カルドコットとリボーンドール

まさみ

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カルドコットとリボーンドール

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彼女と出会ったのはある神社だ。
鳥居を抜ければ石畳を敷き詰めた道が、がどっしりした構えの拝殿まで延びている。
誰とも目を合わせないよう俯いて歩き、お賽銭箱の前にたたずんで申し訳に手を合わせる。一応礼儀としてやってるだけで心は入ってない。

神様はあんまり信じない。よそ見ばかりしているから。

拝殿を回り込んで裏へ行くと、そこからさらに奥へ細道が続いていた。こちらは人気がなくて寂しい。周囲には木が鬱蒼と生い茂り、昼なお暗い日陰ができている。
かくれんぼで忘れられた子がいそうな場所だな、と素朴な感想を抱く。子供の頃、私は最後まで残される子供だった。必ず皆においてかれる鈍くさい子だった。

だから、拒めなかったのだろうか。

ヒンヤリ陰った道が至る場所には小さな祠があり、あどけない顔のお地蔵様がたたずんでいた。赤い涎かけが鮮やかだ。祠には子供用のジュースやぬいぐるみに人形、沢山のおもちゃがお供えされている。
お供え物に埋もれたお地蔵様と相対し、今度こそ心をこめて手を合わせる。
おやすみなさいなんていうのは自己満足だ。あの子が安らかに眠れるはずがないじゃないか、私が殺したんだから。
コツリと音が響く。硬質なヒールの靴音に振り向けば、三十後半とおぼしき綺麗な女性が立っていた。神社にはちぐはぐなパンツスーツを着こなし、見るからにデキるキャリアウーマンといった印象……私とは縁のない人種だ。
ボーイッシュなショートヘアが卵形の輪郭と整った目鼻立ちを引き立てている。

「ごめんなさい、驚かせちゃった?」
「……別に」
「お隣いいかしら」
「ええ、まあ、はい。お好きにどうぞ」

変な人。
ここがどこか知った上で先客に声をかける神経は理解に苦しむ。

気さくすぎる態度とはきはきした物言いに調子が狂い、場所を譲る。
隣に来た彼女は軽く目を瞑り、蝶を手のひらのくぼみに閉じ込めるような、優雅な仕草で手を合わせた。
妙な成り行きにだ。やっぱりこなければよかったかも。
落ち着かずに視線をさまよわせ、ボロいスニーカーの先端を見詰める。私たちは肩を並べ、しばらく無言で、いるかもわからないあの子たちに手を合わせた。

「……ねえ」

彼女がゆるやかに薄目を開き、私へと一瞥よこす。

「ここ、外国で死んだ子もいいのかしら」

予想外の質問にたじろぎ、足りない頭で必死に考える。結果、出てきたのはなんとも頼りない答えだった。

「さあ……いいんじゃないですか?体から出ちゃったらどこ行こうが関係ないでしょ、お母さんがいる国に帰ってくるんじゃないかな」
「そうか。そうよね」

自分に言い聞かせるように頷き、彼女がハンドバックから取り出したのは、子供が大好きな乳酸飲料だ。母が配達をしてたから私も小さい頃はよく飲んだ。大人になってからはめっきりご無沙汰だけど。

「ぬるくなっちゃってごめんね。常温でもおいしいから」

謎の言い訳をして乳酸飲料の容器をお地蔵様の足元に立てる。

「あ、ハチミツは入ってないわよ。もちろん」
「でしょうね」

どうでもよさげに応じたところ、とりなすように微笑む。

「恥ずかしい話、自分にできるまで赤ちゃんにハチミツはだめだって知らなかったのよ」
「一歳未満の子にはリスク高いんですよね」
「母子手帳にもちゃんと載ってるのね。友達の子に会った時、うっかりあげないようにしなきゃ」
「可愛い可愛いでなんでもあげるのよくないですしね。甘えて付け上がります」
「乳児に厳しすぎない?」

変な女……だんだんうざくなってきた。会話を拒む意志表示で踵を返すが、なんと彼女は追ってきた。

「少しお話しない?」
「は?いやです」
「そういわずに」

とてもそんな気分にはなれない、ここをどこだと思っているのだ。露骨に顔を顰める私をよそに、彼女はなれなれしく腕を引っ張り、境内の隅の石のベンチへ引っ張っていく。
ジーンズに包んだお尻をベンチにおろし大きなため息を吐く。変な女に絡まれた、今日は厄日だろうか。がらにもないことをしたせいだろうか。こんな事したって何も許されはしないのに。
ざわめく葉陰から木漏れ日が落ち、地面をまだら模様に染める。
隣に膝をそろえて腰かけた女は、表情の読めない横顔でじっと祠を見詰めていた。

「なんで奥に作ったのかしら。まるで隠すように」
「安産祈願の神社に水子地蔵が出張っちゃだめでしょ。妊婦さんも来るんだし、目に付かないトコに据えとかないと」
「生きてる人間の理屈はわかるわよ」

産もうとする人間の理屈はわかる。失った人間の理屈は蔑ろ。世界は正しい人たちの理屈で回っている。

「光を見ないで死んだのに、こんなジメジメした日陰に追いやられるなんて。気付かないで帰っちゃうひとも多いでしょうね」
「そうでもないんじゃないんですか」

無造作に祠を指す。

「お供え物いっぱい。流れちゃった人が捧げたんでしょ」

お地蔵様の周りには赤ちゃん愛用のガラガラやベビー服、てのひらに乗っかるサイズの靴もある。みんなみんな、お腹の中で子供を亡くした人たちが置いてったのだ。
彼女はハイヒールを履いた足を投げ出し、呟く。

「知ってる?世界には水子供養の概念が存在しない国もあるの」
「知りませんでした」
「日本もね……水子の概念が知れ渡ったのは比較的最近、医師による人工中絶が激増してからって説があるの」
「じゃあ、それ以前はなんて言ってたんですか」
「堕とした子」
「まんまですね」
「主語を省略するのは日本語の悪い癖だけど、堕とした子の前には必ず『私が』と付くわ」

私が堕とした子。
私の堕とした子。
どちらも私の子。

「私が堕とした子」

口の中で小さく呟けば胸に痛みが走る。束の間の沈黙を破ったのは、私の素朴な疑問だった。

「どっち……ですか」
「死産よ。だから水子でいいのかわかんないけど」

流産か死産か、以外の二択だったけど……まあいいか。

「妙な事に詳しいくせにそのへんは知識曖昧なんですね」
「偏ってるって夫にもよく言われる」
「旦那さんいるんですか」
「アメリカに。日本に帰ってきたのは久々。出張帰りに偶然この神社が目に入ったの、もしかしたらあるかなって」

バリバリ働くキャリアウーマンというのは間違いではなさそうだ。ますます苦手なタイプの人種。
彼女は地面に列成す蟻を目で追い、ハイヒールの先端で円を描く。

「八か月目まで順調だったの。でもね、診断で胎動が止まってるのがわかって……心音が聞こえないの。なのに蹴ってる感じがして、まだ生きてるんじゃないかって何度も思った。夫や医者がそろって隠してるんじゃないかって。そんなことするメリットないのに。八か月にもなると、自分で産まなきゃいけないの。死んでるのがわかってても体の外に出さなきゃいけないの。もうちゃんと人の形をしてたわ、産声上げないのを除いたら普通の新生児と変わらない」

ふいに彼女が地べたにしゃがみ、小枝を取って何かを描きだす。繭のような楕円の物体だ。

「クイズです。これはなんでしょうか」

あっけらかんと問いを出す彼女にあきれながらも、とりあえずは真面目に考える。

「カプセル……ロケット……揺り籠?」
「惜しい。正解はカルドコット」
「何?」
「死産した子を入れて一緒に過ごす器。日本では保冷ポットなんて情緒のない訳し方をされる。情がないとまでは言わないけど」

地面に描かれたカルドコットをえっちらおっちら蟻たちが過ぎっていく。
巣に帰る蟻たちを優しく見守り、彼女は言った。

「アメリカの病院じゃ結構普及してるのよ。あっちじゃ死産した母親がよく孤立する、そこで赤ちゃんをカルドコットに入れて数日間共に過ごさせてあげるの。一緒にビーチを散歩できる、抱っこして唄ってあげれる、洗礼を施して送り出せる。子供を失った親の支えになる人工の揺り籠」

カルドコット……耳慣れない単語から想像したのは、外側が冷たい金属のたまごだ。
たまごの中には孵化する前に死んだ子が入っている。

「日本で取り入れてる病院は殆どない。もっと増えればいいのに」
「そしたら……ここに来る人も減りますかね」

彼女は答えない。端正な横顔に喪失感の上澄みの寂寥が浮かぶ。
彼女はまたベンチに戻り、私はベンチの上で膝を抱える。
彼女は正面の虚空を、私は地面をじっと見て、カルドコットの中で眠るモノを思い描く。

「でも、ずっとはいられない」

やがて彼女が呟いた。

「カルドコットで保てる期間は限界がある。いずれは手放さなきゃいけないの」
「あなたは?」
「初めての子が最後の子になった」

その理由を深くは聞けず黙り込めば、彼女が嬉しそうに微笑んでバックをあさりだす。

「写真見る?」
「撮ったんですか」
「取り上げられた直後に病院のスタッフに抱かせてもらったの。隣は夫、抱っこしてるのが」

真珠の光沢でコーティングされた爪が外国人の男性を指し、今より少し若い彼女の腕の中へ滑り行く。

「私の子」

皺くちゃの顔をしていた。お母さんと全然似てない。髪の毛が茶色なのはハーフだろうか。瞼を閉じたままなので瞳の色まではわからない。

「瞳、何色だったんですか」
「見なかった。こじ開けるなんてできっこない」

そんなことをしたら、どうしたって死んでいるとわかってしまうから。
眠りと死は別物だ。眠っている人間なら眼球が血走っている、光に虹彩が反応する。動かないのは死んでる証拠だ。
憔悴しきった彼女の腕に抱かれた新生児は、傍目には眠ってるとしか思えない安らかな表情をしてる。

昔見た、震災の写真を思い出した。

ひどい津波になにもかも押し流されたあと、浜辺に打ち上げられた赤ちゃんたち。警察関係者が一列に並べた遺体。凄惨な光景なのに、どの子もとても穏やかで安らかな顔をしていた。
赤ちゃんはまっさらだから、私たちみたいに憎んだり妬んだりしないから、眠るように逝けるのかもしれない。

あの子たちが苦しまず逝けてたらいいのに。
本当に、そうならいいのに。

「あなたは?」
「え?」
「やっぱり自分を許せない?」

なんでと言おうとした。なんで初対面のあんたが見透かすようなことをいうの、一体全体私の何を知ってるの、名前も生い立ちすらも知らないくせに。
反論を封じるようにだしぬけに乗り出し、私の手首を掴む。

「ごめん、さっき手を合わせた時見ちゃった」

袖口が無防備にめくれ、手首のリスカ痕が露わになる。
彼女は痛ましそうに言った。
流産のショックで手首を切る人もいなくはないが、それをするのは中絶した人の方がずっと多いと。

「私は」

仕方なかったの。
悪くないの。

脳裏に渦巻く思念は言葉にならず、自己嫌悪と紙一重の自己保身に駆り立てられ、彼女の手を力ずくで振りほどく。

「……相手は?」
「養父。中学の時」

それだけで、全部伝わった。
わかってくれた。

何年も前なのに忘れられない、ずっとずっと呪いのように考え続けている。
私が堕とした子のことを、名付けもせず殺してしまった子のことを。
私の方がカルドコットに入りたい、一生ひきこもってたい、出てこなけりゃいい。

なんであの子は写真の中で両親に挟まれて幸せそうで、私の子はひとりぽっちで搔き捨てられなきゃいけなかったの?

みんなして命に優劣はないとか人間に上下はないとかいうくせにどうして愛される子と愛されない子が生まれるの?

神様なんて大嫌いだ、どうせ仕事しないんだ、クズを間引かず生まれてくる前の子を殺すんだ。

「その子が忘れられなくて来たの?」
「こないだ前通った時、お腹の大きい子が笑いながら出てきて……気になって迷い込んだら、あそこに着いたの。誰もいなかった。ひとりぽっちだった。寂しそうで可哀想で寂しかった。あんな暗いトコ、ジメジメしたトコで、かくれんぼで忘れられた子供みたいだった」

正しく鈍感な人たちは何を恥じることなく堂々と光の中を歩けるのに、なんであの子たちは日陰に押し込められてるの?もっと明るいところに祭ってあげたっていいじゃない。

「誰もいないから、見てあげないなら、私だけでも覚えておこうって思ったの」

幸せになるのは明るく正しく鈍感な人たちにまかせておけばいい。
顔を上げて歩けない私は、神社の奥の隅で顧みられない子たちを目に焼き付けてお墓まで持っていく。

実際は違った。
お地蔵様にはたくさんお供え物がされていた。
やむをえず堕ろした我が子を、あるいは流れた我が子を悼む大勢の人たちがいた。

私は?
悼む資格があるの?

お節介な女。いけすかない偽善者。なれなれしく声をかけてきたのは私の手首の傷を見咎めたから。
ほっといてかまわないで、あれからずっと人に優しくされると消え入りたくなるのにこれ以上みじめにさせないで。

スッ、と立ち上がった彼女がスーツの懐から名刺を出す。

「よかったらどうぞ。歓迎するわ」

受け取りを拒むこともできた。しなかったのは彼女の微笑みがまだ優しかった頃のお母さんに似ていたから。私をふしだらな娘と罵る女じゃない、ちゃんとお母さんをしてた頃の。
言うだけ言って去っていく女。神社の境内に残され、途方に暮れて名刺を見下ろす。お店の名前は『Coffin cradleコフィン・クレイドル』……棺の揺り籠。不吉だ。何の店かよくわからない。

数日後に彼女の店を訪ねる気になったのは、バイトが急に休みになってぽっかり時間があいたから。

その店は新宿のビルの一階にあった。英語で『Coffin cradle』と書かれたおしゃれな看板が出ている。Tシャツとジーパンできてしまったが、敷居の高さに気後れする。

やっぱり帰ろうと回れ右した時……。

「いらっしゃい、きてくれたのね」
内側からドアが開いて、笑顔の彼女にもてなされた。

タイミングの悪さを呪い、仕方なく引き返す。
「暇だったんで。ここ何のお店?ヤバい葉っぱとか売ってるんですか」
「まずは入って」
悪戯っぽくほくそ笑む彼女に招かれて店内に入り、ぎょっとする。
木彫りの揺り籠に赤ちゃんが寝かされていた。
「紹介するわ。私の子」
「は?」
何言ってんの。意味わかんない。この人頭おかしいの?だってこの人の子は死産じゃ……。
嫌な汗が背中を伝い、緊張に喉が干上がっていく。呆然と立ち尽くす私に構わず、彼女は揺り籠に手をさしいれて新生児を抱き上げる。生後2、3か月に見えた。とても大人しい。わずかに癖が付いた茶髪に緑色に澄んだ目が映えている。

『こじ開けるなんてできっこない』

じゃあ、目の前のこの子は何?あれは全部嘘だったの?無事に産まれたのに嘘を吐いて、私を憐れみにきたの?

「ホントは目を見ずに後悔してた」

女性が優しく赤ちゃんの頭をなで、瞬きもしない瞳をのぞきこむ。

「少しの間でもママだったのに、自分の子の瞳の色がわからないの。だからうちの旦那とおそろいにしたわ」

たった八か月の母親が嘆き、たった四か月の母親は立ち尽くす。
この赤ちゃん、変だ。
一回も瞬きをしない。表情も変わらない。
ものすごく精巧に作られた、非常にリアルな人形だ。等身大の新生児を模したドール。

放心状態の私に歩み寄り、彼女が説明する。

「リボーンドールよ。聞いたことない、本物の赤ちゃんそっくりのリアルな人形。既婚未婚問わず世界中に愛好家がいるの。私はその職人兼店長、日本に新しくお店を出すことになったから視察にきたってわけ」

手足の肉感や関節の皺まで完璧に再現されたドール。一本一本丁寧に植えられた睫毛の下、澄んだ翠の目がまどろんでいる。

「旦那と同じ瞳ならいいなって思って、翠にしたの」

本当の事はわからない。知る手立てもない。だからこそ、信じたいものを信じる。

「重さも忠実」
さわってみろと温かい目で促され、切り刻まれた手首を隠すのも忘れ、柔らかな頬に触れる。
私の子。名前もない子。きちんと生まれていればこの子みたいに可愛かった、きっと。
両親に浴びせられた罵声が殷々と耳の奥に甦る。

『中学生が産めるわけないでしょ、手遅れになる前に堕ろしなさい。母さんの知り合いがお医者やってるから』
『腹が膨れる前に堕ろしてこい』
『その子は産まれてきちゃいけない子なのよ』

ねえ神様、世の中に生まれてきちゃいけない子なんているの?
私がそうなの?
私の子もそうだったの?

だったらこんな世界、くそくらえ。

何故彼女が私をここに呼んだかわからない。同情?哀れみ?あるいは共感?私は何故ここに来てしまったの、来る義理なんかこれっぽっちもなかったのに。

カルドコットとコフィンクレイドルが脳裏をぐるぐる巡る。英語の勉強は高校でやめたから正しいスペルもわからないのに……。

「子供を亡くした人が癒しをもとめて買いに来ることもあるの。生前の写真を渡されて、この子をモデルに作ってほしいって頼まれる。難しいけどやりがいのある仕事よ」

リボーンの意味は生まれ直す。
この人の子供は、何度でも生まれ直す。

茶色、黒、青、緑、灰色……オーダーメイドの数だけ義眼をそろえ眼窩にはめ込んで、世界にただ一体の理想のドールを作り上げていく。

好きな子を選んでいいと言われ、カーテンで仕切った奥へ案内される。
棚には大小さまざまなリボーンドールが飾られていた。等身大の子もいれば一回り、二回り小さい子もいる。てのひらに乗っかる子さえいた。とても小さい。

棚の端にお座りしている子に目がとまる。
黒髪に黒い目のドール……下がり気味の口角とタレ目が私によく似ていた。私だけに似ていた。

引き寄せられるように指を伸ばし、引っ込め、おっかなびっくり頬に触れる。

「名前は買った人に付けてもらうの。今はみんな名無し。青い鳥の子供たちみたいにね」

カルドコットは揺り籠と棺を兼ねる。
無垢なる赤子は眠りにつく。

私の隣に並んだ女性が、深い悲哀と愛情を湛えた目を落とす。

「お別れの時間がきて、あの子をカルドコットに返す時おやすみを言ったの。眠ってるようにしか見えなくて、いつか目覚めると思ったから」

おそるおそる不器用な手付きで赤ちゃんを抱く。
関節が固まりきってない、柔らかく頼りない体。
哀しみの水位がひたひた上がり、切り離した愛しさが溢れ出す。
望んで宿した子じゃない。望んで産む訳にいかない。それでもいなくて寂しいと思うのは勝手だろうか、間違ってるだろうか。

「さびしい」

初めて口に出す。
ずっとずっと言いたくて言えなかった言葉を、口にする資格がないと自分を戒め封じていた言葉を、胸の奥底から汲み上げる。

「さびしいよ、すごく」

ただ、それだけで。
それだけなの。

柔らかな頬に一粒雫が弾ける。
リボーンドールをなでてたたずむ私の横で、彼女は「お金はいいから」と告げ、その子を譲ってくれた。

リボーンの意味は生まれ直す。
カルドコットで眠りにつく子におやすみを囁くのは、母親になりそこねた女たちの自己満足でしかない。

でも。
それでも。
リボーンドールの柔らかい体に顔を埋め、掠れた声で紡ぐ。

「……名前、ずっと考えてた」

おやすみ、私の子。
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