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30「蠢く犯神話派」

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 シルヴェリオは絵画サロンにおもむく。
 神話彫刻で何重にもいろどられた、街の中央部に鎮座する重厚な建築物。人間の世界は神たちによる創世。それを体現している権威の象徴だ。メンバーは全て貴族である。
 まずは神話画のスペースを訪ねた。人気ひとけはなく、顔見知りの姿も見えない。
(退屈な絵だ……)
 昔と代わり映えしない古典の焼き直し。同じ事の繰り返しが今の芸術界隈だった。
 続いて一般展示のスペースを覗く。こちらは盛況だった。庶民たちが描いた無名の絵画が並び、客たちはどれが知り合いの絵かと興味津々で眺めている。どれも街に住む人々や自然が題材であり、神の欠片もない。
(さしずめ私が今描いている絵はこちか……。鑑賞されてこそだな)
 じっくりと見たいが、シルヴェリオは次の予定へと急ぐ。

 そして久しぶりに、巨匠ビアジョッティ・ヴィットーレ翁を訪ねる。芸術におけるシルヴェリオの師匠だ。学院と芸術の都ヘルミネンの北東部、王都寄りの貴族街に居を構えていた。
「ようやくその気になってくれたようじゃな……」
「ご無沙汰しております師匠。分かりますか?」
「ここを訪ねる理由が、それだけとはチト寂しいぞ。弟子とは師匠をもっと大切にするものじゃて」
「これから再び神話画を描きます。これでも学院やら、色々と忙しいのですよ」
 老人は相好を崩す。生意気な若者を愉快そうに見つめた。
 王国の、いやこの世界における芸術の究極の重鎮だ。その天才ぶりはあらゆる分野に発揮され王国繁栄の礎となっている。
「そんなことよりもサロンを覗いてきましたよ。ずいぶん面白い絵ばかり展示していましたね」
「反対した者もいたかな? あのような発想は、これから必要になる」
「神話画とは別にですか?」
「そうじゃ。民の生活もまた、神への祈りの先にあるからな」
「今更……」
「事情が変わったのじゃよ……」
 翁は立ち上がる。そして一枚のキャンバス架に向かった。そしてかけられていた布を外す。
「見ろ」
「これはっ!」
「見ての通りじゃがな。よく見なさい」
 その一枚を前にして、シルヴェリオは頭がクラクラした。背筋に冷たいものが流れ落ちる。目を逸してしまいたいが芸術を嗜むものとして、それをしてはいけないと感じた。
 暗黒と絶望と、そして魔のささやき。神を貶め人の心を救うという詭弁。跳ね返って来る悪因を快楽に変える誘い。悪魔の力、魔力が発散している。
「いったいどこで?」
「具体的な場所はわしも知らん。おそらくは地方の教会」
「教会ですと?!」
「足元を狙われたようじゃな」
「この話、父上は――」
「おそらく知ってはいると思うが、聞かれるまでこちらからは話さないほうがいいな」
「この絵はどこの家が手に入れたのですか?」
「それも分からん。ドラゴネッティ家か、もしくはジョルダーノ家か……」
 ドラゴネッティ侯爵家は軍事の雄と呼ばれる大貴族だ。ジョルダーノ辺境伯爵家は、主に地方の教会を手厚く保護している。
「犯神話派」
「そうだ。やつらの仕業じゃよ」
 犯神話戦争。それは周期的にこの世界を襲う厄災だ。人間同士が争いそして人間だけが死ぬ不毛の争い。
「それで庶民たちの絵を?」
「それとこれとは関係ないわい」
 相手が絵を使い闇へいざなうのなら、人間たちは絵とは本来何かを示さねばならない。
「心当たりがありますよ。本日はそちらの報告のためにお伺いしましたから……」
 シルヴェリオは神父討伐について説明する。ミノタウロスも含めたストーク捕食した記憶についてもだ。
「あの大火に、そんな事情があったとはな。教会だけが狙われているとも思えんが……。その教会からは何か発見されたのか?」
「どうでしょうか? 隠す場所などない小さな教会です」
 二人は意見を交換し今後に備えつつ様子をみる、で同意した。動くには情報が少なすぎる。
「ところで、師匠の若い頃の作品を拝見しましたよ」
「ん?」
 シルヴェリオはレイ西の孤児院での鑑賞も説明した。
「あれか。懐かしい。友人がシスター修道女の気を引きたくてな。描いてくれとせがまれたのじゃ。まだ残っておったとはのう……」
「なかなかの傑作では?」
「よく言う。誰かの依頼で描くのもまた修練じゃよ」
「なるほど……」
「そいつ、そのシスター修道女と結婚しおったわ」
「絵の力ですね。それでは。そろそろ失礼します」
「うむ。慎重にな。それからサロンにも顔を出せ。お前の目が必要じゃ」
「心得ました……」

  ◆

 続いてシルヴェリオは【ラァ・スイティアラ】を訪ねる。
「この女性を殺したヤツは分かっているのか?」
 シルヴェリオはアトリエに入り、娼婦たちの肖像画の前に立つ。隣にはグラツィアがいた。
「ここに来たばかりの頃に聞いたわ。同じ村出身の幼馴染み。街に火を放って彼女を連れ出そうとしたの。断られて殺して逃げた……」
「捕まったのか?」
「ううん、行方不明。でもこれは彼女が望んだこと。今はもうその人も死んでいるしね」
 絵画の胸には、ラファエロが持ち出したペンダントが光る。
「この二人に何があったかは分からないわ。殺されて全てを終わらせようだなんて……。ここの娘たちには内緒よ。皆、多感な時期だし」
「分かっているよ」
「遺書を読む?」
「いや、やめておこう」
(あの男は死んだ。五十年たち、女の願いは叶えられた。全てが終わった)
「帰るよ。邪魔したな」
「泊まりに来たんじゃないのね。残念」
「すまないな。帰るよ――、それから……」
 扉に手をかけたシルヴェリオは振り返りグラツィアの目を見つめる。
「街で女性が殺されているとの噂。あれは解決したそうだ」
「そう。ありがとう。もう安心ね」
「うん」
 ある娼婦の計画は五十年の時を経て成就した。愛する殺人鬼を葬るには、長すぎる時と犠牲であった。
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