裁かれない罪の償い方 ~刑事は罪を犯した。異世界帰りの元少年は罪を犯す。

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第8話 時は満ちる

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 夜になって暗くなった地元スーパーの駐車場を多くの車が行き交っていた。子供を連れた仕事帰りの母親は不用意に子供が車の前に出ないように手を引きながら、店の中に入っていく。スーツ姿のサラリーマンの男は買い物袋を手に提げて店の中から出てきた。 

 空を見上げてみれば、星の瞬きはほとんどない。満月を翌日に控えた小望月の月明かりと人々の営みの灯りにかき消されて。 

 そんな店先で智尋が今日も一人で捜査協力を求めるビラを配っているのを、正雄は見つけた。 

 ビラを配り続けていた彼が手を止める。その視線は1組の家族の方を向いていた。高校生くらいの男の子と小学生くらいの女の子、2人を連れた父親の姿。3人とも笑顔を浮かべている。 

 10年前なら、彼はあの家族と同じ幸せの中にいた。 

 10年後、あの家族はどうなっているだろうか。今と同じ笑顔を浮かべているだろうか。 

 ――あの幸せを彼から奪ったのは自分だ。 

 このことに思い至ると、正雄の心は罪悪感で強く痛んだ。 

 同時に、こうも思う。 

 ――10年前、俺もあの家族と同じ幸せの中にいた。 
 ――今は俺一人だけ。息子も娘もいない。家に帰っても妻に迎えられることはない。 
 ――どうしてこうなったんだ。 

 深い悲しみで、ぽっかりと大きな穴が開いた心が強く痛む。 

 2つの痛みに耐えかねて、胸をかきむしりたくなる衝動に駆られる。 

 けれど、この衝動が神を自称しているナニカの言葉を思い出させる。 

『なに、心配するには及ばぬ。神が望むものを供物として捧げることには、人の世の縛りは一切関わらぬゆえ』 

『其方が心配しておるように、人の命を奪っても、警察などという組織に捕まるようなこともない』 

『だが、「神への供物」は世界をも超越した普遍のことわり。決して、忘れるな』 

 この言葉が真実かどうかを検証する手段を正雄は持っていない。けれど、実際に仲間たち警察によって逮捕されていない現実から、 

 ――十中八九、真実なのだろう。 

 願望も入っている。 

 ――そうしたら、息子が帰ってきた時に迎えることが出来る。 

 だけど、こんな自分の中に生まれた願望は、 

 ――浅ましい。 

 必死になって掻き消す。そして、 

 ――俺は罪を償わないといけない。 

 家族に視線を送る智尋の姿を目にすると強く思った。 

 ――……でも、どうやって? 

 逮捕されなければ、裁判にかけられることもない。刑務所に入ることもない。 

 自分で罪を償う方法を探して実践しなければならない。 

 ――難しくて辛い贖罪の道のりになりそうだ。 

 心が暗く重くなる。 

 それでも今は、 

 ――大志を早く見つけ出す! 

 重い足を前へと動かす。 

「あ! こんばんは、堂坂さん」 

 近づいた正雄に気づいた智尋の左目はいつものように憂いと深い悲しみを浮かべている。 

 その目を見てしまうと怯んでしまうが、それでも、 

「光村君、この後、時間はあるかい? 悪いが一緒に来てくれないか。理由は……聞かないでくれると助かる」 

 唐突な話に、智尋の顔に戸惑う表情が浮かぶ。 

 当然だ。理由も聞かずについてきてくれ、なんて突然言われたら。 

 けれど、どのように説明する? 神を自称するナニカに会ってくれ、なんて言えるか? 

 だから、頭を下げることしかできない。 

「すまん! 頼む!」 

と言って。 

 身体を90度に折り曲げた正雄の耳には、スーパーの中で流れているBGMが漏れ聞こえてくる。 

 折り曲げた時、智尋の首からいつものペンダントが掛けられていることに気が付いた。 

 ――なぜ、このペンダントをいつも身に着けているんだ? 

 なぜか、気になった。正確には、そのペンダントトップの意匠になっている天秤が。 

 どういうわけか、その天秤に後ろめたさを感じてしまう。 

 今は上下の向きは正しい。先日、商店街で会った時の別れ際は上下逆様を向いていた。思い出すと、なぜか、後ろめたさが強まる。 

 けれど、この後ろめたさはかき消されてしまう。聞こえてきた予想外の言葉によって。 

「……臭い」 

 思わず、身体を戻した正雄の目に飛び込んできたのは、智尋の歪めた顔。 

「あ、すまない。汗臭かったか? 今日は一日中捜査で歩き回っていたから」 

 反射的に言い訳をしてしまう。 

「いえ、違うんです。……ただ、性質たちの悪い存在にからまれましたね」 

 言葉を途中で切った後、躊躇いがちに続けた智尋の顔には、笑って否定されて当然、と言った感じの表情が浮かんでいた。 

 だが、正雄は笑えなかった。逆に、顔が引きつった。神を自称するナニカの姿が脳裏に浮かんだから。それが纏っていた腐臭のことを嗅覚が思い出したから。 

 新しい言い訳の言葉が浮かんでこない。それゆえに、衝動的に実力行使に及んでしまう。 

「悪い! ついてきてくれ!」 

 けれど、正雄が引っ張ろうと智尋の腕を掴んだ瞬間、 

 シャラン 

 と音がした。智尋の首から下げられているペンダントトップの向きが変わった。天秤が90度横を向いた。 

 正雄の背筋にゾクリと寒気が走った。まるで、隠していた悪事が暴かれたような気がした。 

 それでも、感情を振り払い、智尋を連れて行くために、彼に背を向け、掴んだ腕を引っ張った。 

 ――大志を見つけ出すために! 

 一歩も動けなかった。 

 華奢でボロボロの智尋の身体なら、簡単に引っ張って行けるはずなのに。 

 警察官として鍛えられている正雄が引っ張り負けするなんてありえないはずなのに。 

 ――なぜ? どういうことだ? 

 そんな疑問が浮かんだのは一瞬だけ。 

 かけられた言葉によって飛ばされる。 

「ああ。そういうことだったんだ」 

 全てをかなぐり捨てて、這いつくばってでも、この場から逃げ出したい衝動にかられた。 

 そんな醜態をさらさなかったのは、正雄の男としてのプライドか、警察官、刑事としてのプライドか。 

 それでも、智尋の腕を手放すのは抑えられなかったが、 

 ガシッ 

 逆に、智尋に力強く掴まれ返され、その勢いで正面から向かい合う体勢にさせられた。 

「私の家族が殺されたのは『神への供物』だったんですね」 

 ヒュッと息を呑んでしまう。知られたくなくて隠していたことの一端を暴かれたことに対して。 

「だから、犯人は見つからなかった」 

 智尋の顔は下を向いている。表情をうかがい知ることは出来ない。 

「なぜ、分かったのか不思議にお思いですね」 

 彼の空いている手が首から掛けられているペンダントのトップに伸びる。 

「このペンダントは10年前に私たちが飛ばされた異世界で手に入れたものです」 

 彼の手がペンダントトップに刻まれた天秤を撫でる。 

「私が仕えている神が供物を求める時、私がその供物に触れた時に、この天秤が反応するんです」 

 正雄は思わず恐怖の生唾を飲み込む。自分が触れたときに反応した。つまり、自分が神の供物の対象になった。 

 そんな彼を見透かすように智尋の口から笑い声が漏れる。 

「ふふっ。怖がらなくてもいいですよ。天秤は逆様にはなっていません。あなたは私の神から求められていないのです」 

 この言葉に反応して、先日の商店街での別れ際のことと、 

『そうそう。其方が最初に問いかけてきた人殺しもその者よ。異なる世界の神に供物を捧げておる』 

 神を自称するナニカの言葉を思い出す。 

 刑事としての誇りも思い出す。その誇りで口を動かす。震えながら、何とか辛うじて。 

「君が真辺健矢を殺したのか? 先日、商店街で別れ際にその天秤が反応した男のことだ。他にも、最近2人の男を殺しているな」 

 下を向いていた智尋の顔が上を向く。彼の左目が正雄を貫いてくる。 

「ええ。殺しました」 

 その左目には憂いと深い悲しみはなかった。 

 人を殺したことへの良心の呵責も見られなかった。 

 あったのは、自分が行ったことへの自信と誇り。 

 そして、強い意志。 

 思わず、「人を殺しているんだぞ! 3人も! 君には罪の意識はないのか?!」を責め立てようとする感情が浮かんで来ようとするが、 

「私の家族を殺した相手を探し出すために、私の神に捧げました」 

 続いた智尋の言葉によってかき消されてしまう。 

「堂坂さんは当然知っていますよね。私が殺した3人が何をしていたのか」 

 「それは君が殺人の罪を犯す理由にはならない」と反論しようとする刑事としての誇りは、自分が8年前に犯した罪の意識によって潰される。 

「私は向こうの世界でも悪人の命と魂を私の神に捧げ続けてきました。すべてはこの世界に戻ってくるために」 

 さらに続く智尋の言葉は正雄の良心を強烈に抉ってくる。 

「家族にまた会うために」 

 正雄の内心を気に留めることなく、智尋は視線を落とし再びペンダントトップに刻まれた天秤を撫でる。 

「この天秤は相手が犯した罪も教えてくれるんです。天秤は神の権能。『神への供物』は人の理には左右されませんが、神の権能から隠し通すには力不足です」 

 再度、智尋の左目が正雄を貫いてくる。 

 ――言わないでくれ! 
 ――そうじゃない! 
 ――俺じゃないんだ! 

 正雄は心の中で叫ぶばかり。智尋の目によって射すくめられ、口を動かすことは出来ない。逃げ出すこともかなわない。 

 近づかず距離を取っていれば良かったのだ。智尋によって己の罪が暴かれることを怖れて。

 それでも、息子を探し求める気持ちが上回った。

 心の奥底のどこかで高をくくっていた気持ちもあったかもしれない。

 ――警察俺たちが手掛かりひとつつかめていないのに、一般人の彼がたどり着くことなんかあるわけがない。

 けれど、その時は来た。

 自分が8年前に犯した罪を、もっとも知られたくない相手によって、暴かれる時が。 

 報いを受ける時が。

 二人を見守るのは空に浮かぶ小望月のみ。その月は、翌日に控えた満月から、来るはずの人を待つ宵も意味する。 

 正雄にとって、招かれざる人。 

 智尋の左目に憎しみの炎が灯る。 

「堂坂さん、あなたですね。私の家族を殺したのは」 

  
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