上 下
12 / 25

かにーー! かにかにーーー!

しおりを挟む
「かにーー! かにかにーーー!」

私が自宅に帰ってきたら、妻が叫んでいる。
妻は今日も元気である。

妻の手には赤い物体が握られており、その物体を振りかざして私に切りかかってきた。
妻は「うわー、やられたー」を期待しているのだろう。私はやられたフリをする。

「それ、何持ってるん?」
「かにーー!」
妻は赤い物体を指さして言った。

よく見たら、私に切りかかっていたのは冷凍タラバガニの足だ。結構デカい……

1本でも痛そうな冷凍タラバガニの足が、数本まとめてパックされている。
1本では大した威力はないかもしれない。でも、数本集まれば凶器と化す。
毛利元就の三本の矢を想起させる……

そうこうしているうちに、妻は冷凍タラバガニの足で再び私を攻撃すべく、前進してきた。

ここは妻の注意を逸らさなければならない。私も暇ではないから、エンドレスに「うわー、やられたー」をする時間はないのだ。

「次の字は『蟹(かに)』にする?」
「無理やろー。そんな難しい字、書き終わるのにどんなけ掛るねん」
「1分くらいかなー?」
「そんな長い間、ジーッと見る奴はいーひん。長くても30秒以内に抑えなあかん」

一応説明しておくと、妻は書道動画をYouTubeに投稿している自称ユーチューバー。正確には、もうすぐ登録者が100人超えるかどうかの弱小ユーチューバーだ。
私は妻のアシスタントとして、妻の書く動画を撮影、編集、YouTubeに投稿している。

うまく妻の注意を逸らせたようだから、私は冷凍タラバガニの足について確認することにした。
我が家では普段カニを買わない。そもそも、日常的にカニを買う家はないだろう。
カニの出所が気になった私は妻に尋ねた。

「それ、どうしたん?」
「〇〇さんが送ってきた!」

〇〇さんとは、この前書いた元部下だ。
私が妻のプレッシャーに負けてしまい、結婚のお祝いを減らした……その彼だ。

「内祝いやってー。他に、イクラと黒毛和牛が入ってたー」
「へー、すごいなー」
「イクラ1キロ、黒毛和牛1キロやでー」

妻はご機嫌だ。
この前の食事会で、彼に「カニ送れ」と言ったことが功を奏した。
「私の手柄やろー」と言いながら実に満足そうな顔をしている。


『内祝い』は半額返しと言われている。
そうすると、彼は◯円分の食品(カニ、イクラ、牛肉)を送ってきたのだろうか?

――いや、それはないな……

私は彼の性格をよく知っている。人のために金を使わない。
うちの妻は「慶応出身者はケチばっかりや」とよく言っている。そんな彼も慶応出身者だ。

※あくまで妻の主観です。そういう慶応出身者ばかりではないと思います。念のため。


それにしても、この時私は彼から初めて何かを貰った。

今まで食事に行っても私が100%払っているし、私から物をあげたことはある。
彼からプレゼントを貰ったことも、食事を奢ってもらった記憶はない。
改めて思い返しても一度もない……

金額はどうでもいいのだが、彼もやっと普通の振舞いができるようになったのかー、と感慨深いものがあった。

なぜ私がそう思うのかを、いちおう説明しておこう。

***

読んでいて違和感を持つ人がいるかもしれないので、先に前提を説明しておこう。

私は会社の代表者をしていて、彼は私の会社に10年くらい在籍していた。

うちの会社は社内で食事に行くときは、私がお金を100%出す。私と社内飲み会やランチに行くのは、一緒に行く人にとっては仕事の延長だ。仕事の一環だから職員がお金を出す必要はない、と私は思っている。
だから、うちの会社の人たちは社内飲み会に参加して、一度もお金を払ったことがない。

前置きはこれくらいにして話を進めると、うちの会社ではたまにこういうことが起こる。

社内の小規模な飲み会でイタリアンレストランに行った。参加者は5~6人くらいだったと思う。2~3時間飲み食いして、お会計になった。
もちろん、私のところに伝票がきた。

「マジで? 10万もすんの?」

この人数だったら5~6万くらいかな?と思っていたので驚いた私。
合計金額の上に表示されていたオーダーの中身を確認した。

“赤ワイン 単価23,000円 数量2 金額46,000円”

どうやら、調子にのってワインのボトルを2本開けた奴がいるようだ。
しかたなく、私はいつものアレをすることにした。

「みんなー、席について目をつぶれー!」

クスクス笑っている参加者がいる。もう恒例なので、何のことかみんな分かっているのだ。
私は飲み会の参加者が目をつぶったことを確認して言った。

「この中に、1本23,000円のワインを2本注文したヤツがいるみたいや。いまやったら怒らんから、注文したヤツは手を挙げろ!」

既視感のある光景だと思う。小学校の先生がよくやるアレだ。

私がテーブルを見渡すと……2人がゆっくりと手を挙げた。
いつもの2人だ。慶応出身の……

彼はその2人のうちの1人。

うちの会社は、誰も仕事しに来ている感覚がない。
遊びに来ているとしか思えないことが、しばしば……これ以上続けると長くなるので、この辺で終わりにしよう。

そういうわけで、彼からの内祝いは半額返しではない、と私は思っている。

でも、カニありがとう!

<続く>
しおりを挟む

処理中です...