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弐、月の波紋―其の弐―
そう言うと、月読尊は不服そうな顔をする。若菜が須佐之男と花畑で出逢い、これから月読尊の元へと向かう事を告げた時、からかうような言動をしていたのを思い出して、彼女は首を傾げる。
どう考えてもあれは、懐かしい兄弟に対する態度ではない。
「須佐之男様は、月読尊様と御兄弟なのに、どうして意地悪をされるのでしょう? 兄上の天照大神様とも、仲が悪いみたいで……不思議です。私にも弟が居ますが、幼い頃から大事な存在ですから……。いつも須佐之男様は厄介事を起こすのですか?」
若菜は心配そうに月読尊の顔を見つめた。その気遣いに、月読尊は気分を良くしたように微笑む。
「うん、若菜姫は優しいな。心が清らかだから、そう思うのだろう。俺達、三貴神はそれぞれ性質が異なる。弟は、兄上に対して羨む心があるのかもしれん。一度は須佐之男が攻め込むと思ったほど、仲が拗れた。俺はこうして女神も娶らずに、夜の国で隠居しているので、奴からすれば不甲斐なく思うんだろう」
月読尊は、若菜の柔らかな太腿と膝枕を堪能しながら、さらに言葉を続けた。
「須佐之男は、兄弟の中で一番母上を慕っていて、自分の役目も忘れ、母上会いたさに黄泉の国へ向かうと言って聞かなかった。だから、父上に追い出されたのだ。まぁ、後は……、お前が人間だった頃に聞いた神話と、同じようなものだ。嵐のように高天原を乱していく。けれども、人の世では英雄になった。少しは成長したと思いたいが」
彼の傍若無人な様子を見ると、創世記の混乱は目に浮かぶ。しかし、亡くなった母親恋しさに駄々をこねる様子は、まるで子供のようだ。
月読尊が、髪を撫でろと催促するので、若菜は頭を撫でながら話に耳を傾ける。
まるで、月読尊は大きな兎のようで、動物をあやしているかのように撫でながら、若菜は引っ掛かっていた事を、思い切って彼に尋ねてみる。
「黄泉の国……黄泉国ってどんな場所なのですか、月読尊様。天照大神様のお話しでは、須佐之男様は黄泉の国が……と仰っていたそうなのです。それが気になって」
本当は、須佐之男本人からその言葉を聞いたのだが、心苦しくも嘘をついてしまった。彼は若菜の質問に、瞳を彷徨わせるようにして言った。
「知らん。だが、あまり高天原と変わらないが、死者達が蠢く暗黒の世界らしい。悪人も善人も行く領地は違うようだが。善悪関係なく母上が支配しているのだろうな。どの天国にも冥府があり、噂によると全て繋がっているんだとか。確か……天魔界の領域の、遥か下に入口があるという話を、聞いた事がある」
「えっ……? 天魔界の下にですか」
思わぬ所で、天魔界という言葉が出て来たので、若菜は目を丸くした。若菜の心の中で漣のように波打つ、違和感や不安は気のせいなのだろうか。
何かが起ころうとしている、そう感じた若菜はキュッと唇を結んだ。
✤✤✤
第六天魔王と天帝との戦争が終結し、この天魔界にもようやく、真の意味で平穏が訪れた。
人間の欲望や精気を主食とする彼らは、人の世に自ら出て、むやみやたらにかき乱さない条件で降伏したのだ。誇り高き上級天魔は反発をしたが、沢山の天魔が虐殺されてしまったのは事実で、人々は疲弊していた。
新たな第六天魔王となった霧雨は、天界と協力し、人を捕え接触せずとも、自動的に採取出来る樹木を天帝が生み出した。
人の欲望には際限がない。何千本も植えられたそれらは直ぐに成長する。
この木々に実った欲望を、加工する事によって、貧しい天魔や、知能がほとんどない下級の天魔も飢える事が無くなる。飢える心配が無くなった彼らは、平穏を取り戻したのだ。
しかし、上級天魔に至ってはやはり人間を捕え、直接奪う事を誇りにしているようで、魔王の目を盗み、人間に忍び寄り、狩りをしている輩も少なからずいる。
『ふん、天帝に飼いならされた天魔どもが、情けないものよ。下級の天魔に至っては凶暴さも無くなり、猟犬にもならん』
かつて、第六天魔王を支えていた六魔老の重鎮達は、ほとんど戦で命を落とし、残っているのは二人。
彼らが、霧雨のやり方に不満を持っているのは耳に入っている。しかし、幼馴染であった、第六天魔王の朔の代わりとして、長い間仮の王であった霧雨は政治に明るい。
天魔界はこれからの新しい時代を迎え、配下も古き者共ばかりではなく、より良くする為の新しい逸材が、必要になってくるだろう。
「陛下。また、難しい顔をされていますわ。貴方は無口な分、顔に良く表れますの」
霧雨は無口な上に、ほとんど表情が動く事がない。女官や配下の天魔が、彼の真意を読み取ろうとするのは困難だが、幼馴染であり最愛の正室である藍雅にとっては、手にとるように感情が分かるようだ。
庭で、共に茶を嗜みながら彼女は澄ましたような表情をして、霧雨をからかう。
「――――藍雅には叶わぬな。朔と同じように貴女は何でも、お見通しだ」
「ああ見えて昔から朔様は、私や貴方の事を、気に掛けて下さっていたんですわ」
「ふむ。まだ、朔を恋しく思うか?」
「もう! お戯れを仰らないで頂きたいですわ。朔様は天魔界を去り、本来なるべき存在になられたのです。私も朔様も最愛の相手を見つけたんですもの」
藍雅はずっと、朔の事を心から慕っていた。幼い頃から六魔老の一人であった父から言われたように、彼の妻になるのが名誉であり、幸せだと思っていたが、朔は運命の伴侶である若菜に巡り合った。
藍雅は彼女を憎もうと思ったが、あまりにも若菜がお人好し過ぎるので、馬鹿馬鹿しくなり、憎む気すら無くなってしまった。
そんな時、彼女はずっと慕い続けてくれていた霧雨の想いに気付いたのである。朔が封印されていた間、彼女をずっと支えてきたのは霧雨だった。
彼は子供の頃から、自分を愛していたと言う。
「朔は、とうの昔に……子供の頃から我らの気持ちを存じておられたのだろうな」
「ええ。意地悪な方だからそんな事は口にせず、お構い無しでしたけれど。それに……陛下こそが、この天魔界を統治する魔王として、ふさわしいと感じておられたのでしょう」
黒髪を結上げた霧雨は、ふと柔らかい微笑みを浮かべた。相手は朔ではなかったが、藍雅は第六天魔王の妃になるという夢を、叶える事が出来たのだ。
ふと、霧雨は彼女に文を渡す。
「若菜が、我らに会いたがっていると文に書かれていた。婚礼の儀に参加出来なかった事を、残念がっていたようでな。改めて祝いに参りたいと申しているようだ」
「まぁ、ふふ。そうですの。これは……晴明様が書かれたものですわね? 朔様は美しい文字を書かれるのに、筆無精でご自分で書かずに、代筆させますもの」
二人は、過去の思い出を振り返るようにして笑った。一度は焼け野原となった天魔界も、朔の忠実な使徒である天界人の力添えのお陰で、随分と復興していた。
もちろん、まだ天界に恨みを持つ上級天魔もおり、彼らといざこざが起こる事も多々ある。
若菜はこの世界に来たがっているようだが、完全に安全とは言い難い。
彼女は今や高天原の女神となっているし、天界側の者であるのだから、秘密裏に降りてきても身の危険はある。
「もう少し、この地が落ち着いたら、天魔界に若菜を招こう。この城の事もさぞかし懐かしく思うであろうな」
「ふふ。貴方様が難しいお顔をされていたのは、若菜をどう持て成すかですの?」
愛妻の無邪気な質問に、霧雨は優しく微笑んだものの、頭を振る。彼が難しい顔をしているのは別の事だ。
もはや天魔界にも、天界にも敵となるような勢力はいないのだが、辺境の天魔兵から霧雨は、気になる報告を受けていた。
『――――地の底から、雷鳴がゴロゴロと鳴り響くような音が致します。こんな事は今だかつてありません』
地鳴りのような物か、と思ったがそれとは全く異なるという。
霧雨も現地に出向いてみたが、まるで雷が地表を這うような不気味な音が響いていた。そしてこの音は、段々と広範囲になっているし、その噂もやがて王都に届くだろう。
天魔界の遥か下には、冥界や地獄、黄泉国と呼ばれるような場所があるというが、死者しか、立ち入れない場所である。
愛妻に、いらぬ心配を掛ける事を憚られたので、天界人を通じ天帝となった朔へ文を書いた。しかし彼女にも妃として知っておかねばならぬだろうと、霧雨は意を決っしたのだ。
「天魔界の辺境の地、伊舍那で地を這う、雷のような音が地下からすると、報告を受けた。我も伊舎那に向かったが、原因が分からぬ。ゆえに、朔に文を送ったのだ」
「まぁ……なんだか恐ろしいですわね。それで朔様はどのように仰られていたのです?」
「朔が言うには、雷鳴は恐らく冥府から届いている物だと言う。なぜそれが起こるのか原因はまだ調査中だが、死者の世界が煩く、気を付けるようにと、書いてある」
霧雨がそう言った瞬間、地鳴りのような物が起こり、城が激しく揺れ、霧雨は咄嗟に藍雅を庇うように抱きしめる。
配下の者達も、地震に慌てふためいた。
霧雨が娑婆世界へ訪れていた時に、地が揺れるような経験をしたが、天魔界では初めての事。揺れがおさまると、しばらく女官や、側近達がザワザワと不安を漏らしていた。
もしや、伊舎那で何かが起こったのだろうか。しかし王都からは離れ過ぎているではないか。
そう、霧雨が思っていると風に乗って、鼻歌のような物が聞こえる。
そして主君を護るように、天魔兵が何者かを牽制しながら、後退して来るのが見えると、その場に緊張が走った。
「何事だ」
「第六天魔王様、お下がり下さいませ! 先程の地鳴りに紛れて、曲者が侵入っ……、ぎゃあああ!」
霧雨を肩越しに振り返りながら、侵入者の存在を告げた天魔兵の体が、稲妻に打たれたように震え、炎に包まれると、女官達が悲鳴を上げた。
霧雨は愛雅を護るように立ちはだかり、剣に手を掛けようとすると、気の抜けた少年のような声が聞こえた。
天魔兵が剣を向けながら距離をとると、一人の少年が、黒手袋を付けた片手を上げる。
「はぁ~~い。天魔界のみなさ~ん。ご機嫌よう。今日はこの八種ちゃんが黄泉国から交渉に来ましたぁ。なのでぇ、煩いクソ雑魚のてめぇらは、皆黙りやがれです」
水飴のような物を舐めながら現れたのは、青髪を揺らせ、アーモンド型の金色の瞳を鈍く光らせた美少年だった。
片方は眼帯で、背中には西洋のドラゴンのような、黒い蝙蝠の羽が生えている。
頭には二本の角、短パン、ガーターベルトにブーツ。際どい上半身の服もまるで男娼のようだ。
ヘラヘラと笑いながら歩いて来る蠱惑的な美少年の体からは、ビリビリと雷のような霊気が周囲の空気を震わせていた。
「無礼者っ……第六天魔王の御前ですよ」
「良い、藍雅」
気の強い藍雅は、霧雨の背中から顔を出して言わずにはいられなかった。突然、天魔城に侵入し、天魔兵を殺害するような、無礼なな不届き者が許せなかったのだろう。
だか、霧雨はこの十五歳程度に見える美少年が、本能的に危険な存在であると認識する。
「あ? お姉さん、俺にそんな事言っちゃうの~~? 気の強い女は嫌いなんだよねぇ。可愛げがなくってさ」
チュポンと飴を口から出すと、八種は不機嫌そうに眉を上げた。彼の背後から、死者の国からやって来た、鬼の角を生やした亡者共が数人彼の背後に控える。
「――――なんの交渉だ」
「やった♪ 魔王様は、話が分かる男で良かったよ♡ 改めまして、我こそは黄泉国きっての美少年八雷神、八種でぇす」
どう考えてもあれは、懐かしい兄弟に対する態度ではない。
「須佐之男様は、月読尊様と御兄弟なのに、どうして意地悪をされるのでしょう? 兄上の天照大神様とも、仲が悪いみたいで……不思議です。私にも弟が居ますが、幼い頃から大事な存在ですから……。いつも須佐之男様は厄介事を起こすのですか?」
若菜は心配そうに月読尊の顔を見つめた。その気遣いに、月読尊は気分を良くしたように微笑む。
「うん、若菜姫は優しいな。心が清らかだから、そう思うのだろう。俺達、三貴神はそれぞれ性質が異なる。弟は、兄上に対して羨む心があるのかもしれん。一度は須佐之男が攻め込むと思ったほど、仲が拗れた。俺はこうして女神も娶らずに、夜の国で隠居しているので、奴からすれば不甲斐なく思うんだろう」
月読尊は、若菜の柔らかな太腿と膝枕を堪能しながら、さらに言葉を続けた。
「須佐之男は、兄弟の中で一番母上を慕っていて、自分の役目も忘れ、母上会いたさに黄泉の国へ向かうと言って聞かなかった。だから、父上に追い出されたのだ。まぁ、後は……、お前が人間だった頃に聞いた神話と、同じようなものだ。嵐のように高天原を乱していく。けれども、人の世では英雄になった。少しは成長したと思いたいが」
彼の傍若無人な様子を見ると、創世記の混乱は目に浮かぶ。しかし、亡くなった母親恋しさに駄々をこねる様子は、まるで子供のようだ。
月読尊が、髪を撫でろと催促するので、若菜は頭を撫でながら話に耳を傾ける。
まるで、月読尊は大きな兎のようで、動物をあやしているかのように撫でながら、若菜は引っ掛かっていた事を、思い切って彼に尋ねてみる。
「黄泉の国……黄泉国ってどんな場所なのですか、月読尊様。天照大神様のお話しでは、須佐之男様は黄泉の国が……と仰っていたそうなのです。それが気になって」
本当は、須佐之男本人からその言葉を聞いたのだが、心苦しくも嘘をついてしまった。彼は若菜の質問に、瞳を彷徨わせるようにして言った。
「知らん。だが、あまり高天原と変わらないが、死者達が蠢く暗黒の世界らしい。悪人も善人も行く領地は違うようだが。善悪関係なく母上が支配しているのだろうな。どの天国にも冥府があり、噂によると全て繋がっているんだとか。確か……天魔界の領域の、遥か下に入口があるという話を、聞いた事がある」
「えっ……? 天魔界の下にですか」
思わぬ所で、天魔界という言葉が出て来たので、若菜は目を丸くした。若菜の心の中で漣のように波打つ、違和感や不安は気のせいなのだろうか。
何かが起ころうとしている、そう感じた若菜はキュッと唇を結んだ。
✤✤✤
第六天魔王と天帝との戦争が終結し、この天魔界にもようやく、真の意味で平穏が訪れた。
人間の欲望や精気を主食とする彼らは、人の世に自ら出て、むやみやたらにかき乱さない条件で降伏したのだ。誇り高き上級天魔は反発をしたが、沢山の天魔が虐殺されてしまったのは事実で、人々は疲弊していた。
新たな第六天魔王となった霧雨は、天界と協力し、人を捕え接触せずとも、自動的に採取出来る樹木を天帝が生み出した。
人の欲望には際限がない。何千本も植えられたそれらは直ぐに成長する。
この木々に実った欲望を、加工する事によって、貧しい天魔や、知能がほとんどない下級の天魔も飢える事が無くなる。飢える心配が無くなった彼らは、平穏を取り戻したのだ。
しかし、上級天魔に至ってはやはり人間を捕え、直接奪う事を誇りにしているようで、魔王の目を盗み、人間に忍び寄り、狩りをしている輩も少なからずいる。
『ふん、天帝に飼いならされた天魔どもが、情けないものよ。下級の天魔に至っては凶暴さも無くなり、猟犬にもならん』
かつて、第六天魔王を支えていた六魔老の重鎮達は、ほとんど戦で命を落とし、残っているのは二人。
彼らが、霧雨のやり方に不満を持っているのは耳に入っている。しかし、幼馴染であった、第六天魔王の朔の代わりとして、長い間仮の王であった霧雨は政治に明るい。
天魔界はこれからの新しい時代を迎え、配下も古き者共ばかりではなく、より良くする為の新しい逸材が、必要になってくるだろう。
「陛下。また、難しい顔をされていますわ。貴方は無口な分、顔に良く表れますの」
霧雨は無口な上に、ほとんど表情が動く事がない。女官や配下の天魔が、彼の真意を読み取ろうとするのは困難だが、幼馴染であり最愛の正室である藍雅にとっては、手にとるように感情が分かるようだ。
庭で、共に茶を嗜みながら彼女は澄ましたような表情をして、霧雨をからかう。
「――――藍雅には叶わぬな。朔と同じように貴女は何でも、お見通しだ」
「ああ見えて昔から朔様は、私や貴方の事を、気に掛けて下さっていたんですわ」
「ふむ。まだ、朔を恋しく思うか?」
「もう! お戯れを仰らないで頂きたいですわ。朔様は天魔界を去り、本来なるべき存在になられたのです。私も朔様も最愛の相手を見つけたんですもの」
藍雅はずっと、朔の事を心から慕っていた。幼い頃から六魔老の一人であった父から言われたように、彼の妻になるのが名誉であり、幸せだと思っていたが、朔は運命の伴侶である若菜に巡り合った。
藍雅は彼女を憎もうと思ったが、あまりにも若菜がお人好し過ぎるので、馬鹿馬鹿しくなり、憎む気すら無くなってしまった。
そんな時、彼女はずっと慕い続けてくれていた霧雨の想いに気付いたのである。朔が封印されていた間、彼女をずっと支えてきたのは霧雨だった。
彼は子供の頃から、自分を愛していたと言う。
「朔は、とうの昔に……子供の頃から我らの気持ちを存じておられたのだろうな」
「ええ。意地悪な方だからそんな事は口にせず、お構い無しでしたけれど。それに……陛下こそが、この天魔界を統治する魔王として、ふさわしいと感じておられたのでしょう」
黒髪を結上げた霧雨は、ふと柔らかい微笑みを浮かべた。相手は朔ではなかったが、藍雅は第六天魔王の妃になるという夢を、叶える事が出来たのだ。
ふと、霧雨は彼女に文を渡す。
「若菜が、我らに会いたがっていると文に書かれていた。婚礼の儀に参加出来なかった事を、残念がっていたようでな。改めて祝いに参りたいと申しているようだ」
「まぁ、ふふ。そうですの。これは……晴明様が書かれたものですわね? 朔様は美しい文字を書かれるのに、筆無精でご自分で書かずに、代筆させますもの」
二人は、過去の思い出を振り返るようにして笑った。一度は焼け野原となった天魔界も、朔の忠実な使徒である天界人の力添えのお陰で、随分と復興していた。
もちろん、まだ天界に恨みを持つ上級天魔もおり、彼らといざこざが起こる事も多々ある。
若菜はこの世界に来たがっているようだが、完全に安全とは言い難い。
彼女は今や高天原の女神となっているし、天界側の者であるのだから、秘密裏に降りてきても身の危険はある。
「もう少し、この地が落ち着いたら、天魔界に若菜を招こう。この城の事もさぞかし懐かしく思うであろうな」
「ふふ。貴方様が難しいお顔をされていたのは、若菜をどう持て成すかですの?」
愛妻の無邪気な質問に、霧雨は優しく微笑んだものの、頭を振る。彼が難しい顔をしているのは別の事だ。
もはや天魔界にも、天界にも敵となるような勢力はいないのだが、辺境の天魔兵から霧雨は、気になる報告を受けていた。
『――――地の底から、雷鳴がゴロゴロと鳴り響くような音が致します。こんな事は今だかつてありません』
地鳴りのような物か、と思ったがそれとは全く異なるという。
霧雨も現地に出向いてみたが、まるで雷が地表を這うような不気味な音が響いていた。そしてこの音は、段々と広範囲になっているし、その噂もやがて王都に届くだろう。
天魔界の遥か下には、冥界や地獄、黄泉国と呼ばれるような場所があるというが、死者しか、立ち入れない場所である。
愛妻に、いらぬ心配を掛ける事を憚られたので、天界人を通じ天帝となった朔へ文を書いた。しかし彼女にも妃として知っておかねばならぬだろうと、霧雨は意を決っしたのだ。
「天魔界の辺境の地、伊舍那で地を這う、雷のような音が地下からすると、報告を受けた。我も伊舎那に向かったが、原因が分からぬ。ゆえに、朔に文を送ったのだ」
「まぁ……なんだか恐ろしいですわね。それで朔様はどのように仰られていたのです?」
「朔が言うには、雷鳴は恐らく冥府から届いている物だと言う。なぜそれが起こるのか原因はまだ調査中だが、死者の世界が煩く、気を付けるようにと、書いてある」
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もしや、伊舎那で何かが起こったのだろうか。しかし王都からは離れ過ぎているではないか。
そう、霧雨が思っていると風に乗って、鼻歌のような物が聞こえる。
そして主君を護るように、天魔兵が何者かを牽制しながら、後退して来るのが見えると、その場に緊張が走った。
「何事だ」
「第六天魔王様、お下がり下さいませ! 先程の地鳴りに紛れて、曲者が侵入っ……、ぎゃあああ!」
霧雨を肩越しに振り返りながら、侵入者の存在を告げた天魔兵の体が、稲妻に打たれたように震え、炎に包まれると、女官達が悲鳴を上げた。
霧雨は愛雅を護るように立ちはだかり、剣に手を掛けようとすると、気の抜けた少年のような声が聞こえた。
天魔兵が剣を向けながら距離をとると、一人の少年が、黒手袋を付けた片手を上げる。
「はぁ~~い。天魔界のみなさ~ん。ご機嫌よう。今日はこの八種ちゃんが黄泉国から交渉に来ましたぁ。なのでぇ、煩いクソ雑魚のてめぇらは、皆黙りやがれです」
水飴のような物を舐めながら現れたのは、青髪を揺らせ、アーモンド型の金色の瞳を鈍く光らせた美少年だった。
片方は眼帯で、背中には西洋のドラゴンのような、黒い蝙蝠の羽が生えている。
頭には二本の角、短パン、ガーターベルトにブーツ。際どい上半身の服もまるで男娼のようだ。
ヘラヘラと笑いながら歩いて来る蠱惑的な美少年の体からは、ビリビリと雷のような霊気が周囲の空気を震わせていた。
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だか、霧雨はこの十五歳程度に見える美少年が、本能的に危険な存在であると認識する。
「あ? お姉さん、俺にそんな事言っちゃうの~~? 気の強い女は嫌いなんだよねぇ。可愛げがなくってさ」
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