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幻想図書館 エピローグ

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チュンチュン…。
ガラガラ…。
ガヤガヤ…ザワザワ…。

   部屋の外からは動き出した街の音が聞こえる。街路を走る馬車の音。通りを歩く人々の足音、世間話の笑い声。
   いつも通りの街の朝。変わらない日々。

「うーん…」

  もぞもぞと布団を頭に被り、窓からの日差しに背を向けるように寝返りをうつ。

ふに。

   何かに手が当たる。柔らかい。少女は薄ら目を開ける。その目に映ったのは…。

「のわああああああーーーー!!!???」

   大声をあげてベッドからズドンッと転がり落ちた。その大きな声と音に驚いたなにかは布団からもぞもぞと顔を出す。
   同時に、聞き慣れた男の声がドアの方から聞こえた。

「…朝から何を大暴れしているんだ…?」

   床に打ち付けた体を擦りながら少女オルメカは声の主の方を向く。呆れたように腕組みしながら壁にもたれ掛かる金髪の美男子、ソロモンが立っていた。
…呆れた顔してても美人は美人だな。

   ぼさぼさの髪、着崩れた部屋着。女子力というもので測るなら、それは測定不可と判定されているだろう。お姉さん座りのように床に座り込んで、ポカンとした顔をしている。

「ん…どうかしましたか?」

   今度は先程まで自分が眠っていたベッドから声がする。

   少年だ。幻想図書館にいたあの少年。布団を半分被った状態で眠い目を擦っている。
…眠い目擦る美少年って眼福だよね。そこに舞い降りた天使のようだよ。

   そこまで考えて、はたと今の状況を整理する。

   そう、昨日…いや正確には明け方だった。ヒストアの街から東に位置する草原であった出来事を思い出す。あの都市伝説…幻想図書館は、もう何処にも存在しない。異界の神ラーが全てを焼き尽くした。だからもう、少年の帰る所が無いわけだ。そんな訳で少年も旅に同行する事になった。

…そうそう。それでー…

   召喚魔法の契約は拒否されたが、行き場のない少年は一緒に居ることになったのだ。もちろん、オルメカとしてはどのみち美男子が旅のお供に増えたのだから万々歳だ。
   三人になった彼らはひとまずヒストアに街に戻り、宿屋で一休みする事にした。

   だが、一つ問題があった。ヒストアの宿屋での部屋は取ったままだったから再予約する必要はなかったが、取っていた部屋は一人部屋。ソロモンはベッドで寝ないのでオルメカの分だけベッドがある。つまり、少年が寝るベッドが無かった。
   そこまで思考を巡らせ、ベッドの上でちょこんと座る少年を見る。

…あーそうだ。それで、椅子じゃ寝られないしで一緒に寝ることになったんだ。

   パンパンと立ち上がりながら服をはたく。冷静に状況を整理したオルメカは、深呼吸して息を整える。その様子を見ていたソロモンがドアの近くから部屋の中に入ってくる。それに気づいた少年は首を傾げた。

「…どうして部屋の中に入れたのですか?鍵が掛かっていたはずじゃ…?」

   少年の疑問はもっともで、確かに彼は外で仮眠を取っていた。その際、この部屋の鍵は締められていた。

「ああ、うん。鍵は掛かってるけどソロモンは大魔法使いだからね、開けようと思えば鍵くらい魔法で開けられちゃうんだよねー。こう、ちょちょいーっと」

   あっけらかんとオルメカが答える。その説明に不安を覚えたソロモン自身がフォローを入れた。

「…一応、誤解がないように言っておくが、ところ構わず鍵を開けたりしないからな。朝起きて来ないそいつを叩き起すために始めた荒療治だ」

「あっははー!いやー痛い起こし方が多いけど実に助かってます。ソロモン目覚まし時計」

   口調はそこまで牽制していないが視線では喧嘩している二人を眺めながら、じゃあどうしてソロモンはベッドで、部屋で一緒に寝ないのだろうとぼんやり思っていた。同じ部屋で起こしてあげればいいのに。





   三人は朝の支度を済ませ、宿屋のチェックアウトも済ませ、後にする。
   時刻はそろそろ十二時を回る頃。遅い朝ご飯の後、馬車乗り場に向かう。

「何処に行くんですか?」

「えっとねー…」

   オルメカは自分の隣をちょこちょこ歩いてついてくる少年が可愛くて声を押し殺しながら身悶えしつつ歩く。その奇妙な動きを冷めた目でソロモンが眺めている。つくづく、変な奴と契約を結んでしまったなと思う。後悔はしていないのだが。

「ああ、そうだっ」

   さっきまで奇妙な動きをしていたオルメカがふいに声を上げる。ソロモンと少年は視線を向けた。

「なんかもうすっかりタイミングを逃して忘れてたんだけどさ、少年の名前って?」

   思い出したように口から出た質問に男二人は面を食らったようだった。二人も自己紹介をしていなかった事に気づく。

「私は美男子愛好家のオルメカ。こっちはソロモン。もう説明したけど私の召喚魔法で顕現中なんだよね。それで…キミの名は?」

   馬車乗り場に向かいながら三人は話す。

「…あ、あの…。ボク…名前……わからないんです」

   その言葉にオルメカは動きを止めた。

「えっ…?名前わからないの?」

「そうか…記憶が無いのか…幻想図書館に来る前の記憶が」

「…?そういうことなんでしょうか?」

   本人はさほど気にしているでも無いようだが、その事から察する彼の背景は想像にかたくない。それに一つ問題がある。今回は契約を拒否されたので構うことはないが、魔導書での契約には名前が必須だ。

   いつか契約する事を諦めてはいない彼女としては由々しき事態である。もちろん、それだけではない。名は体を表すと言うし、その人を構成する必要な要素でもある。自分が何者かを知る大事なピースだ。

「そっかぁー。名前無いのか…」

「はい」

「じゃあさ」

   オルメカは少年の左手を握る。

「名前無いとこれから呼びにくいしさ、“アリス”って言う名前はどう?」

   そう提案した。本当の名前がわかるまでの間だ。

「ありす?」

「異世界文学の主人公なんだけどね。仮の名前ならぴったりかなって」

   どういう物語なのかをソロモンも少年も知らなかったが、オルメカがそう言うならそれでいいかとその案を受ける事にした。
   こうして、名無しの少年は本当の名前がわかるまでの間“アリス”と名乗ることになった。

   そんな話をしている間に、馬車乗り場に到着した。

ブルルルルッ…。

   馬車乗り場では馬車に繋がれた馬が鼻を鳴らしている。アリスは初めて見る馬や馬車に感動してはしゃいでいる。その姿が可愛くてオルメカはカバンから流れるように携帯を取り出しシャッターの音を鳴らしまくる。上機嫌なオルメカと目新しい物に目移りするアリス。多少、いや、かなり自由人が揃ったようでソロモンは額に手を当てて溜息をついた。


ーこれから、賑やかで騒がしい旅になりそうだ。

   金色の髪が陽射しに煌めく。彼の顔は少し綻んでいた。
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