オークションにかけたら法外な値で落札されたろうに、おっと」
失言を自覚して口を噤む。
生前のカーラの部屋は、他の部屋と大差ない広さだった。
壁紙は目に優しいクリーム色で、束ねたドライフラワーの模様が描かれている。
ベッドの横の白い円卓には、優美な曲線を描く白衣の水差しがのっかっていた。
「彼女が来た日の事はよく覚えています」
婦長はシーツが綺麗に整えられたベッドに手をおき、穏やかに話し始める。


「ここが私の部屋?カヤネズミの巣みたい」
自分の部屋に導かれたカーラ・ウィンストンは開口一番不満をもらし、婦長のジル・カステルを睨み付ける。
「この養老院で一番いい部屋は?」
「ありません。広さと造りは全部同じです。せいぜい日の光を取り入れる窓の位置が異なる程度です」
「なにそれ、せっかく高いおカネを払って入園したのに詐欺じゃない」
車椅子にかけたカーラが憮然と腕を組む。
魔女が晩年を過ごす養老院にあって、せいぜい十代半ばの華奢な少女にしか見えない彼女の容姿は異彩を放っていた。
ジルは温和な笑みを浮かべ、わがままな入居者に教え諭す。
「ここは国営です。いくら多額の寄付をいただいても、それを基準に特別扱いはしませんわ。当園に来たからにはルールに慣れていただかないと」
「よく言うわ、ただの姥捨て小屋じゃない」
燐の炎のような緑の目に嫌悪が滾る。
「さんざん私たちをこき使っといて、絶滅寸前になったら突然人道に目覚めて、おままごとの延長の姥捨ての園を用意するなんて。国って勝手なもんね」
「そして私がこの姥捨ての園の婦長です」
「さしずめ白衣の魔女ってトコね」
蓮っ葉な口調で皮肉り、車椅子の車輪を器用に回して部屋中を検める。
部屋の壁に沿って車椅子を動かしていたカーラが、眦を吊り上げて唐突に顔を上げる。
「何よ、じろじろ。この姿が珍しい?」
「ええ……いえ。それも勿論ありますけれど、お話にうかがってたより随分元気そうなので驚きました」
「ふん。中身はボロボロよ」
車椅子のカーラが胸を張る。
いばることではない。
「あの噂は本当なんですね……」
「むかあしむかあし大魔女カーラ・ウィンストンは兵器として駆り出された戦場で不老の呪いをかけられ、以降ちっとも老いなくなりました。死ぬまで若く儚く美しい少女のまま、皆からバケモノ扱いされて孤独に老いていく運命を背負わされてしまったのです。ああ、なんていう悲劇!」
澄んだ声音で囀るカーラの姿は、必要以上に悪ぶっているようにも、または自分に酔っているようにも見えて滑稽だ。
大仰な手振りで宣言し、挑戦的な腕組みで婦長を睨む。
「ご満足いただけて?無償にしては面白い見世物でしょ、なんならもっと近くによって見てもいいのよ、お肌の張りと潤いは十代の頃まんまなんだから」
「お言葉に甘えて」
「えっ」
まさか乗って来るとは思わなかったカーラが車輪を掴んで引くが、構わず歩み寄って覗き込む。
「本当、毛穴が見当たらない位綺麗な肌ですわね」
たじろぐカーラの上腕や肩に手を触れ、水蜜桃さながらすべらかな頬を包み、とどめに右の下瞼をぺろりと捲れば、カーラがよく診る暇さえ与えず振りほどく。
「近くで見ていいとは言ったけどお触りは厳禁よ!私はそんなに安かないの、魔女に手を触れたらヒキガエルにされたって文句は言えないのよ!?アンタ変人ね。私を誰だと思ってるの、この国の英雄、大戦の女神、大魔女カーラ・ウィンストンよ?その身体にいとも気安く」
「お世話する方の体調管理も私の仕事ですので」
「は?アンタが担当とか聞いてない。絶対やだ、他の人に代えて」
「具体的なご希望は?」
「もっと従順でしおらしくていじめ甲斐がありそうな」
「却下です」
偏った要望を鉄壁の笑顔で弾き返す。
次の瞬間カーラは癇癪を起こし、車椅子をテーブルに近付けて、陶器の花瓶や水差しを一切合体薙ぎ払って暴れだす。
「話と違うじゃない詐欺じゃない!ここに来れば贅沢三昧の余生が遅れるっていうから人里離れた辺鄙な養老院まできてやったのに、担当は意地悪な老いぼれで、いきなり人の瞼べろんて暴くわ失礼千万じゃない!いい、ここから出て行かれたくないなら即刻担当を代えて、部屋も一番豪華なのに代えて頂戴!」
「部屋の造りと間取りは全部同じだと先程ご説明いたしましたが」
「それなら院長室を私専用にしてよっ、言うこと聞かなきゃ車椅子で空飛んで麓の街に、ううん、国中に養老院の悪評ばらまいてやるっ!ここは大陸中の魔女を集めてモルモットにしてる怖~~い施設だって」
床一面に散らばった花瓶や水差しの破片を、ご丁寧に何度も行き来する車輪で細かく踏み砕く。
「どうしたんですか今の物音!?」
邪悪な笑みを漲らせて脅すカーラと対峙する婦長の背後、血相変えた看護婦がドアを開けてなだれこんでくるが、婦長はそれを片手で制して一歩踏み出す。
「あらためて、ようこそカーラ・ウィンストンさん。我々は心より貴女を歓迎致しますわ。ですが当園には当園のルールがあります、たとえ貴女が誰であろうと例外や特権は認めません」
「贔屓は絶対しないってことね?」
「話が早くて助かりますわ。当園は魔女たちの安住の地、終の棲家をめざしておりますが、治外法権に成り下がる気はまっぴらございません」
「私がカーラ・ウィンストンでも?」
「よくおわかりですねカーラさん。貴女がどんなに強く素晴らしい魔女であったとしても、備品に当たり散らしたり、喚き散らして他の患者さんや若い看護婦をいたずらに怯えさせるのは慎んでもらわなければ」
婦長がその場に屈んで花瓶の破片を拾い集めようとした時。
カーラが人さし指を無造作に振るのに合わせ、床に散らばった破片がパチパチ組み合わさってあっというまに水差しと花瓶を復元。
床に零れた水までも透明な軌跡を描き、水差しの中へと戻っていく。継ぎすら見当たらない精巧な修復は、類稀な魔法の力がなせるわざだ。
「どうせ直せるんだから、壊したって別にいいでしょ」
ふてくされてそっぽを向き、車輪を軋む程握り締める。
「出てって」
「……仰せの通りに。ベッドに移る時に介助が必要なら」
若い看護婦を気丈な笑みで宥めたのち、病室を去らんとした婦長を返り見て、カーラが不敵な笑みを刻む。
「魔法さえあれば十分。カーラ・ウィンストンは万能なの」

「あの」カーラ・ウィンストンが問題児認定されるまで、さほど時間はかからなかった。
養老院に来てからも、カーラはちっとも周囲をうちとけず、看護婦にも反抗的な態度をとってばかり。おまけに酷い偏食で、一日三回の食事も味付けが気に入らないと下げさせる。
彼女の世話には婦長が直々にあたったが、カーラは身体に触られるのが嫌と激しくごね、着替えの際には特に手を焼かせた。

「カーラさん、暴れられてはボタンが留められません」
「様を付けなさい、お友達じゃないのよ」
「下僕でもございませんので」
「アンタみたいな可愛げない使い魔お断り」

カーラは息をするように憎まれ口を叩く。他の看護婦は早々に心が折れ、今では寄り付こうとさえしない。
院内でも孤立したカーラは一日中部屋にひきこもり、ベッドの上で小難しい本を読んで過ごしていた。
試行錯誤の末カーラを白いワンピースに着替えさせた婦長は、彼女が熱心に読んでいる本に目をとめる。

「随分分厚いんですのね。読みごたえありそうだわ。小説?」
「みたいなもんよ。殆どフィクション」

カーラが皮肉っぽく冷笑し、枕元の本の表紙をてのひらで叩く。
なんと、カーラの波乱万丈の半生をまとめた聞き語り録だった。

「何十年も前に出版されたってのに、私の威光にあやかってロングベストセラー記録中の一冊」
「作りごとなんですか」
「ありのままに述べたけど面白おかしく誇張されちゃった、そっちのが受けがいいからでしょうね。この本じゃ永遠の夕闇が原で一万人を殺戮した事になってる。馬鹿じゃない?せいぜい千人よ、桁が違うでしょ。数字を改竄するなんてジャーナリストの端くれのプライドはないのかしら」
怒りがぶり返したカーラが本を平手で叩くが、すぐに冷めて独りごちる。
「……暇潰し程度にはなるけどね。アンタも買ったでしょ」
「いいえ」
「は?なんで買ってないのよ」

途端に気分を害す。理不尽だ。
婦長は返答に迷ったものの、下手に隠し立てるのも気が引けたので、結局は素直に答える。

「戦争の話を読むのが辛くて」

「は……?」

車椅子に掛けたカーラの顔が微妙に歪む。嘲りと蔑み、そしてあきれ。

「なにそれ。ばっかじゃない。戦争なんてもう何十年も昔でしょ、なのに古傷が疼くなんて言いだすの、被害者ぶっちゃって」

戦場にいもしなかったアンタが。
言外にたっぷり悪意を滲ませて吐き捨てるカーラに対し、婦長はエプロンの前で組んだ手をほんの僅か強く握り込み、小声で返す。

「……あの戦争で、夫と息子が天に召されたんです」

カーラが凍り付く。
当時の大戦では、若く健康な男性が徴兵され戦場へと送りこまれた。ジルの夫も例に漏れず、身重の妻を独り遺して戦場へ行き、遂に帰ってこなかった。

「空襲のあった晩です。夫の忘れ形見の息子は、敵国の魔女の呪詛兵器で物言わぬ石に変えられました」

魔女の小隊が空に列成し、轟々と猛火に巻かれる街で、重く固い石の赤ん坊を連れて逃げるのは困難だった。

「酷い母親です。自分が助かりたい一心で、石になった子供を捨てて独り逃げた。あの時飛び散ったかけらを残らずかき集め、安全な場所で誰か優れた魔女に乞うていたら、呪いを解いてもらえたかもしれないのに」

猛火に巻かれた瓦礫が崩れ、その下敷きになったはずみに、息子は彼女の腕をすり抜けて地面に落ち、砕け散った。

石化の呪詛に人間がかかった場合、石と化した肉体はとても脆くなる。少しの衝撃で砕け散ってしまうほどに。

婦長の瞼裏には、ほんの数分前で元気に乳を吸っていた赤子が、頭から爪先まで一気にひび割れて砕け散る瞬間が焼き付いている。

「……そんな理由があって、戦争の記述がある本は普段から避けているんです。どうしても当時の記憶が甦ってしまって」
「石化を解除する呪文なら知ってるわ。とっても簡単よ」 
向き直る。
「一カ所だけ所訂正。アンタは戦場にいなかったんじゃなくて、別の戦場にいたのよね」
カーラは小さくため息を吐き、贅沢な装丁の本を見下ろした。

この一件以降、カーラはほんの少し心を開いた。
癇気の強い性格とわがままぶりは相変わらずだが、ほんの少し当たりが柔らかくなり、婦長と他愛ない世間話を愉しむようになった。

「また本を読んでいるんですかカーラさん」
「悪い?孤独な老魔女の寛ぎのひとときを邪魔しないでちょうだい」
「たまにはお日さまの光を浴びては?気持ちいい風に吹かれた方が読書もはかどりますわ」
「余計なお世話。もう行ってったら」

婦長はカーラの部屋の花瓶に、中庭で摘んだ野草をさし、長椅子がどんなに洗練された意匠をしているか、陽光にきらめく噴水の水がどんなに美しいか、その時かかる虹がどんなに綺麗か、外の素晴らしさを語って聞かせた。

「……というわけなんですよカーラさん。楡の樹には駒鳥が巣を作ってるんです、青くてまん丸い卵がなんと3個も」
「わかった行くわ、行けばいいんでしょ!ほんッとシツっこい……」

婦長はカーラの車椅子を押して中庭に行き、優雅な散策を楽しんだ。
カーラは大抵の場合顔も上げず本を読み、婦長も言葉少なかったが、時折鳥の囀りが響いたり噴水の虹を見た時などは、どちらからともなく目を合わせてしまうこともあった。
カーラは徐徐に婦長以外の人々にも馴染んでいった。
大魔女カーラ・ウィンストンの威名を敬遠していた看護婦や入園者も、彼女の毒舌が素直になれない照れの裏返しと悟ると、和やかに挨拶してくれるようになった。

「カーラさんはどうしてここに入られたんですか」

ある時、中庭の芝生に立った婦長はカーラに聞いてみた。カーラは車椅子にかけたまま、中央の噴水に寂寞たるまなざしを投げる。

「最初に言ったでしょ、贅沢三昧の余生を送りたいって。家の連中も口うるさいしウンザリしてたの。当てが外れた」
「本当にそれだけでしょうか」

車椅子の背後にたたずみ、カーラと同じ方向を見詰めて呟く。

「僭越ながら、貴女ほど輝かしい功績を上げた魔女なら政府の庇護のもと安定した暮らしが送れたはず。大戦の褒賞に豪邸を授与されたと聞きましたが」
「家族にあげたわ」
「ご家族に?」
「私のカルテを読んだなら知ってるでしょ」

カーラ・ウィンストンには娘が3人と息子が1人、孫が8人いる。
彼女は一族の長なのだ。
カーラの眼差しがどんどん内にこもり、翳りを帯びていく。

「子どもたちは魔力を継がなかった。孫に至っちゃ全然普通の人間よ。末っ子の息子はとても出来がよくて、今は隣国の大学に留学してるの。大戦中は考えられなかったわ」

不老の呪いを受けた肉体は、時の流れから切り離されている。

「世界は平和になった。暗黒期を蒸し返すだけの魔女はいらない」

この国におけるカーラ・ウィンストンは大戦の勝利に貢献した英雄だが、隣国では戦時中に兵士を虐殺した極悪人。

「勝手なもんよね、戦争中は魔女サマ万歳ってあんだけもてはやしたのに、平和になった途端にてのひら返して。私たちに全部ひっかぶせて、とっとと隠居してくれなんて」

国内にもカーラの行為を非難する声はある。
年々大きくなっていく、と言った方が正しい。
魔女の個体数が激減し、戦争を知る世代も減った現在、カーラは英雄の座に胡坐をかいていられない。

「……しかたないか。人殺しなのはホントだもん」

カーラが自ら家を離れて養老院へ入ったのは、愛する家族を誹謗中傷に巻き込まないため。
ここは行き場のない魔女たちを集めた場所。
「私ね、死ぬまで家に帰らないって決めてるの。みんなにもそう言って出てきたわ」
ツンと澄まして断言、たおやかな人さし指で虚空に複雑な紋様を描けば、楡の大樹の枝から青い卵が浮上し、透明なクッションに包まれてでもいるように、二人の前へ浮遊してくる。
「駒鳥の卵、ですわね。綺麗な色……」
「ならよかった」

青く艶めく丸い卵。
脆くて壊れやすい命の器。
落としたらひとたまりもない。
自分の手をすり抜け、地面で砕け散ったあの子の姿が脳裏を過ぎる。

「安心して。落とさないから」

カーラの笑顔が不吉な胸騒ぎを癒す。
彼女が指揮棒のように指を回すと、駒鳥の卵はふわふわ宙に浮かび上がり、婦長が合わせた手のくぼみへゆっくり着地する。

「あ、あの、どうしたら」

卵の殻から伝わる雛の胎動とぬくもりに動揺が広がり、縋るようにカーラを見る。
カーラが透徹した目で婦長を言竦め、噛んで含めるように。

「あなたは悪くないわ、婦長」

あの子を手放したことも。
見捨ててきたことも。

「石化の呪詛を解ける魔女なんて片手で足りる程度しか世界にいない。その偉大な1人が何を隠そうともしないこの私だけど、要はそれ位レアな呪いなの。石化の呪詛はかかった途端に意識が封じられる、感覚的には死ぬのと同じ。殆どの場合治せないから、その時点で死亡と同じに扱われる。痛みも苦しみも感じず安らかに逝ける……」

おそるおそるてのひらを閉じ、あの時守れなかったあの子の代わりに、いとけない命を育む。

「アンタの息子さん、直前までお乳を吸ってたのよね」
「……ええ。とっても食いしん坊で」
「大好きな人に看取られて、幸せなまま逝けたのね」

カーラが囁くと同時に卵にひびが走り、小さいくちばしが殻を突き破る。

「あっ、あっ、カーラさん見て雛が、これもあなたの魔法ですか」
「私はちょっとの間借りただけで、待って婦長ダンスしないでわたわたしたら怖がっちゃうでしょ!」
雛が殻を破っている間は魔法で移動もできず、二人しておろおろ雛の誕生を見守る。
婦長のてのひらで孵った雛は、その後カーラが魔法で巣に戻した。

カーラの容態が悪化したのはその1か月後だった。
夜にベッドで血を吐いたカーラのもとへ最初に駆け付けたのは、当直の婦長だった。

「カーラさん、大丈夫ですか!?しっかりしてください、今お医者さまを」
「婦長どこ」
「目が見えないんですか?」

絶句する。

「ああ、ここね、よかった」

宙に翳された手が婦長の二の腕を痛いほど掴む。

「急に視力が落ちるなんて……」

遠くから看護婦たちが慌ただしく駆けてくる。
殺到する足音を背中で聞きながら、婦長はある事に気付いてハッとする。

「魔法?」
「勘、が、いいのね、かはっ」

あきれ半分感心半分の苦笑いでカーラがぼやき、さらに吐血して寝間着を赤く染める。
婦長はえずく背中を必死にさする。

自分は馬鹿だ、どうしてすぐ気付かなかった?
駒鳥の卵の色に見とれる婦長に、カーラはなんて返した?
「ならよかった」……実物を前にして、あんな他人行儀なセリフを言うはずがない。

「ここに、来た時は、まだ少しは見えてたの。真っ白は、光の反射で、わかりやすいから。それからだんだん見えなくなって……」
「なんですぐ言ってくれなかったんですか。検査は?」
「どこもかしこもボロボロすぎて、視力は盲点だったんでしょうね。年をとれば老眼は当たり前だもの」
「本を開いてたのは」
「読んでるふり、してただけ。内容は全部暗記してるし、辻褄はいくらでも合わせられる」
「どうして」
「大魔女カーラ・ウィンストンがめくらになったなんて笑われるでしょ」

魔女は異常なまでに直感に優れている。
カーラほどの大魔女となれば盲目の状態でも周囲に魔力を巡らし事物の把握は可能だ。どこに何があるかさえわかれば日常生活に障りはなかろう。
ただし色は認識できない。

「寿命だもの」
「何を弱気な」
「日に日に魔力と体力が弱まってくのがわかるの……皮肉よね。見た目はあざと可愛い小娘のまんま、中身はあした死んだっておかしくないおばあさんなのよ」
「あざと可愛い小娘を自称する厚かましさが健在なら当分安泰ですね、何人もの患者さんを見てきた私が保証します」

わざと冗談めかして叱咤、咳き込むカーラの肩をくり返しさすっていると、白くかじかんだカーラの手が上から重なる。

「死ぬのはいいの、みんな死ぬ、どうせ死ぬから。私もいっぱい死なせちゃったから」

湿った瞼を瞬き、盲いた目を不安げにさまよわせ、手探りで婦長の顔の輪郭をたどる。

「でも、この姿はやだ」

途端に口調が子どもっぽくなる。
微動せぬ婦長の肩に頭をうずめ、その手に両手で縋り付き、カーラが続ける。

「こどもと並んでも、かはっげほ、親子に見えない。孫と並んでも、けはっ、おばあちゃんに見えない」

カーラ・ウィンストンはずっと孤独だった。
三人の娘と一人の息子、八人の孫に恵まれてもなお遠い昔にかけられた不老の呪いは愛する家族から彼女を分け隔て、切り離し、苛み続けた。

白濁した瞳から滴るぬるい雫が婦長の手の甲で弾ける。
「ずっと若いまま、なんて、ひどい呪いよ。あの人と一緒に老いたかった、のに」

若く美しく健康なのは呪われた外側だけ。
その外側のせいで周囲にどんどんおいていかれる。
身体と心がちぐはぐで、中身に降り積む時間に外側が追い付かない。

婦長はカーラを抱き締める。

「呪いを解く方法は?」
「私を誰だと思ってるの?世界に名だたる大魔女カーラ・ウィンストンよ、もちろん方々手を尽くしてさがしたわ、絶対といてやるって決めて十年、二十年、三十年……四十年、五十年……その間に子どもに背丈をぬかれて、孫に背を追い抜かれて、あの人はお墓に入っちゃった。キレイだね、カワイイねってそりゃあみんな褒めてくれるわよ。戦争の英雄の大魔女サマ、不老の呪いを被った悲劇のヒロイン、みんな大好きでしょ?この姿は伝説に箔を付けた……ずっと少女のままでいられて羨ましいですなんて、私の本で大儲けした馬鹿ジャーナリストも言ってたっけ」

人の気も知らないで。

「即効性がないからってなめてたわ、不老の呪いは私が墜とした魔女の復讐よ、息絶える間際に全力で放った呪いがどんだけ人の心をズタズタにするか、アイツは知ってたのよ」

呪詛が憎悪に軋む。

「あなたならわかってくれるでしょ、大好きな人たちとおんなじ時を過ごして、おんなじように変わってけないのが……変わらないからこそ変わっていく人たちにおいていかれるのがどんなに辛いか」

夫と息子に先立たれ、独りぽっちの貴女なら。

「ホントならあなたとおそろいの白髪のおばあちゃんになれたのに。お似合いの茶飲み友達になれたのに」

悔しそうに歯噛みし、開き直って笑いだすカーラ。情緒が不安定だ。
漸く駆け付けた医者と看護婦がカーラに手早く処置を施し、シーツを取り換えたベッドに再び寝かす。

「婦長、いる?」
「ちゃんといますよ。今晩は……いえ、これから毎晩一緒です」

傍らに付き添って手を握り返す婦長。点滴を通されたカーラの胸が大きく上下し、やがて平らになっていく。

瞼が半ばまで下りた瞳は虚ろに濁り、生命の源の燐の炎が今にも消え失せてしまいそうで、婦長はギュッと手を握る。

「よかった……」

安堵の吐息。
焦点の合わない目が声を頼りに横手を振り仰ぐ。

「逝く時はあなたが看取ってちょうだいね」
「馬鹿おっしゃい!」

たどたどしい懇願を嗜めるものの、カーラは力尽きて瞠目。

「いいの……死ぬのは。もういいの。家族に会えないのもいいの、見舞いにくるなってキツく言ってあるから」
「どうして……」
「皆わからないの、私の見た目が若くてキレイで健康だから。中身はボロボロのおばあちゃんだって、頭じゃ理解してても心がわかってくれないの。私もがんばって元気なふりしてたけど……今のすがた見たら、どうしたって自分たちを責めちゃうでしょ。あの時もっとこうしてやればよかったとか、普通のおばちゃんにするように手を貸してあげればよかったとか。まっぴらごめんよ、可哀想にと同情されて、美しく息を引き取るなんて。末永くあの子たちの罪悪感の種になるなんて。ホントはね、皺だらけのおばあちゃんになって、誰がどう見たって生き汚くあがきぬいたって思ってもらいたい」

皺も、たるみも、老人斑も、勲章だと誇りたい。

「死ぬときまで人間離れしたままはいやよ」

カーラの目尻からこめかみへ流れる涙を婦長が拭く。

「薄命の美少女ぶった弱音を吐かないで、貴女の本性は横暴で厄介な老人でしょ?何くそって歯を食いしばって、立派に往生してやらないでどうしますか」
砕けた敬語で懸命に言い聞かせば、カーラが弱々しく微笑んで眠りに落ちる。
「貴女が看取ってね。約束よ」

カーラは日に日に衰弱していった。
最初の頃の彼女が食事にケチを付け下げさせたのは、食の細さをごまかす為の芝居だった。
カーラはずっと虚勢を張り、気丈に振る舞い、世間がそうあれかしと望む大魔女カーラ・ウィンストンの虚像を演じぬいてきたのだ。

婦長は懸命にカーラの世話をした。
もはやベッドに臥せって起き上がれないカーラの身体を丁寧に拭き浄め、下の世話をし、見えない眼の代わりに見えた景色を伝え聞かせ、遠い昔に息子に唄った子守歌を口ずさんだ。

窓を開けておくと爽やかな風や心地よい日差しと共に、駒鳥の囀りが吹き込んでくる。
澄んだ旋律を耳にしたカーラは顔を綻ばせ、婦長に囁く。
「あの子、達者でやってるわね」
「巣立ちの日も近そうです」
駒鳥の卵を握るように、カーラの冷えきった華奢な手を包んであたためる。カーラは握り返す力も尽きて、億劫そうに瞼を動かす。
「初めて会った日のこと覚えてる?」
「はい」
「たくさんイジワルしてごめんなさい。貴女の白髪があんまりキレイで嫉妬しちゃった」
「患者さんに手を焼かされるのも仕事のうちです」
「私たちが並んだらおばあちゃんと孫娘にしか見えないわね」
「孫娘の車椅子を押す祖母ですか」
「友達に見えたらよかった」
カーラがか細く掠れた声で呟く。婦長は目を閉じて反芻する。
「友達です」
「くだらないおとぎ話みたいに、好きな人のキスで呪いがとけたらいいのに」

カーラは目が見えない。
彼女の眼が光を失って久しい。

鎮静剤で痛みもなく、点滴の効果で朦朧としたカーラの傍らに立ち、婦長は小さく息を吸い、彼女の上へと覆いかぶさる。
カーラの唇に羽毛の軽さで触れ、どうか神様、もしいるなら今この瞬間に呪いをといてくださいと祈る。
カーラは動かない。
黙ってされるがままになっている。
凍えた唇からひたひたと水位を上げて迫りくる死の予感に怯み、婦長は詫びる。

「…………すいません」

私ではこの人を救えない。

どうしようもない無力感と、またしても愛する者に先立たれる絶望にうなだれれば、予期した現実がもたらされたカーラは泣き笑いに似て歪に顔を崩す。
「なまじこの姿だと一人称改めるタイミング掴めなくって、喋り方も子供っぽいまんまできちゃった」
「カーラさんらしくていいと思いますよ」
「そっか。そうよね。おばあちゃんだからって無理してワシって言ったり、語尾にじゃ付けてしゃべんなくてもいいわよね」

その後、カーラは昏々と眠り続けるようになった。

日中でも目を開けている時間は極端に減り、やがては呂律も回らなくなる。

記憶の混濁のせいで婦長を娘や母と間違え、無邪気に甘えかかることさえあった。

そのたび婦長は根気強く相手をし、カーラがまどろみ始めれば窓を開け、順調に育っている雛の囀りを聞かせてやった。

最期の日。
処方された薬が利いたのか、カーラは静かに深く眠っていた。
医者が匙を投げたカーラの病室は既に人払いされており、婦長と彼女ふたりきりだ。
婦長はカーラとの約束を守る気だ。
ベッドで昏睡するカーラは白皙の面立ちのまま、なめらかな肌には皺一筋も見当たらない。
ふと囀りに導かれて窓の外を見れば、愛くるしい駒鳥が青空を横切っていく。
雛の巣立ちだ。
婦長は足音を忍ばせてベッドに歩み寄り、カーラの長い髪をやさしく梳る。
カーラが目を開けたのは奇跡だった。
「おはようございます、カーラさん」
「…………」
「聞こえますか。あの子が巣立ちましたよ」
白く濁った眼を囀りの方へ向け、顔に降り注ぐ木漏れ日に安らぐ。
「……あなたは……」
婦長はカーラの髪をかきあげ、無防備にさらした耳元に自分の名前を告げる。
「……しらない……」
「カーラさんのお友達ですよ」

最後まで様は付けない。

「真っ暗……今は朝?昼?はやくご飯作らないと、あの人が帰って来る。手紙のこと相談しなきゃ……今度大きな戦争するから私も来なさいって、国の偉い人に命令されちゃった。喧嘩、苦手なんだけどなあ。呪いなんてかけるのもとくのもめんどくさい……」
朦朧と口走り、時系列が錯綜する追憶に沈むカーラの前髪をかきあげる。
「私たちがおばあちゃんになる頃には戦争なんてとっくに終わってますよ」
「だといいなあ」
「約束します」
「……」

呼吸がどんどん間遠で緩慢になり、長い睫毛が縁取る瞼が儚くたれていく。
それきりカーラは動かなかった。
婦長は約束通り、大魔女カーラ・ウィンストンの最期を看取った。

「……おやすみなさい」
友の永眠を見届け腰を浮かしかけた時、カーラの枕元の本が偶然目にとまる。
戦争中の体験を思い出すからと、ずっと避けてきた本を手に取ってみたのはいかなる心の働きか。

今は亡きカーラの軌跡を知ろうとして。
あるいは友の大往生に立ち会って、過去は過去として綴じ直す心の整理が付いたのか。

本を開くと同時に中に挟まれた封筒が滑り落ちる。
婦長は軽く目を見張り、その場で封筒を破いて手紙を読む。
それはカーラが生前したためた、婦長へのあるお願いを書いた手紙だった。
婦長の顔が悲哀に歪む。

手紙を白衣の胸に押し付けて上を向き、目尻に滲んだ涙が引っ込むのを待ってからカーラの亡骸に被さり、まごころをこめたキスをする。

次の瞬間、不思議な事が起きた。

ベッドに横たわるカーラの亡骸、白花石膏さながらすべらかな肌が急速にしぼんで皺でたるみ、髪が根元から毛先にかけて真っ白に染まっていく。
婦長は驚愕する。

カーラの身体はひと回りも縮んでしまい、結晶のようにきらめく白髪が腰まで流れ、全ての変化が収束したあとベッドに寝ていたのは、不思議と満ち足りた表情の小柄な老婆だった。
反比例していた時計の針が正しく調整され、精神と身体が黄金律で噛み合った、生涯で一番美しいカーラ・ウィンストンの姿に見とれる。



死んだらもういちどキスをして。
それがカーラの願いだった。



カーラ・ウィンストンの葬儀は国を挙げて大々的に執り行われた。
「棺の中身と対面したご遺族はさぞ驚かれたでしょうね」

からっぽのベッドの端に掛け、語り終えた婦長が儚げに微笑む。

「不老の呪いがとけた理由は、ただ単に生命活動が停止したからかもしれません。世の中そこまでロマンチックにできてません」

婦長のシビアな見解に異を唱えたのは、フラッシュを焚くのも忘れ、カーラ・ウィンストンの知られざる晩年の逸話に聞き入っていた記者だった。
洟を啜った記者は、表情を引き締めて告げる。

「魔法がまだ生きてるんなら、お姫様のキスで呪いがとける結末があったっていいじゃないですか」
「ちょっとばかりご都合主義じゃありませんこと?」
「死んでからでは遅い、とも思いません」

胡乱げなまなざしを受けて立ち、ひたむきな情熱で弁明に回る。

「カーラ・ウィンストンは本当の姿で死にたかった。あなたがそれを叶えた。老女の棺を囲んで子供と孫が号泣したところで誰も怪しみません、カーラ・ウィンストンは皆に惜しまれて大往生したと、大陸中の、いいえ、世界中の誰もが思うに決まってます。彼女は正しく死ねたんです」

記者の熱弁を受けた婦長は、哀しみを達観で濾した表情で窓を開け放ち、新しい季節を運ぶ風を部屋に入れる。

駒鳥の雛が巣立った青空の彼方に目を据え、婦長は喪に服す。

「取材をお受けしようかどうか本当は迷いました。ですがどうしてもこれだけはお伝えしたかったんです、大魔女カーラ・ウィンストンが決して巷間言われてるような素晴らしい人物ではないと。わがままで自分勝手、おまけに酷い偏食で看護婦たちの手を焼かせて、一旦癇癪をおこすと魔法で物を壊しまくるのにはほとほとまいりました。お母さんと呼ばれた朝も、娘の名前で叱られた昼も、苦しい痛いと訴え続け、離れられない夜もありました」

目を閉じて亡き友人の面影を回想、そよぐカーテンに映えて振り向いた婦長の顔は、清々しい笑みに輝いていた。

「美化も誇張も一切いりません。カーラ・ウィンストンの最期はとことん生き汚くあがき抜いた末の、それはそれは見事な大往生だったと、どうかありのままにお伝えくださいましね」
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