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第3話 ワカギカメラ
しおりを挟むその日、私は部活を休んで、早めに学校を出た。
ユウと二人で、商店街にあるカメラ屋さんに向かう。
途中の銀杏並木にさしかかると、ぎんなんの香りが漂ってきた。
見れば、足下にたくさんのぎんなんが落ちている。
お父さんが良く作ってくれた茶碗蒸しを思い出した。
鶏肉、椎茸、ぎんなん、三つ葉が入っていて、熱々でぷるぷるトロトロ。
出汁の味が強くて卵臭が少ない、お父さんの茶碗蒸しが大好きだった。
今も、伯母さんの指示で茶碗蒸しをつくることがあるが、エビとかまぼこが入るその味は、私の好みではない。
だけど伯母さんの舌には合うようで、あの口やかましい伯母さんが、
「美里さんは、茶碗蒸しだけは上手に作れるわね」
と、褒めてくれる。
もし伯母さんに、お父さんの茶碗蒸しを食べさせたら、どんな反応をするのだろうか。
きっと、ぼろくそに貶されるだろう。
並木道を抜けると、商店街の入口になる。
半分以上のお店はシャッターが閉まったまま。
平日の午後、私たちの他には人通りが絶えている。
「ねぇ、本当に大丈夫?」
たまりかねたようにユウが口を開いた。
「CIAの心配してるんだったら大丈夫。若城さんは信用できる人だから」
「その若城さんってひとが、僕をCIAに売るかもしれないだろ。お金が絡むとヒトは変わるんだよ」
「幽霊のくせに、人間についてずいぶん詳しいんだね」
「幽霊だってもとは人間だし」
「ほんとに?」
「そういうものでしょ、幽霊って」
「でも、生前の記憶がないんだよね」
「ないねぇ」
「だったら、はじめから幽霊として生まれてきたのかもしれないじゃん」
「そんなことってある?」
「知らないけど、幽霊なんて存在自体が非常識なんだから、何でもありなんじゃない?」
「存在が非常識って……意味がわからない」
「私だってわからないよ……とにかく手詰まりなんだから、誰かに頼らないと」
「それがカメラ屋のおじさんでいいの?」
「専門家だよ?」
「カメラとか写真の専門家ってことでしょ」
「私やユウよりは頼りになると思う」
「……不安だなぁ」
「大丈夫だって。私に任せなさい」
「それが不安なんだよ」
言い合いしているうちに、〈ワカギカメラ〉の前に着いた。
商店街の端っこにある、個人経営の小さなカメラ屋さん。
写真の現像や焼き付けなどのほか、中古カメラなんかも扱っている。
私の行きつけのお店だ。
「頼むよ、美里……僕をCIAに売るようなマネはしないでくれ」
「しつこいなぁ……」
ユウの姿が消え、私はお店のドアを開ける。
「こんにちは~」
「やぁ、美里ちゃん。いらっしゃい」
店主の若城さんが店の奥から顔を出す。
長い髪を後ろで束ね、もじゃもじゃと濃いヒゲを生やした、ちょっとファンキーなおじさんだ。
さほど売上げに貢献していない私にも、親切にしてくれる。
店内には、私の他にお客さんはひとりもいない。
「コーヒー淹れるけど、飲む?」
「はい、ありがとうございます」
「じゃ手伝って」
若城さんが淹れてくれるコーヒーはおいしいんだ。
若城さんの後について、バックヤードに入る。
雑然としているけど、若城さんなりの秩序を感じる空間。
落ち着く。
「カップはこれでいいですか?」
「それ、こないだおっかいちゃったから、他のにしてくれる?」
「おっ……かい……?」
「あれっ、通じない……ほら、縁のところが少し欠けてるでしょ」
「それって方言ですか?」
「うん。今はもう使わないのか……僕たちが子供の頃は、おもしろがってよく使ったもんだけど」
私の周りで方言を使う人はいない。
伯父さんも伯母さんも標準語だし、死んだお父さんも使ってなかった。
「他にどんなのがあるんですか?」
「〈でれすけ〉とか有名かな」
「……わかりません」
「〈何々だっぺ〉は?」
「あ、それ知ってます」
「あとはそうだな……〈ちこ〉とか〈だいじ〉とか……」
「うわぁ……全然わからない。面白いから、もっといろいろ教えて下さいよ」
「ははっ、いいよ。若い人に地元の言葉を受け継いでいってもらいたいしね」
方言を交えて話しながら、若城さんは豆を挽いて直火式のエスプレッソメーカーでコーヒーを淹れる。
私はフォームドミルクの準備をする。
といっても、冷蔵庫から牛乳を出して、それを機械に入れるだけ。
スイッチを押してしばらくすると、ふんわりと泡だったミルクができあがる。
カップに注いだエスプレッソの上に、泡立てたミルクをたっぷりと乗せれば、カプチーノの完成!
部屋の隅に小さなテーブルと椅子が置いてある。
そこに座って、淹れたてのカプチーノを味わう。
若城さんが、カップに浮かんだ泡をひと匙すくい取り、口に運ぶ。
泡が口元のヒゲに付いてしまう。
「若城さん、泡が――」
「おっと」
私も若城さんに倣って、泡をひとくち……
「ん……あま~い」
「色々試したけど、このブランドの牛乳が、しっかりした泡が出来ておいしいと思うんだよね」
「すごくおいしいです」
「でしょ?」
若城さんと顔を見合わせて、にんまりする。
その後は、ミルクとエスプレッソをよ~く混ぜてしまう。
この飲み方が一番おいしいと私は思う。
若城さんは軽く混ぜる派だ。
初めてここでカプチーノをごちそうになったとき、若城さんに飲み方を訊いたことがある。
若城さんの答えは、
「好きに飲めばいいんだよ」
「いいんですか?」
「いいも悪いもないよ。おいしいと感じるのも不味いと感じるのも自分なんだから、自分が気持ち良くなるようにすればいいんだ」
「そうか……」
「写真だって同じこと。他人からどう思われようと、自分が良いと思った作品が良い作品なんだ。まぁ、コンテストとか商売になると、そうも言ってられないんだけどね」
カプチーノを飲むたびに、そのときのことを思い出す。
そろそろ話を切り出す頃合いだろう。
若城さんに、幽霊が写った写真について訊いてみた。
「——そういう写真のことを、〈心霊写真〉っていうんだよ」
「心霊写真……」
「そう。昔はよくあったんだけどね……夏になるとテレビ番組で心霊写真の特集をしたりしてさ」
「へぇ……」
「そういえば、今はめっきり見かけなくなったなぁ……美里ちゃん、もしかして撮っちゃった?」
「へ……」
「心霊写真、撮っちゃったんでしょ?」
「べつに……ちょっと思っただけ。おばけって写真に写るのかな~って」
「本当にそれだけ?」
「学校で誰かが幽霊をみたとか、そういう話をしてたから……幽霊に向けてシャッターを切ったらどうなるんだろうって思ったんです」
「どうなるのかねぇ……人間の目に見えてるってことは、写真にも写るはずだけど。その幽霊が光を反射してるってことだから。ただ、幽霊の写真が撮れちゃったら、お寺とかでお祓いしてもらった方がいいそうだ」
「……へぇ」
「霊障っていって、写真に写った幽霊がいろいろと悪さをするとか」
「……わ、悪さって?」
「金縛りとかさ……最悪、その幽霊に呪い殺されちゃったり――」
「殺されちゃうんですか」
ユウが私に襲いかかる姿を想像してみた。
……ぜんぜん怖くない。
「そういう話もあるってだけ。僕は商売柄、〈本物の心霊写真〉ってやつを何度も見たことあるけど、どれも眉唾っていうかさ……はっきり写ってないものばかりなんだよね」
「ははぁ」
岩城さんが、カップに蜂蜜を追加する。
私もマネしてみた。
「写っているのが光の筋だけとか、木の陰が人の顔に見えたとかさ――光の筋はモルト切れで光が入っちゃったんだろうな……古いカメラだと良くあることだ。陰が人の顔に見えるなんてのは、それこそ思い込みとか偶然だろうし……こじつけみたいなのも多かった。ホントにそれ顔に見えるか? みたいなさ。はっきり人の姿が写ってるケースだと、多重露光が考えられるよね。あとはもう、完全にやらせのいわゆる〈合成写真〉とかね」
「ふぅん……あ、これおいしい!」
「合うよね、蜂蜜。もっとたくさん入れるといいよ」
お言葉に甘えて、自分のカップにたっぷりと蜂蜜を入れる。
「最近はコンピュータでかんたんに、当時で言うところの合成写真が作れるから……それで心霊写真も廃れちゃったのかもしれない」
「そうですかぁ……」
これじゃ、若城さんにあの写真を見せたところで、本物だって信じてもらえないだろうな……。ユウの姿を直接見てもらえばいいんだけど、CIAがなぁ……おっと、私もユウの被害妄想に毒されてきたみたい。
その後も小一時間ほど若城さんと話し込んで――方言の指導を受けたり、カメラの話をしたり――黒白フィルムを一本だけ買ってお店を後にした。
フィルム一本ていっても、結構な値段がする。
少ないお小遣いでやりくりしている身としては、それこそフィルムの一コマ一コマが大切なのだ。
なのにあいつのせいで余計な苦労を――
「どうだった?」
帰り道、ユウが姿を現した。
不安そうな顔。
「幽霊が写った写真のことを〈心霊写真〉っていうんだって。フィルムカメラの時代に流行ったみたいだけど、偽物も多かったとか」
「ふぅん……僕の正体につながるような情報は?」
「なかった。ユウが若城さんの前に姿を現してくれればいいんだけどな」
「それはダメだって言ってるでしょ!」
「はいはい、CIAが怖いのね」
「美里は怖くないの?」
「私は関係ないもん」
「おおありだよ! なにせ、美里の撮る写真にしか、僕は写り込まないんだから」
「え……そうか」
「僕がCIAに捕まるときは、美里も一緒だよ」
「かもね」
「だから美里はもっと警戒したほうがいい」
「う~ん……」
CIAに通報したところで、まともに取り合ってもらえるとは思えないんだけどな。
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