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4巻
4-2
しおりを挟む(もういっそ、化粧水や美容品でミリア様に恩を売りまくって、王妃様に繋いでもらうとか……? それで、僕を逆に神殿に売り飛ばさないように、チェスター様と国王陛下の首根っこ掴んでもらう作戦とか、上手くいけばいいのになぁ)
シンの思惑は、取り掛かる前の段階から半分成功していたりする。
ティンパイン王国の宰相であり、伯爵であるチェスターの、最愛の妻ミリア。彼女が上流階級の女性へ与える影響は絶大だ。
狂乱の奥様たちを見た旦那様たちは、愛する奥様の美への飽くなき探求心とそれを下手に奪い取った際の恐ろしさに、心も体も震えていたのはつい一月前だ。
旦那様サイドは恐怖で、奥様方は熱烈なファンという意味で、ロイヤル&ノーブル最高峰には、既に『NOシン・NOライフ』が叩き込まれている。
うっかり神殿にシンを取られようものなら、超ド級の嫁の必殺技が炸裂するだろう。
もとより神殿側にはここ最近あまり良い印象がないため、これを機に距離を取りながら関係を見直すことも、チェスターたちの視野に入っていた。
シンが交渉を一任してくれたことにより、チェスターをはじめティンパイン王国側も旨味が多く、優位に話を進められた。
知らぬ所で多大な恩恵があり、ティンパイン王国勢のはシンを丁重に扱うことで纏まっていた。
(政治と個人の感情は話が別だしなぁ……。でも、僕がティンパインにいれば、神罰とやらがだいぶ軽減されるかも? しれない? あ、季節の四女神って、ファウラルジット様以外の加護は……って……)
スマホで調べかけ、加護先である神名一覧にしっかり四女神の名前が並んでいた。スンと表情を失い、悟りの菩薩顔でそっとスマホを仕舞い直した。
神様たちは気前良すぎじゃなかろうか、というツッコミすら呑み込んだ。
(僕は何も見なかった……!!)
心の安寧のために、シンはちょっと現実逃避をした。
過剰殺戮ならぬ過剰祝福である。
(いや、でもさ、あの自称聖騎士たちは割と元気だったよね? 僕、結構ムカついていたしいなくなってほしいなぁ、ウザイって思ってたけど、何もなかったし……)
気のせい気のせいと自分に言い聞かせて、薪を量産するシンだった。
◆
シンがそんなことを思っていた翌日、キカたちがアウルベアに食い散らかされたと知らされる。
しかもルクスによってトドメの一言が追加された。
「その、本当はもう少し前から彼女たちについての報告は上がっていたのです。ただ……いくらシン君が狩人であり冒険者でもあるとはいえ、克明に伝えるにはあまりに凄惨な状態でしたので……意見が割れていました。詳細をお聞きになりますか?」
「聞きます」
シンは凄まじく嫌な予感がしていた。
好青年の代名詞とも言えるルクス。良心がきちんと備わっている彼は、シンが気に病むかもしれないと、伝えることには消極的だ。そんな彼の様子から、シンはある程度察していた。
ルクスは「気分が悪くなったらやめますので、仰ってください」と前置きをしたうえで話し出す。
「その、特にアウルベアに食い荒らされたカティ・オクタールとミーシャン・ブッチの遺体は酷い有様でしたし、逃げた際に重傷を負ったキカは、二目と見られぬような顔になったと聞きます。エリカ・スクアーロは仲間からの虐待を受けた上、アウルベアの襲撃を目撃したことによって、精神が崩壊状態です」
ひっでぇ有様である。虚脱しかけた一方で「神様マジぱねぇ~」と茶化して誤魔化そうとする心の声。現実逃避したいシンの心が、ウェイウェイとチャラ男の軽薄なノリで騒ぎ立てる。
一方でドン引きした理性が蹲って滂沱の涙を流している。ゴッズパワーが仕事しすぎて、小市民の心が鎖国宣言寸前だ。
「裁判は主犯のキカを一級犯罪者と認めて、現在も続いております。タニキ村での窃盗や不貞を含め、聖騎士らしからぬ振る舞いを洗い出し中です。それとは別に、過去に起こした問題も紛糾しており、終わる目途がまだ立たっていません。生家のバラダインからの絶縁で、今まで泣き寝入りしていた者たちから一斉に訴えが上がっております。それなりに力のある所からの訴えも多く、それらを纏めるにも時間を要するのです」
「この世に放逐しないならいいです。ミリア様たちは納得しているのでしょうか?」
「ええ。処刑はいつでもできる状態で、特殊独房に入っていると聞きます。あの怪我では逃げ出すのも難しいでしょう。たとえ逃げたとしても、あの顏では人目を避けるはず。まともな仕事もつけず、得意の色仕掛けもできないでしょうし」
キカは自分の容姿に相当な自信を持っており、驕慢だった。容姿は若い女性にとってはかなり重要だ。それがなくなったのだから、相当な痛手だろう。
(やらかしたことのツケを自分で払うんだから、因果応報だな)
もちろんシンは、自分の尻くらい自分で拭えというスタンスだ。身から出た錆である。
そんな彼の足元で、先日生まれたばかりのヒヨコがひよひよぴよぴよ鳴いていた。
今年一番に生まれたヒヨコだ。回収しそびれた卵がいつの間にか孵化してしまったと、ジーナがぼやいていた。
まだ雪が多く、食料も少ない。夏場は雑草でも食べさせればいいが、冬場はそれすらも少ないのだ。また凍え死ぬ確率も多く、下手に鳥小屋から離れると、猫や猛禽類に狙われる。
飼料を節約したいジーナとしては、ヒヨコの誕生をおいそれとは喜べないのだろう。
シンはヒヨコを拾い上げる。もふっと小さく、温かい。
「可愛らしいですね」
「あ、こいつオス? じゃあ一年後には肉だな」
笑顔のルクスと、ドライなシンの声が重なった。
ルクスはシンの発言に酷く衝撃を受けたらしく、口を押さえているが、残念ながら、基本的に鶏は食用であり、愛玩用ではない。
ルクスとて、常日頃、食べている鶏肉の加工前(幼)なのは知っているはずだ。
ともあれ、口から出た言葉は戻らない。シンは気づかないふりで話を続けた。
「あの、そういえばルクス様。キカはやたらと実家がバラダインだと主張していましたが、そんなに大きな家なんですか?」
キカは以前、自分の家が名家バラダインだと、何度も声高に言っていた。
シンはその名前に聞き覚えがあったが、タニキ村にはバラダインなんて家はないし、貴族の家は領主のポメラニアン準男爵家のみだ。それ以外となると、王都で耳にしたのかもしれない。
「ええ、バラダインは大商家です。上級貴族に匹敵するほどの財力を有する豪商で、数多の貴族とも繋がりがあります。やろうと思えば貴族籍を買うのも容易いほどですが、ご当主であらせられるバラダイン卿は、商人であることに誇りを持っていらっしゃいます。貴族との付き合い方、平民との付き合い方の両方を理解し、それぞれの矜持や領分を守るので、貴賤問わず信頼が厚い方です。だからこそ、力ある者がその意味を履き違えた時は非常に憤るそうです。孫娘のキカは、家の威を借りてかなり悪辣な言動を繰り返していたので、神殿に入れられていたのですが……そこでも懲りずに生家の名を振りかざして、問題行動を起こしていたそうです」
やはりキカはどうしようもない屑である。
日本で言えば、やらかした馬鹿娘を尼寺に預けるようなものだ。
だが修行中で酒池肉林しているとあれば、破門+勘当されて当然だろう。
更生を願った、人格者らしいご当主のお爺様が可哀想である。
「孫とはいえ、なんで宝石から排泄物が錬成されるんですか……。もしやキカの親御さんに問題でも?」
シンの質問に、ルクスが首を横に振る。
「いえ、ご両親は非常にできた方々です。さすがにご当主ほどとはいきませんが、将来性はある方です。キカの妹さんは気立ての良いお嬢さんですし、教育にも問題はないと思います。その……キカも夜の社交界に出るようになってから素行が悪化したそうなので」
「なんでまた」
「非常に美しい容姿をしていたので、一気に男性に持て囃されて……。それまでは裕福な家のちょっと我儘なお嬢様くらいだったのが、徐々にその範囲に収まらなくなり、異性関係が派手になるにつれて、悪い社交場に出入りするようになったそうです。昔から欲しがり癖はあったそうですが……その癖は特に悪化したそうです。もちろん、ご両親やご当主は口が酸っぱくなるほど言い含めていたのですが、彼女が改心することはありませんでした」
恐らく、キカの経歴や噂を洗い直した際の報告が、ルクスの頭に入っていたのだろう。
お人好しであるが、ルクスはしっかりと人脈を持った、仕事のできる男なのだ。
もしかしたら彼は、タニキ村に来た聖騎士たち全員の情報を探っていた可能性もある。
「ご友人や妹さんの恋人や婚約者を奪ったのが決め手で、神殿に入れられたそうです」
「わぁ……凄く肥溜めな人ですね。人間やめた方がいいんじゃないですか?」
どうせあの女のことだ。寝取るくらいしたのだろう――一点の曇りもない澄んだ瞳でしみじみ言うシン。その姿を見て、ルクスは物凄く苦いものがこみ上げてくるのを感じた。
ついでに略奪愛のやりかたは、シンの予想の通りである。
純度百パーセントの悪意と色仕掛けで、男を食い散らかしている。
奪って破談にして間もなく、その男に飽きたキカは、別の略奪愛を繰り返していた。
恐らく、彼女の行動の裏には嫉妬があったのだろう。
キカはちやほやされていたが、寄ってきた者は彼女の上っ面だけを見ていた。飽きが来れば、容色が衰えれば消える刹那的な愛しか、キカのもとには来なかった。
だから末永く、安定した幸せが築けそうな周りの人間から奪っていたのだと思われる。
「幸い、妹さんはペットのジャンボピヨリンを通して良い御縁に巡り合えたそうです。おかげで、婚活中の女性の間では、ピヨリンやジャンボピヨリンを飼うのがブームになっているそうですよ」
「ジャンボピヨリン……」
そこで、シンの中で記憶がカチリと符合する。
バラダインは、騎獣屋でジャンボピヨリンを買っていった大御所さんである。
暴れていたサギール伯爵の使いをシメていた『大旦那』が、確かバラダインと呼ばれていた。
ようやく繋がったとすっきりするシンの反応をちょっと勘違いしていたルクスは、うんうんと納得したように頷く。
「可愛らしいですよね、ピヨリン種は」
ルクスは雛鳥や子犬や子猫といったタイプの、丸いふわふわベビー系フォルムに弱いのかもしれない。
シンは考える。このまま流れでティンパインの保護下に入れば安全だろう。でも、狩りや野良仕事をしてのんびり過ごす時間は、二度と来ないかもしれない。
彼はタニキ村が好きだった。平和で、長閑で、少し閉塞的なところが安心する。
ティンパイン王国の王都エルビアは華やかだ。喧騒と賑やかさが溢れかえっていて、常に新しい何かがある。一方、目まぐるしくて、そこに仄かな息苦しさを感じる。
かつてシンは、ブラック企業で思考を停止させながら働いていた。仕事で頭は動かしていたけれど、感情や体の悲鳴には耳を背けていた。
(神子様業の看板を背負うことになったら、もう狩りはできないのかな。採取も、調合も好きだし、春になったら芽吹く薬草探しや、グラスゴーとの遠乗りも楽しみだったのに……)
◆
そんなある日、シンのもとに先触れの手紙が来た。
宰相自らタニキ村に出向いて、改めて話をしたいとの打診である。今後の生活を決める最終調整だろう。
ティンパイン王国としては是が非でもシンを引き留めたいはずなので、ある程度妥協すれば、かなり交渉は優位に進められるはずだ。
だが、シンはスローライフという自由を愛する由緒正しい庶民である。
ティルレインは「チェスターに出された宿題、まだ終わってないよおおおおお!!」と、夏休みの最終日を前に悲嘆に暮れる学生みたいなことを言っていた。
雪像づくりに夢中になって、ドリルが進んでいないらしく、ルクスに手伝ってもらっている。
中には承知のうえで宿題をブッチする強者もいるだろうが、真正ヘタレ王子にはそれは無理だった。ましてや恐怖の宰相閣下が相手では、抵抗しようとしただけで瞬殺である。主に心が。
まだ雪が多く残っていることもあり、宰相一行は陸路を使わず飛竜に乗ってやってきた。
豪奢なゴンドラを四頭の飛竜が太いロープで吊って運んでいる。
艶やかな黒漆を思わせる外装のゴンドラには、蔓薔薇や葡萄をモチーフにした装飾が施されている。葉と幹は白銀で、豊かな実りは黄金で作られている。
外が見えるように、ガラス窓が付いているため、そこから内装も少し窺えた。
白レースのカーテンの奥に、重厚な真紅のベルベットの背もたれが見える。
(滅茶苦茶高そう)
それがシンの感想だった。
ポメラニアン準男爵一家を筆頭に、村総出でチェスターを歓迎しているが、騒がしい馬鹿犬殿下の姿はない。真面目な話が終わるまで部屋に閉じ込めておけと厳命されているという。
馬車から降りてきたチェスターは、伯爵家当主であり一国の宰相だけあって、重厚な威圧感を放っていた。
彼は背が高く、そこそこ体格もしっかりしている。
黒髪を一つに束ねて流していて、褐色の肌が際立つ顔立ちは端整な方ではあるのだが、それ以上に強面だ。切れ長の鋭い目といい、気難しそうに引き結んだ口といい、猛禽類的な厳しさがある。
隙なく着こなす服装はこのあたりでは見ないような立派な仕立てのもの。細身で長めの臙脂のジャケットは、肩から腰まで透かしレースのような刺繍が入っている。シンプルな黒いトラウザーズに、鞣し革のよく磨かれたブーツという出立ちだ。
雪が多く足場の悪さを考慮してか、足元は割とシンプルである。
王宮でロイヤル馬鹿の手綱を握らなくてはいけない可哀想な人というイメージと、なんだかんだお世話になっているので、シンは彼に悪い印象は抱いてない。油断ならないのは変わらないが。
ちなみに、シンはこの時、狩ってきた鴨を捌いた直後で、血抜きを終えた獲物の羽を毟りまくり、真っ裸のような状態のものを持ち運んでいた。
天候によって到着時間が変わるので楽に過ごしてくれと前もって言われていたので、呼ばれるまでは領主邸をうろうろしてればいいかなと考えていたのだ。
シンは鴨を厨房に渡し、魔法で洗浄して、持ってきていた別の衣装に着替える。
王都滞在時にミリアからいくつか譲ってもらったシンプルな服のうちの一つだ。お下がりといっても、シンからしてみればとても良い品ばかり。
とはいえ、さすがにフリフリドレスシャツを田舎で身につける勇気なんかないので、主に活用しているのは無地のシャツやズボンである。
きちんとした話し合いという意気込みを込めて、シンはそれなりに身なりを整えた。
あまり待たせると、小市民の心を持つパウエル・フォン・ポメラニアン準男爵(職業:貴族&領主)のメンタルがプレッシャーで圧死する。現役宰相がこんな辺鄙な村に来るなんて、パウエルにしてみれば天変地異もいいところだろう。
シンは応接室の扉の前まで来ると、軽く一呼吸。
チェスターは嫌いではないが、相手が政治家として、ティンパイン王国の貴族として来たのなら、和気藹々と話すことは難しい。
二兎を追う者は一兎をも得ずという。死守するべき点は押さえ、欲張らずに、堅実に交渉をした方がいいだろう。
シンがノックをして入ると、ふわりとどこかで嗅いだことのある香りが広がって、シルクのドレープが翻った。
それがドレスの裾だと気づいたものの、シンは伸びてきた手を振り払うこともできずに棒立ちになる。
「シ~ン~君! 来ちゃった!」
捕まえた! と、無邪気に抱きついてきたのは、ミリアだった。
桜を思わせるような淡い薄紅のドレスがよく似合っている。出先だからか、大きく膨らんだもシルエットではなく、百合の花を思わせる形のスカートである。歩くたびに花弁のようなスカートが分かれて広がり、優雅な動きを演出していた。
胸元から首までリボンが編み込まれ、首元のカメオで止められている。腕のところだけはゆったりとしており、広がった裾からフリルレースが見えるのが華やかだ。
これをやったのがティルレインだったら、シンは「部屋へ帰れ」と追っ払ったが、ミリアだと、ぎゅむぎゅむと抱きしめられ、頬をくっつけられても立ち尽くすしかない。
パウエルはシンが来たことに安心しつつも、ミリアの行動に慌てて、止めた方がいいのか狼狽し、チェスターは困ったような、悔しいような、羨ましいような、非常に複雑な顔をした。
蜂蜜色の髪が頬をくすぐる感覚の中で、シンは自分が童顔小柄なガキンチョであることを、フォルミアルカに感謝した。
シンが実年齢のアラサーの姿で同じ状況になったら、愛妻家のチェスターはいい気分ではないだろう。
「あら、そのシャツ! お下がりのよね? 嬉しいわぁ、ちゃんと着てくれているのね!」
「あ、はい、アリガトウゴザイマス」
シンは真面目な話し合いに臨むつもりで来たのだが、一気に空気が弛緩した。切り替えが追い付かず、どんな顔をすればいいかわからない彼に、ミリアが本題を切り出す。
「大丈夫よ、シン君がちゃーんと子供らしい生活ができるように、うちが全力サポートするわ!」
「あ、ありがとうございます……」
「神子としてずぅっと宮殿や神殿に監禁されて、たまに出ても、すごくつまらなくて下らない話しかしない脂粉と権力漬けジジババ顔面回覧なんて、したくないでしょう? 子供の教育によくないわぁ~!」
「それは絶対イヤです」
ミリアの意見に、シンは激しく同意する。重要文化財のように、ガチガチに警護と監視を付けられた生活なんて、微塵も望んでいない。
シンは引きずられるように応接室へと連れていかれ、ソファに座らされる。
「だからね、色々とチェスターたちとも相談して考えたの! 今、加護付きの子たちは争奪戦。きっと隠したり保護したりして、みんな外に出さないように必死になるわ。たとえ神罰が収まっても、また起きた時に備えて、きちんとした後見人のない子たちなんか、ずっと表に出したがらないでしょう。かどわかされたら大変ですもの。だから、そこを逆手にとってしまえばいいのよ!」
うふふ、とニッコニコの笑顔の花を飛ばしながら、ミリアはアクセル全開である。
一方、決戦の覚悟を決めてきたシンはペースを崩されっぱなしで、借りてきた猫のように大人しい。
「シン君はお勉強をしたいそうじゃない? 素晴らしいことだと思うのよ。だからね、シン君には『神子シン様』と『庶民学生シン君』としてダブルワーク生活をしてもらうの。でも、『神子シン様』の仕事は、襲撃や誘拐への対策と言って、ギリッギリまで減らすの。年に数えるくらいの出番なら、その分充実した青春の学生生活を謳歌できるわ! 素敵じゃない?」
「それは……いいんですか?」
正直、この話はシンにとって都合がいい。学校への入学は以前ルクスにも提案されていたが、ミリアから聞かされると、ますます現実味を帯びてくる。
「もちろん! 週に二日はお休みがあるの。その時には冒険者の仕事をしてもいいし、夏や冬の長期休暇はタニキ村に帰るのもいいわ。もともと他国からの留学生の王侯貴族でも単位が取れるようになっているから、ちゃんと勉強して試験で点数を取れれば、割と緩やかなのよ? 出席日数はそれほど厳しくないの。高貴なご子息やご令嬢をお預かりするし、そういった方は国の事情で出席が難しくなることが珍しくないもの」
こちらの学校にも週休システムや長期休暇という概念はあるらしい。
ミリアはゴリッゴリに押してくるように見えて、手早く侍女に学校のパンフレットを並べさせて、色々説明した。
確かに身分の高い人であれば、公務や政治上の理由で都合がつかないことも多いだろう。
「あの……なんだか大ごとになっているようなのですけれど、本当に大丈夫なんですか?」
シンが学生生活なんて安穏に送れるのかと疑問視していると、ミリアは少女のような無邪気な様子から一瞬にして宰相夫人の顔になる。
彼女はしゃなりとした嫋やかな仕草で扇を開くと、口元をそっと隠す。
「ええ。木を隠すなら森でしょう? シン君の年頃が一番多く集まって不自然でない場所ですもの。高い身分の学生も多くいるから、警備が厳しくなっても不自然ではないわ。戦神派やテイラン王国がまたきな臭いから、理由付けは簡単なの」
確かに、十代の若者が集う場所といえば学校だろう。年齢的に、シンが潜り込んでも一番違和感がない。
教育施設だから、いくら本を読み漁り、調合に没頭しても不審がられない。採取や狩りだって、その一環で済ませられるだろう。
随分多くの学部や学科がありそうだし、単位も種類が豊富だ。さらに、学校が有する蔵書や、様々な施設の利用も期待できる。
「神殿側でシン君の顔を覚えているのは、アイザックとキエフ枢機卿と、そのお付きの小姓らくらいよ。アイザック卿は神子様至上主義だから、そうそう口を割らないわ。キエフ枢機卿だって、シン君がアンジェリカとレニという二人の聖騎士を叩き返さなかったおかげで、首一枚ギリギリ繋がっているところ。むしろ、唯一まともな人選だったから、今神殿では少なからず優位な場面も多い。教皇猊下がこの度の枢機卿らの独断に酷く憤っておられるので、周りもシン君の対応は慎重にならざるをえないわ。もしわかっていないなら、こちらにはたくさんあるカードの一枚を切ればいいこと。本来なら聖都と呼ばれる神殿の総本部にお戻りになられる時期だけど、余程事態を重く見たのか、ティンパインにまだいらっしゃるもの」
「単に雪がすごいからでは?」
「それもあるわねぇ。だからこそ、ティンパインの加護持ちは特に重要視されているの。立場に振り回されるより、利用しなくちゃだめよ? シン君」
ね、とミリアはシンの瞳を覗き込んで笑う。さすが権力者の妻だけあって、説得力が半端ない。
そんな奥様を止めることもなく、チェスターは出された紅茶を啜っている。
ミリアは若々しい姿とはいえ、重鎮の妻にして二児の母である。その圧倒的貫録を見せつけられて、シンはたじたじだ。
「シン君は、何をしたい? どうしたいのかしら?」
ミリアの声は優しく、瞳は穏やかだ。自分が幼子になったと錯覚してしまいそうである。
「僕は、タニキ村で静かに過ごしたいです」
ポロ、と言葉が出てくる。それは紛れもないシンの本心だった。
「でも、勉強もしてみたいです。ルクス様から頂いた本を読むのは楽しかったです。ポーションとか、薬を作ったり、錬金術の教本通り色々な調合をしたりするのは面白かったです。魔法も勉強してみたいし、でも狩りや遠乗りもやめたくありません。グラスゴーたちともまだ一緒にいたい。手放したくないです。家のリフォームもまだ途中で、煉瓦がもっと上手にできたら、洒落た外壁にしたい。ハレッシュさんにはまだ色々狩りを教えてもらいたいし、ジーナさんの料理は美味しくて、ガランテさんからは大工仕事を教えてもらいたい。子供たちには釣りや採取や狩りを教えてやりたいし……」
全てを両立なんて難しい。
シンはタニキ村でやりたいことをいっぱい残しているし、知りたいことも、学びたいこともたくさんある。
1,513
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