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捌、淫蕩の底―其の参―
――――鬼一法眼。
若菜は、法眼という聞き覚えのある名前に目を見開いた。そう、死んだ彼がこの黄泉国にいないはずがないのだ。
彼は若菜が陰陽師だったころ、鞍馬天狗の総大将だった男である。上級妖魔の彼は、他の妖魔たちの上に君臨し、一番恐れられていた。
天狗は男女を問わず、霊力の強い幼い子供を拐かす。
彼らは法眼の大事な食事として監禁され、弄ばれ、霊力を吸われる。その生活の中で、やがて攫われた子供たちは見返りに陰陽術を習った。なかには隙を見て山から下りようとした者もいたが、断崖絶壁の城から転落し命を落とした。
彼らは死して天狗へと変貌すると、法眼に忠誠を誓うようになる。
あの鳥籠にいた少年少女たちは、法眼に愛されることを誇りにしていたが、若菜には到底理解できなかった。
鬼蝶もその一人だ。
彼はその残酷な性格と能力を見込まれ、鞍馬天狗として転生した後に小姓として愛人になった。
若菜は幼き日、朔と共に法眼に拐かされそうになったことがある。
朔を追いかけた先に、優しい山伏の男が立っていた。意地悪な母親も、意地汚い父親も存在していない山には、美味しい金平糖やカステラがある。同い年の童子もいて、誰にも叱られることなく遊べると――――法眼は彼女を誘った。
あの時二人を助けたのは、安倍晴明。
キョウの都で並ぶ者のない最強の陰陽師が、二度と若菜に近付くなと法眼を牽制した。
「ま、待って下さい……八種様。お客様がいらっしゃるなら、私は別の部屋で」
陰陽師となった若菜は、一度法眼に捕らえられ監禁されたことがある。その時の記憶が蘇って、思わず口答えをしてしまった。
無駄な足掻きだと思ったが、若菜は震える声で懇願するより他なかった。子兎のように怯える若菜の姿を見ると、八種の嗜虐的で歪んだ感情をますます焚きつけてしまう。
蜂蜜のように甘く澄んだ瞳が震えているのを見て、八種は顎を掴んだ。
「なぁに? お前は俺に命令する気なの?」
「そ、そんなことは……」
「あーー、もしかして。法眼よりも梅澤のほうが良かったりして?」
「……はい」
法眼が若菜を捕らえたことなど、八種は知る由もない。
正直なところ、まだ単純な梅澤の方が幾分かマシに思えてしまい、消え入りそうな声で答えた。
目を伏せた若菜に八種は声を上げて大笑いし、梅澤は妙な高揚感を覚える。あれほど自分を嫌っていた若菜が、梅澤を選んだ。
その一連の仕草だけで梅澤の顔は熱くなる。
彼も陰陽師だったので、天狗という妖魔がどれだけ厄介な存在なのか熟知していたし、究極の選択であることも分かっていた。そう理解していても、若菜に選ばれたのだ。
梅澤は若菜が自分を良いと思ったことに興奮し、有頂天になってしまった。
憎悪の対象だった若菜に、正反対の感情を抱くとは思いもせず、敗北感に打ちひしがれる。
今まで自分の気持ちを誤魔化し、「異国の血が入った女など」と軽蔑してのらりくらりとやってきたが、もう偽ることなどできない。
梅澤は負けた。まんまと若菜に惚れてしまった。
抱いてから情が湧いたのもあるが、あれが決定打になった。己の単純さに嫌気がさし、そして悔しく思う。
ミイラ取りがミイラになってしまった。八種に対して激しい嫉妬心を抱き、己の無力さを呪うしかない。
「若菜ちゃーん、そういうのは俺が決めるから我慢ね? 梅澤、鼻伸ばしてないで早く法眼を連れてきな!」
パンパンと手を叩かれると、梅澤は現実に引き戻され、願い通り法眼を八種の元へと連れてきた。そして哀れにも部屋の外で待機するようにと、残酷な命令を下される。
冷たい廊下に響く足音、そして姿を現した法眼。娑婆世界にいた時とは異なり、白と黒の山伏の格好は、黒と赤に様変わりしていた。
裾はボロ切れのようにヒラリと揺れ、さながら美丈夫の死神である。
長身でほどよく鍛えられた身体、本性を見せない整った顔は、普通の女ならば見惚れてしまうだろう。
黄泉国に来てなお、法眼の首元には鬼蝶によって切り落とされた深い傷が残っていた。
黒髪の隙間から見える黒玉の瞳が、ベッドに座る淫らなメイド姿の若菜を捕えた瞬間、僅かに目を見開いた。
驚愕の表情の後に続いて、ぞっとするような美しい笑みを浮かべる。
「よう、法眼。ぼーっとしてどうしたの。驚いちゃった? 最高の神の繭を見つけちゃったんだ。んふふ、特別に遊ばせてやろうかなって」
そう言うと八種は若菜の体を抱き寄せ、顔がよく見えるように顎を上げた。
(いやっ……触らないで。私を見せないで)
彼は子供が目を輝かせ、大事な玩具を友人に見せびらかすような素振りで、得意げだ。
「こりゃあ、驚いたのう! 流石は八種様。お目が高うございますなぁ。実は儂も、この娘を娑婆世界で存じておりましてな」
「なーんだ。そうなの? まぁだけど、実質妖魔の頂点に立ってたお前が知ってる位だもの。若菜は超上物ってことだよね」
「……」
八種は、つまらなそうな顔をした。
表向きは善人の仮面を被る法眼の笑顔に、悪い気はしなかったようだ。それだけ八種は価値のある人形を手に入れたのだから。
「そうじゃ、大好きな金平糖をやったのは遠い昔のようで。懐かしいのう……若菜」
法眼はニコニコと微笑みを浮かべて頷く。若菜は無言のまま、目を逸らした。その様子を横目に見ながら八種は口端を吊り上げる。
「あ、その前にお前も俺に用があったんじゃないの」
「おう、そうじゃった! 逃げ出した亡者上がりの獄卒狩りと、お勤めを終えた奴等の上納金じゃ。先月よりも搾り取ったからの、八種様もお喜びになるじゃろう」
法眼はそう言って、部下に大きな袋を持ってこさせた。片方は蠢き血が滲んでいるので、嫌でも肉塊となった獄卒の惨たらしい姿が目に浮かぶ。法眼は裏切り者の鬼蝶を何度も殺していると聞いていたし、獄卒たちに対しても容赦なく非道な行いをするだろう。
若菜から離れた八種は、飴を舐め口笛を吹きながらそれに近付くと、どちらも上から覗き込む。
黄泉国の上納金というものがキョウの都と同じであるかは分からないが、このここでも必要な貨幣が存在しているようだった。
「地獄の沙汰も金次第ってね♪」
そして、血が滴る袋を八種は無言のまま何度も蹴り上げ、ようやくふらついて足を止める。
「きゃっ……!」
呻き声が聞こえ、若菜は見ていられず顔を反らして目を瞑った。醜女たちに大きな袋を下げさせると、八種は飴を舐め、スキップしながら法眼に近寄ると見上げる。
黙っていれば、美少女のような八種を、ニコニコと微笑みながら見下ろす彼に、自分の舐めていた飴をそっと向ける。
そして、法眼の唇に触れる寸前で飴を引っ込めた。
「だーめ。ごめんけど、どんだけ美少年な俺でも、鬼蝶やお前みてぇに男とも寝る両刀趣味はないんだわ。だから特別に遊ばせてやるよ……いっぱい楽しも☆」
八種はからかうようにそう言って笑った。
「残念じゃのう。衆道は衆道で別の楽しみがあるのじゃが」
いずれ生意気な八種を組み敷きたいとでも思っているのだろうか。だが彼は伊邪那美の息子で、黄泉国の一柱の神。そんな八種に法眼が逆らうとも思えない。
八種は黒いソファに踊るように座り、長い足を組むと、ふんぞり返った。
「法眼がどうやって遊ぶか俺に見せてくんね? 性癖祭りってやつ! どんな格好させてもいいし、何やってもいい……だけど、若菜を出血させたり、殺すのはナシ」
あの残忍な八種が、殺すなと命令するのは珍しいことだった。黄泉国では例え罪人を切り刻んでも、体は蘇生する。
だからこそ極悪人には目を覆いたくなるような拷問が行われ、それを娯楽としていた八種が珍しくそれを禁じた。
「八種様、珍しいのう。毎日罪人の女と楽しんでは拷問し、殺しておったのに……。はっはっ、それほどこの娘は離し難いようじゃ」
「一応そいつは罪人でも極悪人でもないからね。無駄話はやめてさっさとやれ。俺の気が変わる前に」
八種は図星を突かれたように眉をしかめた。
心も体も快楽でぐちゃぐちゃに壊したい気持ちもある。若菜を殺すのは自分だけ、という歪んだ感情も抱いているが、あの美しい肌から血が流れるのは好まない。
猫がもて遊ぶように爪で軽く引っ掻くだけ。
せっかくの美しい肉人形だ。こんなに綺麗な女は生まれて初めて見たのだから。
離し難い、その言葉が八種の頭の中で何度もこだまする。
「ふむ。それでは八種様のお言葉に甘えて遠慮なく」
法眼はニコニコと笑っているだけで、鬼蝶のように取り乱すこともなかった。いたって冷静で、あっさりとしているのは拍子抜けしてしまう。
若菜は隣に静かに座る法眼にビクリと体を震わせる。
「懐かしいのう。いつかお主も黄泉国に下ると思っていたが……儂が死んでから、さらに愛らしく美しい姿になったようじゃ」
幼い子供に言い聞かせるようにそう言うと、若菜の両目を大きな手で隠す。驚いて彼女が手を伸ばすと、法眼は応えるように目隠しをやめ、世界が一変した。
「法眼……さん……これ……」
「――――懐かしいじゃろう? 愛らしい小鳥」
ヴィスグドールが着るような、白と桃色のフリルがついたドレスに、白いタイツとガーターベルト。稲穂のように長い愛らしい髪には、レースのヘッドドレスがつけられている。
透き通る肌によく似合う、可愛らしい人形のような姿。一瞬にして自分の格好は変わっていた。
(いや、こんなのっ……私じゃないもんっ)
先程まで黒と赤一色のゴシック調の部屋が、まるで人形の部屋のように可愛らしい西洋家具へと置き換わっている。
天蓋付きベッドの純白のレースが黄泉国には似つかわしくなく、どこかの洋館の一室のようだった。そして鳥の入っていない鳥籠が置かれている。
八種の能力なのか、法眼の力なのか、はたまたこの城に宿る霊力のおかげなのか。
「周りまで変わってる……まるで」
「特別な鳥籠じゃ」
法眼は若菜の体を引き寄せ、膝の上に座らせる。不意に南蛮から持ち込まれたオルゴールの音色が聞こえた。
耳を澄ませば、聞いたことのあるような子守唄の音を奏でている。
八種は西洋人形のような若菜を興味深く見ていた。容姿からしてよく似合っているし可愛らしい。
彼と同じく西洋かぶれなところがあると知ってはいたが、このような趣味があったとは思いもしなかった。
「ようやく来たな、俺の愛らしい小鳥。ずっとお前が黄泉国へ下ってくることを待っていた。式神もおらぬ、あの忌々しい晴明もようやくお前から離れた」
背後から法眼に囁かれ、若菜はぞくりと体を震わせる。唇が触れるか否かで、おかしな吐息がこぼれ落ちてしまいそうだ。
おおらかで気前の良い男に見える法眼は、執念深く一度狙った獲物は逃さない。そして鬼蝶と同じく裏切り者には容赦がないのだ。
八種の新しい玩具となった若菜を、法眼はどうするつもりなのか。
その二面性に、若菜は鞍馬天狗の恐ろしさを見ていた。
「やれやれ、沢山の男の手垢がついて臭う……。子供の頃に見初めてから今日まで、遠回りをしたな。また最初からやり直しだ。俺で塗り替えねばならん」
八種に聞こえないように法眼は囁くと、ニッコリと人懐っこい笑みを浮かべていつもの調子に戻る。その手には淡い色の瓶が握られていた。これも具現化したものだろうか。
「若菜、金平糖をやろう! 黄泉国特製の甘い菓子じゃ」
その言葉に若菜はさっと顔色を変えた。
黄泉国のものを口にしてしまっては、本当に死者となって戻れなくなってしまう。
法眼に犯されるより、最愛の朔に会えなくなるほうが死ぬよりつらい。
(口にしたら、戻れなくなるよ……! 朔ちゃんに……会えなくなる……そんなのいや!)
若菜はふるふると頭を振って口を噤んだ。
一粒を指で掴んで口に持っていくが、彼女はそっぽを向いて涙を流し、頑なに拒んだ。
「ふむ、金平糖はもう好まぬか? せっかく媚薬入りなのにのう。今度はもっと良いものを見繕っておこうか。仕方あるまい……ならば直接女陰に媚薬を塗ってやろう」
「やっ……やめっ!」
若菜の両足を開くと、法眼は瓶の中に指を入れる。瞬時にそれは液体化してどろりとした媚薬に変わった。若菜はスカートの下に下着を履いておらず、薄桃色の綺麗な亀裂に指が這い、花芽を撫で花弁の隅々までそれを塗りつけた。極めつけに媚薬を腟内に注ぎ込んで溢れさせる。
「八種様、この媚薬は特別に調合したものでなぁ! これを投与されたおなごは十倍の快楽に悶え、イキ狂う!」
「へぇ。さすが外道。そういうお薬を亡者相手に売りつけてるってわけね」
「はっはっは。外道は生まれつきでございましょう。儂の部下が調合する薬は、黄泉津大神様も愛用されておるのじゃ」
―――――ドクン。
その言葉と共に、若菜の体は激しい欲望の飢えを感じた。媚薬の経験はあるものの、今まで感じたことのないほど異質な感覚に体が疼いた。
触れていない花弁から次々と蜜が溢れ出し、呼吸が乱れる。若菜の花弁から清らかで澄んだ花の薫りが匂い立つと、八種と法眼の体は熱くなる。
「うっ……はぁっ……あ、からだがっ……あつぅ……いやぁっ……はぁっ……はっ……はぁ」
視界が揺れ、法眼の膝に座って太腿に衣服が擦れるだけで気持ちが良い。もし体中を触れられたら、快楽で意識が粉々になってしまいそうだ。
「全ての男の手垢を消すには、体の芯まで堕とすのが一番だ。若菜よ、回り道をした分、じっくりと時間をかけないとな。それにしてもこの黄泉国には似つかわしくないほど清らかな香りがするな。――――木花之佐久夜毘売命の力がここまで強力に?」
爽やかな笑顔が薄笑いに変わり、法眼の黒玉の瞳が濁る。そっと瑞々しい唇に触れ、蛇のような舌が絡みつくと、若菜の蜜色の瞳が溶けた。
✨✨✨✨
前作のシーンの詰め合わせイラストを描いていただきました。
イラストレーター Suicoさん
若菜は、法眼という聞き覚えのある名前に目を見開いた。そう、死んだ彼がこの黄泉国にいないはずがないのだ。
彼は若菜が陰陽師だったころ、鞍馬天狗の総大将だった男である。上級妖魔の彼は、他の妖魔たちの上に君臨し、一番恐れられていた。
天狗は男女を問わず、霊力の強い幼い子供を拐かす。
彼らは法眼の大事な食事として監禁され、弄ばれ、霊力を吸われる。その生活の中で、やがて攫われた子供たちは見返りに陰陽術を習った。なかには隙を見て山から下りようとした者もいたが、断崖絶壁の城から転落し命を落とした。
彼らは死して天狗へと変貌すると、法眼に忠誠を誓うようになる。
あの鳥籠にいた少年少女たちは、法眼に愛されることを誇りにしていたが、若菜には到底理解できなかった。
鬼蝶もその一人だ。
彼はその残酷な性格と能力を見込まれ、鞍馬天狗として転生した後に小姓として愛人になった。
若菜は幼き日、朔と共に法眼に拐かされそうになったことがある。
朔を追いかけた先に、優しい山伏の男が立っていた。意地悪な母親も、意地汚い父親も存在していない山には、美味しい金平糖やカステラがある。同い年の童子もいて、誰にも叱られることなく遊べると――――法眼は彼女を誘った。
あの時二人を助けたのは、安倍晴明。
キョウの都で並ぶ者のない最強の陰陽師が、二度と若菜に近付くなと法眼を牽制した。
「ま、待って下さい……八種様。お客様がいらっしゃるなら、私は別の部屋で」
陰陽師となった若菜は、一度法眼に捕らえられ監禁されたことがある。その時の記憶が蘇って、思わず口答えをしてしまった。
無駄な足掻きだと思ったが、若菜は震える声で懇願するより他なかった。子兎のように怯える若菜の姿を見ると、八種の嗜虐的で歪んだ感情をますます焚きつけてしまう。
蜂蜜のように甘く澄んだ瞳が震えているのを見て、八種は顎を掴んだ。
「なぁに? お前は俺に命令する気なの?」
「そ、そんなことは……」
「あーー、もしかして。法眼よりも梅澤のほうが良かったりして?」
「……はい」
法眼が若菜を捕らえたことなど、八種は知る由もない。
正直なところ、まだ単純な梅澤の方が幾分かマシに思えてしまい、消え入りそうな声で答えた。
目を伏せた若菜に八種は声を上げて大笑いし、梅澤は妙な高揚感を覚える。あれほど自分を嫌っていた若菜が、梅澤を選んだ。
その一連の仕草だけで梅澤の顔は熱くなる。
彼も陰陽師だったので、天狗という妖魔がどれだけ厄介な存在なのか熟知していたし、究極の選択であることも分かっていた。そう理解していても、若菜に選ばれたのだ。
梅澤は若菜が自分を良いと思ったことに興奮し、有頂天になってしまった。
憎悪の対象だった若菜に、正反対の感情を抱くとは思いもせず、敗北感に打ちひしがれる。
今まで自分の気持ちを誤魔化し、「異国の血が入った女など」と軽蔑してのらりくらりとやってきたが、もう偽ることなどできない。
梅澤は負けた。まんまと若菜に惚れてしまった。
抱いてから情が湧いたのもあるが、あれが決定打になった。己の単純さに嫌気がさし、そして悔しく思う。
ミイラ取りがミイラになってしまった。八種に対して激しい嫉妬心を抱き、己の無力さを呪うしかない。
「若菜ちゃーん、そういうのは俺が決めるから我慢ね? 梅澤、鼻伸ばしてないで早く法眼を連れてきな!」
パンパンと手を叩かれると、梅澤は現実に引き戻され、願い通り法眼を八種の元へと連れてきた。そして哀れにも部屋の外で待機するようにと、残酷な命令を下される。
冷たい廊下に響く足音、そして姿を現した法眼。娑婆世界にいた時とは異なり、白と黒の山伏の格好は、黒と赤に様変わりしていた。
裾はボロ切れのようにヒラリと揺れ、さながら美丈夫の死神である。
長身でほどよく鍛えられた身体、本性を見せない整った顔は、普通の女ならば見惚れてしまうだろう。
黄泉国に来てなお、法眼の首元には鬼蝶によって切り落とされた深い傷が残っていた。
黒髪の隙間から見える黒玉の瞳が、ベッドに座る淫らなメイド姿の若菜を捕えた瞬間、僅かに目を見開いた。
驚愕の表情の後に続いて、ぞっとするような美しい笑みを浮かべる。
「よう、法眼。ぼーっとしてどうしたの。驚いちゃった? 最高の神の繭を見つけちゃったんだ。んふふ、特別に遊ばせてやろうかなって」
そう言うと八種は若菜の体を抱き寄せ、顔がよく見えるように顎を上げた。
(いやっ……触らないで。私を見せないで)
彼は子供が目を輝かせ、大事な玩具を友人に見せびらかすような素振りで、得意げだ。
「こりゃあ、驚いたのう! 流石は八種様。お目が高うございますなぁ。実は儂も、この娘を娑婆世界で存じておりましてな」
「なーんだ。そうなの? まぁだけど、実質妖魔の頂点に立ってたお前が知ってる位だもの。若菜は超上物ってことだよね」
「……」
八種は、つまらなそうな顔をした。
表向きは善人の仮面を被る法眼の笑顔に、悪い気はしなかったようだ。それだけ八種は価値のある人形を手に入れたのだから。
「そうじゃ、大好きな金平糖をやったのは遠い昔のようで。懐かしいのう……若菜」
法眼はニコニコと微笑みを浮かべて頷く。若菜は無言のまま、目を逸らした。その様子を横目に見ながら八種は口端を吊り上げる。
「あ、その前にお前も俺に用があったんじゃないの」
「おう、そうじゃった! 逃げ出した亡者上がりの獄卒狩りと、お勤めを終えた奴等の上納金じゃ。先月よりも搾り取ったからの、八種様もお喜びになるじゃろう」
法眼はそう言って、部下に大きな袋を持ってこさせた。片方は蠢き血が滲んでいるので、嫌でも肉塊となった獄卒の惨たらしい姿が目に浮かぶ。法眼は裏切り者の鬼蝶を何度も殺していると聞いていたし、獄卒たちに対しても容赦なく非道な行いをするだろう。
若菜から離れた八種は、飴を舐め口笛を吹きながらそれに近付くと、どちらも上から覗き込む。
黄泉国の上納金というものがキョウの都と同じであるかは分からないが、このここでも必要な貨幣が存在しているようだった。
「地獄の沙汰も金次第ってね♪」
そして、血が滴る袋を八種は無言のまま何度も蹴り上げ、ようやくふらついて足を止める。
「きゃっ……!」
呻き声が聞こえ、若菜は見ていられず顔を反らして目を瞑った。醜女たちに大きな袋を下げさせると、八種は飴を舐め、スキップしながら法眼に近寄ると見上げる。
黙っていれば、美少女のような八種を、ニコニコと微笑みながら見下ろす彼に、自分の舐めていた飴をそっと向ける。
そして、法眼の唇に触れる寸前で飴を引っ込めた。
「だーめ。ごめんけど、どんだけ美少年な俺でも、鬼蝶やお前みてぇに男とも寝る両刀趣味はないんだわ。だから特別に遊ばせてやるよ……いっぱい楽しも☆」
八種はからかうようにそう言って笑った。
「残念じゃのう。衆道は衆道で別の楽しみがあるのじゃが」
いずれ生意気な八種を組み敷きたいとでも思っているのだろうか。だが彼は伊邪那美の息子で、黄泉国の一柱の神。そんな八種に法眼が逆らうとも思えない。
八種は黒いソファに踊るように座り、長い足を組むと、ふんぞり返った。
「法眼がどうやって遊ぶか俺に見せてくんね? 性癖祭りってやつ! どんな格好させてもいいし、何やってもいい……だけど、若菜を出血させたり、殺すのはナシ」
あの残忍な八種が、殺すなと命令するのは珍しいことだった。黄泉国では例え罪人を切り刻んでも、体は蘇生する。
だからこそ極悪人には目を覆いたくなるような拷問が行われ、それを娯楽としていた八種が珍しくそれを禁じた。
「八種様、珍しいのう。毎日罪人の女と楽しんでは拷問し、殺しておったのに……。はっはっ、それほどこの娘は離し難いようじゃ」
「一応そいつは罪人でも極悪人でもないからね。無駄話はやめてさっさとやれ。俺の気が変わる前に」
八種は図星を突かれたように眉をしかめた。
心も体も快楽でぐちゃぐちゃに壊したい気持ちもある。若菜を殺すのは自分だけ、という歪んだ感情も抱いているが、あの美しい肌から血が流れるのは好まない。
猫がもて遊ぶように爪で軽く引っ掻くだけ。
せっかくの美しい肉人形だ。こんなに綺麗な女は生まれて初めて見たのだから。
離し難い、その言葉が八種の頭の中で何度もこだまする。
「ふむ。それでは八種様のお言葉に甘えて遠慮なく」
法眼はニコニコと笑っているだけで、鬼蝶のように取り乱すこともなかった。いたって冷静で、あっさりとしているのは拍子抜けしてしまう。
若菜は隣に静かに座る法眼にビクリと体を震わせる。
「懐かしいのう。いつかお主も黄泉国に下ると思っていたが……儂が死んでから、さらに愛らしく美しい姿になったようじゃ」
幼い子供に言い聞かせるようにそう言うと、若菜の両目を大きな手で隠す。驚いて彼女が手を伸ばすと、法眼は応えるように目隠しをやめ、世界が一変した。
「法眼……さん……これ……」
「――――懐かしいじゃろう? 愛らしい小鳥」
ヴィスグドールが着るような、白と桃色のフリルがついたドレスに、白いタイツとガーターベルト。稲穂のように長い愛らしい髪には、レースのヘッドドレスがつけられている。
透き通る肌によく似合う、可愛らしい人形のような姿。一瞬にして自分の格好は変わっていた。
(いや、こんなのっ……私じゃないもんっ)
先程まで黒と赤一色のゴシック調の部屋が、まるで人形の部屋のように可愛らしい西洋家具へと置き換わっている。
天蓋付きベッドの純白のレースが黄泉国には似つかわしくなく、どこかの洋館の一室のようだった。そして鳥の入っていない鳥籠が置かれている。
八種の能力なのか、法眼の力なのか、はたまたこの城に宿る霊力のおかげなのか。
「周りまで変わってる……まるで」
「特別な鳥籠じゃ」
法眼は若菜の体を引き寄せ、膝の上に座らせる。不意に南蛮から持ち込まれたオルゴールの音色が聞こえた。
耳を澄ませば、聞いたことのあるような子守唄の音を奏でている。
八種は西洋人形のような若菜を興味深く見ていた。容姿からしてよく似合っているし可愛らしい。
彼と同じく西洋かぶれなところがあると知ってはいたが、このような趣味があったとは思いもしなかった。
「ようやく来たな、俺の愛らしい小鳥。ずっとお前が黄泉国へ下ってくることを待っていた。式神もおらぬ、あの忌々しい晴明もようやくお前から離れた」
背後から法眼に囁かれ、若菜はぞくりと体を震わせる。唇が触れるか否かで、おかしな吐息がこぼれ落ちてしまいそうだ。
おおらかで気前の良い男に見える法眼は、執念深く一度狙った獲物は逃さない。そして鬼蝶と同じく裏切り者には容赦がないのだ。
八種の新しい玩具となった若菜を、法眼はどうするつもりなのか。
その二面性に、若菜は鞍馬天狗の恐ろしさを見ていた。
「やれやれ、沢山の男の手垢がついて臭う……。子供の頃に見初めてから今日まで、遠回りをしたな。また最初からやり直しだ。俺で塗り替えねばならん」
八種に聞こえないように法眼は囁くと、ニッコリと人懐っこい笑みを浮かべていつもの調子に戻る。その手には淡い色の瓶が握られていた。これも具現化したものだろうか。
「若菜、金平糖をやろう! 黄泉国特製の甘い菓子じゃ」
その言葉に若菜はさっと顔色を変えた。
黄泉国のものを口にしてしまっては、本当に死者となって戻れなくなってしまう。
法眼に犯されるより、最愛の朔に会えなくなるほうが死ぬよりつらい。
(口にしたら、戻れなくなるよ……! 朔ちゃんに……会えなくなる……そんなのいや!)
若菜はふるふると頭を振って口を噤んだ。
一粒を指で掴んで口に持っていくが、彼女はそっぽを向いて涙を流し、頑なに拒んだ。
「ふむ、金平糖はもう好まぬか? せっかく媚薬入りなのにのう。今度はもっと良いものを見繕っておこうか。仕方あるまい……ならば直接女陰に媚薬を塗ってやろう」
「やっ……やめっ!」
若菜の両足を開くと、法眼は瓶の中に指を入れる。瞬時にそれは液体化してどろりとした媚薬に変わった。若菜はスカートの下に下着を履いておらず、薄桃色の綺麗な亀裂に指が這い、花芽を撫で花弁の隅々までそれを塗りつけた。極めつけに媚薬を腟内に注ぎ込んで溢れさせる。
「八種様、この媚薬は特別に調合したものでなぁ! これを投与されたおなごは十倍の快楽に悶え、イキ狂う!」
「へぇ。さすが外道。そういうお薬を亡者相手に売りつけてるってわけね」
「はっはっは。外道は生まれつきでございましょう。儂の部下が調合する薬は、黄泉津大神様も愛用されておるのじゃ」
―――――ドクン。
その言葉と共に、若菜の体は激しい欲望の飢えを感じた。媚薬の経験はあるものの、今まで感じたことのないほど異質な感覚に体が疼いた。
触れていない花弁から次々と蜜が溢れ出し、呼吸が乱れる。若菜の花弁から清らかで澄んだ花の薫りが匂い立つと、八種と法眼の体は熱くなる。
「うっ……はぁっ……あ、からだがっ……あつぅ……いやぁっ……はぁっ……はっ……はぁ」
視界が揺れ、法眼の膝に座って太腿に衣服が擦れるだけで気持ちが良い。もし体中を触れられたら、快楽で意識が粉々になってしまいそうだ。
「全ての男の手垢を消すには、体の芯まで堕とすのが一番だ。若菜よ、回り道をした分、じっくりと時間をかけないとな。それにしてもこの黄泉国には似つかわしくないほど清らかな香りがするな。――――木花之佐久夜毘売命の力がここまで強力に?」
爽やかな笑顔が薄笑いに変わり、法眼の黒玉の瞳が濁る。そっと瑞々しい唇に触れ、蛇のような舌が絡みつくと、若菜の蜜色の瞳が溶けた。
✨✨✨✨
前作のシーンの詰め合わせイラストを描いていただきました。
イラストレーター Suicoさん
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