【R18】月に叢雲、花に風。〜黄泉界編〜

蒼琉璃

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伍、再会―其の弐―

 須佐之男命が、八種と共に去っていくと、若菜の前に梅澤が立ちはだかった。

「梅澤先輩」

 梅澤は獄卒の黒い着物を着こなし、陰陽寮に在籍して居た時よりも、一見更生しているようにも見える。
 黄泉国で、獄卒長となった梅澤の短髪は、地獄の炎のように赤く後ろに流され、切れ長の黒い目は、ゾッとするほど冷たく若菜を見下ろしていた。

「西園寺、久し振りだなぁ? お前等には、散々な目に遭わされた」
「梅澤先輩、御免なさい。命を奪うつもりはなかったの。でも、まさか黄泉国で、獄卒になっていただなんて思わなかった」
「ぬるい考えだな、西園寺。んで、謝罪してこの俺に、許しを乞うつもりじゃねぇだろうな?」

 命を狙われたのは若菜と朔で、戦うしかなかった。
 けれど若菜は、相手に襲われたとしても他人の命を、進んで自らの手で奪う事を良しとしない。
 特に慈愛の女神となってからは、朔と共に星と命を生み出す、特別な仕事を手伝うようになった。妖魔も天魔も人間も、ありとあらゆる命に、慈愛の手を差し伸べねばという気持ちになる。

「フン。馬鹿な女だ。存分に出世させて貰ったんでな。まさか、こんなに早く、お前が死んで黄泉の国に下るとは思わなかったが。ここに来てようやく、俺にも運がついてきたわ」
「………」
「お前の自慢の弟は帳簿には載っていないようだな。ふーん、あのクソ生意気な小僧、名は朔だったか? あいつは愛する義姉様を守れなかったようだな。光明のケツを舐めるしか能のない、軟弱な小姓だったよなぁ?」
「さ、朔ちゃんの事を悪く言うのはやめて下さい!」

 若菜が、珍しく声を上げて抗議すると、梅澤はゲラゲラと笑った。
 梅澤が右手を差し出すと、黒い煙と共に帳簿が現れ、それが意志を持っているかのようにパラパラと捲られる。

「さて、お前の罪状はなんだろう。行き先は、一般ボンクラ死者共が暮らす黄泉国か。それとも極悪人共が暮らす夜見城じごくか。なるほどやはり……八種様の見立て通りだな!」

 若菜は再び梅澤の鋭い視線から目を逸らした。彼女の脇では、死者達が黄泉醜女達によって、行き着く場所を分けられ、トボトボと歩いている。
 パタンと帳簿を閉じると、梅澤は若菜の髪を掴み、顔を寄せた。

「きゃっ……!」
「お前の名前と生い立ちは記されているが、その罪状は空白だ。たまにこういう、普通でもなく、善人でも悪人でもない、中途半端に見放されたゴミ共が来るんだよ。そんなお前が何故、須佐之男命のお気に入りになっているのか教えて欲しいもんだな。全くただの人間風情が、どんな色を使ったのやら……?」
「い、痛いっ……よっ……梅澤先輩っ。か、神様の寵愛は気紛れだって聞いたよ。ただ神社でお参りをしていたら、須佐之男命様にお声を掛けられただけなのっ。どうしてなのかは、私にも分からないよっ」

 咄嗟に出た嘘だが、暴君で気紛れな須佐之男命に、何故か一方的に見初められたのは本当の事だ。

「お前は、木花之佐久夜毘売命の寵愛も受けていると記されているが、女神の恩寵のみなら、迷わずこの場でお前の魂を八つ裂きにしていたのに」

 冥府にとって、どれほどの神の寵愛を受けようとも、誰もが等しく訪れる死の輪廻の中では、その恩寵も印籠にはならず、意味をなさないのかもしれない。
 伊邪那美に呼ばれた須佐之男命と共に、冥府を降りていなければ、怒り狂った梅澤に拷問をされていたかもしれないと思うと、若菜は青褪めた。
 梅澤は、若菜の稲穂の髪から手を離すと、彼女の細い首に片手を掛ける。
 このまま、首を絞められるのかと怯えていた若菜だが、温かい感触が蛇のように首に巻きついただけで終わり、梅澤の手がそっと離れる。
 恐る恐る首元に視線を落とすと、愛玩動物のように赤い紐が、彼女の首に絡みついていた。
 金の鈴がついた首輪だ。
 まるで飼い犬や、飼い猫につけるような物をつけられ、困惑した若菜は梅澤の顔を探るように見る。

「梅澤先輩、これはなぁに? まるで猫の首輪みたいで……」
「須佐之男命が、冥帝であらせられる、伊邪那美様にお会いして、お前を回収しに来るかは知らねぇが、寿命の尽きた死者には変わりない。今日からお前は、夜見城の牢獄支給係だ。その首輪はその印。覚えておけ」
「夜見城の牢獄支給係?」
「何処に居ても、その鈴の音が無様に鳴り響く。せいぜい罪人共や獄卒共に罵られながら、下女として、休みなく食事や酒を運べ。ここにはやんごとなき天魔様も、客人としているんだからな。俺の顔に泥を塗らないように失礼のねぇようにしろ」
「天魔様……?」

 神々を除き、生きている者の魂は天秤に乗せられ、行き着く場所を決められるという。
 それによって、生活する場所や行動範囲を決められてしまうらしい。彼曰く、行き場所が記されていない空白の死者、中途半端な魂は獄卒の支配下に置かれる。
 
(私は正体を隠して、死を偽装しているから、そこが空白になっているのかな……? それとも女神だから記されていないのかな。ともかく、禍津日神様は約束を守ってくれたんだね)

 悪人ではないが、善人でもないので、獄卒達に仕置きをされる事はないが、魂の行き場所がない彼等は、見放された者として、管理する者が必要になるのだろう。ある意味奴隷のような身分階級だと若菜は思った。
 けれど、この待遇は若菜にとっては好都合なのかもしれない。梅澤が、先程口にしていた『やんごとなき天魔様』とは、おそらく藍雅の事だろう。

「そんな天魔が、この黄泉国に客人としているだなんて。あの、もしかして、神様も寿命が尽きるとこの場所に下るの?」

 晴明があの場所を通れば、必ず出逢っているだろう彼の事を、一度も罵る様子もない梅澤に違和感があり、若菜は遠回しに尋ねてみる。最終的に、彼を死に至らしめた一手を撃ったのは晴明で、最も憎んでいるであろう相手の筈だ。

「さぁな? お前が知りてぇのは半神の安倍晴明の事だろう? 教える訳ねぇだろ、バーカ」
「っ……」

 梅澤は若菜の眼前まで顔を近付け、嘲笑するように囁く。若菜が目を逸らし、怯えた様子を見せれば見せるほど、彼は喜んでしまうようだ。
 少なくとも藍雅は、冥宮ではなく罪人達が下る、黄泉国の地獄の何処かに客人として監禁されているようだ。彼の言動からしても、客人として饗されている事は分かるが、黄泉国の食事を口にしているのかもしれないと思うと、心配で若菜は居ても立ってもいられなかった。

「梅澤先輩。それが私の仕事だというなら、頑張るよ」
「ハッ、返事だけは大層ご立派な事だ。あーー、そうそう西園寺、言い忘れていたが、その赤い首輪はな、お前が俺の専属の支給係という意味だ。獄卒長様という御主人様なんて誰もが羨む。俺の顔に泥を塗らないように、しっかりやりな」 

 梅澤がニヤニヤ笑うと、若菜の心にずっしりと重石が伸し掛かるようだった。梅澤は錫杖を鳴らすと、若菜の手首を掴んで夜見城へと向かう。
 薄暗い白夜の下で、赤い紐の首輪はよく目立ち、深々とキョウの都に似た黄泉国の死者達は、頭を垂れた。夜見城へと続く入り口は、城下町になっている。
 人間の死者、下等妖魔、下等天魔がいる場所のようで、先程の黄泉国より貧しい人々が、普通に生活をしているようだった。
 不思議なのは、あれだけ敵対していた妖魔天魔が、人間と黄泉国ではお互い敵対せずにいる事だろう。下等妖魔と呼ばれる者達も、生気のない動物のように、ただそこを彷徨うだけの存在になっていて、無害のようだ。
 若菜が動く度にチリン、チリンと響く鈴の音にも、彼等は反応しない。

「言っておくが、その首輪を外して逃げ出そうとすれば、ギリギリとお前の首を締め付けるぞ、西園寺。そんな事をすりゃあ、須佐之男命が、お前と認識出来ないほど俺に折檻されると覚えときな」
「は、はい……」

 坂道はやがて地下へと続き、巨大な石垣の城壁が見えてくる。死者の嘆きの声が、低く響き渡ると若菜は背筋が寒くなった。何十という層が積み重なる城、これが夜見城と呼ばれる、地獄の牢獄なんだろうか。
 ここで、現世で数え切れない悪事を働いた者達が閉じ込められ、獄卒達によって、責められながら罪を償っていると思うと、若菜は恐ろしくなってしまった。

 ✤✤✤

 黄泉国で、極悪人が隔離されたこの城は夜見ヨミ城と呼ばれており、最上階に君臨する城主は、先程の美少年、伊邪那美が産み落とした、八雷神の八種のようだった。
 八百万の黄泉国は、夜見城、そして善人や、一般的な死者のみが生活をする黄泉国、その先にこの黄泉国を統治する、冥帝の伊邪那美が住む冥宮に続いていると教えられた。
 若菜が識別されてしまった、見捨てられた者達の役割はこうだ。
 罪人の中でも弱く、愚かで、罪の数だけ拷問の年季を開けるのを待つ者達、そんな彼等の為に拷問後の掃除、下の世話から食事を作り、配給という大変な仕事をこなす、小間使いだ。

「あの、梅澤先輩。普通に生活している罪人もいるの?」
「刑期を終え、次の転生の時まで居着く死者は、城下町に大勢いる。だが極悪人の中には、八種様に気に入られて、この城で自由に組織を作っている者もいるぞ。まぁ、八種様の玩具にされている者もいるが。俺みてぇにな。頭の良い悪人は、どんな世界に来ても生き抜く処世術があるんだよ」

 獄卒達の監視下の元で、勝手に彼等に存在を位置づけられ、馬車馬のように働かされる事を思うと、見捨てられた魂と呼ばれる人達は、極悪人の償いよりも、大変な境遇かもしれない。
 梅澤は、罪人から才能を見出され、獄卒を纏める頭にまで上り詰めた男だった。優遇措置としてかなり大きな個室を、八種から与えられている。
 連れて来られた梅澤の私室は、キョウの都でもなかなかお目にかかれない立派な場所だった。

「今じゃ俺も、罪人共を看守し拷問のお勤め係だ」

 黄金の屏風には、死者を責める獄卒の鬼が描かれている。若菜は陰陽師の時も接した事はないが、梅澤からはいわゆる藩の下部組織、極道と言われるような人間の雰囲気が漂っている。
 悪人を看守するのは悪人である方が、良心の呵責かしゃくに苛まれなくて済むのだろうか。
 彼の部下も、下座に控えて正座をしているが、陰陽寮にいた舎弟ではない。

「西園寺、お前の服はこれだ。その気味の悪い南蛮の髪色に、その服を着ていれば、嫌でも俺の下女だと分かる。ギャンギャン泣いて、根を上げるのが楽しみだな。もたもたしてねぇでさっさと、ご主人様の前で着替えな!」
「こ、これを……着るの? こんな格好……恥ずかしいです」

 上座で閻魔大王のように胡座を組み、煙管を蒸しながら梅澤は正座する若菜を、冷たく見下ろした。
 目の前に置かれた着物は、襟と帯が赤く、黒い膝丈までの浴衣だった。問題はそれがレースのように透けており、臀部の付け根まで、そして前は若菜の下着が見られるほど、切れ目スリットが入っている。
 薄い黒の生地には艶やかな桃色、白、黄色の混じった華と蝶が描かれていて、下着はいやらしい黒の紐だ。大事な箇所は花弁を最低限隠せるくらいの、布地で覆われ赤面してしまう。
 月読尊が泣いて喜びそうな透けたレースの黒の南蛮のタイツは、膝の甲まである。そして、赤い蝶々の髪留めまで丁寧に用意されていた。

「その格好で牢獄給仕をやれ。きっとお前は獄卒長に媚びて、股を開いている薄汚い給仕だと蔑まれるぞ。なんせ俺は、罪人共に恨まれているからなぁ。西園寺、俺に晩酌をする時は陰陽寮に居た時と同じ、巫女服に着替えろ。その方が無様さが際立つ」

 梅澤は、ふぅと煙を吐き出した。
 ともかく梅澤は、彼女の事を逆恨みしていて、若菜を辱めたいのだろう。格好はともかく、梅澤の機嫌を取りつつ藍雅の所まで辿り着き、晴明の居場所を探るのが若菜の目的なので、下手に逆らうのは得策ではない。
 幸い、上下とも大事な部分はどちらも隠れているので、なんとかなりそうだ。

「は、はい」
「全裸になって回ってみろ」

 これまで若菜は、とんでもない目に遭ってきたが、やはり最愛の二人の夫や、眷属以外の前で肌を晒すのは抵抗がある。巫女服の帯を取り、禍津日神から貰った鈴を大事に置く。

「さすが、あの光明をイロを使って側近まで上り詰めた事はあるな。脱ぐ事に抵抗はねぇみたいだ」
「っ……そ、そんな事はないよっ。それにちゃんと陰陽師として私は……」

 挑発に乗ってはいけないと思い直し、若菜は目を伏せたまま、するすると一糸纏わぬ姿になる。
 性愛の女神の力を封じていても、その裸体は美しい。透き通るような肌に淡く桃色に色付く乳輪、なだらかな腰にふっくらとした太腿、そして幼子のような無毛の花弁を両腕で隠す仕草をすると、それだけで清らかで官能的に見える。
 梅澤が、醜く恐ろしいと思っていた稲穂の髪も、陽のない黄泉国の元で金糸のように輝いている。
 命の源、性愛の女神は原始の魅力に溢れていた。他者の精気を吸収すればするほど力は増し、彼女は望む望まないと限らず、魅惑的に美しく輝いてしまう。
 先程まで、辟易するほど悪口を叩いていた梅澤だったが、煙管を持ったまま若菜に魅入っていた。

 ――――毛先から足の指まで、この女は美しい。

 陰陽寮に在籍していた時は、南蛮の血を引く混血の女は、遊女と比べてどうせ締まりが悪いだろう、それとも光明がハマるほど、尻の穴の方は良いのか等と、仲間内で下品な会話をしていた。
 それなのに、間近で見た若菜は言葉を失うほど美しく、何故か彼女を崇めたくなるような神々しさを感じた。若菜がいじらしく頬を染め、項垂れながら一回転をする様子まで、目が離せなかった。
 まるで、品定めをされているようだと若菜は震えていたが、梅澤は黙ったまま一回転する彼女を見ると、ハッとして顔を赤くし正気を取り戻し、唇を噛む。

「っ……もういい。早くそれに着替えて、さっさと仕事を始めろ」
 
 それに、全裸の若菜から香る、花のような淡い匂いに飲み込まれそうになった。そういえば、陰陽寮で若菜とすれ違った時、僅かに花の香りを感じたが、今感じたそれは比ではないほど濃厚な物だ。
 あの時よりも強く、本能的に心惹かれるような危険な香り。
 死んだ直後はあれほど憎々しげに若菜達の事を思っていたのに、その感情がズタズタに切り裂かれて、若菜に対して、妙な興味が沸いてしまう。

「梅澤先輩……?」

 咳払いをする妙な態度の梅澤に、若菜は不思議そうに首を傾げたものの、慌てて用意された服に着替える。最後に鈴を帯びにつけ、用意された赤い蝶の髪飾りを着けた。
 赤い鼻緒がついた黒い下駄に履き替えると、梅澤の部下の巨体の黄泉醜男がのっそりと立ち上がる。彼等は頭である梅澤よりも、鬼に近い格好をしていて、若菜について来るように言った。
 梅澤は、若菜に動揺を気取られないように、いつもの如く煙管の灰を落とし、景気良くパンパンと手を叩く。

「さぁ、飯の時間だ。下女下男共、餌を運ぶ時間だぞ!」

 梅澤の柏手と声は、夜見城の牢獄中に響き渡る。
 若菜が彼等に連れて来られたのは大きな台所で、配給口の石段には凄まじい数の盆が並べられていた。盆の上には、大きな白い鉢が乗っていて、残飯のような食事が入っている。
 黄泉国では、これが当たり前なのかもしれないが、その匂いといい見た目といい、食欲をそそるような物ではなかった。

「ちょっとあんた邪魔だよ、とっとと盆を取って配給しな!」
「あっ、すみません」

 梅澤の部下は、若菜をここに誘導したきりで仕事の説明もなく、彼女を置いて、去ってしまった。
 戸惑う若菜を急かすように、後ろからやって来た中年の女が盆を掠め取っていく。死者達は全員、服装は異なるものの、首輪の色や形で、同じ仲間として分類されているようだった。

「とりあえず、皆についていけばいいのかな」

 若菜が立ち尽くしていると、不意にトントンと肩を叩かれた。驚いて振り向けばそこには、化粧をした長身の男性が立っていた。

「あんた、泰也様の新しい支給係? あらやだなーに、その格好。罪人恩赦で、性処理でもさせるつもりなのかしらねぇ?」
「ち、違いますっ……これは梅……獄卒長に命じられて配給係を」
「あら、そーなの? ともかくここで突っ立てても仕方ないわ。あんた、獄卒長の鵜飼なら、もっと上の極悪人の配給よ。アタシもそうだからついて来なさいよ」

 蒼い首輪を身に着けた銀髪の男性はそう言うと、若菜にウィンクする。

「は、はい。ありがとうございます」
「アタシ、カグツチ。カグちゃんって呼んでね♡」


 
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