【R18】月に叢雲、花に風。〜黄泉界編〜

蒼琉璃

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漆、冥府の君主―其の壱―

「――――闇落ち?」

 八種の言葉に、須佐之男は眉を顰めた。若菜を晴明から、寝取るつもりでいる彼にとって、邪魔者がどうなろうと知った事ではない。
 だが、母親の言葉で闇落ちしてしまったという事に、須佐之男は言いしれぬ不快感を覚えた。

「なーに、須佐之男ちゃん。そいつの事が気になるわけ?」
「別に」

 初めて八種の言葉に反応を示した須佐之男に興味を持ったのか、彼を振り返ると、探るように見つめる。
 一見、年端も行かない美少女のような容姿をした八種だが、彼の体と奇抜な服装からして、深淵の闇のような禍々しい気配が漂っている。お互い、気に食わない者同士で、睨み合いを続けた。

「クソ生意気なその態度、ベキベキにへし折ってやりてぇわ。ギャン泣きして、許して下さいって泣くまで拷問してぇ♡ あーー、ちなみにさぁ、お前の図体でけぇから、お義兄ちゃんなんて呼んだけど、実質天照大神やお前なんかより、俺のほうが早く生まれてんだわ。馬鹿は馬鹿なりに、神話復習しといてね」
「無駄口を叩くな。さっさと俺を母上の元へ案内しろ」

 八種は須佐之男に凄むと、中指を立てた。
 そして、言いたい事だけを言ってソリから降りる。荒神と言われた須佐之男は、いつでもこの生意気な義兄の体を、引き裂いてやろうという気持ちを胸に秘めつつ、冥宮に降り立った。
 八百万の神々を産んだ伊邪那美は、黄泉国へ下ったのち、冥府の君主となって君臨した。
 その権力を象徴するかのように冷たく薄暗い豪華な城には、神の役目を終えた者、善人として死んだ者が、自分達に与えられた仕事を担い、生活している。
 冥宮の奥に進みにつれ、冥府の王である伊邪那美の力が強くなる。その証に、黄泉国にしか生息しない、青白く発光する彼岸花が城の中で数多く咲き乱れていた。
 そして地下深く潜ると、そこには一際大きい空間が広がり、そこには高天原と同じく社殿が建っていた。

「――――ママ、約束通り須佐之男ちゃんを連れて来たよ」
「八種、苦労を掛けたな。私はこの時が来るのを指折り数えて待っていた。会いたかった、我が息子よ」

 社の奥から聞こえてきたのは、凛とした女性の声だった。

 現れたのは、足元まで伸びた薄い藍色の髪を垂らした、氷の美貌を持つ女性だった。白と紫の神御衣を身に着け、袴から見える裸足の足の爪は黒く色香が漂う。
 彼女は冥府の王としての威厳と、それと同時に、女としての艶やかさを兼ね備えている。
 母に会う事を待ち望んでいた須佐之男は、今直ぐにでも駆け寄り、母との再会を喜んで、縋りつきたい気持ちで一杯だった。
 しかし、その眼差しには、母と慕う須佐之男を、突き放すような冷たい印象がある。

「――――母上、お会いしたかった」
「私もだ、須佐之男。さぁ、母の元においでなさい」

 ふと、その表情が一瞬にして消え、両手を広げる彼女の顔は、母性に満ち溢れている。伊邪那美の、氷のような冷たい視線は、須佐之男の気の所為だったのだろうか。
 退屈そうにする八種をよそに、須佐之男は彼女の元まで来ると、うやうやしく跪く。その様子に満足したのか、彼女は息子の両頬を包み込んでやる。

「俺は、幼い頃から母上の事ばかり考えておりました。何度、黄泉国を訪れようと思い、父上にきつく叱られた事か」

 母の温もりを感じ、須佐之男の頬に自然と涙が零れた。その様子を伊邪那美はじっと見つめ、優しく微笑むと抱きしめる。そんな親子のお涙頂戴の再会を、八種は白けた目で見つめていた。

「存じておる。伊邪那岐の命を破って、私の元へ来ようとした事も。お前が母を慕う気持ちは、黄泉国にもきちんと届いていますよ」
「母上……。取り乱してしまい、申し訳ありません。それで、文にあった用とはなんでしょう」

 須佐之男は涙を拭くと、真剣な眼差しで母を見上げた。彼女は妖艶に微笑むと、優しく須佐之男の頬を撫でながら言った。

「最近の天魔や妖魔達は、聞き分けが良くてな。天魔も妖魔も、人を殺さぬようになってしまった。それでは、黄泉国の力は脆弱になり、基盤が脆くなるのだ。運命の死が滞り始めてしまうと、私の計画が上手く進まない」

 人は必ず死を迎える。
 伊邪那美の話しぶりからすると、今は彼女が一日に決めたという、黄泉国の死者の数を、満たす事が出来なくなっているのだろうか。
 母の計画は分からないが、彼女には死者の魂を増やし、黄泉国の力を安定させたいという気持ちがあるようだ。

「飢饉や戦を待つのは、あまりにも人間任せ。だから、穏健派の第六天魔王には退位してもらわなくてはな」
「――――母上は以前のように、天魔や妖魔が娑婆世界で、人間を脅かす脅威の存在でいる事を、望んでおられるのか」

 伊邪那美が頷くと、八種はポケットに入れた飴玉を舐め、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。八種にとって、人が死ぬという事は、彼の玩具が増えると考えているようだ。

「天魔界には、相応しい者を第六天魔王にしようと思う」
「相応しい者ですか」

 彼女が視線を向けると、反応するように脇から、銀髪の長い髪を伸ばした長身の男が表れた。

「私のお気に入りの男だ。この男なら、生温いやり方などせず、上手く天魔と妖魔を導き、黄泉国に魂を供給する事が出来るだろう」

 その男の姿は、容姿端麗で一見すると女のようにも見えるが、瞳は汚泥のように暗く、退廃的で妙に艶めかしい。

「――――土御門光明。いや、芦屋道満と呼ばれる方が、好きか? さぁ、遥々黄泉国に訪れた我が息子に、歓迎の挨拶を」
「ふふふ……我が主よ。道満の名は、過去に捨て去った名前です。どうか私の事は光明とお呼びください。これはこれは須佐之男様。こうしてお会い出来るとは、至極光栄に存じます」

 紫色の、狩衣に似た服を纏う光明の頬を、伊邪那美が愛しそうに撫でる。須佐之男の父である、伊邪那岐と最悪な形で別離をしてしまった母が、黄泉国で、お気に入りの愛人を作ってもおかしくない。
 そう思うものの、息子としては複雑な思いだ。

「母上、その男を次代の第六天魔王として即位させたい、という事ですか。そのために俺の力を借りたいと」
「そうだ。さすが我が息子、物分かりが良い」

 どう見てもこの光明、元は人間の死者のようだが、黄泉国に下り伊邪那美によって力を授かったのか、半神と似た神通力を感じる。
 確かに、天界に牙を向けた朔とは異なり、今の天魔界を統べる穏健派の第六天魔王と張り合うならば、実力的には申し分がない、霊気を漂わせていた。

「しかし、天魔どもは納得するでしょうか」
「須佐之男様、私は生前より天魔の事を熟知しております。それに、死んだ天魔達の声を聞けば、今の第六天魔王の評価は、二分しているようですね。恐らく、人間の摂取を制限されているからでしょう。魔王を、邪魔だと感じる者がいると言う事です」
「…………」

 光明は妖艶な微笑を浮かべる。
 この男から滲み出る、蛇が纏わりつくような不快感は、言葉では形容し難い。
 須佐之男はこの時ばかりは事を荒立てず、感情を押し殺した。八種は相変わらず冷めた表情で、三人の会話を無言のまま見守っている。

「それだけではない。須佐之男、私はお前に、根の国を統治して貰おうと思っている。そうすればいつでも、母はお前に会えるのだから」
「根の国……ですか」
「お前は黄泉平坂を通り、この黄泉国にやってきただろう? その隣にある異界が、根の国だ。国津神が住まう死者の国を、須佐之男に与えたい。母と共にこの黄泉国で、仲睦まじく暮らそう」

 高天原に住む、八百万の神々は天津神と呼ばれる。彼らは死ぬと、神々の母である伊邪那美を求めて、黄泉国へと向かう。
 それとは別に、元々地上に住んでいた古き土着の神々を、国津神と呼んでいた。どうやら死者の国はここでも二分しており、高天原の天津神が行き着く先は黄泉国で、国津神が行き着く場所を根の国と呼び、どちらも伊邪那美が統治しているようだ。
 高天原を追われた、元天津神の須佐之男に、根の国を譲り渡すという事か。

「母上の願いならば、俺はなんでもするつもりです。だが、少し時間を頂けないだろうか」

 母である伊邪那美の事は、何より大事に思っている。
 だが、人間の死者を増やすため、第六天魔王の座に、この得体の知れない光明という男をすげ替えて良いものか。それこそ、天帝が嫌う命の均等を破って、宇宙の逆鱗に触れるのではないかと思った。
 須佐之男も、高天原では傍若無人な振る舞いで、恐れられている存在だが、人を護る神である。人間のために剣を奮った事もある彼にとって、納得出来ない部分があった。
 天魔界と天界が敵対関係もなくなった今、この平和を自らの手で壊すという選択は、かなり重い物である。

「そうか。時間は十分にある。黄泉国を楽しむが良い」

 伊邪那美は、須佐之男の答えに不機嫌になる事もなく、頷いた。自分を慕う息子の判断は、分かりきっているかのようだった。

「ところで母上。一ヶ月ほど前、この黄泉国に、半神が降り立ちませんでしたか」
「ふふ、よく知っているな。私としたことが、生者が紛れているとは気付かなかったのだ。光明のおかげでようやく、ネズミが罠にかかった」

 須佐之男が晴明について尋ねると、光明は冷酷で醜悪な微笑みを浮かべ、答えた。

「ふふふ……この私が、あの忌々しい安倍晴明の顔を忘れるはずがございません。宿敵ですからね。どうやら、我々の計画に気付き、死者を装って犬のように嗅ぎ回っていたようです。あの男に聞きたいことは、個人的に山ほどありますからね。口を割らないので、犬は犬らしく繋いでありますよ」

「聞きたいことは山ほどある」と言った光明の表情は、なぜか恍惚としていた。

「――――安倍晴明。死者と縁の深い男。誰の命令でここへ来たのか、頑なに口を割らず、私に従おうとしない。だが、あの美しい男は心の中に闇を飼っているようでな。私の手にかかれば、簡単に堕ちていく」

 伊邪那美はそう言うと、妖艶に微笑んだ。

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