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壱、天上で女神は囀る―其の弐―
佐久夜の寝殿造にいる者は、衛兵から官吏まで全員女性で構成されている。使役する神使に至るまで、異性を排除して女性に統一されているのだから、かなり徹底しているのだろう。
この神域での禁句は瓊瓊杵尊の名を口にする事である。佐久夜は彼と三人の子を授かったがその後、離縁して両神とも別の神域に住み、彼女は女神や天女達に囲まれて暮らしていた。
天照大御神でさえ、彼女に会う時は、女神の人格である天照大御神として女性の姿に変わり、愛人である彼女と逢引きするくらいだ。
他の神々も、子孫は地上にいるし、佐久夜役目は果たしたのだから、好きなように過ごせば良いという認識のようだった。しかし、いまだに姉神の石長比売とは仲違いしたままである。
もとより彼女が同性が好きだったのか、瓊瓊杵尊で男性に懲りたのか、それは誰も知る由はないが、ともかく佐久夜は火を司り、安産や良縁、女性を護る女神として人々に崇められていた。
「佐久夜様……! お久しぶりです」
「わたくしの愛し子。貴女に逢える今日をとても楽しみにしておりました。もっとわたくしに顔を良く見せて。ふふ。可愛らしい」
若菜は蜜色の瞳を輝かせて、まるで姉を慕う妹のように満面の微笑みで彼女に抱きついた。あの日、阿修羅王に斬られて、佐久夜が自分の命を分けて若菜を救わなければ、彼女はここでこうして生きてはいなかっただろう。
天之木花若菜姫という名も、彼女から授けられた大事な神名である。
佐久夜は、若菜の頬を両手で掴むと愛しそうに彼女の額に口付けた。
「ふふっ……今日は私の神使や眷属達も連れてきてしまったのですが、よろしかったですか」
「ええ。殿方もいるけれど構いません。わたくしの愛し子に、何人護衛をつけようとも心配なのだから」
佐久夜は若菜の癖のある稲穂の柔らかな髪を撫でると胸に抱き締めた。そして若菜の華奢な指に指を絡め、客人達を招き入れる。
由衛たちは初めて入る、彼女の神域を興味深く眺めていた。見事な桜並木、キョウの都からは、拝めないであろう美しい雪化粧の、富士の山まで、中庭からくっきりと見えるのだから、彼らから感嘆の声が上がる。
桜の花弁がふわふわと咲き乱れて部屋に迷いこんでは、雪のように畳に消えていく。
そんな不思議な空間の中で上座に座る佐久夜と、若菜は互いの近況などを雑談していた。しかし、ふと佐久夜の表情が陰る。
「若菜、そう言えば少し不穏な噂を聞いたので、貴女の耳にも入れておこうと思いましたの」
「不穏な噂ですか……?」
「ええ。天照大御神様の弟が二人居ることは、貴女も存じているでしょう。夜の国を治める、月読尊様。それからもう一人は荒くれ者の須佐之男様」
「はい。陰陽師の時に色々と神話の書物も読んでいました。高天原から追放され、ヤマタノオロチを退治した、暴風と海の神様ですね。イズモへ行かれたと記されていました」
須佐之男は、あまりにも有名な神話の神様だ。
この高天原には八百万の神々がおり、若菜も全員の顔どころか、名前も把握しきれていない。数多く存在する神様の中でも、天照大御神、月読尊、須佐之男の三兄弟は、三貴神と呼ばれ強力な神様だ。キョウの都に限らず、日出る国でも知らない人の方が少ないように思う。
「わたくしの愛し子は本当に勉強熱心だこと。あの方は本当に嵐のような殿方で、わたくし達も色々と手を焼いておりましたの。大六天魔王と戦った時は、阿修羅王まではいかずとも活躍なさった戦神です。二度目は、地上にいらして我感せずのようでしたが。何故か今になって急に高天原に戻って来られるというお話しを耳にしました。あくまでも噂ですけれど」
もちろん、神使や眷属もその頃に生きていなくても、須佐之男の様々の逸話は知っている。
一度目は父親に追放され、次に兄を頼って高天原に戻ったはいいが、天照大御神に不敬を働いて追い出されたというだけでも、大変な神だとは理解できる。とはいえ、彼は紛れもなくイズモの英雄でもあるのだが。
「お噂、ということは天照大御神様もご存じないのですか?」
「ええ。天照大御神様が須佐之男様を招き入れる、という事ではないようです。ですが、何かしらここに来なければならない、理由があったのでしょう。……時間も経っているし、折り行ってという事でしたから、彼を高天原へ迎い入れるようですね。ですから、若菜。須佐之男様に目を付けられないよう気を付けなさい。貴女達もくれぐれも頼みましたよ。安倍晴明様は天帝の側に居ることが多いのだから」
彼女も、天帝が朔だという事は知らない。安倍晴明が高天原に在中していないので、若菜を心配しているようだ。
しきりに自分の側に居るように諭していたのも、須佐之男の事があるからだろうか。しかし若菜もまた、天界の屋敷に長く滞在している訳でも無いので、彼に出逢う事もないだろう。若菜は佐久夜の心配を心から、有り難く思いながら、どこか他人事でいた。
『もちろん、お任せ下さい。例え須佐之男様といえど、私の姫には指一本触れさせませぬ』
由衛は背筋をピンと伸ばすと、拳をぐっと作って言った。彼の側に控えていた吉良や、他の二人が調子の良い彼に、苦笑したのは言うまでも無い。
✣✣✣
『それにしても、どうして須佐之男様が高天原にお戻りになられたのでしょう』
『さァ? 見当もつかねぇなァ。故郷や家族が恋しくなったとか。神さんの考える事はわからねぇや』
『イズモで何かあったのかしらねぇ。きな臭い事にならなきゃいいけど』
佐久夜の神域から出ると、白露は考え込むように自分の顎を掴み、首を傾げる。吉良に至っては、全く興味もなさそうにしながら狗耳をピクピクと動かし、肩を揉んでいた。
紅雀は白露と同じく、何かに引っかかるようだった。若菜は先頭を歩きながら、肩越しに振り返るとクスクスと笑う。
「ねぇ、月読尊様なら教えてくれるかもしれないよ。高天原は久し振りだから、遊びに行きますと、お手紙を書いたの。退屈してると思うし、寂しそうにしていたから」
『姫はあまりにもお優しすぎます。あのような変態引きこもり神を甘やかすなど……。夜の世界から出て、とっとと伴侶となる女神を、見つければよろしい』
『月読尊もてめぇには言われたくねぇだろうよ、由衛』
『うるさいわ、アホ狗』
由衛は不機嫌そうに言った。若菜が夜の国に招かれると、月読尊の神域に入れない眷属たちは、夜と逢魔が時の鮮やかな夕暮れの間で、主人をずっと待たなければならないのだ。
またいつものようにギャアギャアと、歯を向き合う由衛と吉良を宥めつつ、若菜は別の話題を振った。
「あの、あの! お花を摘んで行こうかな。月読尊様、高天原のお花が懐かしいと言ってたの。夜の世界は月下美人や、月見草ばかりだから。すぐに終わるから皆、そこで待っていて」
若菜は、そう言って指さした。湖畔近く、にあやめや勿忘草、秋桜など、季節に関係なく美しく咲く花畑がある。
『本当にお優しいですね、姫……』
『あまり夢中になりすぎて、遠くにいくんじゃあないわよ、若菜』
「はぁい!」
花瓶に飾ってきちんと水をあげれば、ここでは切り花もかなり長生きをするのだ。
紅雀にあまり遠くへ行くなと言われ、素直に頷いたものの、若菜は花畑で様々な色の花を見ては夢中になっていた。色の均等や見知らぬ綺麗な花に目を奪われて、どんどんと奥へと向かう。
「高天原の花がそんなに珍しいか?」
「っ……! は、はい」
突然、誰かに声を掛けられた若菜は気配に気が付かず驚いて立ち上がった。そちらを見ると木の陰でもたれ掛かる男神が居た。全く人の気配に気付かず、花を摘むのに集中し過ぎていたようだ。
腰に剣を携えて、派手な神御衣に黒の臑当や籠手を装備し、首には勾玉を下げている。
黒髪はざんばらで、黒曜石の鋭い目をした神だった。八百万の神々が一方的に自分を知っていても、若菜はまだ全員を把握しきれていない。
出で立ちからして、武神だろうと思うが若菜は花束を下げると、深々と頭を下げた。恐らく休憩中に、若菜がはしゃいで花を摘んでいたのが、奇異に映ったのだろう。男は、こちらに向かって来ると、尋ねた。
「お前は、おかしな髪の色をしているな。異国の天女が高天原の花を摘んで、どうするつもりだ? よもや、そんなつまらん雑用でどこかの天国の神に使役されているのか」
「私は、天女ではありません。八百万の女神です。わ、私には南蛮の血が入っているのです。これは……月読尊様にお持ちするもので」
「あの、月読尊にか?」
その言葉に、男は面食らったように目を見開き、次の瞬間大笑いした。月読尊は、天照大御神と仲違いして臍を曲げそのまま夜の世界に閉じこもり、月の神になった。そんな彼の態度に、呆れる神もいるが目の前にいる、この男のように嘲笑する者は居ない。
なんだか、若菜はいたたまれない気持ちになってしまった。
確かに月読尊は変わっていて子供っぽい所はあるものの、根は悪神ではない。花を愛でる事を笑われる謂れはないだろう。
「あの……失礼致します」
「待て。お前はどこの姫だ。名前はなんという? 月読尊とは恋仲か」
「きゃっ」
若菜が彼から離れ、皆のもとへ戻ろうとすると手首を捕まれ引き寄せられた。華奢な若菜はすぐに鍛えられた武神の胸に収まり、驚いたように彼を見上げた。
意思の強い燃えるような澄んだ目をしているが、気性は荒く見えた。『違う』と言う間もなく若菜の唇を奪う。
突然の事で頭が真っ白になると、若菜は思わず口を開いてしまった。そこに強引に舌を挿入される。縮こまる若菜の舌を絡め取ると、舐り、抵抗できないでいる彼女の粘膜を犯す。
我に返って押し返そうとする、若菜の手首を掴むと、尚更引き寄せられて呼吸もままならないほど、深い口付けを繰り返された。
「んっ、んぅ……いゃあ、やめ、やめて! こ、恋仲じゃないですっ」
腰を抱かれたまま、ようやく唇を話されると二人の間で銀糸の橋が出来た。突然の見知らぬ男神に口付けられた若菜は、蜜色の瞳に涙を溜めて震える。だが、彼は自分の唇を舌で舐めると、高揚感でニヤリと口端に笑みを浮かべ楽しそうに若菜を凝視する。
唾液からでも感じる、性愛の女神の蜜は甘く清浄で美味だった。そして柔らかな舌が絡まると、全身に武者震いが走った。
愛らしい泣き顔も、彼の嗜虐心を煽るだけで逆効果である。
「俺は、お前の『名前』が知りたい」
首に手を掛けられ、首筋に鼻をつけられて囁かれると、ガクカクと若菜の体が震える。名前を告げる瞬間、若菜の異変に気付いた神使達が慌てたように、素早く駆け付けた。
『姫! どの神であろうと許されざる不敬です。今すぐお離れ下さい……。さもなくば我らで多少手荒な真似をしても、主人を守るのみ』
『若菜! てめぇ何やってんだ。そいつは安倍晴明の妻神だぞ』
由衛と吉良は今にも大きな獣になり、男神の喉元に噛みつかんばかりの声で威嚇をする。紅雀と白露も彼を睨みながら、二人の背後で牽制しているようだった。
男神は溜息を吐くと、若菜の腰を抱き首元に腕を巻いて肩を抱くと言った。
「うるせぇよ」
その瞬間、全員が見えない圧力に平伏すように地面に押し付けられた。若菜に名前を聞く前に彼らが名を呼んだことが気に食わなかったのか、それとも自分に対しての不躾な言葉に怒りを顕にしたのか。
このような光景を、過去に経験していた若菜は、青褪めながら言った。
「わ、私は天之木花若菜姫と申します。神の繭として生まれ、木花之佐久夜毘売様に八百万の女神として、高天原に上げて頂きました。ふ、不敬をお詫びします。この者達をお許し下さい」
「まぁ、そう怯えるなって。神の繭を開花させるなんて俺が居た頃はご法度だった筈だがなぁ。安倍晴明など知らん。しかし、兄貴と恋仲と思ったが宛が外れたな。お前はただのお人好しか?」
若菜の柔らかな香りを嗅ぐように首筋に鼻をつけると、耳の付け根に舌を這わせる。男神は若菜の肩に、ぐっとわざと爪を立てると言った。
「俺の名は須佐之男。天照大御神に会う前に愚鈍な神使共と俺をもてなせ。お前に伴侶がいるなど、どうでも良い……。俺はお前が気に入ったんだ」
須佐之男、という名前を聞いた瞬間に若菜の体が凍りついた。
この神域での禁句は瓊瓊杵尊の名を口にする事である。佐久夜は彼と三人の子を授かったがその後、離縁して両神とも別の神域に住み、彼女は女神や天女達に囲まれて暮らしていた。
天照大御神でさえ、彼女に会う時は、女神の人格である天照大御神として女性の姿に変わり、愛人である彼女と逢引きするくらいだ。
他の神々も、子孫は地上にいるし、佐久夜役目は果たしたのだから、好きなように過ごせば良いという認識のようだった。しかし、いまだに姉神の石長比売とは仲違いしたままである。
もとより彼女が同性が好きだったのか、瓊瓊杵尊で男性に懲りたのか、それは誰も知る由はないが、ともかく佐久夜は火を司り、安産や良縁、女性を護る女神として人々に崇められていた。
「佐久夜様……! お久しぶりです」
「わたくしの愛し子。貴女に逢える今日をとても楽しみにしておりました。もっとわたくしに顔を良く見せて。ふふ。可愛らしい」
若菜は蜜色の瞳を輝かせて、まるで姉を慕う妹のように満面の微笑みで彼女に抱きついた。あの日、阿修羅王に斬られて、佐久夜が自分の命を分けて若菜を救わなければ、彼女はここでこうして生きてはいなかっただろう。
天之木花若菜姫という名も、彼女から授けられた大事な神名である。
佐久夜は、若菜の頬を両手で掴むと愛しそうに彼女の額に口付けた。
「ふふっ……今日は私の神使や眷属達も連れてきてしまったのですが、よろしかったですか」
「ええ。殿方もいるけれど構いません。わたくしの愛し子に、何人護衛をつけようとも心配なのだから」
佐久夜は若菜の癖のある稲穂の柔らかな髪を撫でると胸に抱き締めた。そして若菜の華奢な指に指を絡め、客人達を招き入れる。
由衛たちは初めて入る、彼女の神域を興味深く眺めていた。見事な桜並木、キョウの都からは、拝めないであろう美しい雪化粧の、富士の山まで、中庭からくっきりと見えるのだから、彼らから感嘆の声が上がる。
桜の花弁がふわふわと咲き乱れて部屋に迷いこんでは、雪のように畳に消えていく。
そんな不思議な空間の中で上座に座る佐久夜と、若菜は互いの近況などを雑談していた。しかし、ふと佐久夜の表情が陰る。
「若菜、そう言えば少し不穏な噂を聞いたので、貴女の耳にも入れておこうと思いましたの」
「不穏な噂ですか……?」
「ええ。天照大御神様の弟が二人居ることは、貴女も存じているでしょう。夜の国を治める、月読尊様。それからもう一人は荒くれ者の須佐之男様」
「はい。陰陽師の時に色々と神話の書物も読んでいました。高天原から追放され、ヤマタノオロチを退治した、暴風と海の神様ですね。イズモへ行かれたと記されていました」
須佐之男は、あまりにも有名な神話の神様だ。
この高天原には八百万の神々がおり、若菜も全員の顔どころか、名前も把握しきれていない。数多く存在する神様の中でも、天照大御神、月読尊、須佐之男の三兄弟は、三貴神と呼ばれ強力な神様だ。キョウの都に限らず、日出る国でも知らない人の方が少ないように思う。
「わたくしの愛し子は本当に勉強熱心だこと。あの方は本当に嵐のような殿方で、わたくし達も色々と手を焼いておりましたの。大六天魔王と戦った時は、阿修羅王まではいかずとも活躍なさった戦神です。二度目は、地上にいらして我感せずのようでしたが。何故か今になって急に高天原に戻って来られるというお話しを耳にしました。あくまでも噂ですけれど」
もちろん、神使や眷属もその頃に生きていなくても、須佐之男の様々の逸話は知っている。
一度目は父親に追放され、次に兄を頼って高天原に戻ったはいいが、天照大御神に不敬を働いて追い出されたというだけでも、大変な神だとは理解できる。とはいえ、彼は紛れもなくイズモの英雄でもあるのだが。
「お噂、ということは天照大御神様もご存じないのですか?」
「ええ。天照大御神様が須佐之男様を招き入れる、という事ではないようです。ですが、何かしらここに来なければならない、理由があったのでしょう。……時間も経っているし、折り行ってという事でしたから、彼を高天原へ迎い入れるようですね。ですから、若菜。須佐之男様に目を付けられないよう気を付けなさい。貴女達もくれぐれも頼みましたよ。安倍晴明様は天帝の側に居ることが多いのだから」
彼女も、天帝が朔だという事は知らない。安倍晴明が高天原に在中していないので、若菜を心配しているようだ。
しきりに自分の側に居るように諭していたのも、須佐之男の事があるからだろうか。しかし若菜もまた、天界の屋敷に長く滞在している訳でも無いので、彼に出逢う事もないだろう。若菜は佐久夜の心配を心から、有り難く思いながら、どこか他人事でいた。
『もちろん、お任せ下さい。例え須佐之男様といえど、私の姫には指一本触れさせませぬ』
由衛は背筋をピンと伸ばすと、拳をぐっと作って言った。彼の側に控えていた吉良や、他の二人が調子の良い彼に、苦笑したのは言うまでも無い。
✣✣✣
『それにしても、どうして須佐之男様が高天原にお戻りになられたのでしょう』
『さァ? 見当もつかねぇなァ。故郷や家族が恋しくなったとか。神さんの考える事はわからねぇや』
『イズモで何かあったのかしらねぇ。きな臭い事にならなきゃいいけど』
佐久夜の神域から出ると、白露は考え込むように自分の顎を掴み、首を傾げる。吉良に至っては、全く興味もなさそうにしながら狗耳をピクピクと動かし、肩を揉んでいた。
紅雀は白露と同じく、何かに引っかかるようだった。若菜は先頭を歩きながら、肩越しに振り返るとクスクスと笑う。
「ねぇ、月読尊様なら教えてくれるかもしれないよ。高天原は久し振りだから、遊びに行きますと、お手紙を書いたの。退屈してると思うし、寂しそうにしていたから」
『姫はあまりにもお優しすぎます。あのような変態引きこもり神を甘やかすなど……。夜の世界から出て、とっとと伴侶となる女神を、見つければよろしい』
『月読尊もてめぇには言われたくねぇだろうよ、由衛』
『うるさいわ、アホ狗』
由衛は不機嫌そうに言った。若菜が夜の国に招かれると、月読尊の神域に入れない眷属たちは、夜と逢魔が時の鮮やかな夕暮れの間で、主人をずっと待たなければならないのだ。
またいつものようにギャアギャアと、歯を向き合う由衛と吉良を宥めつつ、若菜は別の話題を振った。
「あの、あの! お花を摘んで行こうかな。月読尊様、高天原のお花が懐かしいと言ってたの。夜の世界は月下美人や、月見草ばかりだから。すぐに終わるから皆、そこで待っていて」
若菜は、そう言って指さした。湖畔近く、にあやめや勿忘草、秋桜など、季節に関係なく美しく咲く花畑がある。
『本当にお優しいですね、姫……』
『あまり夢中になりすぎて、遠くにいくんじゃあないわよ、若菜』
「はぁい!」
花瓶に飾ってきちんと水をあげれば、ここでは切り花もかなり長生きをするのだ。
紅雀にあまり遠くへ行くなと言われ、素直に頷いたものの、若菜は花畑で様々な色の花を見ては夢中になっていた。色の均等や見知らぬ綺麗な花に目を奪われて、どんどんと奥へと向かう。
「高天原の花がそんなに珍しいか?」
「っ……! は、はい」
突然、誰かに声を掛けられた若菜は気配に気が付かず驚いて立ち上がった。そちらを見ると木の陰でもたれ掛かる男神が居た。全く人の気配に気付かず、花を摘むのに集中し過ぎていたようだ。
腰に剣を携えて、派手な神御衣に黒の臑当や籠手を装備し、首には勾玉を下げている。
黒髪はざんばらで、黒曜石の鋭い目をした神だった。八百万の神々が一方的に自分を知っていても、若菜はまだ全員を把握しきれていない。
出で立ちからして、武神だろうと思うが若菜は花束を下げると、深々と頭を下げた。恐らく休憩中に、若菜がはしゃいで花を摘んでいたのが、奇異に映ったのだろう。男は、こちらに向かって来ると、尋ねた。
「お前は、おかしな髪の色をしているな。異国の天女が高天原の花を摘んで、どうするつもりだ? よもや、そんなつまらん雑用でどこかの天国の神に使役されているのか」
「私は、天女ではありません。八百万の女神です。わ、私には南蛮の血が入っているのです。これは……月読尊様にお持ちするもので」
「あの、月読尊にか?」
その言葉に、男は面食らったように目を見開き、次の瞬間大笑いした。月読尊は、天照大御神と仲違いして臍を曲げそのまま夜の世界に閉じこもり、月の神になった。そんな彼の態度に、呆れる神もいるが目の前にいる、この男のように嘲笑する者は居ない。
なんだか、若菜はいたたまれない気持ちになってしまった。
確かに月読尊は変わっていて子供っぽい所はあるものの、根は悪神ではない。花を愛でる事を笑われる謂れはないだろう。
「あの……失礼致します」
「待て。お前はどこの姫だ。名前はなんという? 月読尊とは恋仲か」
「きゃっ」
若菜が彼から離れ、皆のもとへ戻ろうとすると手首を捕まれ引き寄せられた。華奢な若菜はすぐに鍛えられた武神の胸に収まり、驚いたように彼を見上げた。
意思の強い燃えるような澄んだ目をしているが、気性は荒く見えた。『違う』と言う間もなく若菜の唇を奪う。
突然の事で頭が真っ白になると、若菜は思わず口を開いてしまった。そこに強引に舌を挿入される。縮こまる若菜の舌を絡め取ると、舐り、抵抗できないでいる彼女の粘膜を犯す。
我に返って押し返そうとする、若菜の手首を掴むと、尚更引き寄せられて呼吸もままならないほど、深い口付けを繰り返された。
「んっ、んぅ……いゃあ、やめ、やめて! こ、恋仲じゃないですっ」
腰を抱かれたまま、ようやく唇を話されると二人の間で銀糸の橋が出来た。突然の見知らぬ男神に口付けられた若菜は、蜜色の瞳に涙を溜めて震える。だが、彼は自分の唇を舌で舐めると、高揚感でニヤリと口端に笑みを浮かべ楽しそうに若菜を凝視する。
唾液からでも感じる、性愛の女神の蜜は甘く清浄で美味だった。そして柔らかな舌が絡まると、全身に武者震いが走った。
愛らしい泣き顔も、彼の嗜虐心を煽るだけで逆効果である。
「俺は、お前の『名前』が知りたい」
首に手を掛けられ、首筋に鼻をつけられて囁かれると、ガクカクと若菜の体が震える。名前を告げる瞬間、若菜の異変に気付いた神使達が慌てたように、素早く駆け付けた。
『姫! どの神であろうと許されざる不敬です。今すぐお離れ下さい……。さもなくば我らで多少手荒な真似をしても、主人を守るのみ』
『若菜! てめぇ何やってんだ。そいつは安倍晴明の妻神だぞ』
由衛と吉良は今にも大きな獣になり、男神の喉元に噛みつかんばかりの声で威嚇をする。紅雀と白露も彼を睨みながら、二人の背後で牽制しているようだった。
男神は溜息を吐くと、若菜の腰を抱き首元に腕を巻いて肩を抱くと言った。
「うるせぇよ」
その瞬間、全員が見えない圧力に平伏すように地面に押し付けられた。若菜に名前を聞く前に彼らが名を呼んだことが気に食わなかったのか、それとも自分に対しての不躾な言葉に怒りを顕にしたのか。
このような光景を、過去に経験していた若菜は、青褪めながら言った。
「わ、私は天之木花若菜姫と申します。神の繭として生まれ、木花之佐久夜毘売様に八百万の女神として、高天原に上げて頂きました。ふ、不敬をお詫びします。この者達をお許し下さい」
「まぁ、そう怯えるなって。神の繭を開花させるなんて俺が居た頃はご法度だった筈だがなぁ。安倍晴明など知らん。しかし、兄貴と恋仲と思ったが宛が外れたな。お前はただのお人好しか?」
若菜の柔らかな香りを嗅ぐように首筋に鼻をつけると、耳の付け根に舌を這わせる。男神は若菜の肩に、ぐっとわざと爪を立てると言った。
「俺の名は須佐之男。天照大御神に会う前に愚鈍な神使共と俺をもてなせ。お前に伴侶がいるなど、どうでも良い……。俺はお前が気に入ったんだ」
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私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
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※この物語はフィクションです。
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