【R18】月に叢雲、花に風。〜黄泉界編〜

蒼琉璃

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弐、 月の波紋―其の壱―

「はぁ? 天帝……? 知ったこっちゃねぇ。俺は兄貴と違い、創造主と一度も会った事がないんだ。それに、いくら晴明が天帝に近いって言っても、安倍晴明は八百万の神々の中では新入りの方だぜ。天帝に近いからってなんなんだよ。俺がそんな事で、惚れた女を諦めるとでも思っているのか?」

 須佐之男命は、鼻を鳴らすと兄である天照大神の言葉にも耳を貸さず、若菜に向けて自信に満ちた、挑戦的で不適な笑みを浮かべる。そして一人、神殿に向う為に、天照大神の横を通り過ぎると、嵐のようにその場から去ってしまった。
 天照大神は、相変わらず自分の言う事に、耳を貸さない弟に深い溜息をつくと、若菜の方を振り返って、ひざまく。

「若菜姫、すまぬ。あの通り弟は我も手を焼くほどの、粗暴な奴だ。神殿できつく叱り、要件が終わり次第、須佐之男命を追放しよう。私が呼ばねば、そなたはこのような目に合わずにすんだ。心からお詫び申し上げる」

 若菜は巫女服と羽衣を手繰り寄せる。あの八百万の神々の長である、天照大神が自分に向って、心から申し訳なさそうに頭を下げているのに驚いてしまった。

「だ、大丈夫です。天照大神様。あ、あの、この事はどうか、晴明様には……いいえ、誰にも言わないで下さい。どうか、秘密にして下さい」
「無論。何かあればすぐに我を頼ると良い。そなたの事は、佐久夜からも頼まれているから」

 天照大神は優しく微笑むと、若菜は頷く。肉体的には疲労をしているものの、三貴神の一人である須佐之男命の霊力は強く、交わった事で、若菜の霊気はさらに輝きを増して強くなる。肌はしっとりと潤って、さらに美しくなった。若菜が望まずとも、交わった相手の霊気が性愛の女神の糧となるのだ。
 天照大神が、神使達を率いて立ち去ると、若菜は服を整えた。そして、慌てて眷属達が部屋に入ってきて駆け寄る。

『姫、お体は大丈夫ですか!』
『大丈夫かい? 殴られたりしてないだろうね』
「うん……私は、大丈夫だよ。心配させてごめんなさい。あの、あのね、入浴してから月読尊様の所に向おうと思うの。約束を破るのは悪いから」

 駆け寄って若菜を抱きしめる由衛に、彼女は少し驚いて彼の背中を撫でた。真っ直ぐ天界に帰るのは、罪悪感で押し潰されそうだし、須佐之男命が言っていた黄泉の事についても若菜は少し気に掛かっていた。本能的に嫌な予感がする。
 須佐之男命は間違いなく、暴君だが少なくともここにきた本当の目的は、何か深刻な事が起こって、それを知らせようとしたのだろう。
 天帝である朔は万能だが、まだ気付いていない小さな脅威があるのなら、妻である自分が彼の為に動かねばならないと考えた。

✤✤✤

 若菜と眷属達は高天原から、夜を統べる月読尊の神域へと向かう。とはいえ佐久夜や、他の神々のように、月読尊の住処は、分かりやすい場所に神域がある訳ではない。

『姫、本当に月読尊の神域はこの辺りにあるのでしょうか』

 月読尊は、とある事件を切っ掛けに、兄の天照大神と仲違いをして、この世界は昼と夜に分かれてしまった。
 夜を支配する月読尊は、それ以来引き籠もってしまい、誰とも交流を持たず、神使と共に夜の神域で隠居生活をしながら、月の神として努めを果たしている。
 最近では、若菜を阿修羅王から隠す為に保護をしたのが切っ掛けで、再び天照大神と、交流を持つようになったようだが。

「皆、ごめんね。月読尊様は他の神様や神使には会いたがらないの。いつか全員を紹介したいのだけど……ここで待っていて」 
『私は賛成致しません。月読尊樣も、姫へ密かに烈情を抱いておりますし……須佐之男命様の、非道な振る舞いを切っ掛けにたかが外れるかもしれません』
『本当に大丈夫か、嬢ちゃん。あの暴神がお前を攫いに来るかもしれねぇってのに』
『そうです、若菜様。今日はもう、お休みになられては』

 夜の世界の入口は固く閉ざされていて、白露、由衛、吉良、紅雀は心配そうに若菜により添っていた。無事に彼女を天界まで送り届けるのが、彼らの役目だ。家族のように主を心配してくれているのも分かる。
 若菜はそれほど長居する訳ではないから、と頭を振る。

「少し気になる事があるの。それに月読尊様の結界は、私を阿修羅王から匿える事が出来たんだよ。月読尊様は大丈夫だから、待っていて」

 若菜が柔らかく慈愛に満ちた笑みを浮かべると、四人は顔を見合わせた。
 彼の持つ幻惑の神通力は非常に強く、若菜を匿うのに、とても役立った。夜の世界の入口は若菜が居なければ現れず、緊急の用がある天照大神以外は、辿り着けないようになっている。
 ふと、若菜の目の前に霧が出てきたかと思うと、やがてそこはいつの間にか夜の世界へと変わり、眷属達は消え、星空には大きな満月が光り輝いている。

「あっ……!」

 若菜の周りを、彼女を歓迎するように白兎が、ピョンピョンと飛び跳ね集まってきたので、思わず笑みが溢れる。そして兎は小さな体を起こして話始めた。

天之木花若菜姫アマノコノハナワカナヒメ様、ようこそ御出でくださいました。月読尊様がお待ちです』
「ふふっ、久し振りだね。皆、元気そうだから安心したよ。月読尊様は母屋の方?」

 若菜はしゃがむと、兎の愛らしさに頬を染めて彼らの頭を撫でた。月読尊の神使は言わずとしれた白兎だが、彼らも人型を取る事が出来るものの、月読尊が用を言い渡さない限りは、こうしてススキの野原を駆け回っている。
 それが若菜には、とても無邪気で可愛らしく思えた。

『いいえ、そちらに――――』

 くしくしと両手で顔を洗っていた白兎は、主の気配を感じ取ったようにそう答えると、散り散りになって叢の中に控える。

「若菜……! 待っていたぞ」
「月読……きゃっ」

 背後に佇んでいたのは、黒の狩衣に乳白色の肌、そして白髪の長い髪をした、まるで月そのもののような月読尊が、若菜を抱き上げた。慌てる若菜を、まるで子供のように高く持ち上げ、楽しそうに一回転する。

「つ、月読尊様っ……お、下ろして下さい」
「ああ。遅かったな、若菜姫。約束を破られたのかと思って、病んでいたぞ。文ばかりでは寂しい」

 月読尊は若菜を下ろした。
 普段は無表情な彼も、嬉しそうに笑みを浮かべている。夜の領域で一人静かに隠居生活をしている彼は、この銀河の争い事にも、高天原の事にも物語の世界のように思っている。
 唯一、話し相手となっているのが匿われた時に縁が出来た若菜だけだ。ぎゅっと自分の手を握り覗き込んでくる彼に、若菜は申し訳なさそうに頭を下げた。

「ごめんなさい、月読尊様。まだ高天原に来てからそれほど経っていないので、女神として勉強する事も多いの。でも、女神のお仕事にもようやく慣れてきたから、もっと遊びに来られると思います」
「そうか。分からない事があれば、なんなりと俺に訪ねれば良い。さて今日は、何して遊ぼうか。神使達と共に蹴鞠けまりをするか? それとも歌を読むか。俺は歌留多かるたでも良いぞ」

 月読尊は、まるで子供のように目を輝かせていた。しかし、須佐之男命の戯れのせいで、今日は庭で遊び回れるような元気はなかった若菜は、こちらから遊びを提案する事にした。

「月読尊様、今日はお部屋でお茶をしながら、ゆっくりお話しをしませんか」
「俺は何でもいい。そうだな、若菜姫。膝枕をしてくれ。それくらいは許されるだろう?」
「はい、でも本当に膝枕だけですよ?」
「ああ。分かってる。俺は美しい脚を堪能出来れば何もいらない。でも若菜、耳掃除を頼むくらい甘えるのは、許されるだろう?」

 異性の脚に異常なほど関心を持っている月読尊の事を、由衛や朔は偏屈な変態神だと揶揄やゆし、晴明は三貴神の一人が変人で嘆かわしいと頭を抱えていた。
 若菜と会えなくなると聞けば、拗ねて月読尊としての仕事を全うしなくなる。
 天照大神に叱られても、頑固者は動かない。ともかく彼がへそを曲げない事がこの世界の安定にも繋がった。若菜も彼の話し相手になるのは嫌ではないので、文を送り、友人として交流するのは楽しかった。
 
「新たな天帝が生まれて、高天原も安定しているな。んん……どうやら、第六天魔王も代替わりして、天界や天国を攻めないと宣言したらしい……。今度の第六天魔王は温厚なようだ。平和になれば外も煩くなくていい」

 若菜は黄金のススキと大きな満月を見ながら、縁側で月読尊に膝枕をすると、耳掻きをした。若菜の優しい声音から聞く高天原の日常や、女神達の流行りごとなどを、楽しく聞いていた月読尊が、気持ち良さそうに欠伸をした。
 袴越しに感じる、若菜の柔らかな太腿の感覚に、月読尊は至福の表情を浮かべた。膝の皿部分をうっとりと撫で回されると、若菜は思わずビクリと肩を上げる。

「つ、月読尊様……これで、天国は平和になりましたね。今の第六天魔王、霧雨さんは天魔界に行った時にお話しをした事がありますが、冷静沈着で優しい方でしたよ」

 随分、長い間会っていない。
 結婚したという話を聞いてからその後を聞いていない。天魔界から直接頼りがこないのは元気な証、と思っているが、二人の事は気に掛かる。
 今や天界と天魔界は敵同士ではなくなった。長き戦の末なので、交流がある訳ではないが、これから時代が変われば関係も良くなりそうだ。女神になった今なら、お忍びで二人に会いたいと思う。

「しかし、退屈になった他の天国が高天原に攻めてくるかもしれないぞ。その時は俺を頼ると良い、若菜姫。なんて……ふっふっ」
「ふふ。月読尊様、そう言えば……気になる事があるの。須佐之男命様が、高天原にお戻りになって。天照大神様に、耳に入れておきたい事があるのだそうです」

 ようやく若菜が本題を切り出すと、月読尊の眉がピクリと動き、深い溜息をついて若菜を見上げるように、頭を動かす。無表情な月読尊の顔に、黒い影がさした。そして、若菜の黄金の稲穂を思わせる、波打つ柔らかな髪に、指を絡める。

「……やはりな、あの馬鹿が戻ったのか。夜風が騒がしく震える嫌な感覚がした。弟が高天原に戻るなんて、厄介事しか起きないに決まっている。本当にあいつは……俺に意地悪をするし、弟のくせに偉そうで嫌な奴なんだ」


 
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