白紙の人生をゆっくり歩こう ~宝来奏絵のスロー・フォーチュンテリング

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第4話

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「なあ、これから俺たちとカラオケに行こうぜ」 

 個別指導塾の窓際のブースで一人、算数の問題を解いていた奏絵は聞こえてきた男の声でシャープペンを止めてしまった。 

 ――邪魔。 

 シャープペンを再び走らせるが、集中力が切れかけている。 

「なあ、無視すんなよ。聞こえてんだろ」 

 顔を上げれば、一人の男がブースを隔てる衝立の上から覗き込んでいた。 

 ――なぜ、私に話しかける? 勉強の邪魔。 

「やっぱ聞こえてんじゃん。カラオケに行こうぜ」 

 「俺は格好いい」と自分に酔いしれている顔を男はしていた。断られるとは欠片も考えていないことも。 

 奏絵にはその類の顔に見覚えがあった。かつての客たち政治家・会社のトップだ。自分以外はゴミ、異性は自分を引き立てる飾り、世界は自分を中心に回っている。そんな感情を言葉にせず体現していた彼ら・彼女らの顔に似ていた。ただし、彼ら・彼女らには感情を裏打ちする経験が少なくともあった。 

 目の前にいる男にはそれが無い。 

 ――薄っぺらね。 

 鼻で笑いたくなった。代わりに、 

「興味がないわ」 

 冷たく切って捨てる。 

 ――行くなら、お姉ちゃん恵梨果と行くわね。 

「そんな冷たいこと言うなよ。楽しいぜ」 

 男は少し鼻白むが、それでも食い下がってきた。 

 合間に一瞬だけどこかを向いた視線から、 

 ――私を連れていくことを誰かに約束でもしたのかしら。 

 くだらない見栄を奏絵は見透かす。 

 ――付き合う義理は欠片もないわね。 

「邪魔。あっちへ行って」 

 上げていた視線を問題集に戻して、関心がないことを態度でも示す。 

「……チッ。つまんねー女」 

 舌打ちとともに吐き捨てると、男は塾全体に聞こえるように声を張り上げた。 

「小学生の問題を解いているような頭空っぽの女なんか、いらねーんだよ」 

 気配が遠ざかっていく。それを感じながら、奏絵はポツリと小声で零した。 

「そういう態度が自分の価値を下げるのよ」 

 ――梨々花なら……。 

 あっさりと引き下がった。「つれないなあ」と文句は付けたが、笑顔だった。 

 いつもそう。拒否ばかりでも、必ず奏絵の選択を尊重する。必ず笑顔を添えて。 

 ――今度もう一度カラオケに誘われたら、一緒に行ってもいいかな。 
 ――あ。でも、カラオケには一度も行ったことない。 
 ――それどころか、歌もまともに歌ったことがない。 
 ――だけど……。 

 嬉々として楽しみ方をゼロから教えてくれる梨々花の姿が思い浮かんだ。 

「ふふっ」 

 奏絵の口から小さな笑い声が漏れ出てしまう。 

 ――意外と楽しいかもしれないわね。 

 算数の問題にまた取り組もうにも、集中力が完全に切れてしまった。 

 シャープペンをコロンと机に転がす。 

 視線を横に動かして窓の外を見た。 

 青い空。そして、風に流されるまま、一カ所に止まることのない白い雲。 

 ――もしも、以前のままだったら……、 

 温かな奏絵の心に凍てつくような寒風が吹いた。 

 ――今は全く想像できない世界ね。 

 恵梨果に甘えることも、梨々花の笑顔を見ることも。 

 視線が下に落ちる。窓からは駅前のロータリーを見下ろせる。 

 そこには巨大な人だかりができていた。その中心に一人の女性がいた。 

「……総理」 

 正確には、前の内閣総理大臣。日本憲政史上初めての女性首相で、「稀代の名宰相」と人気が高い院田鹿乃子いんだ かのこ。 

「あの人を見るために、これだけ多くの人が集まったんだ」 

 その彼女が選挙カーに設えられた演説台の上に立っていた。 

 距離が離れているから、どんな表情をしているかは分からない。大きく手を振りながら、何かを話しているのは分かった。 

 ビルのガラス窓に遮られて、声は全く聞こえない。 

 でも、ふと、目があった気がした。 

『はばたきなさい。もう、あなたを縛り付けるものは何もないわ』 

 彼女から別れ際に告げられた言葉の記憶が耳元で囁いてきた。 

 祖母に連れられて彼女と初めて出会ったのは5年前。総理になる直前、与党の党首に選ばれる選挙の時だった。 

『ねえ、この選挙で勝つにはどうしたらいい?』 

 占った。彼女は占いの通りに行動した。 

 与党の党首に選ばれた。 

『本当に、私が総理になるの?』 

 占った。彼女は国会で内閣総理大臣に指名された。 

『今度、アメリカの大統領と首脳会談するの。どうしたらいい?』 

『甥がバカをやって、マスコミから総攻撃を受けているんだけど、どうしたらいい?』 

『虐待された子供を守るこの法案は絶対に成立させたいの。私の政治家生命をかけているわ。どうしたらいい?』 

『来年の予算案を成立させるには、どうしたらいい?』 

『党の幹事長が私を無視して勝手に決めているんだけど、どうしたらいい?』 

 その度に占った。 

 彼女が総理になってからは、専属の占い師となった。彼女だけを占う毎日が続いた。首相官邸近くのホテルの一室から出ることはほとんどなかった。 

 「稀代の名宰相」と謳われていることを奏絵が知ったのは、彼女の下から離れた後。 

 ある日、祖母が死んだ。祖母の死骸は、知らない僧侶が経をあげた後、火葬場で燃やされた。 

 占いによって死期を知っていたから、驚きも慌てもしなかった。 

 けれど、燃え残った灰を見て、奏絵は心にポッカリと穴が開いたのを感じた。 

 小さな骨壺をポシェットに入れて、心の穴を抱えたままホテルに戻ると、いつものように鹿乃子を占った。 

 その占いが終わった後、 

『あなた、これからどうするの?』 

 何気なく、でもどこか探るように、鹿乃子から問いかけられた。 

 「政治家」院田鹿乃子のいつもの姿。 

『……どう、とは?』 

『占い一本で食べていくのか、よ』 

『……それ以外にあるのですか?』 

『あるのですかって、あるでしょう。あなた、まだ若いんだから、やりたいこととかいろいろあるでしょ』 

 「答えが当然ある」と言わんばかりだったから、必死になって頭を絞った。 

『……強いて言えば、普通に学校に通うことですか』 

『……へ?』 

 意表を突かれた彼女の顔は見なかったことにした。なぜ、そんな顔をしたのか、わからなかったから。 

『小学校も中学校もまともに通っていないので、今さらですが』 

『……え? 今、高校生じゃ?』 

『違いますよ』 

『じゃあ、今まで、普段、何をしていたの?』 

 「何をしていた」と聞かれても、奏絵には今度こそ答える言葉を見つけることが出来なかった。 

 自然と頭が横に傾いた。 

『……院田鹿乃子。今まであなたは何をしていた?』 

 ガバッと、鹿乃子が頭を抱えてテーブルに伏せた。 

『学校の教員として虐待を受けた子供を守れなかったから、政治家を目指したんじゃなかったの。全ての子供が幸せになれる社会にするため、政治家を目指したんじゃなかったの。なのに、なのに、こんなに身近にいたのに……私は見過ごしてしまっていた』 

 ――今更。 

 漏れ聞こえてくる言葉に、奏絵は無感動に見つめるしかなかった。でも、 

『決めた!』 

 唐突に顔を上げた彼女の表情は、奏絵にとって初めて見るものだった。 

『これからは普通の人生を送れるように、あなたを解放する』 

 あえて言えば、「政治家」の仮面をはぎ取った「普通の人」。 

『そのために総理を辞めるわ。タイミング的にもちょうど良い。今度の党首選挙には再出馬しなければいいの。よし! 決めた!』 

 ドタバタと出ていった。 

 翌日、やってきた鹿乃子は大量の荷物を抱えていた。中身は学校の教科書、参考書。 

『勉強をしましょう! 最低限の常識と知識を身につけていないと、これからのあなたの人生で大きなハンデになってしまうわ。だから、まずは勉強の仕方を学びましょう』 

 奏絵の過ごす時間が変わった。占いをすることがなくなった。代わりに、勉強をするようになった。 

 そして、最後の日。奏絵のために鹿乃子が用意したのは、 

『ごめんなさい。あなたの名前はここに置いて行ってもらわないといけないの。私が国家機密を話しすぎたせい。代わりに、あなたの新しい名前を用意したわ』 

 「宝来奏絵」という名前の新しい戸籍、 

『これはあなたのおばあさんがあなたに遺した財産。それと4年間占ってくれたお礼』 

 どれも数字の0が7つ以上並んだ銀行の通帳の束、 

『それから、これはあなたの又従姉妹という人の連絡先。あなたの面倒を見てもいいと手を上げた人。もしよかったら尋ねてみて』 

 倉元恵梨果の住所と電話番号、最寄駅から自宅までの道を記した紙と、 

『これまでありがとう。あなたの言葉はずっと私を支えてくれた。でも、もう十分。……だから、はばたきなさい。もう、あなたを縛り付けるものは何もないわ』 

 別れの言葉だった。 

 そして、今。奏絵は勉強をしている。 

『やっぱり、高校は卒業しておいた方がいいと思うわ』 

 恵梨果のアドバイスに従って。 

『自分で勉強して、高卒認定試験の合格を目指してもいいし、通信制の高校に通うのもありだと思う。まだ若いからね。急ぐ必要はないわ。時間はたっぷりある。高校を卒業した後どうするか、はまたその時になって考えましょう』 

 試験合格を目指すか、通信制高校に通うか、どちらにするかはまだ決めかねている。 

 それでも、自宅だったり、カフェ「ノクターンテーブル」の店主の佐奈子に紹介してもらったこの個別指導塾で少しずつ勉強を進めている。 

 白紙の人生をゆっくりと歩くために。 

 だから、奏絵は机に転がったシャープペンを再び手に持って、算数の問題に取り組む。 

 奏絵の顔に笑みが浮かぶ。 

 ――もうちょっと勉強したら、お姉ちゃん恵梨果のヘアサロンに行こう。 

 一緒に家へ帰る道はとても楽しい。 

 カリカリ 

 シャープペンの書く音が彼女の耳に心地よく響いた。 
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