broken bell

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四話

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「愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。愛は妬まず、高ぶらず、誇らない。見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。愛は決して滅び去ることがない」
またもや聖書から引用したらしい、別れ際の言葉を思い出す。
「俺様ちゃんたァ真逆」
「すべてを望み、だけは合ってるんじゃないでしょうか」
「大それたこたァ望んでねえ」
「蟲中天のトップを獲るのに?」
職務上の口の固さを信用し、コイツにだけは野望を打ち明けていた。
「たまには早くお帰りになられてはいかがですか。毎晩ストレス発散に使われては体がもちません」
几帳面に襟を詰め、眼鏡を掛け直し、みだれた赤毛を撫で付ける。
「私がむかし組んだラトルスネイクは人を殺めた手で女性に触れるのを躊躇いません。もっと図太くガサツで無神経な人です、アナルセックスの後にフェラチオさせる位には」
「よっく言うぜ準備万端だったじゃねェか、俺が来んの見越してケツ洗って待ってたくせに。どうやって掻きだしたんだ、テメェの指でやったのか、浣腸プレイが好きなのか」
「次は告解室へお越しください、懺悔ならいくらでもお付き合いしますよ。ただの愚痴でもかまいません、そこそこ長い付き合いですからね、主の御心に添いサービスしましょうか」
黙って聞いてる呉ではない。ぶん殴りブチ犯し黙らせてきた。


神父をさんざん痛め付け気が済んだあと、チャイナタウンの下町に車を飛ばす。
気怠い足取りでアパートの階段を上がり、ドアを開ける。
「飯は?」
夜鈴はこちらに背を向け、台所に立ち尽くしていた。華奢な肩が力なくうなだれている。豊かな黒髪を結い上げている為、ほっそりしたうなじが丸見えだ。


痩せたなと思った。
娼婦をしていた頃はもっと肉感的な体をしていた。


「テーブルにあるわ。温め直しましょうか」
「手間だろ」
「温かい方がおいしいでしょ」
「冷めてもうまい」
お前が作ったもんなら。
気恥ずかしい前半は省略し、無造作に引いた椅子に掛けて肩を回す。されど夜鈴は頑として譲らず、無言で歩いてきて繰り返す。
「やっぱりあっためる」
円い卓上にはすっかり冷めきり、白い脂が固まった料理が犇めいていた。中央の大皿には呉の好物の総菜が盛られている。それぞれ小皿に取り分けて食べるのだ。
夜鈴が大皿を抱えて台所に戻り、電子レンジに入れる。
「シーハンは?」
「もうねたわ」
何時だと思ってるの、言外に非難を含んだ報告に鼻白む。
「今夜も遅かったのね。早く帰ってこれるっていうから沢山準備して待ってたのに、もったいないわ」
「飯は食ってねェ」
免罪符のように呟く。微妙な空気。夜鈴は物憂いため息を吐き、鍋の中身をお玉でかき回す。
こんなに口うるさい女だったろうか。出会った頃はもっと陽気で明るかった。子供を産んでから神経質になった。
愛人の小言を適当に聞き流し、料理が温まる間に娘の顔を見に行く。シーハンは熟睡していた。
どんな夢を見てるのだろうか。無邪気な寝顔に絆され手を伸ばし、そっと頭に置く。

『私がむかし組んだラトルスネイクは人を殺めた手で女性に触れるのを躊躇いません。もっと図太くガサツで無神経な人です、アナルセックスの後にフェラチオさせる位には』

うるせえよ。

「できたわよ」
夜鈴の呼びかけで我に返りダイニングへ赴くと、温め直された総菜が食卓に並んでいた。
「お前は?」
「先に食べたわ。シーハンと一緒に」
「そっか」
椅子に座る。箸を取る。正しい持ち方を教えてくれた男の顔が過ぎり、ほんの少し不快になる。
まずは澄んだ湯を一口啜り、五臓六腑に染み渡る地味を堪能する。夜鈴自ら具を捏ねて包んだエビ餅も絶品だ。
「イケる」
「よかった」
箸と皿が触れ合いカチャカチャ音をたてる。旺盛な食欲で遅い晩飯をたいらげていく呉を見守り、夜鈴が言った。
「ねえ浩然」
「ん」
箸で総菜を摘まむ。咀嚼と嚥下を繰り返す。
「どこ行ってたの」
「内緒」
「浮気?」
「ちげーよ」
「麻雀?」
「腐れ縁の所」
「前に組んでたっていうひと?その人と飲んでるの?それにしちゃお酒の匂いしないけど」
「酒は飲んでねー。相手は神父サマだぜ、禁欲してんだよ。何が面白ェんだかな」
馬鹿にした口調で言い放ち、ごまかす。対面席に腰掛けた夜鈴が急須を傾け、猪口に中国茶を注ぐ。仄白い湯気に乗じ馥郁たる香りが漂い、部屋中に広がっていく。
「今月何回一緒に食べたか覚えてる?」
うんざりするも顔には出さず、「四・五回じゃねえか」と答える。
家族揃った食卓を避けるようになったのは、出世と共に忙しさを増す仕事に加え、所帯じみた小言と詮索に嫌気がさしたから。
「浩然」
また名前を呼ぶ。
気品あふれる所作で茶を啜った夜鈴が、長い睫毛に縁取られた目を伏せ、続ける。
「最近シーハンの声聞いた?」
「あん?」
意外な指摘に虚を衝かれ、総菜に伸ばした箸が止まる。夜鈴はあきれた。
「やっぱり気付いてなかったのね。喋らなくなったでしょ、あの子」
「帰る頃にゃとっくに寝てっし」
シーハン以前に育児の経験は皆無な為、他人の子供と比べた発育の優劣などまるでわからない。
ともあれ、シーハンのそばにいる時間が一番長い母親がそういうならそうなのだろうと納得する。
「ご近所さんや蟲中天の人にはもとから口が利けないって思われてるみたい」
「言わせとけ」
「娘がいじめられてても?」
まなじりが吊り上がる。
「いじめられてんの?誰に」
「近所の子たち。外で遊ばせてる時偶然見ちゃったの、あの子が……」
「鱗持ちだから?」
「貴方が父親だから」
間髪入れず返された言葉には、強い非難がこめられていた。
「マフィアの娘、人殺しの子っていじめられてた」
「ほっといたのか?」
「大急ぎで連れ帰ったわ。ずっと泣いてた」
「連中の家は?」
「え?」
「近所なんだろ」
食事の途中で箸を放りだし腰を浮かす。
「何する気」
「直談判。二度とウチの娘に手ェだすなってヤキ入れにいく」
「相手は子供よ」
「骨の一本二本すぐ繋がる、かえって丈夫になるさ」
「無茶苦茶よ」
「マフィアなのも人殺しなのも俺様ちゃんだ、なら直接言えってんだ」
「喋らなくなったのはいじめられて傷付いたからだけじゃない、大好きな爸爸にかまってもらえないからよ、全然家にいないじゃない」
猪口の底を卓に叩き付けてなじる夜鈴に対し、耳垢をほじくって吹き散らす呉。
シーハンの変化に見落としたのは不覚だった。忸怩たるものを感じる一方、夜鈴が事を大袈裟にしすぎてる疑惑が芽吹く。
「まだ三歳だろ。言葉の早い遅いなんて人それぞれじゃねえか、心配するこたねェ、絵本でも読み聞かせてやれ」
「貴方がやってよ」
「がらじゃねえ」
「子供は友達と遊んで自然と言葉を覚えるのに、仲間外れにされてちゃそれもできない」
愚痴っぽい言動にいらだち、テーブルに両足を落とす。
「だ~か~らちょちょいのちょいって懲らしめてやるって言ってんじゃねーか、なんなら親にカネを」
椅子を蹴立てる音が響く。
「夜鈴?」
食卓を離れ台所へ行った夜鈴が、頑なに腕を組む。
「近所にお金をばらまいて、うちの子の友達になってくださいって頼んで回るの」
「一番手っ取り早え」
「シーハンの気持ちは?」
「ばれなきゃ問題ねェ」
何を問題視してるのかわからず断言すれば、重苦しい沈黙が落ちた。
「どうして?」
たっぷり数十秒が経過した頃、呉に背中を向けた夜鈴が、か細く震える声を紡ぐ。
「どうしてマフィアを辞めるって言ってくれないの」
「はあ?」
肩が震えている。
「次の休みは一緒に遊んでやるとか、これからはなるべく早く帰ってくるとか、他に言うべきことたくさんあるはずでしょ」

またこれだ。

徒労感も露わに急須をかっぱらい、荒っぽく茶を注ぐ。
「辞めてどうする。テメェが体売んの?」
「ッ、」
「俺様ちゃんが働いてっから食ってけるって忘れてねェよな、小姐」
「……友達に頼んで新しい仕事を紹介してもらうから」
「スーパーのレジ打ち?食い物屋の給仕?公衆便所の清掃係?なあ言ってみろ夜鈴、俺様ちゃんに向いてる仕事ってなんだよ、腐れ外道な鱗持ちに真っ当な就職先あるってのか?あったとしても願い下げだね、忍耐なんざくそくらえってんだ、明日どうなるかもわかんねー世の中でおっ死ぬの怖がってちょろちょろ這うのはガラガラ蛇の流儀じゃねえ」
「怒らないでよ。私は危ない事をやめてほしいだけ、父親の自覚を持ってほしいの」
「何が不満なんだ」

壊さねェで抱くため、壊さねェでなでるため、赤の他人の血で汚れた手を洗って新しい服に着替えて帰ってくんだけじゃ足りねえのか。

良い夫良い父親とやらでいるために、サンドバックを抱き潰すのが裏切りだってのか。

「子供ができれば変わると思った。けどあなたは破滅的な生き方をちっとも改めない、それどころか日に日に自暴自棄が加速して死に急いでるみたい。傍で見てるこっちはヒヤヒヤしどおしよ、この年で未亡人になりたくない。シーハンだって」
「シーハンシーハンうるせえよ、今は俺とお前が話してんだ、ガキを切り札に使うんじゃねえ」
「そうやってすぐキレる。聞いてよ浩然、あなたはたしかにクズよ、女を犯して売って殺して荒稼ぎしてたのは知ってる。裏じゃ色々汚い仕事やってることもやらされてることも知ってる、嫌でも耳に入ってくるの。老大哥に拾われた恩があるから逆らえないっていうひともいる、親代わりだったんでしょ」
「はッ!」

笑いそうになった。
悪い冗談だ。

「抗争に組織の裏切り者の始末、あとは何?今はどんなことしてるの。前は話してくれたじゃない。でも今は……教えてくれないから知らないまんま、うちで待ってるしかないのがどんなに辛いか。もし帰ってこなかったらどうしようって、不安で眠れなくなるの」

出会った頃はなんでも話せた。過去の事も。

今は

「どうしてよ」

失いたくない。

「テメェが心配性すぎんだ。帰ってきたんだから不問に伏せよ」
勢いよく猪口が転がり、卓上に中身が広がりゆく。
「私の目を見て答えて、浩然」
夜鈴が深呼吸する。
「……先週、裏切り者一家を皆殺しにしたって本当?」
「是」
「小さい子もいたのよね。シーハンと同い年の」
男は金庫番だった。こともあろうに組織の金を横領していた。幹部は大層怒り、呉に「嬲り殺せ」と命じた。

だからそうした。

「俺が撃ち殺した。二親の前で。ずどんと眉間に一発、あっけねえ」

夜鈴の顔が極大の怒りと嫌悪に歪む。

「身を挺してガキを庇った金庫番と母親にも後を追わせた。これで満足かよ、聞きてえこと聞けてよかったな。で、拍手は?人に話させておいておひねりも投げねーとは、お高くとまったヤな女だぜ」
止まらない。止められない。
夜鈴を饒舌に罵り、鋭く尖った犬歯を剥いて喚く。
「序でにいうとこれが初めてじゃねえ、もう何回もやってらあ。テメェがシーハンとおうちできゃっきゃっしてる間、こちとら裏切り者とその家族を消してまくってカネもらってんだよ」
「レイプに加わったの」
「潔癖ぶんじゃねーよ偽善者。俺がどーゆーヤツかわかった上で所帯を持ったんだろ、マフィアと添い遂げる覚悟もねえのに孕んだならお笑いぐさだな、売女上がりが夢見すぎだ。ヤッたかどうか知りてえのか?やっかみ?んじゃ教えてやるよ、俺は一番槍、後ろに並んで待ってる可愛い舎弟の為に道付けてやったんだ。泣いて嫌がる女を力ずくで押さえ付けて」

顔面にぬるい茶を浴びせられた。

「出てって」

考えるより早く体が動く。
眼前に並んだ料理を薙ぎ払い、食卓を蹴り倒し、たまたま手近にあった灰皿をぶん投げる。灰皿は重厚なガラス製で当たったら大怪我は免れまい。
頬を掠めて壁で砕け散った灰皿を一顧だにせず、挑むように呉を見据えて口を開く。
「顔も見たくない」
腹立ちがおさまらない。衝動に任せて暴れ回る。騒音に驚いたシーハンが火が付いたように泣き出す。うるさい。
奇声を上げて壁を殴る蹴るし、下品極まる中国語の悪態を放ち、棚に飾った調度品を端から端まで叩き落としていく。一切合切ご破算にする。
「シーハン!」
すかさず子供部屋に駆け込んだ夜鈴が、泣きじゃくる娘を抱き締める。
「よしよし、怖くない」
一生懸命娘をあやす夜鈴から顔を背け、皿の破片が散乱する部屋の真ん中に立ち尽くす。


虚しかった。


言い訳はせず家を出る。夜鈴は追ってこない。シーハンはまだ泣いていた。外の通りまで声が聞こえてくる。
家族ごっこが上手く行ったのは結局少しの間だけ。
シーハンが物心付き始めてからこっち、夜鈴はことのほか口うるさくなり、マフィアを抜けろと促すようになった。


貧しくてもいい。
親子三人、穏やかに暮らしたい。
それが夜鈴の切なる願い。


されど呉はもっと上を目指した。
次第にすれ違いが増え始め、毎日のように喧嘩を繰り返し、やがて家に寄り付かなくなった。
拳が痛い。血が出ていた。二股の舌先で傷をなめ、夜の帳が下りた中華街をあてどなくさまよい歩く。
頭の中に夜鈴の言葉が反響し、胸糞悪さに吐き気を催す。
「待てこら当て逃げか、慰謝料払えよ」
肩に衝撃。後ろで馬鹿が喚いてる。無視して行こうとして、またも腕を掴まれた。
「蛇野郎が」
振り返る。調教師が、二度と会いたくない顔がニヤニヤ笑っていた。
脳裏で閃光が爆ぜ、記憶がとぶ。
そのあと起きた出来事は切れ切れにしか覚えてない。何度も何度も拳と足を振り上げ振り下ろし半殺しにした。野次馬が騒いでいた。手の甲に折れた歯が刺さった。
別人だと気付いたのは、男が地面に突っ伏し動かなくなったあとだ。


娼館に行った。
女を買った。
酒池肉林に溺れた。
疎遠になっていた愛人宅を訪ね、朝から晩までセックスに耽り、高級料理店を貸し切って仲間におごり、ぶっ続けでどんちゃん騒ぎをした。


最高の女を侍らし最高の酒をらっぱ飲みし最高の飯をかっくらえば、嫌なこと全部忘れられる気がした。


どこで間違えた?
最初から?


呉の生活や言動が正視に堪えざるほど荒れても与えられた仕事さえこなせば上は不問に伏す。
老大哥はむしろ喜び、屋敷で暮らせと言ってきた。お断りだ。
娼館や愛人宅を自堕落に渡り歩いた末流れ着いたのは、十数年来の付き合いの神父のもとだった。                 






コンクリート打ち放しの殺風景な地下室。痩せた少年が隅っこで膝を抱えている。
熱でもあるのだろうか、火照った顔を俯け、ギュッと膝を抱き締めている。
右半身は灰緑の鱗で覆われていた。両目は琥珀の虹彩を持っていた。縦長の瞳孔は最も忌み嫌われる爬虫類系ミュータントの特徴。
ここが少年の部屋だった。
調教とショー、得意客に指名された時間以外はここで過ごす。分厚い鉄扉には外から鍵が掛けられ、脱走を封じていた。
長期間監禁されていると時間の感覚が失せ、今が何日かもわからなくなる。
これでも待遇は向上した方だ。以前は他の商品と大部屋で雑魚寝をしいられていた。起きたら隣のヤツが死んでいたこともある。
専用の部屋への移動は老大哥の指示によるもの。体の傷はずいぶん癒えた。
壁際のパイプベッドの他に特筆すべきインテリアといえば、中央に鎮座するブラウン管テレビに尽きる。
昔はバスルームに住んでいた。リビングに出ようものなら飲んだくれの父親が怒り狂い、酒瓶を投げ付けてきた。
テレビ番組をちゃんと見たのはここに来てから。少年の境遇を憐れんだ老大哥が特別に贈ってくれたのだ。

テレビは最高の娯楽になった。
初めて見た時はこんな面白いものが世の中にあったのかと仰天し、がらにもなく感動した。
調教とショーと得意客の相手をする時間以外監禁されていた少年は、テレビを通して外の事を学んでいった。
ブラウン管テレビの画面では、駆け出しコメディアンがジャグリングをしていた。

『ハッピーラッキーピンキーヘッド、スタジオにお集まりの皆々様、俺様ちゃんの天才芸をとくとご覧じろ!見事成功の暁には父ちゃん母ちゃん僕ちゃん嬢ちゃん、口笛ピーピー拍手喝采頼んだぜ』

軽妙な口上に客席がドッと沸き、少年の顔にもうっすら笑みが浮かぶ。
頭を真っピンクに染めた若手コメディアンは、少年の一番のお気に入りだった。

『あちゃ~灯台下暗しでまた失敗、人生上手くいかねーもんだ。今回の放送は楽しんでくれたかな?来週もまた見てくれよ~』

憧れのコメディアンをまね、こっそりくすねた匙とフォークで曲芸の練習をしている最中、鉄扉が軋んで開く音がした。

『きちゃった』

得意げに鍵束を掲げ、ブルネットの少女がチャーミングに微笑む。

『ひとりで何やってんの。芸人でもめざしてんの』

うるせえよ。

『ばかねえ、どうせ出れないのに。アンタが好きなのってアレでしょ、よくテレビに出てるピンク頭の』

ほっとけ。

『ショッキングピンクに染めるとかセンス悪~。下の毛も染めてんのかな?でもさァ、見た目から変えてみるのもアリっちゃアリかもね』

指にくるくる髪を巻き付け、もったいぶった言い回しで。

『あたしたちアブノーマルはどうあがいたところで見た目で差別される、フツーと違うだけでキモがられる。だったらいっそ開き直ってさァ、こそこそ逃げ隠れすんのやめてドーンと目立ちゃいいのよ』

にっこり微笑む。

『アンタも染めてみたら?頭ン中パーッと華やいで人生楽しくなるかもよ』

ふと少年の様子に目をとめ、形よい眉をひそめる。

『すごい汗。熱あるの』

あっちいけ。

『ひょっとして、何かされてる?』
唇を噛んで俯く少年ににじりより、耳を澄まし、下半身から漏れ聞こえる音に舌打ち。
『……ホントいい趣味』

ぱくったの?鍵。

『アンタに会いに行くって言ったらあっさり貸してくれた。ダーリンは優しいからアンタの事心配してんの、ここじゃあたしに並ぶ古株だしね』
少年の顔を手挟んで固定し、真剣な表情で囁く。
『私は生きてここを出る。必ず。その時……もし余裕があったら、アンタも連れてったげる』

なんでだよ。

童貞と処女ヴァージン捧げ合った仲でしょ』

そんな事もあったけ。

『あたしの最初の男はアンタ。アンタの最初の女はあたし。忘れないで』

居丈高な靴音が止まるのを合図に鉄扉が開き、少女が素早く離れていく。
『時間だ』
専属調教師が迎えに来た。その横をすり抜け、あっというまに走り去る。
『蜘蛛がもぐりこんでやがったのか。リカルドにも困ったんだ、骨の髄までたらしこまれちまって』
顔を見た途端身が竦む。
調教師が少年の腕を掴んで廊下をひきずり、道具が揃った別室へ連れていく。
絶対転ぶまいと用心し、大股に歩む調教師にどうにか付いていく。
息が上がる。汗が滲む。腹が重い。調教師は時折振り返り、少年の様子をニヤニヤ眺める。
別室の扉を閉ざすや腕組みで命じる。
『まさかたァ思うが、勝手に外してねェよな』
頷く。
『見せてみろ』
言われるがままズボンを脱ぎ、後ろを向いて壁に手を付く。貞操帯でディルドが固定されていた。
『上も』
シャツを脱いだ。痩せた上半身。リングピアスを通された乳首は真っ赤に腫れあがっている。
少年は調教師のものだった。
一人部屋とベッド、テレビを与えられてもなお調教は継続している。便意や尿意を催した時は鉄扉を叩いて人を呼ばねばならない。
性根の腐った調教師は少年の懇願をわざと無視し、または遅れて来て、苦しみ悶える醜態を眺めるのを好んだ。
『五時間……半日?よくもったな、クソしたくて気が狂いそうだったろ』
調教師が少年と向かい合い、貞操帯を外していく。バイブホルダーに刺さったディルドを引き抜き、痛々しい傷口のように開いたアナルを三本指でかき回す。

調教が始まった。今日は騎乗位の練習。
上半身裸でベッドに横たわる男に跨り、自らの指でアナルをほぐし、勃起したペニスに手を添え導いていく。
乳首のリングにはテグスが通され、その先を調教師が握り、引っ張る力を調節していた。
『眠てェ腰遣いだな。サボんじゃねえ、背中が曲がってるぞ』
老大哥のお気に入りに昇格した少年をキズモノにするのはまずい、ならばばれない場所を痛め付ければいい。
男がテグスを引っ張るたび千切れそうな激痛が走り、乳首が変形する。
ピアスごと引っ張られた突起は薄赤く出血し、透明な体液をじくじく滲ませていた。
背筋を伸ばせばそのぶん乳首が引っ張られる、耐えきれず曲げたら曲げたで罰として引っ張られる。
腹の上で喘ぐ少年を激しく突き上げ、灰緑の鱗をいやらしく撫で擦る。
『どうだ?感じるか?ケツマンコが欲張って食い締めてんぞ、さっきまで入ってたでっけえディルドじゃ物足りねえとさ、はは』

対不起、許してくださいご主人様。

『どうやって老大哥に取り入ったか教えてくれよ』

ちぎれる。

『ッたく生意気なガキだぜ、調教師の俺様をさしおいて……仕込んだ手柄はナシかよ?変な告げ口してねェだろな』

してません。

『腰使え。跳ね回れ。もっと奥まで、抉り込むようにぐりんぐりん動かすんだ。にしてもうまそうな乳首だな、柘榴みてーだ』

いかせてご主人様。

『媚びろよ』

俺のケツマンコをご主人様の極太チンポで一杯にしてください。びんびんに勃起したクリ乳首いじめてください。俺はご主人様のもんです。生涯貴方に尽くします。めちゃくちゃにしてください。老いぼれ爺さんの萎びたチンポじゃ物足んねえ、貴方の太くて固いチンポで死ぬほど前立腺ぶっ叩かれてわけわかんねえ位イきまくりてえ、俺のスケベなメス孔に、ご主人様が開発してくれた双排泄孔にしこたま子種を注いで孕ませて。

『ドロッドロに蕩けたエロい顔で喘ぎやがって、ケツで孕めるド淫乱の蛇野郎が』

性急に弾む尻を掴む。

『腐れミュータントの双排泄孔に子種を注いでやる、感謝して受け止めな』

柔い尻肉に手が食い込み、荒々しく揉みしだき、肉の凶器と化した剛直が奥まで穿ち―





「起きてください」
隣に裸の神父が寝ていた。
「うなされてましたね。昔の夢ですか」
「俺様ちゃんが起きる頃に服着てねーなんて珍しい」
神父の体にもまた、幼少期の虐待の痕跡が刻まれている。賞金稼ぎ時代に負った傷痕もまじっていた。
「なんでベッドの上にいるんだ」
「貴方が寝ぼけてもぐりこんできたんじゃないですか」
神父は呉を床に寝かせていた。毛布を貸したのは温情だ。
既に日は高く、窓の外から温かい陽光が注いでいた。大あくびをかます呉を一瞥、心底迷惑している様子でため息を吐き、カソックに袖を通していく。
「いい加減お引き取り願えませんかね。修道女たちの噂になってますよ」
「俺様ちゃんとお前が深い仲だって?事実じゃん」
「喧嘩の原因は」
「言いたくねェ」
「マフィアを辞めろと直談判されましたか」
「心を読むな」
「顔色でわかりますよ」
苦笑いしてロザリオをかけ、窓の外で遊ぶ子供たちに愛情深い視線を注ぐ。
「女子供を手にかけた、鬼畜外道の所業を非難されたのでは」
「……」
「直接お会いした事こそございませんが貴方から伺った人となりを踏まえると、まあなんというか予想の範囲内でしたよ。自業自得の顛末とでも申しましょうか」
「ちったぁ慰めろ」
「十分慰めたでしょ、体で」
心外そうに訂正したのち、ベッドに寝転がる呉の隣に腰掛け、真摯な眼差しで言い聞かせる。
「変な意地張らず、見苦しく弁解すればよかったんですよ」
呉は煙草を咥えた。
気にせず続ける。
「組織の命令は一家皆殺し、できるだけ苦しめて殺せと言われたのに加減した。奥方を輪姦しただけ?娘は?」
「ガキに勃たねェよ」
「舎弟の方々は」
神秘的なパープルアイが澄む。
「貴方が止めたんじゃないですか、ラトルスネイク」

呉は過たず眉間を撃ち抜き、子供を即死させた。
苦しまなかったはずだ。
死に顔は安らかだった。

きっと地獄は見ずにすんだ。

「語るだけでも口が腐りますが、幹部の希望が『見せしめ』を目的とした『嬲り殺し』ならもっと残酷な手段がとれたはず。貴方はそうしなかった。両親の前で子を犯さず、事後に売り飛ばすこともせず、ただただ速やかに葬った」

最初に子供を撃った。
そうすべきだと思った。

夜鈴と恋に落ちシーハンをもうける前の呉浩然なら、一番最後に殺したかもしれない。
その手の嗜好を持った舎弟に、よちよち歩きの幼子を慰みものにする所業を許したかもしれない。

「俺様ちゃんは早ェとこ上がりてェんだよ。他のヤツなんざ知ったこっちゃねえ」

頭上に手を翳し、陽射しの切れっ端を握りこむ。

夜鈴は呉を軽蔑した。
無理もない、アレは誇り高い女だ。

「馴れ初め話したっけ」
「ノロケは聞き飽きました」

肩を竦める神父を無視し、眠たげな声で回想する。

「ある所にオンナがいた。若くてべっぴんで気が強えオンナだ。オンナは街角で客を引く娼婦だったが、強欲なポン引きにピンハネされるのに怒って、別の仕事にしてほしい、なんでもやるからと直談判した。オンナが立ち上がったのは我が身可愛さだけじゃなく、不当に搾取される仲間のためでもあった。ポン引きは最初てんで取り合わなかった。たかが売女と軽んじて、殴る蹴る暴力で言うこと聞かせようとした。ところがどっこい、オンナは引き下がらなかった。何度もくり返し直談判され、とうとうポン引きは折れた。別の仕事をあてがわれることが決まったオンナは、仲間たちと手ぇとりあって大喜び」

息を継ぐ。

「ここで終わりゃあめでたしめでたしでしめられたんだが、そうもいかねえ。オンナの新しい仕事はポン引きの知り合いんちにガキを送ってく事だった。オンナは喜んだ、もともと子供好きだったからな。楽しい仕事だった。後部シートではしゃぐガキどもに、ハンドルを握ったオンナは即興で面白い話を聞かせ、連中が知らねェ歌を教えてやった。一人は男、一人は女。兄妹だったのかな……ガキどもはミュータントだった。獣の耳としっぽが生えてたが、それ以外は人間とおんなじ。ガキどもの親が留守の間預けるだけだと聞かされた女はなァんも疑わなかった。仕事をはたした数日後、テレビのニュースでガキどもの写真を見た。下水に流れた死体。犯され、苛まれ、殺されていた」

夜鈴は強い女だ。
自分より弱い存在は無条件に守らねばと誓っている、そんな女だ。

「その時んなってオンナは知った、自分がなにをやらされたのかを。なにをしちまったのかを。直後、ブチギレた女は銃を引っ掴んでポン引きんちに殴り込んだ。びびりまくったポン引きは洗いざらい白状したよ。コイツはミュータントのガキを変態に売り付けて、そのアガリで暮らしてたんだ。オンナはポン引きの頭に銃を押し付けキッチンまで歩かせると、ヤツの前でミキサーのスイッチを入れて言ったんだ。自分の手を切り刻むか、脳髄吹っ飛ばされるか選べって」

怒った夜鈴はぞっとするほど綺麗だった。

「ポン引きの兄貴が駆け付けた時ゃひでー惨状、キッチンにゃ血と肉が飛び散って掃除が大変。オンナは銃を持ったまま、逃げるでもなく突っ立ってたよ。肝が据わってたんだな……マフィアが噛んだ仕事をほかして、テメェがどうなるかもとうぜん想像付いた。その上でこうのたまったのさ」

『このクズが二度と子供たちに手出しできないようにしただけよ』

「痺れたね。マジ」

運命なんて信じない呉が惚れたのは、自分の力で運命を切り開いてきた女だった。

「やっぱりノロケじゃないですか。仲直りしてください」
「やだ」
「部屋にいられちゃ困るんですよ、匂いがこもるし。娘さんだって寂しがってますよ」
「文句はアイツに言え」
「わかりました。連れてきてください」
「は?」
聞き間違いかと思って振り向けば、神父がにっこり微笑んでいた。
「どちらに非があるか、公平に告解を聞いた上で裁定します」
即ち、仲裁役を買って出たのだ。
あんぐり口を開ける呉。
煙草の灰が零れてシーツをこがし、神父が「危ない」と慌てる。
「貴方にも夜鈴さんにもそれぞれ言い分がある、我を通そうと意地を張り続けたところで平行線。そろそろ第三者が介入すべき時ではないでしょうか」
「セフレを本妻に引き合わせろって?」
「滅相もない、私はガラガラ蛇専用のオナホ兼サンドバックですよ」

コイツ、根に持ってやがる。

「女房にマイオナホ紹介したら変態待ったなしじゃん」
「貴方が帰るべき場所はここじゃない。うちに戻ってください」

ナイトアウルは思い出の中で生きている。
初恋の女に死なれ、手元に残ったのは形見だけとくれば達観せざる得まい。
呉が神父を抱きに来るのは、そんな悟りきった生き方が酷く癪に障るからだ。

「……ガキなんてうぜーだけ。作るんじゃなかった」
「本気じゃないでしょ」
ピンクに染めた短髪をかき上げ、続ける。
「向いてねェんだよ。どうやってあやしゃいいのかわからねェ」
「お菓子を買って帰ってあげてはいかがですか。以前言いましたよね、快楽天の春節のお祭りに行ったって」
「食いもんでご機嫌とんの」
「子供には効果抜群です」

弱くなったのは夜鈴とシーハンのせいだ。
失うのが怖いから、守りたいものができたから、トリガーを引く順番を間違えてしまった。

家を出る間際のシーハンの目が脳裏に焼き付いて離れない。
大粒の涙に潤み、恐怖と驚きに見開かれた琥珀の瞳。

「ナイトアウル」
「なんでしょうか」
「親父を殺した話したっけ」
「……いえ」

何でもないことのように言い、瞼を下ろす。

「娑婆にでた足で真っ先に家に帰った。親父は相変わらず、テレビ点けっぱなしで飲んでくれてたよ。ランニングシャツの腹が笑える位ェ出てた。近くに護身用の銃がほうりだしてあった」
散らかったリビング。うるさい鼾。一人掛けのソファーに沈む中年男。テレビで滑稽な芸を演じるピンク髪のコメディアン。引き金を引く瞬間の光景を鮮明に覚えている。
「銃で頭を殴って起こした。命乞いさせた。きたねー汗と涙と鼻水ドバドバ流して、ホント傑作」

許してくれ。悪気はなかった。だってしょうがねえだろ、お前を売らなきゃ俺が殺されてたんだ。蟲中天の使いはなんも心配いらねえって言ってくれた、働きに応じた報酬を約束する、奉仕の分だけ引き立てるって。お前だってずっとうちにいるよかマシだろ、俺のこと嫌いだろ、憎んでたろ!?ああ畜生お前なんかこさえたせいで人生めちゃくちゃだ返してくれよ、鱗持ちのコブ付きじゃ新しい所帯も持てねェ。お前は蟲中天でおまんまもらって成り上がる、こっちは独り身に戻ってやり直す、利害は一致してたじゃねえか!

「初めての殺しは親父だ」

引鉄は軽かった。

『ハッピーラッキーピンキーヘッド、スタジオにお集まりの皆々様、俺様ちゃんの天才芸をとくとご覧じろ!見事成功の暁には父ちゃん母ちゃん僕ちゃん嬢ちゃん、口笛ピーピー拍手喝采頼んだぜ』

ピンクの脳漿と黄色い脂肪が盛大に飛び散り、ステージ上で脚光浴びたコメディアンの顔を汚す。


それでもヤツは笑ってた。
だから笑うことにした。


髪を染め直し、二挺拳銃を持ち、殺して殺して殺しまくりゃ、最悪の人生が少しはマシに思える奇跡に賭けた。


「貴方は貴方の父親の二の舞にはなりませんよ。保証します」
「適当こきやがって」
「私がいますので」
神父が約束する。
「もしも貴方が我が子に銃を向ける外道に成り下がったら、その破廉恥な脳天にR.I.P弾を叩き込んであげますよ」
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