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鏡花水月 花言葉の導①-1

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 ガラガラ…。

    馬車から降りて、思いっきり伸びをする。
    よく晴れた空は青々としていて、雲ひとつない。
    風が吹き抜け、オレンジ色の髪を揺らす。

    目一杯息を吸い、吐き出した。
    風の爽やかな匂いに花のフローラルな香りが花をくすぐる。

   そう、ここは花と風の街フロル・ローダンセ。
   緑豊かな立地に、山に向かって登っていくように段々上に作られたレンガ造りの家とそんな家を囲む様に植えられた緑と花が特徴の街だ。階段と坂が多いことでも有名で、この街の象徴は羽根が色鮮やかに塗られた風車だ。
   レンガの色も茶色やピンクや黄色や白やと、実に様々な彩りをしている。

   一歩、門を潜り抜けるとそこには花の香り溢れる鮮やかな街並みが広がる。風に乗って様々な色や形の花びらが舞い踊っていた。

「んー!やっぱここは空気が新鮮で美味しいねー!」

   そう伸びをしながら言ったのはオルメカ。
   先頭を歩き、その後を二人の人物がついていく。

「わぁ…!お花がいっぱいです…!」

   嬉しそうに顔を綻ばせながら空に舞う花びらを追いかけてキャッチする。無邪気なその姿が可愛らしいこの少年はアリス。
   そんな彼の姿をご満悦な顔で写真に収めまくっているオルメカの、その隣に立つ人影に、頭をパンフレットでポスっと叩かれる。所詮パンフレットは紙だ。痛くはない。とはいえこういう時はつい、反射的に声が出てしまう。

「痛っ」

   パンフレットで叩かれた頭を大袈裟に擦る。
   仕返しにとキッ!と睨み付けるが、今度はそのパンフレットを顔に押し付けられた。

「…相変わらずだな、お前は」

   オルメカは顔に押し付けられたパンフレットを少しずらして声の主を見上げる。
   金色の長い髪が風に揺られ、晴れた陽射しにキラキラと輝いている。
   呆れたような優しいような、そんな眼差しでこちらを見ている人物。ソロモンだ。相変わらずの美人だ。晴れた日の空の下にいるとその美人度は増す。
   流れるようにオルメカは先程までアリスを撮っていた携帯のカメラでそんなソロモンをパシャりと切り取る。

「…おーまーえーはぁー!」

   バッ!とオルメカから携帯を取り上げる。

「あーーー!」

   ソロモンの方が背が高い。その高身長を最大限に生かし、取り上げた携帯を空高くに持ち上げる。その足元でオルメカが手を伸ばしピョンピョンと跳び跳ねて取り返そうと頑張っている。

「もー!ソロモンずるいって!絶対届かないの知ってるじゃん!」

   あとちょっとで届きそうになると、ソロモンがひらりとかわす。

「当然だ。届かないようにわざとしているんだからな」

「むきー!!」

   ぷくーっと頬を膨らませる。一応、オルメカは二十歳にはなる女性なのだが、こういう一面は随分と子供っぽい。
   だが、そんなところもソロモンにとっては新鮮で思わず噴き出してしまった。

「ふっ」

「あ、ちょっと何笑ってんのさ!」

   手で顔を隠すようにして肩を震わせながら笑うソロモンにオルメカは抗議をする。誠に遺憾である。何故、笑われねばならぬのだ。

   ぐいっと顔を隠す手を掴んで引き寄せる。オルメカはちょっと恥ずかしくもあり怒ってもいるのだが、ソロモンの顔を覗き込むと、バチッと目が合う。

「!!」

   思わずバッ!と後ろに後退りする。それから咄嗟に手で鼻を被う。

…美男子の顔を間近で見たら鼻血出ちゃうって…!!!
   ちょいちょいソロモンの顔を見て鼻血を出しているオルメカも流石に学習したらしい。適度な距離を取る。

   視線を合わさないようにしているようで、ソロモンがオルメカの顔を覗き込むとふいっとそっぽを向く。ソロモンはそんな反応をするオルメカが面白い。
   つい、意地悪をしたくなるのだ。
   そんな二人のやり取りを見ていたアリスがソロモンの隣にやって来る。

「…お兄さん、またお姉さんが何かしたんですか?」

「ああ、アリスか。…そうだ。また勝手に写真を撮っていたんでな」

   腕組みをしながら、右手は口元に添えている。
   アリスにはそんなソロモンが嬉しそうに微笑んでいるように見えた。

「…お兄さん、やっぱりお姉さんが大好きなんですね」

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    アリスの突飛なその言葉にソロモンは一瞬、固まった。

「…ん!?」

「え?だってお兄さん嬉しそうですよ。お姉さんとじゃれるのが好きなんじゃないんですか?」

   きょとんとした顔で聞いてくる。どうやらアリスの目には純粋にそういう風に見えていたらしい。そりゃ、まぁ、確かに嫌いではないが…。
   そんな二人のやり取りをそっぽを向いていたオルメカはチラチラと気にしている。

「じゃれる…って…。そんな風に見えてたのか?」

「はい。いつも仲がいいなって。図書館の本で読んだんですけど、好きな人には意地悪をするものだって。だからいつも意地悪をしてるお兄さんはお姉さんが大好きなんだろうなって」

   えへへといった風に笑うアリスにソロモンは面を食らった。
   アリスは素直で純粋だ。だから、あまり全否定も出来ず、ソロモンは濁したような返答をした。

「いや、何て言うかだな…。確かに嫌いではないが…まぁ悪い奴ではないと…」

   そう答えつつ、恥かしくなってきたソロモンは手で口元を被う。自分でも判るが、きっと顔が赤くなっているだろう。正直に言うとこの手の話題は久しぶりだ。どういう反応が正解か忘れてしまった。だが、それを聞いていたアリスが嬉しそうに笑っているから、良かったと言えば良かったか。

「ボクもお姉さんのこと好きですよ」

   そう言ってずっと抱きしめたままのハート型のパズルを右手だけで持ち、左手でソロモンの服の裾を握る。

「お兄さんのことも大好きです!」

   オルメカ曰くアリスの天使の微笑みがソロモンに向けられる。
   その二人のやり取りを見ていたオルメカが殺気を放つ。

   ゾクッと悪寒を感じたソロモンは、チラリとオルメカの方に視線を向ける。そこには血涙を流しながら、ぐぬぬと堪えている彼女の姿があった。力の限り服の裾を握っている。
   それを見たソロモンはサーッと冷や汗が流れ事態を悟り、奪っていた携帯をオルメカに返し、アリスをオルメカに抱きつかせに行かせたことで事なきを得た。






    街に着いてから小一時間ほど、観光がてら街を練り歩く。

「あ、あれあれ!」

   そう言ってオルメカが指差したのは、この街一番大きな風車だ。一軒家の屋根から大きな風車がそびえ立っているのが見える。六つある大きな羽根が風を切るように回っている。

   羽根は三色で赤、黄、緑と順番に並んでいる。それが空の青とのコントラストで大風車が観光地だと言われるだけあると思えるほどその姿は雄大で綺麗だった。

「あれがね、この街一番の名物の大風車なんだって!」

   風車の周りと屋根にたくさんの花が植えられている。それがまた鮮やかな彩りを作っている。この花と風の街にはぴったりだった。風車が回り、その風が花びらを舞い上がらせる。

「すごい…!大きいですね!あれが風車、なんですね…!ボク、本物を初めて見ました!」

   大風車を見上げながらアリスは目を輝かせている。

「ああ、確かにこれはすごいな。風車と花と花びらか…」

「ねー!すっごいでしょ?一回、来てみたかったんだよねー!」

「ほう…?ここに来た理由は、あれが目当てだったのか?」

   珍しいなとでも言うような目でソロモンはオルメカを見る。その視線の意味を察したオルメカは心外だ、と言う風である。

「むー。ちょっと、ソロモンさん?私は美しいものとか綺麗なものとかも好きなんですよ?これも見たかったんですー!この時期は特に色んな花が咲いてて一番良いコントラストで街中が彩るからね!」

「…今、これも、と言わなかったか?」

「…え?」

「これも、と言わなかったか?と聞いたんだ。どうせオルのことだ。これ以外にも目当てがあるんだろう?」

「うぐ…。鋭いね…」

   ソロモンに追及されてオルメカは口ごもる。図星だ。

「この風車以外にも何かあるんですか?」

   大風車の近くまで見に行っていたアリスがこちらに戻ってくる。

「え?えーっと…」

   オルメカは濁したようにその視線を宙に泳がせていたが、ソロモンがパンフレットのあるページを開いて見せる。

「…オルの目当てはこれだろう?」

   ずいっとそのページをオルメカの眼前に突きつける。じとーっという冷たい目線と押し付けられたパンフレットの裏でオルメカは苦笑いをしている。どうやら否定出来なかったようで、あははと笑っていた。そのパンフレットを横からひょいっと取り、開かれていたページをアリスが読み上げる。

「えっと…今月もやってきた花祭はなまつり。期間は毎月十日から二十日の十日間で、十八日からの三日間には華舞の宴を開催!…だそうです。…お姉さんはこのお祭りに来たかったんですか?」

   そう聞きながらパンフレットのページから視線を外し、ソロモンの隣に立つオルメカの方を向く。当の本人はソロモンの反応を気にしながらも居心地悪そうに苦笑いをして、じりじりと傍を離れていく。
 そんな彼女をソロモンは腕を捕まえ逃がさない。向ける視線は相変わらず冷たいものだ。

「お祭り…?違うよなー?オルさんや。お前の目当てはこの華舞の宴に出てくると言う、花の似合う美男美女が舞う円舞のことだろう?」

   パンフレットには華舞の宴について記された項と写真が載っている。その写真には花の冠を被った男女数人が色鮮やかな着物と花を身に付けて舞でも舞っているような場面が写っていた。

   ソロモンはその写真を指差しながら、オルメカに突き付ける。別にそれが駄目だとか言うつもりはない。そもそもこの旅は彼女の趣味の旅。彼女が持つ魔導書にそのお眼鏡にかなった美男子を召喚契約して納めていくというものだ。      
   だから、彼女がこの花祭で開催されるという華舞の宴で舞を披露するその美男子が目当てだと言われても納得がいく。しかし、それはそれ、何とも複雑であり、ソロモンはつい、意地悪をしてしまう。

「む、むー!そ、それが目的で悪い??大体、この旅の主旨はー!」

「言われなくともわかっているさ」

   反論しようとしたオルメカの言葉を遮るようにソロモンが言う。
   オルメカの眼前に突き付けたパンフレットを改めて持ち直し、パラパラとページをめくる。

「…お兄さん…?」

   そんなやり取りを見ていたアリスは、彼の表情に陰りがあることに気が付いた。

「…とりあえず、宴の円舞の時間は夕方五時からのようだ。ならば、先に宿を探さないか?」

   パンフレットを畳みながらむくれるオルメカと心配そうにしているアリスに提案する。

「今はちょうど花祭の中でも華舞の宴が催される時期だ。もしかしたら今からでは宿屋も取れないかもしれないが…」

   ふむ、と顎に手を添え考える。

「じゃあさ、上の方行ってみない?下の街の入り口付近やこの大風車付近はもう埋まってると思うんだよね。でも上の方なら階段とか嫌がる人もいるんじゃない?」

   頭を切り替えてオルメカはソロモンの横に立つ。

…ソロモンの意地悪はいつものことだもんね。まぁ、でも、こういう意地悪あるだけでもソロモンがここにいるって思えるから、いっか。
   ふっ、と笑みがこぼれる。しょーがないか、といった顔でソロモンの顔を覗き込む。こんなとき、身長差から上目遣いのようになるのがオルメカ的には好まないのだが、反対にソロモンから見ると、そんな上目遣いのオルメカは可愛く見えてしまうらしく、普段の美男子追っかけ変態っぷりも薄れるようだ。

   上目遣いで顔を覗き込んでくるオルメカの頭をポンポンと撫でる。

「…意地悪をして、悪かったな」

   ポツリと呟く。その言葉はちゃんと聞こえており、オルメカは笑って返した。

「…行きましょう?」

   アリスがオルメカの手を握る。オルメカもその手を握り返す。

「うん。じゃあ、宿屋探しに行こっか!」

   そう言ってオルメカは左手でアリスの手を、右手でソロモンの手を繋ぐ。
   急に手を繋がれたのでソロモンはビクッとなって驚いた。

「なっ、なんだ…?急に…」

   驚きはしたものの、ソロモンは繋がれたその手を払うことなく握り返す。それを見てアリスとオルメカは一緒になって笑う。

「ふふっ。これは仲良しの証なんだよねー!」

「ねー!」

   そう言って二人が楽しそうに繋いだ手をぶんぶんと振って笑い合っているの姿を見て、ソロモンはついこないだ起きた出来事を思い出し、今こうして一緒に居られることに安堵を感じた。


…そうだ、な。これは、俺が望んだ光景だ。あの頃、欲しくて手に入らなかったものだ。
   自分の隣で誰かが笑っている事。手を繋いで歩く事。息子が生まれたその瞬間までは、当たり前に来ると思っていた未来の光景だ。
   今、隣を歩いているのはかつての妻でも息子でもないが、それでも、一緒に居て、歩いてくれる相手がいる。悪魔に寿命を渡し、歳を取らない自分を気味悪がる事なく受け入れてくれた相手だ。

   美男子が歳を取らないなんてご褒美でしかない。
   そんな世迷い言でも、一度、それが原因で失ったものがある身からすれば、どれだけの救いになるだろう。
 
   それから、当たり前のように「年を取っていく自分達を見ているソロモンの方が辛いんじゃないか」と、言ってくれた事。その時は思わず、いつまで一緒に居る気だと突っ込んだが、嬉しく思わない訳がなかった。
   そんな事を思い返し、オルメカと繋いでいる手に自然と力が入る。
   今度は、この手を離さないように。

   一人で悶々と考えていると、オルメカが話し掛けてきていた。

「ソロモン?…どうかした?心配事?」

   アリスも同じように心配している。

「お兄さん…?」

   そんな二人を見て、改めて、今の自分にはこうやって心配してくれる存在が近くにいてくれることを実感する。

「…いや、何でもない」

   そう応えて、ソロモンは柔らかい笑みをこぼす。その笑みを見た二人も笑みで返した。



   それからしばらく街の上の方へと歩く。上の方になればなるほど階段も坂も多くなり、お店なども段々と減っていくせいか、観光客もまばらだ。

「…人がまばらですね」

「まーね。こっちの方は殆ど住宅地みたいなもんだからね」

「店が少なくなってもこの街は綺麗だな。どこを見ても彩り鮮やかなレンガと花がたくさんだ」

   石畳の道、その端を彩るように花壇に花が植えられている。窓辺や屋根の縁にも花が植えられていて、その視界に花が映らないことなど無いかのようだ。加えて、宙には色とりどりの花びらが、風が吹く事に舞う。

   なんとも幻想的なその風景に見とれながら歩く。
   そうして歩いていると、ポツリと佇む宿屋が見えた。宿屋というよりは民宿に近い感じだ。とりあえず、空きがあるか確認するために中に入る。

カラン、カラン…。
   扉を開けると、扉についているベルが鳴る。その音を聞いて受付の奥からおばさんが出てくる。

「はいはい。いらっしゃいませー。ご宿泊ですかぃ?」

「あ、はい。そうなんですけど…」

   タタタ…ッと、オルメカが受付に向かう。そこから少し離れて入った右手側にあったソファーにアリスが座る。アリスが座った場所の隣にソロモンは前の街を出てからずっと肩に掛けていた荷物を下ろす。荷物を下ろした後、肩を回している。ソファーに座ったアリスは足をぶらぶらさせて休憩している。

   すると、受付の方で大きな声が聞こえた。

「え!?やっぱり一部屋しか空いてないんですか!?」

   声の方を振り向くと受付でオルメカが受付のおばさんと何か言い合っている。それを見たソロモンが受付の方へやってくる。

「どうした?」

「え?あ、ソロモン…。いや、空き部屋はあるにはあるらしいんだけど…」

「なんだ、良かったな。それで?何が問題なんだ?」

   間を取り持つようにソロモンが割って入る。

「いやねぇ、一部屋しか空いてないんだよねぇ。でも、お客さん、三人なんだろ?空いてる部屋ってのも一人部屋でねぇ」

   受付のおばさんが困ったように頬に手を添えながら説明してくれる。

「…その一人部屋にはソファーや椅子はないんですか?」

「いや、ソファーならあるよ。二人掛けのがねぇ」

「そうか…。ならいいんじゃないか?今は祭りの時期で空いてない所も多いんだろう?そう言ってたよな?オル」

「えー…ああ、そりゃそうなんだけど…」

   三人一部屋となると、ベッドが足りない。前回は一人でベッドを満喫出来たが、それもままならないということだ。

   はぁ、と小さく溜息をする。致し方ない。さらば、愛しきふかふかベッド…。
   オルメカは離れたところでソファーに座るアリスを手で招いて呼ぶ。
   それに気づいたアリスは荷物を担いで受付の方にやってくる。

「どうしたんですか?」

   ソロモンはアリスが担いできた荷物を受け取って肩にかける。ソロモンが荷物を持ってくれたので、アリスも「ありがとうございます」と軽くお礼を言った。

「あー、アリス。えっとね、部屋は空いているけど、一人部屋だけなんだって。それでもいい?」

「僕はいいですよ。あ、でもベッドがひとつしかないって事ですよね?お姉さんと一緒に寝たらいいですか?それに、お兄さんはどうするんですか?また外に行っちゃうですか?」

   小首を傾げるようにオルメカを見上げながら聞く。

   その仕草が可愛くて、オルメカはついぎゅーっとアリスを抱き締めて頭を撫でる。ご満悦のようだ。アリスも嫌がることなく、抱き締め返している。その何とも微笑ましい光景にソロモンはふっと笑みを零した。
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