インディアンデビル

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インディアンデビル

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ようこそおいでませ、此処は驚異の部屋。貴方は記念すべき××××人目のお客様です。
なんと、ご存じないとは心外!
ご覧なさいな、此処の名前の由来となった展示品の数々を。珊瑚や石英を加工した装身具、実在・架空取り交ぜた動植物の標本やミイラに巨大な巻貝、オウムガイを削った杯にダチョウの卵、貴重な錬金術の文献に異国の武具、機械仕掛けの形見函、はてはキリストの襁褓と噂される聖遺物に至るまで、此処に展示されているのは人類の叡智の結晶。さあさ目ん玉ひん剥いてとくとご覧あそばせ。

本日はご来場いただき誠にもって恐悦至極、お目にかかれて光栄です。僕のことは学芸員とでもお呼びください、僭越ながら驚異の部屋の水先案内人を務めさせていただきます。

何故こんな所に子供がいるのか?
うふふ、見た目通りの少年だと思っちゃだめですよ?

それは些か短絡的というものです、こうみえて貴方より遥かに長い時を閲してるのですから。
貴方の名前は?……ああ、言わなくて結構。おいおいわかるでしょうからね、それもまたお楽しみに。
その服かっこいいですねえ。斜に傾げたテンガロンハット、擦り切れたダスターコートの下のウェスタンシャツ、粋に巻いたネッカチーフにインディゴブルーのジーンズ、足元は拍車付きのブーツでばっちりきめてらっしゃる。由緒正しいカウボーイのファッションです。
腰に巻いたガンベルトには年季の入ったリボルバー銃、チョッキの裏には予備の銃弾。
貴方はガンマンです。
思い出しましたか?そうです、貴方は西部の男。まあお掛けください、立ち話はお疲れでしょうから。何か飲みます?お酒はだめですよ、酔っ払って呂律が回らなくなったら大変です!
眠気覚ましに苦~いコーヒーを所望ですか。よろしい、承りました。とびっきり濃くて苦いのを淹れて差し上げます。

ふふ、サイフォンが珍しいですか?貴方が生きた時代にはまだ普及してなかったでしょうからねえ。
僕ね、これが好きなんです。∞のデザインも洗練されているし、黒い雫がフラスコの中を滴り落ちる所なんて運命を司る砂時計そっくりじゃないですか。
さあ、遠慮なくお飲みください。ぐいっとイッキに。なんですか口をひん曲げて、お気に召しません?人生の苦味を抽出した、なかなか乙な味でしょ。

俺の流儀じゃない?じゃあどうやって淹れたんですか。
カウボーイコーヒー……へええ、そういうんですね。コーヒー専用の道具を使わず、ハンマーで砕いた粗挽きの豆をクッカーに入れ、直接煮出すと。必要なのはバンダナ、コーヒー豆、水、マグ、熱源、クッカーないしケトル。ハンマーはそのへんの石ころや斧で代用してもよろしい。
焚火にクッカーを掛け、そこで湯を沸かす。ぱちぱち火の爆ぜる音。煮出しに五分、さらに十五分待機して豆を沈殿させる。
すると泥水のように濁った、舌が痺れるほど苦いコーヒーの出来上がり。濃厚で芳醇な風味が癖になる。濾しきれず舌にわだかまる雑味がまたいい。

生涯飲んだコーヒーの数を覚えていますか?一日三杯は飲んでた?ウィスキーを少量たらすと最高……大人の嗜みですねえ。
カウボーイコーヒーはその名の通り、西部開拓時代に牛を追って暮らしたカウボーイたちが好んだコーヒー。
貴方にとっては輝ける日々ゴールデンデイズの記憶と結び付いた、思い出深い味でしょうね。誰とこれを飲んだんですか?一人で?それとも……。

マドレーヌの味が前世を呼び覚ますなら、コーヒーの香りで過去に回帰することもあるでしょうよ。
さあ話してください、貴方の数奇なる身の上を。ガキに話すようなことじゃない?ひょっとして覚えておいでじゃない?怒らないで、この部屋に来られる方にはよくあるんですよ。死亡時のショックが原因で記憶の一部を、あるいは全部を失っているんです。ご安心ください、話してるうちにだんだん思い出します。皆さんそうでしたから。

貴方が産声を上げたのは一八五九年、西部開拓時代の真っ只中。合衆国初の大陸横断鉄道が敷かれ、西海岸で巨大な金鉱が発見され、皆が西を目指した時代。ゴールドラッシュの絶頂期です。
ボーイズビーアンビシャス、少年よ大志を抱け。
他の多くの若者がそうしたように、貴方もガンマンとして名を上げ、伝説になる事を夢見ました。
片田舎の牧場に未練はありません。養父の銃をくすねて家を飛び出した貴方は、西を目指す道中数々の受難に見舞われたものの、生来の機転と度胸と銃の腕でそれを切り抜けてきました。

旅立ちから一年後、赤茶けた荒野の中心に存在する小さな町―レッドヒルズに辿り着きました。
来訪の目的はインディアンデビルに会うため。

『知ってるかい、レッドヒルズのインディアンデビルの噂』
『インディアン女との混血でべらぼうに強いって話だぜ』
『緑の目に浅黒い肌をした、見上げるような大男だとさ』
『銃の腕も天下一』
『バッファローの大群を一人で相手取ったらしい』
『アメリカバイソンだって聞いたが』
『早撃ち対決を申し込む?やめとけやめとけ、わざわざ死にに行くようなもんだ。これまで何十人返り討ちにされたことか』

曰く、インディアンデビルは悪魔のように強い男であると。

素晴らしい夢を見て、それを行動に移せ。ナバホ族の教えです。

西部で名を上げたくば腕利きを倒すのが常道。故に貴方は人種・出自を問わず、常に強敵を求めていました。枚挙に暇のない武勇伝を持ったインディアンデビルは格好の標的です。
大手を振って罷り通ってるキザな通り名も気に入りません、自分は無名のウィルにすぎないというのに。

……おっと、忘れていました。もういっこありましたね、貴方の悪癖に由来する素敵な通り名が。
貴方は童顔の優男、体格は小柄な方。亜麻色の髪と澄んだ青い目をした美少年の一人旅とくれば、悪漢に囲まれるのは日常茶飯事。
旅立ちから三か月目、こんな事がありました。貴方はニューヨーク出身の一家が駆る幌馬車に拾ってもらい、のんびり西へ移動中でした。
「無茶するねえ、歩きで一人旅なんて」
「馬に逃げられちゃって。あなたがたはどこに?」
「カルフォルニアへ行くの、向こうは景気がいいって話だから。姉夫婦もいるし、子育ての相談にのってもらえそうだわ」
御者台の旦那に代わり、荷台で倅をあやす女房が言いました。実に気の良い一家でした。
牧歌的な旅路に終止符を打ったのは一発の銃声。
「ひっ!」
馬車に併走するのは血気盛んなアウトロー……無法者の群れ。馬の尻に鞭をくれ、急接近してきます。
被弾した車軸が壊れ、馬車が大きく弾みました。
「きゃあっ!」
女房が息子を抱き締め叫び、手綱を持った旦那が青ざめます。
「止めろ!荷台にぶち込むぞ!」
他に選択肢はありません。馬車が失速して止まり、一家が下りてきました。もちろん貴方も。
「女がいるじゃねえか」
「熟れ頃のべっぴんときた、ツイてるぜ」
「お願い、この子だけは……」
両手を組んで命乞いする夫婦。狂ったように泣き喚く息子。阿鼻叫喚の修羅場において、貴方はじっくり敵を観察し、心の撃鉄を上げました。
「どうするボス?」
「そうだなあ、奥さんが大人しく言いなりになるってんなら子供だきゃあ見逃してやってもいいぜ」
「妻に手を出すな!」
「野郎にゃ聞いてねえ!」
固いブーツで旦那を蹴り上げ、女房のドレスを引き裂きます。貴方は沈黙を破りました。
「嘘はよくない」
その場に居合わせた全員の視線が集中します。
「なんだテメエ」
「お前の名前はトミー・ウィルソン、懸賞金三百ドルのお尋ね者。そのむさ苦しい髭面と額の稲妻、間違いない。ご不満なら罪状もセットで読み上げようか。傷害・強盗・強姦・殺人……」
得々と口上を述べ、ポケットから出した四ツ折りの手配書を開きます。
「で、そっちがトミーの愉快な仲間たち。取り巻き、手下、使い走り……まあなんでもいっか、所詮雑魚だもんね」
「ああ゛ッ、馬鹿にしてんのか!?」
露骨な挑発にいきりたち、憤然と踏み出す男共をゆったり見回し、手配書を畳みます。
「考え直しな奥さん、子供を人質にとって女房を手籠めにするのがウィルソン一味の手口なんだ。事が済んだら一家仲良く縛り首、立ち枯れた木でぶ~らぶら。八十マイル北の州境で見たぜ、てめえらの仕事」
亜麻色の髪の下、青い瞳がぎらぎら輝きます。トミーが鼻を鳴らしました。
「計画変更。最初に死ぬのはお前だ、坊主」
ところが、そうはなりませんでした。ずらり並んだ銃が火を噴く寸前、トミーを除くウィルソン一味がバタバタ倒れて行ったのです。
「逃げろ!」
「恩に着る、借りは必ず!」
貴方の号令を合図に一家は立ち上がり、馬車を駆って逃亡します。後に残されたのは肩や脚を撃たれ、激痛に悶え苦しむ男たち。急所はあえて外しています。
トミーが引鉄を絞ります。否、間に合いません。右手の甲に風穴が穿たれ、続いて脇腹が抉れました。
「命は奪らない。聞きたいことがあるんだ」
左手に構えるは硝煙立ち昇るリボルバー、狙ったのは痛点の集中する部位。評決は死よりも惨い生殺し。
「何者だテメエ」
「ビッチ・ザ・キャット」
ストリップ開始の合図のようにコートを脱ぎ捨て、瀕死のトミーに跨り。
「アンタが知ってるアンタより強い男の名前を教えて」
素早い身ごなしと淫蕩な性質を掛け、キャットと呼び始めたのは誰だったか。
夕日を背負って微笑む貴方の輪郭を、逆光が不吉に縁取ります。
さあさあ皆々様お立ち会い、これより行うのは尋問ならざる拷問、ビッチ・ザ・キャット本領発揮の独壇場、手っ取り早く体に聞きます。
「っ、は」
ロデオさながらトミーに騎乗し、ガンオイルを塗した手で秘部をまさぐり、下半身を沈めていきます。
「ぐ、ぁ、やめ、ろ」
トミーの顔が嫌悪と絶望に引き攣り、弾丸が埋まった傷口が不規則に脈打って血をしぶきます。にもかかわらず頑として頑として下りず、陰茎を食い締め、快楽を貪って。
「あっ、ふっ、ぁあっ」
「狂って、やがる」
トミーを犯す貴方は悪魔のようで。
激しく腰を揺らし筋肉の収縮と粘膜の痙攣を楽しみ、震え、慄き、傷口をほじくって絞め付けの強弱を調整し、できるだけ絶頂を長引かせようと仰け反って。
「答えろ。西部一の早撃ちは誰?」

若気の至り?未来永劫葬り去りたい黒歴史?ははっ馬鹿おっしゃい!貴方は生まれながらの淫乱ビッチじゃないですか、男も女も手当たり次第に食いまくって楽しんだでしょ?
どうどうおさえて、早撃ちが早漏の隠喩なんて言ってません。
ガンオイルで潤滑剤を代用するのは不衛生極まりないですけどねえ、もっと他になかったんですか軟膏とか靴墨とか。いっそのこと破廉恥な遍歴を綴った伝記を出版されたらいかがです、タイトルは『ビッチ・ザ・キャット全仕事』。
ともあれそんな感じで悪党どもから情報収集した結果、インディアンデビルの名前が浮かび上がったのです。

レッドヒルズに着いて真っ先に向かったのは、藪睨みのならず者が管を巻く、町外れの酒場でした。
まだ見ぬ敵への憧れと高揚に駆り立てられ、肩で風切り扉を開けるや、店内の視線が一身に集まります。
敢然と顎を引き、吹き抜けのホールを見渡します。インディアンデビルが誰かはすぐわかりました。カウンターの隅で酒を飲んでいます。
陰気くさい男だな、というのが率直な印象でした。噂と違いずばぬけた大男ではありません、平均と比べやや長身な位。が、引き締まった体には筋肉が詰まっていました。
「ここいい?」
軋む床板を踏み締め隣へ赴き、どっかと椅子に座ります。インディアンデビルが胡乱な目を上げます。
「野郎と相席する趣味はねえ」
「ツレないこと言わないで、アンタに会いに来たんだ。インディアンデビルだろ?」
至近距離で顔を見て、第一印象を若干訂正しました。インディアンデビルはイイ男でした。
インディアンの血がまじっているのは髪と肌の色で明らか。艶やかな褐色の肌と燐の火みたいな碧眼、サイドで一房編み込んだ髪が粗野な雰囲気を放ちます。実際遠巻きにされていました。
とはいえ着ているものは自分と同じ、カウボーイのチョッキとジーンズです。彫り深く整った顔は生まれてこのかた笑った事がないかのようで、悪戯心が騒ぎます。
胸元にはインディアンのお守り……ドリームキャッチャーを小さくした、風変わりなアミュレットが揺れていました。
「いかすね。見せて」
伸ばした手を払いのけ、琥珀の液体を注いだグラスを傾けます。
「何者だ?」
「ウィルって呼んで」
ビッチ・ザ・キャットの通り名は伏せます。
「だから誰だ」
「旅のガンマン。この町にすげえ強いヤツがいるって聞いて、手合わせを頼みにきたんだ。バッファローの大群を素手で止めたってのは本当?」
「五頭だけだ」
「へし折った角を飾ってるんだって?」
「悪趣味だな」
「銀行強盗のトンプソンギャングをお縄にしたのは」
「十年前の話がまだ出回ってるのか」
「うひょーマジだった!?」
即座にコートを捲り、内側にさしたリボルバーを誇示。
「早速やろうぜ」
「酒を飲んでる」
「じゃあ飲み終わったらで」
「出身はどこだ」
唐突な質問に面食らい、カウンター越しの酒棚に視線を放ります。
「ニューヨークらしいけど正確にはわからない」
「覚えてないのか」
「ちびの頃に引っ越したから」
馬が嘶く小屋の隅、臭い藁床で寝かされた日々が脳裏を過ぎりました。インディアンデビルが酒を啜ります。
「家族は」
「弟が一人」
「親は?」
「お袋は死んだ。血の繋がらない親父がいるけど、アレは勘定に入れないよ」
「わけありっぽいな」
仕切りの扉が開き、ボロボロのエプロンドレスを纏った少女が入ってきました。孤児でしょうか。真っ黒い巻き毛とコーヒー色の肌……初めて見る黒人でした。
貴方の視線の先、ガリガリに痩せた女の子はエプロンをたくし上げ、各テーブルを回っています。
「施しをめぐんでください。三日も食べてないんです」
「乳とケツが張ってから出直してきな」
「肌が白けりゃ考えたんだが」
邪険にあしらわれる物乞いを目で追っていたら、不機嫌そうなマスターが割り込んできました。
「ここは大人の社交場だ。ケツで椅子あっためる前に何か注文しな」
「ミルクを一杯。搾り立てで」
周囲の客がぽかんとし、次いで腹を抱えて爆笑しました。
「ママのおっぱい恋しけりゃおうちに帰りなボク!」
「よく見りゃ可愛い顔してんじゃねえか、ご奉仕すりゃおごってやるぜ」
インディアンデビルの横顔が歪みます。下卑た野次がやんややんや飛び交うなか、貴方はにっこり笑い―
ブーツを履いた片足を無造作にカウンターに投げ出し、束ねた紙幣を叩き付けました。
「釣りはいらねえ」
店中が沈黙。
「……あいよ」
紙幣を検めたマスターが頷き、グラスになみなみ牛乳を注ぎます。それを掴んで一口飲み、思いっきり顔をしかめます。
「雑味が濾されてない」
「酒場に牛乳あるだけ奇跡だろ」
「牧場育ちなもんで味にはうるさいんだ。ミルクソムリエと呼んでくれ」
「泡付いてるぞ」
冷静な指摘にハッとし、慌ててスカーフで拭います。その慌てぶりがおかしかったのか、インディアンデビルの顔が僅かに和みました。眼差しには呆れと感心の色。
「見かけによらず金持ちだな」
「旅の途中に絡んできた連中からむしったのさ」
「そんなこったろうと思った」
「行き倒れの財布を漁るよか神の御心にかなってるだろ」
「教会に行った経験がないんでな。イエスの御心は騙れん」
「アンタさえよけりゃおごるよ。お礼に付き合って」
「無益な殺生はしない主義」
「安心しな。死ぬのはそっちだ」
挑発の応酬にきな臭い殺気が通います。そこへとぼとぼ女の子がやって来ました。客に袖にされ落ち込んでいます。
貴方はグラスに口を付け、すぐ離し、女の子の方へ押しやりました。
「まずくて飲めたもんじゃないな。代わりに片付けて」
「おい」
気色ばむマスターを眼光鋭く牽制、啖呵を切ります。
「残りもんの始末は客の裁量」
インディアンデビルが痛快そうに口角を上げました。
「ありがと!」
余っ程喉が渇いていたんでしょうか、ごきゅごきゅミルクを飲み干します。ぷはっとグラスから顔を上げると、口の周りに白い膜が付きました。
「おそろいだね」
くすぐったがる女の子に向かい、ポケットから出した青銅貨……インディアンヘッドペニーを弾きます。
女の子がコインを捕まえ相好を崩すのと、マスターの堪忍袋の緒が切れるのは同時でした。
「目障りだ、出てけ!」
一目散に逃げ去る背中を見送り、貴方は聞きました。
「あの子は?」
「最近よく見かける薄汚え孤児だよ」
「親は」
「さあね。はぐたのか死んだのか、食ってけずに捨てられたってのが一番ありそうだが」
南北戦争は北軍の勝利で終わり、奴隷制は廃止されました。が、差別や偏見がなくなるわけではありません。より暮らしやすい新天地を求め、あるいは一攫千金に賭け、西を目指す黒人は大勢いました。
「世知辛いな」
軽く感想を述べる貴方の隣、インディアンデビルが席を立ちます。一方的に話を打ち切られたのに腹を立て、貴方も腰を浮かせます。
「待てよ、話の途中」
「故郷に帰れ」
「やだね。二度と帰るもんか」
「勝手にしろ」
それきり興味を失い、スウィングドアを開けて出ていきます。
酒場が面した目抜き通りには乾いた風が吹き、西部劇の風物詩のタンブルウィードが転がっていました。
砂埃を浴びた家々は茶色く煤け、全体的に活気がありません。付近の金鉱が枯れるのに伴い、町も衰退したのです。
悪ガキどもが棒きれで犬を追い立て、所帯じみた女たちが井戸端会議をしています。酒場の横には客が乗ってきた馬が繋がれ、飼い葉桶の中身を食んでいました。
「待たせたな」
インディアンデビルの愛馬は立派な黒毛でした。他の馬より体が大きく勇猛な野性味に溢れています。
親愛の情を込めた手付きで首を叩き、次いで視線を下ろしました。馬の前に置かれた桶の水を、例の女の子が両手ですくい、夢中で飲んでいるのです。
「腹壊すぞ」
女の子が振り向きます。顔には焦りの色。
「あたし泥棒じゃないもん!お馬さんのお水盗んでない、ちょっぴり分けてもらっただけ!」
「怒ってないって。そも俺の馬じゃねえし」
ミルク一杯じゃ足りなかったのかと責めるのは考えが足りません。女の子はバツ悪げに俯き、手の甲で口を拭います。
「……お腹膨らませなきゃ眠れなくなっちゃうもん」
謝罪より先に言い訳する女の子の前に、インディアンデビルが立ちはだかりました。
「子供がしたことじゃんか、許してやれ」
肩を押さえて耳打ちするも黙ったまま、厳めしい表情は変わりません。女の子が怯えてあとじさります。次の瞬間、インディアンデビルは意外な行動をとりました。
女の子の前に跪き、柔らかい口調で諭したのです。
「アロは優しいヤツだから、水を飲まれた位で怒ったりしない」
「本当?」
「本当だとも」
「蹴っとばしたりしない?」
疑い深げに念を押す女の子を近くに招き、懐から何かを取り出します。柄にターコイズを嵌めこんだ美しいナイフでした。
「持っていけ。金になる」
女の子がナイフをひったくり駆け出します。
「いいの?」
「構わん」
馬の手綱を掴み、物憂くため息を吐きます。
「この町は物騒だからな。身を守る物が必要だ」
「アロの意味は」
「夜明け」
なるほど、ふさわしい名前でした。
「ふはっ!」
なんだか愉快になってきました。耐え切れず吹き出す貴方を、インディアンデビルが訝しげに見返します。
「悪魔なんて呼ばれてるくせに、拍子抜けするほどお人好しだな」
アロの隣に繋いだ愛馬―トミーから盗んだアラブ種に身軽に飛び乗り、手綱をとって並びます。インディアンデビルは渋い顔をしました。

人生はあげることともらうことの両方である。モホーク族の言葉です。

レッドヒルズから三マイル離れた荒野の洞窟が、インディアンデビルの塒でした。
初めて訪れた時は吃驚しました。人が棲むにはあまりに辺鄙な場所だったのです。周囲に人家は見当たらず疎らな草が生えてるだけ。遥か遠くに見える町並みは陽炎に霞み、かえって現実感がありません。

「洞穴に住んでるのか。ベッドと椅子は手作り?」
「鍋もだ」
「さっきのナイフも?」
「ああ」
「鍛冶屋に鞍替えしてもやってけるんじゃない?」
「付いてくるな」
「勝負してくれるまで帰らない」
「居座る気か?」
「雑用請け負うぜ。仕事も手伝うし」
「余分なベッドはないぞ」
「そのへんの板きれトンカンして作る。手先の器用さにゃ自信あるんで」
「嵐の日は雨風吹き込むぞ。ひ弱な坊やは耐えられねえ」
「家借りろよ、穴ぐら暮らしは不便だろ」
「鍋やフライパン、煮炊きに必要な道具は一通り揃ってる」

朝昼晩一緒に過ごすうちに、インディアンデビルが実直で不器用な人間だとわかってきました。
銃の手入れをしながら貴方は聞きます。

「インディアンデビルは本名?」
「まさか」
「本当の名前はなんていうんだ」
「教える義理はない」
「ケチ」

いかなる信念があるのでしょうか、貴方を鬱陶しがり追い払おうとする一方、ガンベルトの銃はけっしてぬきません。
ならばこちらから仕掛けようと企て、火を熾す背中に銃を向けたものの翻意したのは、少女にナイフを与えた優しい顔が忘れられないから。

ええ、ええ、知っています。貴方は聖人君子じゃありません。ニューヨークから来た一家を助けたのだって行きがかり上仕方なく、単なる気まぐれのようなもの。
欲しいのはインディアンデビルを征した既成事実、有名になりたきゃ手段を選んでいられません。

悪魔の巣穴に転がり込んで三日後、抜き足差し足忍び足で寝台を出ました。目的はずばり夜這い。

「寝てる?」
返事なし。好都合です。舌なめずりしてのしかかり、首に腕を回し……
「痛っで!?」
あっさり跳ね飛ばされました。
「寝首を掻く魂胆か。残念だったな」
「起きてたのかよ」
「もとから眠りが浅いんだ」

一回失敗した位じゃ凝りません。その次も次も次も次も挑戦し、あっけなく返り討ちにされました。
さあいけビッチ・ザ・キャット、インディアンデビルの貞操を奪え!夜這いは得意中の得意だろ!
……無茶振り?二重の意味でヤりたくても隙がない?確かに。長年の洞窟暮らしの影響でしょうか、他者の気配に敏感なインディアンデビルはちょっとした物音で目を覚ましました。勘の良さは野生動物並。

貴方を返り討ちにする都度、インディアンデビルは呆れて言いました。

「こすっからいまねするな。正面から挑んでこい」
「断ってんだろ!」
「丸腰の寝首を掻いて満足なのか。銃の腕を誇りたいんじゃないのか。なりふり構わず手柄を急いて仕損じて、それでもガンマンの端くれか?」
「ぐっ」
「俺は逃げも隠れもせん。する必要がないからな」

ド正論です。
しかるに他人の居候を許したのは余裕の表れか独り寝に飽いた余興か。
アイツに限ってそれはない?どうでしょうか、孤独は魂を蝕む不治の病ですからねえ。
貴方もよくご存知でしょ?
彼は何故洞窟で暮らしていたのか。何故家族を持たなかったのか。

レッドヒルズ滞在一週間目、ちょっとした事件が起こりました。町からの帰り道、赤茶けた岩場に兎を見付けたのです。インディアンデビルが手綱を引いて馬を止めます。
「狩ってくる」
「豪勢な晩飯になりそうだな」
「やるとは言ってない」
「脂身多いとこくれ」
「石でも噛んでろ」
兎を追って消えたインディアデビルに手を振り、先に帰ろうと馬首を巡らした時。
「お~い」
町の方から数頭の馬が駆けてきます。先頭の男には見覚えあります、酒場の常連です。
「どうした?」
「忘れ物。この帽子お前のだろ」
男が手にぶら下げた帽子は貴方の物ではありません。現に今、テンガロンハットを被っています。
「人違いじゃ」
次の瞬間発砲され、馬が踊り上がります。
「うわっ!?」
凶悪な人相の男たちが貴方を包囲し、リボルバーの銃口を突き付けます。
「人前で大金チラ付かせたのが運の尽き」
「有り金全部おいてけ」
「なるほど、一人になる瞬間狙ってたのか」
一週間前のパフォーマンスが仇になりました。悔やんでも後の祭りです。観念し両手を挙げ―
リボルバーを掴むより一瞬早く、正面に陣取った男たちの肩と腕が弾けました。
「ひいっ!?」
「ぎゃあ!!」
馬上の体が傾いで転落、二人が失神したのを見計らい馬首を返す三人。野太い怒号と馬の嘶きを裂いて銃声が鳴り響き、男たちの肩が次々爆ぜます。
陽炎に歪む荒野の彼方、大地を蹴立てる蹄の音も高らかにインディアンデビルが戻ってきました。鐙には死んだ兎が括られ、片手には硝煙たなびく銃が。
「畜生、悪魔が!」
「忘れ物だぞ」
インディアンデビルが顎をしゃくり、落馬した二人の回収を命じます。
全ては一瞬で片付きました。
「は、はは」
砂埃に巻かれ遠ざかる影を見送り、だだっ広い荒野の真ん中で武者震いします。
「ぶっちゃけデマじゃねえか疑ってたんだ、アンタちっともやる気ねえし……でもさ、たった今実感した。馬を走らせながら杭に止まってる鳥を撃ち落とすこの俺が、射撃の早さで劣るなんて初めてだよ」
「気は済んだか?」
助けたことを恩に着せるでもなく、淡々と呟くインディアンデビルに詰め寄ります。
「いんや。ぜひともサシでやりたくなった」

インディアンデビルは用心棒。夜っぴき酒場に張り込み、お代を踏み倒す不届き者や暴れる客を懲らしめます。貴方の仕事はそのお手伝い。
今日もまた娼婦に悪さを働いたならず者が、赤ら顔で吠えたてます。
「はなしてよゴロツキ!」
「うるせえっ、躾け直してやる!」
酒臭い息を撒き散らし、二階廊下をのし歩く二人組の悪漢。号泣する娼婦の髪を片手で掴んで引きずり、階段に向かった刹那……
「お持ち帰りは許可してないよ」
「誰だテメエ」
「どけよ」
階段の前に立ち塞がる貴方に、案の定突っかかってきました。
「俺たちが買った女をどうしようが勝手だろ、これからたっぷり楽しむんだ」
「お客様は神様だって忘れたのか、商売できなくしてやるぞ」
「おー怖」
両手を挙げ茶化したのち、鮮やかに手首を返し。
「神様ならさあ、天国にいなきゃおかしいよね?」
甲高い銃声が轟き、右の男が派手に吹っ飛びます。娼婦の髪を掴んだ手は抉れて血をしぶき、背中が激突した壁には、体の輪郭に沿って綺麗に弾痕が穿たれました。
「ぎゃああああっ!」
絶叫を上げる男の正面にしゃがみこみ、リボルバーをくるくる回します。
「地上にしゃしゃって女を買うとか大層なご身分だ。送り返してやろっか」
「や、やめてくれ!俺が悪かったよこの通り、二度と敷居跨がねえし女にも乱暴しねえって約束する、だからどうか命だけは助けてくれええええ!」
取り乱す相棒をあっさり見捨て、全速力で階段を駆け下りる片割れ。
「行ったぞー」
娼婦を抱き起こしがてら叫べば、階段の終わりで待ち構えていたインディアンデビルが、男の顎を殴り飛ばしました。
「続きは裏で」
気絶した客を連行する出す用心棒を見送り、二階の手摺に凭れた娼婦たちがうっとりします。
「はあ~かっこいい~痺れるゥ~」
「抱かれた~い」
「男前よねえ」
「ただでもいいよ」
裏口から帰還したインディアンデビルに投げキッスが降り注ぎました。馴染みの娼婦が科を作り、貴方の耳元で囁きました。
「連れてきて。お小遣い弾むよ?」
「ヤツはうぶでね。その代わり」
おもむろに唇を奪い、まっすぐ目を見て微笑みます。
「俺じゃだめ?」
扉の奥から聞こえるベッドの軋みと喘ぎ。貴方が娼婦とお楽しみ中、インディアンデビルはカウンターの隅に座り、ウィスキーを飲んでいました。
三十分後。
さっぱりした顔で部屋を出たのち、階段の手摺を滑って一階に着地をきめ、インディアンデビルの隣に滑り込みます。
「このあと暇?」
「断る」
「早いって、最後まで聞いてよ」
「なんべんも言わせるな、子供と撃ち合いはしない」
「酒場に入り浸る時点で立派な大人」
「ミルクしか飲まねえくせに」
インディアンデビルの肩を抱き、意味深に目配せします。
「女どもがこっち見てる」
「興味がない」
「男が好きとか?童貞じゃないっしょ」
「摘まみ食いしたな」
「役得」
「おこぼれ目当てに付いて回ってんのか」
「どーせ明日をも知れない身の上だ。太く短く、楽しめる時に楽しまなきゃ損ってね」
「俺のベッドに忍ぶのも同じ理由?」
「わかってんじゃん」
議論は平行線です。
斯様にインディアンデビルは寡黙で禁欲的、享楽主義と刹那主義を掛け合わせた貴方とは真逆の人間。色恋沙汰にも無縁です。
秋波を送る娼婦たちを親指でさし、酸いも甘いも噛み分けた先輩面で唆します。
「お預けは辛いぜ。有難く食えよ」
「娼婦は商品。深入りは禁物」
「堅物め」
「お前の尻が軽すぎるんだ」
「そのぶんじゃキスもまだ?」
「……」
「図星ィ?」
青年の首に腕を回し、とびきりふしだらに微笑みかけ……次の瞬間引っぺがされました。
「からかっただけだろ?」
インディアンデビルは奥手でした。仏頂面で酒を呷る横顔を眺め、前夜の出来事を回想します。
昨日の夜遅くに目を覚ました貴方は、衣擦れの音に視線を向け、インディアンデビルの自慰行為を目撃しました。

え?何?どういうこと?

まるで状況を把握できず一回毛布に潜ってからおずおず顔を出し、やっぱり夢じゃないと確かめます。
インディアンデビルも生物学上は男、しかるに自慰行為は生理現象。故に居候が寝たあと一人で致すのは同じ男として理解できなくもないとして、気に入らないのは貴方への態度。

こっそり一人でする位なら、夜這いを受け入れたっていいんじゃないか?
男同士に抵抗を感じるのか。
インディアンデビルともあろうものがそんな常識にこだわるのか。

……だんだん腹が立ってきました。身勝手を承知で言えば、インディアンデビルにはもっと無茶苦茶なヤツであってほしいというのが、ビッチ・ザ・キャットの掛け値なしの本音でした。
寝台の上に胡坐をかき、股ぐらを擦り立てるインディアン・デビルは実にかっこ悪い。
情けない、見苦しい、恥ずかしい。
頑張れどなかなか勃たず、しまいには行為を中断し、罵倒と苦鳴が入り混じった呻き声を漏らす始末。
握り拳で膝を叩き、頭を抱える姿が瞼に焼き付いて離れません。

インディアンデビルは不能なのか。その原因は?

……どうでもいい。些末な事です。
たとえ不能だろうが女に勃たなかろうが、この男が恐るべき早撃ちで、倒すべき価値ある強敵なのは事実。

貴方にとっては命の恩人で、相棒で、目標で。

それだけ?
本当に?

時折チェルシーが迷い込みました。周囲のテーブルをおそるおそる窺い、カウンターでだべる貴方たちを見付けるや、たちまち駆け寄ってきます。
「ウィル!インディ!」
目を輝かせる少女に片手を挙げてこたえます。
「よ、チェルシー。飯食ったか?」
「お腹ぺこぺこ」
返事を聞いたインディアンデビルは皿の食べ残しを押しやり、貴方は追加で注文しました。
「マスター、こちらのレディにミルクを一杯」
お代さえ払えば店主は逆らえず、ましてや頼みの綱の用心棒の知り合いとなれば、以前のように摘まみ出される恐れもありません。チェルシーはすっかり貴方たちに懐き、酒場で会うたび膝に飛び乗り、甘えてくるようになりました。
「インディの膝が好き?」
「うん!」
インディアンデビルの膝にちょこんとお座りした姿が微笑ましく、少女の口元に匙を運びます。
貴方が運ぶスープを嚥下する傍ら、チェルシーは熱心にインディアンデビルの顔を見詰めていました。さすがの鉄面皮も根負けし、居心地悪げに身動ぎしました。
「俺の顔がどうかしたか」
「インディ、この人にそっくり」
チェルシーがポケットから取り出したのは、以前貴方が渡したインディアンヘッドペニーでした。
「使わなかったのか」
「だってもったいなくて。丸くてぴかぴかしてとってもキレイなんだもん」
それはチェルシーの所持品の中で数少ない美しいもの、慈しむ価値のある宝物でした。
汚れたエプロンで繰り返し擦り、息を吹きかけまた磨き、目の位置に翳して見とれ。
「チェルのお気に入りはインディの膝とインディアンヘッドペニーだな」
茶化す貴方とインディアンデビルを見比べ、真剣な表情で切り込みます。
「誰にも言わないからナイショで教えて。このコインのモデル、インディなの?」
子供特有の純粋さにたじろぎ、インディが目で助けを求めます。貴方はここぞと身を乗り出し、虱が沸いたチェルシーの頭をなでました。
「賢い子だ。インディアンヘッドペニーのモデルは実はコイツ、無口がカッコいいって痛い勘違いしてる朴念仁」
「やっぱり!インディってすごい人なんだ!」
はしゃいで足をばた付かせるチェルシー。眉を吊り上げるインディアンデビル。
「おい」
「すごい奴なのは本当だろ?旅の途中で会ったガンマンはみんなアンタの噂をしたぜ」
「……買いかぶりだ」
「謙虚だね」
「コインの肖像は歴史に名を刻む偉人と決まってる」
「名もなき混血児はお呼びじゃないって?」
自虐的な発言に鼻白み、懐から新たに出したインディアンヘッドペニーを投げ上げます。
「いずれ伝説になるなら肖像権の前借りだってオーケーさ」
手の甲に着陸したコインは表。相棒に面影を寄せたインディアンの眼差しは、遥かなる荒野のはてを見透かして。
「歴代大統領・インディアンの酋長・自由の女神、エトセトラエトセトラ……けどね、インディアンヘッドペニーのモデルが誰かはハッキリわかっちゃいない。架空の人物か実在の人物か、名前はおろか性別も。アンタって事にしちゃって何か問題が?」
「屁理屈だ」
「子供の夢壊すなよ」
ミルクで乾杯を求めたところ、琥珀のウィスキーで渋々応じました。インディアンデビルの膝の上で、青銅貨を眺めるチェルシーは幸せそうでした。

子供は親のものではない、神様からの授かりものなのだ。モホーク族の真理です。

用心棒の務めを終えたのち、貴方たちは馬に乗り、荒野の洞窟に帰りました。
もとは奥行きある天然の穴ぐらでしたが、壁にはフライパンや鍋などの日用品が掛かり、木製の寝台も置かれ生活感が漂っています。
貴方はコートとブーツを脱いで寝台に横たわり、毛羽立った毛布をかぶりました。
「聞いた?近くの町で子供が消えてるって」
「誘拐か」
「多分。先週はヴァージニアから来た一家の馬車が襲われた、子供の遺体は見付かんないまんま」
人の移動が激しい開拓時代はこの手の犯罪が尽きません。インディアンデビルの強面に暗い表情が浮かびます。
「チェルシーが心配だな」
「情が移ったのか」
「俺の膝を指定席にしてる」
「固くて座り心地悪そうだけど」
「安定感は抜群」
まんざらでもなさげに言い、上着を脱いで隣の寝台にもぐります。裸の胸元にアミュレットがたれました。
「寝る時も外さないの」
「……習慣なんだ」
「ふうん」
頭の後ろで手を組み、睡魔の訪れを待ってゴツゴツした岩肌を仰ぎます。
「ドリームキャッチャーってさ、悪夢避けのお守りなんだろ。アンタも怖い夢見んの?」
「ああ」
「意外。もっとタフかと」
「がっかりしたか」
「親近感湧いた」
悪夢を見るのは貴方も同じです。夢の詳細を詮索しない分別も備えていました。
上半身裸の隣人が寝返りを打ち、ニヒルな微笑を浮かべます。
「欲しけりゃやるぞ」
「遠慮しとく。インディが悪夢にびびっておねしょしちゃ可哀想だし」
「言ってろ」
軽口を叩き合って目を瞑り、やがて眠りに落ちました。物音に起こされたのは深夜です。隣のベッドが不自然に膨らんでいます。毛布を纏った青年が、今宵も自慰に耽っています。
「っ、は、ぐ」
手負いの獣じみた呻き声。汗とカウパーがまじった生臭い体臭。萎えた陰茎を必死に擦り立て、上手くいかずあせり、またやり直すくり返し。
普段のタフで男らしい振る舞いに見慣れた貴方は、狂おしい醜態から目が離せません。
「はっ、ッ」
自然と股に手が伸びます。ジーンズを寛げ、陰茎を引っ張り出し、青年と呼吸を合わせしごきます。
何やってるんだ。正気じゃない。後ろめたさに苛まれるほど背徳感が煽り立てられ、興奮がいや増します。劣情の火照りを持て余し、ぬる付く陰茎を擦り、青年に先んじて果てました。

眠ったふりをしているならその男は起こせない。ナバホ族の諺です。

この夜から秘密ができました。
手淫に耽るインディアンデビルと背中合わせに位置取り、毛布の中で手を動かします。くぐもった呻きや荒い息遣い、しめやかな衣擦れの音にまでむらむらし、さらには快感と苦痛に歪む顔まで想像で補って陰茎が張り詰めます。
バレたら叩き出されると頭じゃわかってるのにどうしてもやめられません、覗き見中毒です。
覗き見の回数が嵩むほどごく日常的な場面でも過剰に意識し始め、酔い潰れて肩を貸されるたび、反対に貸すたび、ガンオイルと汗が入り混じった体臭にドギマギしました。

馬で遠乗りした帰りは野宿しました。月と星の輝く夜、焚火を囲んでコーヒーを沸かします。
「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの、名前」
「言ってもわからん。インディアンの言葉だ」
「ますます気になる」
マグの中身をちびりと啜ります。デビルが淹れてくれたコーヒーは地獄のように苦く、舌が痺れそうに熱くて。
「……死ぬほどまずい」
「子供には早い」
「子供じゃないって」
「毎回ミルク飲んでるじゃないか」
「あれは当て付け。酒場においてあるとは思わなかった」
最初は吐き出しそうに苦かったコーヒーも毎晩飲んでいるうちに自然と慣れ、まずさが癖になってきました。大人になった証拠でしょうか。
両手でマグを包み、真っ黒な水面を覗きます。
「……アンタ、家族は?」
「いない。一人だ」
「死んだの」
「育ての親の爺さんは十年前に」
火の粉が爆ぜます。
「悪名高い騎兵隊が先住民の村を闇討ちし、長く楽しもうと拉致った娘を孕ませた。その子が俺」
「……」
「町の入口で行き倒れた妊婦に同情して、騎兵隊上がりの爺さんが熱心に世話してくれたんだ。罪滅ぼしだったのかもな」
「お袋さんは」
「五歳の時に死んだ。お代わりは?」
こともなげに言い放ち、木の棒で焚火をかき回します。貴方は小さく頷き、マグの中で渦巻く黒い液体を見詰めました。
「追い出されたのか?」
「皆が皆先住民を嫌ってたわけじゃない。親切な人もいた、傷を手当てしてくれたタッカーの奥さんや卵をまけてくれた雑貨屋の婆さんとかな」
レッドヒルズは保守的な町でした。母方の特徴が外見に現われたインディアンデビルは、さぞかし肩身が狭かったでしょうね。
ささくれた小枝を火に投げ込み、炎の照り返しを受けた顔で聞きます。
「もういっこだけ質問」
「なんだ」
「育ての親の爺さん、鍛冶屋だった?」
「冴えてるな」
真ん中でへし折った小枝を火に投げ入れます。
「ガキの頃から見様見真似で蹄鉄を打っていた。初めて貰ったおもちゃは屑鉄をよじった知恵の輪」
貴方がまだ何も言わないうちから、炎の照り返しを受けた顔で自嘲します。
「似合わないか」
貴方は思い出します。町を出歩く都度、住民たちが向けてくる白い目と陰口を。

『インディアンデビルだわ』
『何度見ても気味悪ぃ。見ろよあの緑の目』
『近寄っちゃ駄目よ坊や、呪われる』

仕事場でこそ一定の信用を得ているものの、白人社会における混血は異分子として忌避される宿命。
無益な慰めに代わり、砕いた豆をクッカーで煎り、特別苦いコーヒーを淹れてやります。
「アンタの腕は確かだ。常連になるよ」
「……そうか」
マグを受け取り照れる青年を眺め、仮に時代と世間が許せば鍛冶屋を継ぎたかったかもしれないと考え、しばし感傷に浸りました。

まっすぐにしゃべれば光線のように心に届く。アパッチ族の格言です。

火には原初の力が宿ります。有史以前より人々は火を焚き、共同体の連帯感を強めてきました。
センチメンタルな男同士とあれば尚更、焚火を囲む夜の語らいは絆を育むきっかけになる。

めまぐるしく過ぎゆくゴールデンデイズ。インディアンデビルは荒野に生息する野兎を狩り、夜は用心棒として働きます。チェルシーは足繁く酒場に通い、インディアンデビルに甘え、貴方がおごるスープやミルクを飲みました。

「できたぞ」
「サンキュ」

一日の終わりはインディアンデビルが淹れてくれたカウボーイコーヒーで締めます。貴方も気が向けば淹れました。
焚火で沸かしたコーヒーを飲み合い星空を眺めるのが、一日の内で一番落ち着く時間でした。
当初の目的である早撃ち対決は保留されているものの、インディアンデビルやチェルシーと過ごす日々に、家族の団欒めいた安らぎを感じ始めていたのは認めざる得ません。
ならず者が闊歩するこの時代、十代の身空で一人旅の過酷さは想像を絶します。
養父が営む牧場を飛び出してから今日に至るまで、常に強盗や獣の襲撃を警戒し銃の撃鉄を上げておくのが、ガンマンの流儀とされる殺伐とした日常でした。

なのに。
インディアンデビルやチェルシーといると、リボルバーの撃鉄をうっかり上げ忘れてしまうのです。

ごくまれに酔っ払ったインディアンデビルは、不思議な歌を口ずさみました。
「死んだお袋に教わった。滅びた部族の歌だ」
歌声は太く哀愁を帯び、コヨーテの遠吠えに似ていました。チェルシーもまねして歌います。
「しめるぞ」
マスターが客を帰したのち、貴方たちは途方に暮れました。チェルシーはカウンターに突っ伏し、規則正しい寝息を立てています。
「どうする?」
「ほったらかして行けねえ」
「酒場に泊めてもらうのは」
「黒んぼ嫌いの親父が引き受けるか?」
ごもっとも。用心棒の大義がなければ、インディアンデビルにだって敷居を跨がせないはず。窓の外は夜が更け、飢えた野良犬が徘徊しています。
仕方ない。
コートの懐を探り、インディアンヘッドペニーを摘まみます。
「表?裏?」
「裏」
「じゃあ表」
コイントス。
手の甲に落ちた青銅貨に反対の手をかぶせ、満を持してご開帳。結果は表。
インディアンデビルは諦念の表情を浮かべ、安心しきって熟睡するチェルシーをおんぶしました。
「落とすなよ」
「お前が乗せるか」
「年上好みなもんで。エスコートはまかせた」
手早く縄をほどき、鐙に足を掛けよじ登ります。チェルシーはインディアンデビルの前を占めました。貴方は笑います。
「子連れガンマン」
「変か」
「似合ってるぜ」
轡を並べて目抜き通りを駆け抜けます。目指すは塒の洞窟。
ひた走る馬に揺られ家路を辿る間、チェルシーは仄かに笑ってました。幸せな夢でも見ていたのでしょうか、それは本人しか預かり知らぬことです。

連れ帰ったのは成り行き。一方でこうなる予感もしていました。

馬の手綱を掴んで飛ばしながら、インディアンデビルに語りかけます。
「例の人さらい、まだ捕まってないっぽいな」
「近くの村や町で子供が消えてる」
「チェルシーは帰る家がない。頼れる家族もいない」
チェルシーが明日から酒場に来なくなったら、変わり果てた死体となって発見されたら……。
想像するだにやりきれず、胸が張り裂けそうです。相棒も気持ちは同じと見えました。
「屋根がある所で寝るなんて久しぶり!雨が当たらないだけ天国!」
翌朝目を覚ましたチェルシーは大喜び、貴方とインディアンデビルにかわるがわる抱き付きました。
少女にキスをもらったインディアンデビルが戸惑い、貴方は言葉足らずな彼の気持ちを通訳します。
「一緒に暮らすの嫌じゃないか」
「ちっとも!ウィルもインディも大好きだもん!」
また一人洞窟暮らしの仲間が増えました。ここはトム・ソーヤの秘密基地、ロビンソン・クルーソーの寝床、ハックルベリー・フィンの筏です。
最後は何だ?……ああ、続編の出版は貴方の死後でしたね。名作なのにもったいない、興味があるならお貸ししますよ。そこの本棚に初版本が並んでます。
僕ねェ、『トム・ソーヤの冒険』の結びの一文が好きなんですよ。これ以上は男の物語になってしまうので、これでおしまい。アレは少年少女向けの冒険小説であるからして、主人公は少年じゃなきゃ駄目だったんです。
少年でいられる時間がいかに短いか、マーク・トウェインはよくわかっていたんでしょうね。
おそらく貴方も……。

チェルシーのベッドは木箱の余りを寄せ集め、共同作業でこしらえました。贅沢に藁を敷き、寝心地よくするのも忘れずに。

「いってらっしゃい」
「なるべく早く帰る。誰か来ても出ちゃだめだぞ」
「はーい」
仕事は順調、人生は上々、疑似家族万歳。外で洗濯物を干すチェルシーに手を振り、インディアンデビルと轡を並べ、町までひとっ走りします。
「なあインディ」
「その名で呼ぶな」
「本名知んないし」
インディアンデビルが舌打ちします。貴方はためらいがちに言いました。
「俺、出てった方がいい?」
インディアンデビルが瞬きます。顔には戸惑いの色。
「何故?」
「食いぶち増えたじゃん」
「二人も三人もたいして変わらん」
「でも」
「今さら遠慮したって手遅れだ。転がり込んできた時にしてくれ」
初めて笑った顔を見ました。はにかむような人懐こい笑顔。
「チェルシーは俺たちの娘みたいなもんだ。独り立ちできる年まで面倒見るぜ」
友人以上の感情を自覚したのはこの時。
インディアンデビルは故郷を捨てた貴方に居場所と生き甲斐を与えてくれました。

「おはよ、ウィルのブーツ干しといたげたよ」
「びしょ濡れじゃん」
「履いてるうちに乾く」
「他人事だと思って。顔にやけてんぞ」

家族の間に調和を保てれば人生は成功だ。ウテ族の金言です。

「ねえねえお話聞かせて!」
「どんな?」
「ウィルの旅の話。どんな人と会ったの」
「ニューヨークから来た家族。チェルと同じ位の坊やがいた。今頃はカリフォルニアに着いて、ドでかい金鉱掘り当てて大金持ちになってるかな」
「すごい!その人たちウィルの友達なんでしょ、金ぴかの馬車で迎えに来ないかなあ」
「忘れちまってるさ」
「インディは?面白い話ない?」
「ある部族の言い伝えだ。インディアンは自然の精霊、カチーナを信仰している。彼等は火や水や石、自然界のあらゆるものに宿り、俺たちを導いてくれるんだ。特に親しまれたのが繫栄と豊穣を司る精霊・ココペリ。コイツは巨大な鷲の姿で峰を見張り、新天地をめざす部族を試す」
「どんなどんな?」
「ココペリは脚に一本の矢を掴んでいた。それを酋長の目に近付け、瞬きしないか試すんだ。酋長が耐え抜いたと見るや、今度は矢を番えて放ち、若者を二人同時に射抜く」
「死んじゃったの?」
「どっこい、ぴんぴんしてる。矢に貫かれた若者が笛を吹き、守護精霊の力で傷を癒すのを見たココペリは甚く感心し、彼等に峰に住む許しを与えるんだ。めでたしめでたし」
「ハッピーエンドでよかったあ」
「笛で超回復とかお手軽で反則だよな。もっと笑えるネタあるぜ、聞く?」
「サンダーバードの話の方が面白い。まずはグレートスピリッツの説明から」
「同時にしゃべんないで、何言ってるかわかんないよ!ちゃんと聞いてあげるから順番ね」
「だとさ。コインで決める?」
「表」
「裏」
インディアンヘッドペニーがくるくるぴかぴか、軽快に舞います。
チェルシーが歓声を上げました。
「ウィルの勝ち!」
「イカサマしてねえだろな」
「あれまお疑い?身ぐるみ剥がしてみなよ」
「インディのエッチ」
「……譲る」
交代で昔話を語り、焚火に掛けたコーヒーを回し飲みします。
ハンマーで砕いた粗挽き豆をクッカーで煮出し、それをマグに注いで渡せば、チェルシーは「苦くて飲めない」としかめ面をしました。貴方たちは互いに苦笑し、ヤギの乳を足してやります。

思い出しました?誰とコーヒーを飲んだのか。
にしてもまっずいなあこれ。貴方が慣れ親しんだ流儀で淹れてみたんですが、僕の舌には合いませんね。
すいません、気に障りました?お詫びに特別なヤツごちそうしてあげますよ、ジャコウネコの糞から抽出した最高級のコーヒー、コピ・ルアクです。きっと貴方もお気に召し……

くそくらえ?蘊蓄はコーヒーをまずくする?

随分じゃないですか、親切で言ってあげたのに。まあ排泄物が原材料だしあながち間違ってませんけど……思い出を上書きされるのが嫌?人間って変ですね、絶対こっちの方が美味しいのに。

チェルシーを新たな家族に迎え、貴方とインディアンデビルの関係は微妙に変化しました。

「最近夜這いに来ないな」
「物足りねえ?襲ってほしい?」
「吹っかけるだけ徒労だ」
「チェルが寝てる横でさかるほど落ちぶれちゃないぜ」
「そうか。そうだな。どうかしてた、忘れてくれ」

早い話が欲求不満。

カタンと音が立ちました。インディアンデビルがランタンに火を入れる音です。
チェルシーの寝顔を照らしよく寝ているのを確認後、ランタン片手に抜け出す相棒をこっそり尾行します。
夜闇に乗じ洞窟の外に出た青年は、平たい岩盤が重畳した陰に隠れ、自分を慰め始めました。
「ッ、は」
傍らに置いたランタンの灯が醜態を暴きます。貴方は半ば呆れ、半ば困惑し、それ以上にむらむらしながらインディアンデビルの自慰を観察します。
インディアンデビルは異常者じゃありません、健康な男なら誰でもすることをしているだけ。
何を考えながらシてるのか。惚れた女がいるのか。それは誰?町中の人間が恐れるインディアンデビルの本性を知るのは貴方だけ。
「ふっ、ぐ」
夜風に乗じ流れてくる声に高揚し、ジーンズに手を潜らせます。インディアンデビルの動きが切迫すればするほど貴方の手も性急になり、濁流が分泌されます。
荒野に谺すコヨーテの遠吠えや草のそよぎ、風の音すら耳に入りません。貴方はインディアンデビルの自慰を覗き見て興奮し、ぴったり呼吸を合わせ、絶頂へ上り詰めるのです。

裏切りの後ろめたさが罪悪感に育ち始めた頃、インディアンデビルが決定的な一言を放ちました。

「ウィル、っ」

貴方の名を呼びました。自慰しながら。

頭が真っ白になりました。
インディアンデビルが誰を思い浮かべながらシてるのか、衝撃の真相が判明しました。
貴方の名を口走った瞬間、力なく萎れていた陰茎が勃ち上がり、青年の手の中で力強く脈打ちます。

「ウィル!」

これ以上は見ちゃいけない。洞窟に飛んで帰り、頭から毛布をかぶり、シコシコ後始末をすませます。
「ッ、」
射精後の虚脱感が多幸感にすり替わり、胸の内が満たされていきます。

インディは貴方に惚れていた。貴方はインディに恋していた。相思相愛です。

何故関係を持たないのか?
答えは簡単、臆病だから。

おおっと物騒な、銃をしまってください!こういうときなんていうんでしたっけ。ホールドアップ?ドントフリーズ?
実弾ロシアンルーレットなんて趣味じゃありません、後始末が大変でしょ。
お望みなら戯れに死んでみせることもできますが、血と臓物と肉片を部屋にばら撒きたくないんです。

訂正はしません。貴方たちは臆病だった。今までの関係を壊したくなかった。家族ごっこのぬるま湯に浸かっていたかった。故に一線をこえるのを躊躇った。幸せに慣れてないから失うのを恐れ、都合の悪い真実は見ないふりして、挙句のはてが空回りのから騒ぎ。

両思いなのにね。人間って馬鹿ですねえ。

以来、悶々と夜を過ごしました。はてしない生殺しです。独り火照りを冷ましにいく青年を深追いせず、ベッドで寝たふりをして、露に濡れる陰茎をしごきたてます。

「っ、ふ、ぁぐ」

岩陰で同じことをしているインディアンデビルの顔や手付き、息遣いを想像すれば、体温は勝手に上がっていきました。
アイツに求められてる。俺を欲しがってる。
狂おしくシーツを掻きむしる手。上擦る腰。前だけじゃ満足できず後ろに手が伸び、夢中で後孔をほじくります。この手がインディの手だったらきっとどんなにか……。
理性の箍が緩む。行為はどんどんエスカレートしていく。不在を幸いとばかりインディアンデビルの寝台を借り、彼の匂いを胸一杯吸い込み、前と後ろをかき混ぜます。

「インディ、インディっ」

後孔に深々指を突き立て前立腺を刺激し、こみ上げる快感や漏れ出る喘ぎをシーツを噛んで殺します。哀しい。愛しい。虚しい。苦しくて苦しくて、お前が欲しくてどうかしちまいそうだ!

すれ違いが生む悲劇、もとい滑稽な喜劇。
貴方たちは偉かった。
互いを求め夜毎悶えながら、可愛いチェルシーの前じゃ親の務めを全うせんとした。

数日後酒場を訪れたのは、左右対称の口髭がトレードマークの中年男でした。
「初めまして、新任保安官のジョン・マードックだ。君は……」
「インディアンデビル。用心棒」
「ウィル。ウィリアム」
「噂はかねがね。相当なワルだったみたいじゃないか」
「昔の話だ」
「改心したなら結構な事だ。仲良くやりたいね」
マードックが差し出す手を見下ろし、インディアンデビルが聞きます。
「さらわれたガキどもは見付かったのか?誘拐犯の情報は」
「鋭意捜索中だ。当局はインディアンの犯行を疑ってる、騎兵隊に集落を襲われた腹いせに」
「何年前の話だ?界隈の部族は根絶やしになったぞ」
空気が張り詰めます。
「保安官を名乗るなら酒場に立ち寄る前に仕事しろ」
「やれやれ、息抜きの一杯も許されないのか」
「うちに小さい子がいるからピリピリしてんだ」
慌ててとりなす貴方を一瞥、髭をねじります。
「妹さん?」
「血は繋がってないけど……」
噂をすれば影とばかりに扉が開き、チェルシーが顔を出します。インディアンデビルが驚きました。
「歩いてきたのか?結構な距離だろ」
「帰りが遅いから心配になって」
お迎えにきたチェルシーの顔がみるみる青ざめ、かと思えば回れ右で逃げ出します。マードックが眉をひそめました。
「チェルシー!」
名前を呼んで追いかける貴方の背後で、マードックとインディアンデビルが会話を交わします。
「今のは」
「拾った孤児だ」
「物好きな。同族憐憫かね」
脳裏が真っ赤に灼熱し、気付けばマードックの胸ぐらを掴み、力一杯殴り付けていました。
「ウィル!」
マードックが椅子を巻き添えに倒れ、悔しげに呻きます。
「貴様……ただですむと思うなよ、余罪を挙げて豚箱にぶちこんでやる」
「やってみろよ」
捨て台詞には聞く耳持たず、今度こそチェルシーを追跡。可哀想なチェルシーは店の横に繋がれたアロの脚に抱き付き、ぶるぶる震えています。
「真っ青だぞ。具合悪いの」
「なんでもない。早く帰りたい」
チェルシーの悪夢が始まりました。夜になると決まってうなされるのです。
「ううっ、うっ、ううーっ」
「大丈夫か、しっかりしろ!」
「俺たちはここにいるぞ」
「インディ……ウィル……ここは?」
「よく見ろ、洞穴だ。俺たちのうちだ」
「怖い夢を見たのか」
真夜中に飛び起きる都度パニックで泣きじゃくり、赤ん坊返りして指を吸います。日中は塞ぎこみ、膝を抱えてボーッとしていることが増えました。
インディアンデビルが煎じた薬湯や貴方がご機嫌取りに持ち帰るお菓子も効果なし。
譫言で母の名を繰り返すチェルシーを傍らで見守るしかないのがもどかしく、無力感が募りゆきます。

チェルシーの変調を境に不穏な噂が流れます。曰く、人さらいの正体はインディアンデビルであると。故郷を焼かれた復讐に子供をさらっているのだと。

「インディアンの人さらいだ!」
「皮を剥がれて食われるぞ!」
インディアンデビルに石ころを当て、子供たちが逃げ去ります。貴方は激怒しました。
「クソガキが、ぶちのめすぞ!」
「構うな」
「犯人扱いされて悔しくないのか」
「子供のしたことだ」
静かに首を振り、諦めに似た表情で独りごちます。
貴方はどうしたか?もちろん、必死に庇いました。
「みんな正気か!?インディがそんなことするはずないだろ、これまで店を守ってきたのに馬鹿げてる!!」
「でもねえ……」
「町の住民は皆顔見知り、人さらいが潜めるわけがねえ。その点お前らは自由に動けるし、遠乗りでガキさらい放題だろ」
レッドヒルズは小さい町です。住民はほぼ全員顔見知り、よそ者は悪目立ちします。誰か一人が怪しい行動をとれば、目に付かないはずがありません。
対するインディアンデビルの塒は荒野の洞窟。付近に人家は見当たらずアリバイが成立しません。
貴方はじれきって足踏みします。
「インディは無実だ、俺が保証する。アイツは四六時中俺と一緒だった、チェルシーだって」
「よそ者と黒んぼの証言なんざ信用できるか、どうせぐるだろ」
常連が酒を呷って野次り、そうだそうだと皆追従します。インディアンデビルは沈黙。
「場末の用心棒代はたかが知れてる、裏稼業と掛け持ちしなきゃやってけねえ」
「だから反対だったんだ、インディアンの落とし子を雇い入れるなんて」
「クビにしてよ」
「ミセス・オルソンの坊やも消えたのよ、夫婦生活十年目にして漸く授かったって喜んでたのに!」
「レッドヒルズがハーメルンの二の舞いになるのは時間の問題よ」
常連の男がグラスを持ち上げ、ガラスを透かすようにして貴方を睨みました。
「聞けばお前さん牛泥棒の常習犯だって話じゃねえか」
「牛と子供は違うだろ!!」
怒り狂った男女が貴方たちを取り囲みます。わかりやすい吊るし上げ。マスターに助けを求めても無駄、知らぬ存ぜぬでグラスを磨いてます。
「オーケー、牛泥棒は認める。ここに流れ着くまで色々悪さをやった、それは事実だ。でもさ、人さらいは濡れ衣。女子供を傷付けるようなゲスなまねしない」
俺とアイツは違うんだ。
「みんな誤解してる。インディは」
皆まで言わせず中身の入ったグラスを投げ付けられました。反射的に目を瞑り、甲高い破裂音に見開き、ガラスが飛び散る瞬間を目撃します。相棒がグラスを撃ち抜いたのです。凄まじい早撃ちでした。
「行くぞ」
「待て」
椅子から下りたインディアンデビルに、マスターが紙幣の束を投げます。
「残りの分。持ってけ」

怒りは自分に盛る毒。ホピ族の名言です。

「地獄に落ちろ恩知らずども!」
お気の毒に、解雇されました。
店を出るなり癇癪を爆発させ、飼い葉桶を蹴り倒す貴方をよそに、インディアンデビルは達観していました。
「仕方ない。町で何か起きたら真っ先にはみだしものが疑われる」
「悔しくないのかよ、無実なのに」
「チェルが待ってる」
インディアンデビルが貴方の肩を叩き、馬へ歩み寄りかけ、立ち止まりました。
「保安官」
ピンと跳ねた髭の先端をしごき、マードックが嫌味ったらしく笑っていました。
「ごきげんようとでも言っておこうか。町の連中は君を疑っているみたいだが」
「やってない」
「証拠は?」
「それをさがすのがお前らの仕事だろ」
睨み合いに痺れを切らし、二人の間に立って加勢します。
「インディは無実だ。疑うなら塒を調べにこい、ガキを詰めた麻袋なんてないぜ」
「復讐者の血が流れてる」
「こじ付けだ」
マードックが向き直り、イヤミったらしく髭をねじります。
「ブラックウォーターじゃ窃盗五件に傷害三件。随分暴れたみたいだな、ヘンリー・アントリム」
その名前で呼ばれるのは久しぶりでした。殆ど忘れかけていた過去の遺物。
「察するに共犯か?インディアンの落とし子と札付きの悪童が組んで荒稼ぎしたのか」
「違」
「金輪際レッドヒルズに立ち入るな。次に姿を見かけたら逮捕する」
マードックが冷たく言い渡し、威風堂々去って行きました。貴方は打ちひしがれ、死んだように馬に跨り、洞穴へ帰り着きました。

その夜、夢を見ました。
『こっちに来いヘンリー。可愛いぞ、お母さんそっくりだ』
酒をラッパ飲みする男に招かれ、仕方なく近寄ります。
床一面に犇めく酒瓶。荒廃の様相を呈す室内は全部の窓が閉め切られ、饐えた匂いが立ち込めています。
軋む寝台の上、何者かがのしかかります。腹のたるんだ男です。酒臭い息が顔をなで、爪が不潔に黄ばんだ手が這い回りました。
『どこへいく?逃げるな』
来るな。正気じゃない。
耐え難い生理的嫌悪に肌が粟立ち、耳裏をねぶる吐息が蟻走感をもたらします。
貴方は女物のドレスを着せられています。死んだ母のお古です。決死の覚悟で逃亡を企てるも足首を掴んで戻され、抵抗虚しく組み敷かれてしまいました。馬乗りになった男がドレスの裾をたくし上げ、愛撫というには粗暴な手付きで内腿をまさぐりだしました。サイドテーブルに置かれた銃が目の端にチラ付きます。
臭い。汚い。気持ち悪い。眼前にいるのは発情した雄豚。これから何をされるのか、わからないほど子供じゃありません。蛞蝓めいた舌が首筋を這い、ベッドが大きく軋みます。
『キャサリーン、どうしておいてった』

やるなら今だ。
力ずくでこじ開けられ、ねじこまれる前に。

絶叫。
枕元のリボルバーをひったくり、悪夢の残滓を振り払うべく猛然と駆け出し、夜の底に向かって乱射します。喉も張り裂けんばかりの咆哮に驚き、茂みに潜む兎や鹿が逃げていきます。
「大丈夫か!?」
羽交い締めにされ我に返れば、背後にインディアンデビルがいました。
「うなされてたぞ」
「外?なんで……」
「汗みずくだ。着替えないと」
逞しい腕に抱き竦められ、放心状態で告白します。
「聞いてインディ。俺、人を殺したことないんだ」
大量の寝汗を吸って肌に張り付いたシャツが、貧相な胸板と乳首を透かします。
「殺したいほど憎いヤツはいた。最初に撃ったヤツ。忘れようったって忘れらんねえ。親父だよ。女房が死んでからすっかりイカレちまって、俺にお袋の服着せて、毎晩部屋に呼び出した」
手元の銃をもてあそびます。
「コイツはおっぱじめる前にパクった。今までのお返しに股ぐらにぶち込んでやった、ざまーみろ」
養父の股間を撃ったのは復讐だけが理由にあらず、家出した後弟に矛先が向かないようにしたのです。
「とっくに捨てた名前だ。なのに」
マードックが口にした昔の名が、忌まわしい過去を蒸し返したのです。
インディアンデビルは小刻みに震える貴方を抱き締め、ぐずるチェルシーにそうするように背中をなでていました。
それから首の革ひもを抜き、幸福の青い羽根を結いこんだドリームキャッチャーを貴方の額に当て、母系譜の言葉で呪文を唱えます。
「悪い夢はコイツが吸い取ってくれる」
「ガキ扱いすんな。もっといい方法あるだろ」
チェルシーは洞窟で寝ています。今ここには二人きり。
それを確かめたのち、インディの顔を手挟んで唇を吸いました。
「こないださ、俺の名前呼びながらシてたよな」
「……っ」
「バレてないとでも思った?知ってたよ、ずっと前から」
子供騙しのドリームキャッチャーはいりません。貴方に必要なのは彼だけ。
「女を抱けないのは男が好きだから?……どっちでもいいか」
無口な悪魔にしなだれかかり、ジーンズを脱がします。
「やなこと忘れさせて」
養父の慰み者にされたこと。弟を捨ててきたこと。インディアンデビルが葛藤を断ち切り、コートの褥に貴方を押し倒します。
「来て、インディ」
「ウィル」
心の片隅でこの瞬間を待ち望んでいました。インディアンデビルが貴方のシャツのボタンを外し、胸板を撫で擦ります。手から伝わる火照りが肌に馴染み、鼓動が速くなりました。
「あッ、ふ」
絡む視線。交わる吐息。情熱的な愛撫。どちらからともなくキスを乞い、唇を啄みます。褐色の手が肌に吸い付き、首を支え、乳首を優しく引っ張りました。
「あっ、そこ、ィいっ」
「感じるのか」
「すっげえ。たまんねえ」
チェルシーは寝ている。外で遠慮はいりません。首筋や肩を甘噛みするとインディアンデビルは小さく呻き、お返しにペニスをいじくります。
「ッ、ぁ」
気持ちいい。よすぎてすぐイッちまいそうだ。これじゃいけません、ビッチ・ザ・キャットの名折れです。主導権は譲れません。
「しゃぶらせて」
蒸れた匂いに舌なめずり、股ぐらに顔を埋めます。竿と玉に舌を絡め、唇にひっかけるように出し入れすれば、インディアンデビルが息を荒げ始めました。
「よがりなインディ。誰が呼んだかビッチ・ザ・キャットってのは俺のことだ」
奉仕?否。
「んっ、む」
鈴口に滲む雫を啜り、吸い立て、窄めた舌先で先端とくびれをくすぐり、手に包んだ睾丸を繊細に揉んで、大胆すぎる濃厚フェラを見せ付けます。
「でかすぎて口裂けそ。挿れたらどんな感じかな」
一旦抜いて息継ぎし、挑発的に小首を傾げ、唾液とカウパーに濡れた顎を拭います。まさに淫乱、まさにビッチ、男を狂わす媚態!
「しっかり掴まってろ」
「?何す、」
軽々と貴方を持ち上げ、ペニス同士をまとめて持ち、ずちゅりと擦り合わせます。兜合わせ。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
ぬる付くペニスをずちゅずちゅ揉みます。捏ね回す手とせっかちな腰の動きに応じ、潤んだ粘膜が卑猥な音をたてます。
「はっ、やば、気持ちいいっ、止まんねっ」
「もういいか?」
「ちょ、ブーツ脱がして」
聞いちゃいません。ぐりぐり腰を回します。貴方の脚を抱えてこじ開け、赤黒い怒張が押し入ってきました。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぁ゛あ」
インディアンデビルは巨根でした。こなれたアナルを限界まで押し広げ、剛直が滑走します。
「あっ、すげっ、おかしくなるっ」
抽送に合わせアナルの皺が伸び切り、直腸の襞が絡み付き、電撃のような快感が連続します。
「大丈夫か」
腰は止めず貴方を気遣い、亜麻色の髪の毛をかき上げて。
「もっとシて。ぶちまけて」
「ウィル、ぐ」
蕩けた顔と声でせがまれ理性の箍が外れます。鼓動が一際膨れ上がり、体奥に濃厚な精が放たれました。
「あはっ、いっぱいでた!」
まだです、まだ足りません。またもやインディアンデビルにむしゃぶり付き、膝に乗っかります。正常位の次は対面座位。若い男根はすぐさま力を取り戻し奮い立ち、灼熱の杭を叩き込みます。
「あっ、すご、気持ちいいっ、ィきそっ、インディぁあっ」
「好きだウィル」
「俺っ、も、大好き」
上滑りしてく言葉を捕まえようとキスし、強く強く抱き合います。
紆余曲折を経てやっと結ばれました。営みを見ているのは月だけ。インディアンデビルの指がそっと動き、貴方の目尻からこぼれた涙を拭います。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぁああっあ!」
三回目で体力が底を尽きました。お互いに搾り尽くして枯れ果て、インディアンデビルは下、貴方が上でまどろみます。
「……最高」
胸板の奥で跳ね回る心臓の熱と鼓動を感じ、生きている実感に細胞が沸き立ちます。インディアンデビルは貴方の背に手を回したまま、事後の余韻に浸っていました。
「お前に童貞を捧げたって言ったら信じるか」
「は?」
「ちゃんとイけたのは初めてだ。ひとりじゃ無理だった。勃たないんだ」
億劫げに瞬き、告白します。
「女を抱こうとするたび、死んだお袋と知らねえ親父の顔が勝手に浮かんでくるんだ」
「親父って……会ったことないんだろ」
「夢に出る」
それは想像の産物、罪悪感が見せた幻。
「俺も男だ、勃たせようと躍起になったさ。馴染みの娼婦にふやけるまでしゃぶらせた夜もある。けどどうにもなんねえ。最後には諦めた」
天鵞絨の空では無数の星がきらめいていました。洗礼すら受けてない男の、懺悔に似た独り語りが続きます。
「一生誰とも所帯を持たず、独りでやってこうと思っていた。お前やチェルに会うまでは」
「……」
「インディアンデビルはインディアンの悪魔をさす。悪い魔法や呪いを振り撒き、人々を破滅に導く存在。お袋にとっちゃ俺がそうだった」
「だから町を離れたの」
「静かに暮らしたかった」
悠久に広がる星空を見上げ、寂しげに微笑んで。
「女子供は殺さねえ。銃を抜くのは悪党にだけ。爺さんと約束したんだ」
「俺は?」
「ただの跳ねっ返りの悪ガキだ。物や牛は盗んでも人は殺しちゃねえ」
「馬鹿にすんな」
「安心してるんだ。そっちこそ、名前負けでがっかりしたか」
「悪魔なんてコワモテな通り名お人好しに似合わねえよ。初めて会ったとき、俺を助けようとしたろ」
「さあな」
「とぼけんな、椅子を蹴倒す準備してたじゃん」
常連客から野次を浴びせられる少年を、心優しい青年は見過ごせませんでした。
「お前こそ、チェルにやるために好きでもねえミルクを注文したんだろ?」
貴方たちが惹かれ合ったのは、似た者同士のお人好しだったからかもしれません。
「……弟は元気でやってる」
「クソ兄貴のあと追っかけてアウトローになってねえよういのるさ」
弟を連れて逃げるのは断念しました。荷が重すぎたのです。
「ウィル」
インディアンデビルが寝返りを打ち、呪いカースが発現した緑の瞳で、貴方の目をまっすぐ見ました。
「これからも一緒にいてくれ」
「プロポーズかよ、それ」
自身の女々しさを恥じるように俯き、勇を鼓して顔を上げ、心を込めて伝えます。
「ずっと家族がほしかった」
ビッチ・ザ・キャットが赤面しました。
「お前は俺の相棒でチェルの父親だ」
「親父がふたりいるわけ?」
「別に困らん。賑やかでいいだろ」
「そこは兄貴にしとけ」
幸せでした。満たされました。インディアンデビルの表情はどこまでも優しく、諭す声は限りなく心地よく、今この瞬間が永遠に続いてほしいと願ってしまいました。
「愛してる、ウィル」
インディアンデビルが恋人の手をとり、口付けて誓います。貴方はくすぐったげに笑い、青年の頬にキスしました。
「ビッチは卒業だ。別の名前付けるよ」
貴方たちは幸福の絶頂でじゃれ合いながら眠りに落ち、翌朝絶望のどん底に突き落とされました。

朝。
目を覚ました時には既にインディアンデビルはおらず、愛馬のアロも消えていました。
洞窟の中はもぬけの殻。滅茶苦茶に荒らされています。寝台は叩き壊され、地面に藁が散らばっていました。
「チェル」
自分に寝ている間に何かがあった。最悪なことが。すぐさま馬に鞭をくれ、忽然と姿を消した二人を捜し回ります。
「インディ、チェル、返事しろ!」
少し離れた岩陰で悲鳴が上がりました。胸騒ぎに駆り立てられ回り込み、衝撃的な光景を目の当たりにします。
「ウィル!」
チェルシーが荒縄で縛られ、地面に転がされていました。周囲には五・六人のならず者が屯し、意外な人物が佇んでいました。
「保安官?」
「見付かっちまったか」
マードックが口髭をねじってぼやき、チェルシーが身を乗り出します。
「逃げてウィル、コイツがお母さんを殺したの!」
「どういうことだ?」
「レッドヒルズに赴任するちょっと前に子連れの黒人女を見付けてな、遊んでやったんだ。やりすぎて死んじまったのは誤算だったが」
「娘の前で嬲りものにしたのか」
脳裏が真っ赤に染まり、手のひらに爪が食い込みます。チェルシーの顔が恐怖を上回る憤怒に歪み、綺麗な涙が迸りました。
「よくもお母さんを!ウソツキ!人でなし!」
「人でなしはお前の方だろ、黒んぼに人権はねえからな」
マードックを一目見た日から、チェルシーが悪夢にうなされ続けた理由がわかりました。
「ごめんなさい、もっと早く話しとけばよかった。け、けど怖くて……またコイツに何かされるんじゃないかって、そ、それで」
「わかってる」
泣きじゃくるチェルを宥め、肩幅に足を開き、悪徳保安官と対峙します。
「悪く思うなよ。この子は多くを知りすぎた」
意味深な発言を訝しみ、周囲に侍る男たちを見回します。チェルシーがカチカチ歯を鳴らします。
「あ、あたし見ちゃったの。コイツが下りてきた馬車の荷台に知らない子どもたちがいっぱいいたの」
点と点が繋がって線になり、誘拐犯の正体が暴かれます。
「はっ、保安官が黒幕とは恐れ入ったね。インディアンデビルが人さらいって噂の出所も?」
「俺が流した」
悪びれもせず両手を開いて肯定するマードック。男たちがガンベルトに触れ、じりじり間合いを詰めてきました。
「些か商売の手を広げすぎてね、生贄が必要だった」
「はみ出し者を犯人に仕立て上げてトンズラか」
「仲間割れで相討ちの筋書きだ。俺の手柄にするのも悪くない、出世の足掛かりになる」
「さらったガキどもは」
「売った。今頃南部かメキシコか、死んでなけりゃ元気でやってるさ」
「てめえらも分け前もらったのか」
男たちはニヤニヤ笑うだけ。大量誘拐、ならびに人身売買に加担したと公言しているようなものです。
「銀バッジを隠れ蓑にすりゃ怪しまれずに悪事し放題ってか」
「獲物の方から来てくれてラッキーだった」
マードックが悪辣に勝ち誇り、チェルシーが泣き崩れます。
「起きたら二人ともいなくて、そ、外に捜しに行ったらコイツらが」
なんて間抜けなビッチ・ザ・キャット!チェルシーは貴方たちを捜しに出て、保安官以下悪党どもに捕まったのです!
「……インディはどこだ」
己の不甲斐なさへの怒りと保安官への憎悪を押し殺し、相棒の行方を問います。
保安官が一瞬疑問符を浮かべ、次いで破顔します。
「あのボロ切れのことか」
遠くから迫りくる蹄の音。ならず者が駆る馬の後方、縄に巻かれ引きずられているのは……。
「インディ!!」
インディアンデビルは優しい男です。チェルシーを盾に脅されたら、悪党どもの言いなりになるしかありません。
その末路が、これ。
「お前たちが黒んぼにご執心なのは評判だ。コイツを人質にとりゃ必ずここに来ると踏んだ。案の定のこのこ現れ、チェルを返してくれととかほざきやがった」
やめろ。
「さんざん袋叩きにしてもへこたれず縋り付くもんだから、お前が代わりになれと言ったら真に受けて、かれこれ一時間以上引きずり回されてる」
「やめて……」
「馬鹿な男だよ。耐え切ったらガキを返すって、そんなはずないだろ」
「やめてよ、たすけてよ!」
インディ。嘘だろ。どうしたら。殺意と憎悪が喉を灼き、戦慄く手をガンベルトに伸ばします。
リボルバーを掴む寸前、マードックがチェルシーのこめかみに銃を突き付けました。
「ゼロ距離には勝てん」
マードックを仕留めても残党がいる。どのみちチェルシーは殺されインディは助からない。死ぬ。皆死ぬ。
体調が万全なら話は違った。昨夜のツケが回ってきた。中天の太陽が黄色く濁り、風が凪ぎ、魂を押し拉ぐ静寂が張り詰めます。

ここで死ぬのか。インディやチェルと心中すればあの世でも一緒に―……

「ぎゃあっ!」

マードックの悲鳴が上がります。手の甲からしぶく真っ赤な血。チェルシーが隠し持ったナイフで切りかかったのです。荒縄はささくれ、既にほどけかけていました。

「くそったれが!!」

怒り狂ったマードックの発砲寸前、音速でリボルバーを抜きました。
額を貫通した銃弾。仰け反る男。地面に倒れたマードックを跳び越え、チェルシーを脇に抱えて走ります。
振り向きざま三人仕留め、岩陰に隠れた残りが撃ちこむ弾丸を紙一重で躱して逃げ、馬上の男の心臓に鉛弾を見舞い、鞍に繋がった縄を焼き切ります。
インディは息をしていました。辛うじて。
「おいこら目ェ開けろ、俺だよわかるかウィルだよ!畜生ざけやがって、よくもこんな……全員ブチ殺してやる!」
「人、を、ころしたのか」
「人でなしは人に数えねえよ!」
視界が潤みます。インディの服は破れ、全身の皮膚が痛々しく削れていました。瀕死の状態です。顔は腫れ上がり、ドリームキャッチャーの紐は切れていました。
「だいじょぶ?立てる?ごめんねインディ、あたしのせいで」
ひっきりなしに怒号と銃弾が飛んできます。貴方はチェルとインディを庇い、狂ったように撃ち返しました。また一人倒れ、ドス汚い悪党の血が大地に染みこみます。
閃く銃火、劈く銃声、脇腹を抉る灼熱感。たまらず膝が崩れます。
立ち上がれ。踏みこたえろ。俺が死んだら全員共倒れだ。
「インディを連れて逃げろ!」
「ウィルだけおいてけない、一緒にいこうよ!」
「すぐ追っかける!」
脇腹の弾痕を片手で塞ぎ、泣いて嫌がるチェルを鞍に押し上げます。傷口が熱く脈打ち、激痛が脳天まで駆け抜け、ドクドク血が噴きこぼれます。弾丸が立て続けに肩を掠めて脚を抉り、チェルシーの尻を支える腕がずり落ちました。

ああ、もうだめだ。

岩陰から覗いた男が銃を構えます。標的は馬に跨るチェルシー。もはや引鉄を絞る握力も足りず、咄嗟に前に飛び出しました。コートの右胸に弾丸を受け、あばらに衝撃が炸裂します。

銃撃戦の終わりを告げたのは、全身全霊を賭したインディアンデビルの鬨の声。
矢に貫かれたまま笛を奏で、傷さえ癒したインディアンの逸話を物語る、凄まじい早撃ちでした。

大鷲が翼を広げ旋回し、燦燦と燃え輝く太陽を遮ります。インディアンデビルは倒れたまま微動だにしません。敵は一人残らず死に絶えました。全滅です。
貴方の膝枕に仰向け、顔を過ぎる影を無意識に追い、眩げに目を細めます。
「ココペリが迎えにきた」
「インディアンデビルの絶技がお気に召したのさ」
「そこにいるのか、ウィル」
「ああ」
「チェルも」
「うん、いる。ずっといる」
インディアンデビルが吐血します。愛した青年をかき抱き、貴方はふざけて笑いました。
「やっぱアンタ鍛冶屋の方が向いてるよ。ナイフ役に立ったじゃん」
「そ、うか」
インディアンデビルが微かに笑い、朦朧と濁り始めた瞳で貴方とチェルを見比べます。
「逃げろ。遠くへ」
「あんたとじゃなきゃ嫌だ」
「一人前の男だろ」
子供キッドだよ。可愛がってよ」
「…………」
最後の力を振り絞って亜麻色の髪をなで、力尽き、手の甲をパタリと落とします。
緑の虹彩が白濁し、焦点が拡散して瞳孔が開き、鷲は天高く回りながら遠ざかっていきました。

かくしてビッチ・ザ・キャットは死に、ビリー・ザ・キッドが誕生しました。
その後は洞窟に火を放ち、チェルシーを連れてレッドヒルズを発ちました。

ウィルはウィリアムの愛称です。同じくビリーも。

自分が誰か思い出しましたか?二十一歳で死ぬまでに二十一人を殺した悪漢王、ビリー・ザ・キッド。
キッドが初めて人を殺したのは十七歳の時だと言われています。貴方は保安官殺しのお尋ね者として追っ手をかけられ、チェルシーと途中で別れました。

「交渉すんだぞ、チェルのこと家事手伝いとしておいてくれるって。人手が足りないから助かるとさ」
「命の恩人の頼み断れないもんね。袖の下も渡したの?」
「すねるなよ」
「……わかってる。ここでお別れだね」
「達者でな」
「そっちも」
「インディの形見なくすなよ」
「ウィルこそ、大事な銃を質に流しちゃだめだよ。ココペリがバチを当てに来るからね」

貴方のガンベルトにはインディアンデビルの形見が納まっていました。

後世出版された伝記曰く、ビリー・ザ・キッドは修羅場の最中でも常にご機嫌な笑顔を浮かべ、哄笑を発しながら人を殺したそうです。

墓碑には下記の如く刻まれました。
『真実にして経歴。二十一人を殺した。少年。悪漢王。彼は彼らしく生きて死んだ。ウィリアム・H・ボニー』

コーヒーのお代わりはどうですか?お腹一杯で胸焼けする?
ねえビリーさん、本当の所どうなんでしょ。ご自分の人生に満足してますか。

ここは驚異の部屋。時と場所をこえ、迷える魂が来たる場所。ここを訪れたからには何か心残りがあるんじゃないかって妄想を逞しくしたんですけどねえ。
貴方は貴方らしく生きて死んだ。真実でしょうきっと。ご存知ですか、世間の人々は義賊的な振る舞いからビリー・ザ・キッドを英雄視しているそうですよ。馬鹿馬鹿しい、人殺しは人殺しだ?確かに。

貴方をここにお招きしたのは、インディアンヘッドペニーの秘密を教えてあげる為です。
よくご覧ください、インディアンヘッドペニーの顔……誰かに似てません?

自由の女神です。

インディアンヘッドペニーの肖像はね、自由の女神を先住民に見立てたって噂があるんです。白人に虐げられたインディアンとアメリカ合衆国の象徴を合体させるなんて皮肉ですよねえ。

どっこい、僕が欲しいのはこれじゃない。貴方が肌身離さず持ち歩いていた、あのインディアンヘッドペニーですよ。
ただじゃやらない?見返りが欲しい?むむ、悪魔に取引を持ちかけるとは命知らずな。ってもう死んでるか。

よろしい、その勇気に免じて願いを叶えてあげます。なんなりとおっしゃい。
……えっ、そんなのでいいんですか?欲がない人だなあ。
ちょっと待ってください、確かここに……あったあった。どうぞじっくりお読みください、時間はたっぷりありますんで。

チェルシー・ミラー。メアリー・ミラーとケネス・ミラーの第一子。ニューヨークからカリフォルニアに移住したスミス一家に仕え、ニ十歳の時雇用主の長男と結婚。五男三女の子宝に恵まれ、九十二歳で大往生します。インディアンデビルお手製のナイフは副葬品として棺に納められました。彼女が他界したのち、作家となった三男が母の昔話を纏め、ビリー・ザ・キッドの伝記を書いた後日談も添えときましょうか。
長男次男は双子でウィルとインディっていうらしいですよ?話のオチとしちゃ出来すぎですよね。

じゃ、確かにいただきました。これこれ、これが欲しかったんです!ビリー・ザ・キッドの命を救ったインディアンヘッドペニー、代わりに銃弾を受けてひん曲がった!有難く驚異の部屋のコレクションに加えさせていただきますよ。

悪漢王の行き先は地獄と決まっています。インディと会えるか?さあ……どうでしょうか。インディアンにはインディアンの地獄があるかもしれません。
でもまあ悪魔って呼ばれる位の方ですし、こっちの地獄にいてもおかしくないんじゃないでしょうか?

もういかれるんですか?せっかちですねえ、そんなに恋人に会いたいんですか。当たり前だろって……死人に操を立てるとか、見かけによらず純粋ですねえ。
勘違い?最後の男に操を立てただけ?……ごちそうさまです。むこうでもお元気で。今度こそ本当の名前を聞けるといいですね。





火の粉が爆ぜる音に瞼を開ければ、インディアンデビルが焚火の番をしていた。
「よく寝てたな」
「変な夢見た」
「どんな」
「死ぬほどまずいコーヒー淹れやがる妙ちきりんなガキの夢。驚異の部屋とかいったっけ、ガラクタだらけの変な部屋に招かれた」
「面白そうだな。詳しく聞かせろ」
背後には懐かしい洞窟があり、馬が二頭繋がれていた。片方はインディアンデビルの愛馬のアロ、片方は自分の愛馬のトミー。仲良く草を食んでいる。
「でさ、そのガキときたらわけわかんないこと言うんだよ。俺は将来ビリー・ザ・キッドを名乗って、墓碑銘に悪漢王って刻まれるんだと」
「かっこいいな」
「冗談。キッドなんてださいよ」
「ビッチ・ザ・キャットも相当だぞ」
心地よい風が亜麻色の髪をかきまぜて吹きすぎ、インディアンデビルの黒髪を揺らす。こんなにゆっくりするのは久しぶりだ。頭上には美しい星空が広がり、大鷲が飛び回る。
「どれ位寝てた、俺」
「長い間。待ちくたびれた」
「悪い」
インディアンデビルがハンマーで豆を叩き潰し、クッカーにざらざら注ぎ込む。
「チェルは?」
「俺たちとは行く場所が違うらしい」
「そっか」
「寂しいな」
「まあね」
周囲に香ばしい匂いが漂い始めたのを見計らい、クッカーからマグにコーヒーを移す。
差し出されたマグを受け取り、一口啜る。懐かしい味。恋焦がれた味。
「二人きりってのも悪くないか」
「蜜月だな」
娘の巣立ちを見届けた男たちが微笑み交わし、静かにマグを置く。
「いい加減名前教えろ」
「まだ忘れてなかったのか」
「もったいぶるな」
「インディで構わん」
「ヤッてる時は本当の名前で呼びたい」
渋る青年の肩を掴んで押し倒し、少年のように見える青年が囁く。
「ガンマンの流儀にのっとってコインで決めるか。表か裏か賭けて負けたら言うこと聞く」
返事は待たず胸ポケットを探り、そこにあるはずのものがないのを訝しむ。
「くそっ、取り返しにいくか?」
次の瞬間逞しい腕がさしのべられ、厚い胸板が覆い被さる。一途な愛情を湛えた緑の瞳と稚気に富む青い瞳が交錯し、心優しい悪魔が真名を明かす。
「俺の名前は……」
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