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鏡花水月 花言葉の導②-1

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サァァァ…。

   心地よい風が頬を撫でる。

   その心地よさにふと目を覚ました。
   見ると窓が少し開いている。風にオレンジの髪が揺れた。カーテンがゆらゆらと踊るようになびいているのが見える。ふと視線を自身の周囲に向けて気づく。いつの間にかベッドで寝ていたらしい。最後の記憶では床に座っていたはずだが…。
   改めて部屋を見渡す。確かにここは宿屋で取れた部屋で間違いない。持ち込んだ大きな荷物もソファーの上に置いたままだ。だが、そこにいるはずの姿がない。

「あれ?ソロモンとアリスは?」

   部屋のどこにも姿がない。何処かに二人で出掛けたのだろうか。
   ベッドを出ると、座卓の上のメモに気づく。

「何々…?“アリスが暇そうにしているから街を探索してくる”…とな?」

   そういえば今は何時頃なんだろうか。部屋に差し込む日差しはまだ明るい。

「うーん。色々やらかしたからなぁ。今はまだ合流しない方がいいよねぇ」

   座卓の上に置いたままのカバンを取る。その横にはソロモンに没収された携帯が置いてある。ロックを開いてアルバムをスクロールする。

「…相変わらず、データを消す訳じゃないんだなぁ」

   あれだけ怒っていても、本気で携帯を壊したりデータを消すようなことはしないらしい。まぁ、何処か一線を引いている彼らしいと言えばそうかもしれないが。

「これがカレカノだとかだったら腹いせとか言ってデータ消したりするやつもいるんだよなぁ。怖い怖い。アリスもソロモンもそこんとこちゃんと線引き出来てる人で良かったよねー」

   そんな事をぼやきながら携帯をカバンに仕舞う。そして紐を両腕に通し、背負う。

「まぁ、一番線引き出来てないのお前じゃんって言われたら、ぐうの音も出ないよね…」

   玄関口で靴を履く。そして部屋を出て鍵を掛けた。

「んー。ぶっちゃけ、加減がわかんないって言うのが問題だよねー。なんちゃら愛好家って、一般的にどう線引きしてんだろー?そりゃまぁ確かに美男子に弱い!尊い!って思うから写真は取るけどさー。別になぁ…“崇め奉り愛でる存在でお触り禁止”なんてのに拘る気はあんま無いんだよねぇ…」

   誰に聞かせるでもないぼやきを続けながら、オルメカは宿屋を出る。
   考え事は、口に出す方がまとまるタイプの人間なのだ、オルメカは。

「さて」

   宿屋の玄関を出て、すぐのところで立ち止まる。
   二人と合流するか、一人で行動するか。

   どちらかを決めたオルメカは、一歩踏み出した。




ザワザワ…。

ガヤガヤ…。

   風と花の街フロル・ローダンセの街の入り口付近には、屋台も出ているようで、行き交う人でとても賑やかだ。

「もういいのか?」
 
   屋台がたくさん出ている辺りから少し離れたところにあるベンチでソロモンとアリスは座って屋台で買った食べ物をつまんでいた。
   たこ焼きや焼きそば、りんご飴など何処でも共通のものがあるが、その中には特産品のものもある。この街の特産品は一面に広がる鮮やかな花。それらの花を使った蜜や漬物などが売りだ。

「はい。たくさん見れました!」

   特産の漬け込んだ花を散らした焼きそばを食べながらアリスは答えた。満足そうな顔をしているので、本心なのだろうと思う。

「そうか。それならよかった。…それを食べ終わった後はどうするんだ?まだ何処か見たいところはあるか?」

   ソロモンは花の蜜を練り込んだというパンを頬張る。

「んー、もう一度、あの大風車を見てみたいです」

「そうか。じゃあ、食べ終わったら向かうか」

「はい。あ、でも…」

「ん?どうした?」

「あの…お姉さん…一人で大丈夫でしょうか?」

   少ししょんぼりとした声だ。やはり、居ないと寂しいのだろうか。

「…アリスは、本当にオルのことが好きなんだな」

   食べ終わったソロモンはゴミを袋にまとめながら立ち上がる。アリスも最後の一口をかきこんで、その袋にゴミを入れてまとめる。

「…アリスにとっては俺もオルも迷惑だったんじゃないか?俺達が図書館に行かなければ、お前は今もあの図書館に居られただろう?」

 「…最初はボクもそう思いました」

   再び屋台の広がる方へ歩きながら話す。
   通りすぎる人たちは両手にたくさんのご飯やお面や水風船やとお祭りを満喫したのがわかる格好だ。女の子達の多くはお面に代わりにこの祭りの時期だけ配布されるというフロル・ローダンセならではのお花の冠を頭に被っているのが見える。
   そんな女の子達が歩いた後には花びらが舞う。

「でも、今はそう思ってはいないんですよ」

   屋台のエリアを抜けて、階段を上がって街の中心にあたる広場に向かって歩く。

「そうなのか?巻き込んだようなものだろう?帰る場所だって失ったんだ」

「はい。でも、あのままあそこに居てもボクはずっと独りでした。あそこはたくさんの人が訪れても半生を記した本を置いていくだけで、ボクに会いに来てくれる人はいませんでした」

   広場は階段を上がった先にあり、そこからは街の入り口付近を一望できる。

「だから、お姉さんがボクに会いたかったって言ってくれてすごく嬉しかったんです」

   ふわりと風と花びらが舞う。

「…そうか。ならいいんだ」

   安堵したように言ったソロモンを見て、アリスはふわりと微笑んだ。広場に着いた二人は塀の向こうに広がる祭りの光景を眺める。

ゴオォッ…!

   その二人の間を強い風が吹き抜けた。思わず目を閉じたアリスの横で、眉をひそめて険しい顔をするソロモンの姿があった。

「…お兄さん…?」

   何かを睨むような鋭い目付きだ。その見たことないそんなソロモンに少し恐怖を感じたアリスは彼の視線の先を目で追うが、そこには祭りを楽しむ人々しか見えない。

「お兄さん?どうしたんですか?」

   少し焦りを感じたアリスはソロモンの服の裾をくいっと引っ張る。それを合図にか、ソロモンが口を開く。

「…アンデッドドラゴン」


「え?」

   唐突に零れた名前にアリスは首を傾げる。
   アンデッドドラゴン…それは、幻想図書館に現れたあのアンデッドドラゴンのことだろうか。

「あの時、アンデッドドラゴンが現れた。そしてその時、アンデッドドラゴンを召喚したのも、幻想図書館そのものも魔女の魔法だという話だったな」

「え、あ、そういうようなことを言ってたと思います。あの鳥の被り物をしていた人が…」

   アリスが言う鳥の被り物をした人というのは、オルメカが召喚したあの異界の神のことだろう。

「ああ、そうだ。あの神が言うにはすべては魔女の魔法だ。…それは、ナアマのことも例外では無いんじゃないか?」

「え?どういうことですか?」

「ナアマは生前、魔法が使えた訳じゃない。それに最期の時まで俺は見守っていたが、変なやつが接触するのを見てはいない。それならば、ナアマに魔法を与えたのは誰だ?与えたとすればその死後だと言うことになるだろう?」

「…死にまつわる魔法…ですか?」

   ソロモンの話を聞いていたアリスは、図書館の蔵書で読んだことのある魔法についての記載を思い出す。

「確か、反魂の魔法というのがあるって書いてる人がいました」

「反魂の魔法…か。俺の世界には無かった魔法だな…。それはどういう魔法なのかは知っているのか?」

「えーっと、確か…“死者を甦らす”魔法だと書いてあったと思います。その本の人は、亡くなった妹を甦らせる為にその方法を探していて見つけた方法だと。でも、これは普通の人は使えないと知って諦めた、とか」

   アリスの話を聞いて、ソロモンは考え込む。

「死者を甦らす反魂の魔法…だが、普通の人には使えない、か。ナアマとアンデッドドラゴンの正体はこの反魂の魔法だったと推測できるが…」

   だが、普通の人には使えない魔法を誰が使った?異界の神によれば幻想図書館もアンデッドドラゴンも魔女の魔法。それはつまり、

「魔女の魔法、と言うのが言い返せば反魂の魔法だ、ということか」

   そう考えると辻褄が合う。それならば、幻想図書館はどう言った意味を持つのだろう。
   ソロモンはおもむろに歩き出す。恐らく、宿屋に戻るのだろう。そう思ったアリスも後についていく。

「魔女の魔法が反魂の魔法なら、ボクがいたあの図書館も反魂の魔法だったって言うことでしょうか?」

「可能性はあるが…だが、あの空間に死者はいなかったはずだな?」

「はい。居ないです。魂はみんな生きてる人のだったので、実際には死んでないんです。あ、でも絵画の向こうにいるみんなの会いたい人って言うのは、すでに死んでる人でした」

「そうか…。それも反魂の魔法…なんてことがあるのか?」

   しかし、ソロモンは反魂の魔法について知らない。アリスはかなりの人間の半生を記した本を読んでいたはずだが、それでも基礎的なことしか知らないのであれば、この世界の人間でもあまり知らない魔法だと言えるだろう。よって、詳しくその性質を知る手立てがない。

   階段をいくつも上り、宿屋の方へと歩く。その道中、風が吹き、花びらが舞っている。それからすれ違う人々は皆楽しそうな笑い声を上げている。買い物帰りの親子や祭りを楽しんだであろう友達のグループ。そんな彼らの間を二人は黙ったまま抜けていく。

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