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鏡花水月 花言葉の導①-2

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「まぁ、他を当たって砕けるのもなんだしな。すまない、ではその部屋でお願いしたいんだが」

   受付のおばさんにソロモンが視線をオルメカ達に向けたまま話し掛ける。だが、すぐには返事がなく、ふと受付のおばさんに視線をやると、そこにはソロモンをガン見するおばさんの姿があった。

「…あの、何か?」

   急に受付のおばさんが黙り込んだのでオルメカ達も視線をそちらに向ける。

   ソロモン、アリス、オルメカの三人をまじまじとガン見してくる。
   これに居心地の悪さを感じたオルメカが食い気味に受付のおばさんに声を掛けた。

「あの!何か、問題あります?」

   少し大きめの声に、ハッとしたような顔をした受付のおばさんは、突然、吹き出した。

「あ、ははははっ!い、いやねぇ!よく見たら美人さんじゃないかい!このお兄さん。って思ってたらこんな可愛い男の子まで一緒だったからねぇ!何、親子かなんかなのかと思っちまってさ。随分、若い家族だなぁとね。…まぁそれにしては会話を聞く感じそうでもないのかとは思えてきてねぇ」

   くっくっくと肩を震わせながら笑っている。
   いや、一体、何にツボったのかは不明だが、そんな風には一瞬でも見えたということが衝撃だった。
   そんな会話をした後、とりあえずは部屋を取れたので三人は荷物を置きに部屋に向かった。

ドサッ。

   部屋に入ったところでソロモンが肩にかけていた荷物をソファーに置いた。
   そのままソファーに座り、息をつく。

   オルメカもカバンを小さな机の上に置いた。
   机、といっても大層なものではなく、座卓のような感じだ。座卓の壁側に二人掛けのソファーがあり、座卓を挟んだ反対側にベッドがひとつある。

   部屋の奥には障子の付いた窓があり、床もこれまでに泊まったところでは靴のままかスリッパに履き替えるスタイルだったが、どうやらここはそうではないようで、部屋に入ってすぐに段差があり、玄関口にあたるスペースがあった。

「靴を脱ぐのって珍しいですね。僕、ずっと靴を履く部屋しか入ったことなかったです」

   アリスが床にちょこんと座りながら話す。手で床を擦っている。材質が畳だからか、物珍しいようだ。
   靴を脱ぐ部屋では床の何処にでも座れるので有難い。それに旅の間はお風呂に入る時か、寝る時くらいしか靴を脱がないので、こういった部屋はゆっくり寛げるので嬉しいものだ。

 「確かにな。歩き疲れた足を解放出来るというのは有難い」
 
   そう言ってソロモンはソファーの上で足を組んで、ふくらはぎ等を揉んでマッサージをし始める。それを見たアリスは見様見真似でマッサージをしてみる。

   そんな二人を見ながら突っ立ったままのオルメカに気づいたソロモンは、

「…オル?どうしたんだ?そんな入口に突っ立って…。こっちに来て座ったらどうだ?」

   そう言って自分が座る隣のポンポンと叩く。だが、そんな彼に気づいていないのかオルメカの肩はわなわなと震わせている。

「お姉さん…?」

   ててて…とアリスがオルメカに近づきその手を握ろうとした瞬間、突っ立ったままだったオルメカはスっとその掴もうとしてきたアリスの手を避けた。

「…め…」

   避けられて驚いたアリスは固まったままだ。そんな彼の横でオルメカは頭を抱えながら発狂した。正しくは、発狂でもしたかのように見えた、のだが。

「だーめーなーのおおおお!!!」

   そう突然、声を上げた。その声にソロモンとアリスは目を丸くした。

「き、訊いた方がいいのか…?…一体、何がダメなんだ…?」

   少しドン引きしながらソロモンは尋ねた。
   そんなソロモンに自分を抱き締めるようにしてオルメカはわなわなと涙目で訴える。

「だ、だってソロモンさん!さっき言われたじゃないですか!親子みたいって!これは由々しき事態ですよ!!!」

   涙目で拳を作り床をドンドンと叩く素振りを見せる。

「いいですか!?美男子は、この世の宝っ!崇め、奉り、愛でる存在なんですよ!!!それなのに、私と親子に見えるとか、とんでもない!!私は空気!!!!本来、御触り禁止!!!だけど二人は契約をしていない状態だし、アリスも不安だろうからとその辺をなぁなぁにしてしまったことは認めます…!!」

   畳に両手をつき、崩れるように座り込んでだばだばと涙を流す。

「でもその結果!お、親子に…っ、見えるなどと、由々しき事態に…っ!触れてはならない領域に…っ!手を染め…っ」

   えぐえぐと泣きながらその場に突っ伏した。

   ソロモンは同様の暴走っぷりを見たことがあるが、アリスにとっては初めてであり、ましてや避けられたことの方がショックだった。
   床に突っ伏して泣いているオルメカを見るアリスの表情は暗い。行き場のなくなった手を両手でぎゅっと握っている。その様子に気づいたソロモンが助け船を出した。

「…はぁ。オル、美男子愛好家としては由々しき事態なのかもしれないが、それはお前の本心なのか?俺やアリスとそう親しげに見えることは嫌なのか?…罪なのか?」

   ソファーを立ち、ショックで動けないでいるアリスの傍まで行く。

「お前が避けたことで、こんなにも不安になるくらいお前を慕っている者を、見離せるのか?」

   アリスをきゅっと抱き寄せた。背中をポンポンと軽く叩き、落ち着かようとする。そんなソロモンにアリスもくっついて甘えているようだ。ソロモンの服をぎゅっと握る。だが表情は暗いままだ。
   オルメカはむくりと起き上がり、二人の方を見た。

「!!!?」

   その瞬間、彼女は声にならない声を上げ、舞うように座卓の上に置いたカバンから携帯を取り出し、無言でシャッターを切り始めた。

パシャ。

パシャパシャ。

   被写体とされたソロモンとアリス。アリスはきょとんとした表情をしているが、ソロモンの方は何か堪えているようにも見える。

パシャパシャパシャ。

   ご満悦な表情と微かなよだれを垂らしながらオルメカは二人を様々な角度から写真を撮りまくる。

 「お、前はーっ!」

   何か堪えているようだったソロモンが、自身の横に来てシャッターを切ったオルメカをキッ!と睨み付け、ぐわっと手が伸び、オルメカの携帯を鷲掴みにして取り上げた。

「いい加減にしろ!!!」

   珍しくソロモンが怒鳴り声を上げたので、アリスもオルメカも驚いてその場に倒れ込むように尻餅をついた。

   二人とも声にならず、ただただ黙ってソロモンを見上げているしかなかった。

「…はぁ。前から変な奴だとは思っていたが、流石にこれは寛容出来ないな」

   呆れ混じりの怒り声だ。

「オル、そこに座れ」

   スッと自身の前の床を指差す。その圧力にオルメカはすごすごと言われた通りに座る。何となく、正座で座った。

「よし。良い子だ」

   うむ。と、頷いて話しを続ける。

「さて、オル。俺が何に怒っているのかは判っているな?」

「えっと…?」

   ハテナを飛ばすオルメカに対して更に呆れた。

「お前なぁ…」

   思わず大きな溜息をついて額に手を当てた。

「…お前の、美男子愛好家としての矜恃や信念を否定するつもりはない。だがな、俺もアリスも別に嬉しい訳じゃない。崇められようが、奉られようが、嬉しい訳ないんだ」

   スっとその場に膝を立てて座り、オルメカの目線に合わせる。

「押し付けられるのは迷惑だ」

   そうはっきり伝えた。これにはオルメカも素直に聞くしかなかった。

「はい…。すみません…」

   すっかり項垂れたオルメカを見てアリスはハラハラとしているようで、ソロモンの後ろからオルメカを心配そうに見ている。
   それを確認したソロモンは小さく笑う。

「…なぁ、オルメカ。アリスはお前も知っての通り、以前の記憶を持っていない。自身の家族のことも友達のことも生まれ育った街のことも、だ。そんなアリスにとって俺やお前は頼れる貴重な存在だ。…違うか?」

  この言葉にオルメカはコクリと頷く。
   後ろでアリスはソロモンの背中を見ている。

「お前も感じているんだろう?アリスがよく懐いてくれていることを。それなのに、記憶が無い不安を抱えているとわかっているのに、美男子愛好家だからと、美男子だからと距離を取るつもりか?」

   その声はもう怒った声ではなく、優しい、諭すような声だ。
   後ろでじっと話しを聞いていたアリスがオルメカの横に座る。それから、そっと彼女の手を握る。

「…ダメですか…?」

   アリスが上目遣いでオルメカを見つめる。まるでチワワのようなうるうるとした目だ。

…ぐふっ…!

   その健気な瞳の精神的ダメージを食らうオルメカ。

「僕は…やっぱりこうしていたいです…」

   ぎゅうっと、オルメカの手を握る手に力が込められる。

…て、天使がいる…ここに天使が…。

   本心を言えば、アリスのこうした仕草にとことん弱い。天使のような美少年に可愛くお願いされて誰が断れると言うのだ。否、断れる人などいやしない。

「…本人もこう言っていることだ。お前の信念を曲げることになるのかもしれないが、例外があっても良いんじゃないか?」

   そう言ってソロモンは右手をオルメカの頬に添えた。
   反射的にソロモンの方を見る。真っ直ぐに牡丹色の瞳がオルメカを捉えている。

「俺も…こうしてお前に触れられるのは…嫌いじゃない。そこに、確かに存在するということを、実感出来るからな」

   ソロモンは、フッ…と微笑んで見せる。
   何とも乙女ゲームや少女漫画にでもありそうなシチュエーション。目の前に彼女が女神と称する菜の花色の金髪と牡丹色の瞳と睫毛の長い、整った顔立ちの美男子に、右手を握るはアルビノのように透き通った卯の花色に近い白髪と猩々緋色とも呼べそうな赤い大きな瞳を持つ美少年。

   こんな顔面偏差値が高すぎる二人を近い距離で拝むことになったオルメカ。

…いや、これは…あかんでしょ…。

 たらり。

   オルメカの心の声すらも言葉をなくす。
   その彼女の鼻から、一筋の血が流れる。

   その事にソロモンとアリスはぎょっとした。

「お姉さん!血が…!」

「お前…まさかっ!」

   各々に反応した、次の瞬間、

「ぁぁああああ無理ムリむりいいいぃぃぃ!!!」

   等と奇声を発しながら、

ブッシャアアアアアア!!

   と、真っ赤な血を鼻から噴き出し後ろへとそのままバターン!と倒れ込んだ。
   その姿を見たアリスは顔が真っ青になり、反対にソロモンは顔を真っ赤にした。



「お、お、お前と言う奴はーーーー!!!」




 …その怒号は宿屋内に響いたという。勿論、これがこの日一番の怒号で、宿泊客達が思わず部屋から廊下に顔を出したということは言うまでもない……。
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