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4巻
4-1
しおりを挟むプロローグ
ティンパイン王国で最も権威ある施設の一つである神殿。
そこでは、近年稀に見る事態に対応すべく、話し合いが持たれていた。
〝変態吸引男〟こと神官のアイザックは、やや緊張した面持ちで教皇の前に来ていた。
今代教皇バレンチヌス・ラパンは、やや小柄な高齢の男性である。
太めの眉は目元を隠し、鼻や口もかなり多量の白い髭で覆われていて、表情がわかりづらい。
そういう犬種いたなぁと、思い出させるような雰囲気である。
アイザックは今まで幾度となく教皇と顔を合わせており、その度にしっかり観察している。しかし、この老人の感情の機微を察するには、ちょっとした仕草や声を頼りにする他なかった。
教皇は前面部以外に長いヴェールが付いた大きな長い帽子を被り、高位の聖職者であることを表す白銀の法衣を身に纏っている。
玄妙な光加減で現れる精緻な刺繍が施されている法衣の足元や腕周りの裾は引きずるほどに長く、一人で移動するにも苦労しそうなほどの重厚さだ。
その法衣から僅かに出る、皺の多い棒のような指が、ゆっくりと紙をなぞる。
アイザックから受け取った書類に目を通したのだろう。教皇の表情は非常に厳しい――というよりも、顔色が悪い。
彼はふさふさの眉根を寄せて、絞り出すように確認した。
「神罰の形跡あり……と?」
「ええ、あのキカという罪人の体に、神罰印が浮かび上がっております」
神罰印。その名の通り、神の怒りの触れた者に現れる。非常に稀な、そして罪深い印である。
その形は様々だが、共通することは、あらゆる治療が困難ということだ。
ポーションや治癒魔法でいくら癒しても消えず、再び浮かび上がり、治らない傷として残り続ける。
人知の及ばぬ不治の刻印だ。
キカは胸の上に大きく交差するような形で現れたと聞く。
神罰印は、その人間の犯した罪に関係することが多い。
知恵に驕った者は額や頭部に、鑑定のスキルを悪用した者は瞳に、窃盗する者は手や腕に、嘘ばかりつく者には舌に、といった具合だ。
悪辣を極めた者が失墜した際に「因果応報」や「天罰が下った」などと言うが、実際に神の手が関わるケースは極僅か。
天におわす存在は、軽々しくは動かない。
神罰印はまさに本当の『天罰』の証だ。
当然、神々から深い怒りを買った罪人への烙印は、忌まわしいものとして扱われる。
神殿内では本物の神罰を記録しているが、ここ百年以上はなかったはずだ。
戦神バロスはよく人間界にちょっかいを掛けていたが、女を略奪するために干渉してきただけで、神罰は行わなかった。
神罰は強力無比な分、やりすぎると神自体にも跳ね返ってくることがあるのだ。
そんな理由もあって、神罰を食らうのは、加護を受けるより稀である。
古今東西の資料も探しても少ないので、対処法はないと言っていい。
ただ、命が歪に枯れていく様子をつぶさに記録しただけだ。
かつて神々が今より猛威を振るっていた時代もあったが、それは曖昧な伝承でしか残っておらず、明確さに欠ける。
「……どちらの神がお怒りか、調べはついているのか?」
「いえ、候補は上がっておりますが、確証には至っておりません。しかし、関係するのは、間違いなくかのタニキ村の神子様でしょう。彼には主神であらせられるフォルミアルカ様、美と春の女神のファウラルジット様の加護があるのは確認しておりますが、あのお二方であれば、やり方が少々違うかと。そうなると、神子様は他の神々のご加護をお持ちである可能性が高くなりました」
主神フォルミアルカは神々の中でも非常に穏健で、寛容だという。
神罰を執行された記録もないので、やったとしても、今回のような苛烈なやり方はしないと思われる。
一方、美と春の女神ファウラルジットだったら、局地集中といわんばかりに容姿を腐り落ちさせるだろう。キカは相当容姿を鼻にかけていたと聞くし、あらゆる美を奪い取り、爪先すらも醜く変容させるはずだ。
そして、そのやり方も割と酷い。じっくりじっくりと、生きたままその誇りを腐敗させて、へし折る。一度にではなく、時間をかけて美貌を奪う。だが死なせない。そんなやり口なのだ。
ちなみにファウラルジットは、外見だけでなく精神的な美しさを持つ者も好む。容姿だけが優れていて中身が汚泥の人間には、見向きもしない。
総じて、神に好まれる者は、純粋であったり、高潔であったりする場合が多いのだ。
「しかし、胸に神罰印とは……」
「恐らくは、精神や心の戒めかと」
白い髭をしごきながら言葉を濁す教皇に、アイザックは答えた。
アイザックは、嗅覚により人物の加護を判断する力がある。しかも、鑑定能力もあるため、その二つを併せて使えば、名前や経歴、スキルなど、対象の様々な情報を暴くことが可能だ。
ただ、彼には悪癖もある。
稀少な加護持ちを前にすると、平素の冷静さを失って暴走する。加護持ちの体臭を執拗に嗅ぐという、一般的に見れば常軌を逸した行為をするのだ。
当然、加護持ちからの評判は悪い。気持ち悪い人扱いである。
神殿内部ですら「あの悪癖がなければ」と言われる始末。
神子様こと異世界転移者のシンも、迷うことなく変質者扱いしている。
「他の罪人たちはアウルベアに食い荒らされ、カティ・オクタールとミーシャン・ブッチは死亡。エリカ・スクアーロは重度の心的外傷により、記憶を呼び起こそうとすると正気を失います」
キカをはじめとする四人の女聖騎士は、王都に護送される最中に立ち寄った集落で、アウルベアに襲われた。
被害に遭った当初は大人しかったエリカ。徐々に環境が整い、体の傷も治りはじめたので、事情聴取が開始された。改めて当時の状況を聞こうとすると、彼女はそこで起きた恐怖と異常な光景を改めて理解して、パニックを起こした。
惨たらしく死んだ同僚たちの凄惨さを再認識し、ようやく持ち直しかけていた精神は、再び荒廃した。
アイザックは続ける。
「ティンパイン王国から彼女たちの行いは聞いております。ですが、神罰を受けた人間を、人の法に当て嵌めるために死刑に処していいものか、神殿内で意見が分かれています」
「ふむ。エリカとやらに神罰印は?」
「出てはいません。今のところは」
「では、決して逃げられないように監視を。もたらしたものが災禍であろうと、神の思し召し……天命に委ねた方が良かろう」
「御意にございます」
戦神バロスの失墜により、神殿内部は混乱している。
その状況で、まだ力ある神々から顰蹙を買うのは得策ではない。
重罪人であっても様子は見た方がいいだろう。下手なことをすれば、どこにとばっちりが飛ぶかわからないのだから。
第一章 春、近し
相良真一は異世界人である。その素性を隠し、今はただの村人のシンとして、山間のタニキ村で暮らしている。
以前はブラックな企業戦士をしていたが、その反動か、ゆるゆるなスローライフをこよなく愛している。彼は転移の際に、女神から不手際のお詫びとして、若返りや、多くのスキルを授かった。しかし、シン自身にはめざましい活躍をして英雄譚を作り出すつもりなどなく、ど田舎のタニキ村で平凡に日々を過ごしていた。
お馬鹿でちょっと面倒な王族のティルレインに絡まれたり、神殿から神子として認定されたりと、微妙な出来事もあったが、彼の日常は概ね平穏である。
その日もシンが自宅で馬具の手入れをしていると、ノックもなおざりに、狩人のハレッシュが駆け込んできた。
何か緊急の用事だろうかと手を止めたシンのもとに、ハレッシュが小走りに近づいてくる。ずいと顔を寄せて、やけに神妙な様子で声をかける。
「シン、ベジトレントが出た。狩りに行くぞ」
「ベジトレント?」
「その名の通り、全身が野菜みたいに食えるトレントだ。この時期、唯一新鮮な野菜を手に入れられるチャンスだ。冬野菜は白菜だの大根だの一部に限られている。だがベジトレントは夏野菜のトマトだろうがキュウリだろうが、お構いなしに茂らせている。野菜だけじゃなく、果物も生っている。あととにかく! メッチャ美味い! 食うぞ!」
「すみません、ちょっと待ってもらえます?」
「来ないのか?」
「いえ、全部詰められるようにマジックバッグの中から余計なものを出してから行きます。この前、容量チャレンジで雪を詰めまくったので」
「何してんだよ、シン……」
若干呆れ顔のハレッシュだったが、子供らしい悪戯だとほっこりもしていた。
普段は冷静沈着で大人びたシンが、そんなおふざけをするのだと思うと、微笑ましく感じられる。
ちなみに、シンが王妃マリアベルから貰ったマジックバッグの容量はすごかった。
正直びっくりするくらい入ってしまって、下手な場所に一気に出したら迷惑になりそうなほどだ。別に、そのままスキルの『異空間バッグ』へ入れ替えてもいいのだが、管理しきれないものを入れるのはよくないだろう。
ハレッシュが「俺も準備し直してくるから」と出て行ったところで、シンは女神フォルミアルカから授かったスマートフォンを取り出して、マジックバッグの中身を確認する。
スマホの画面はそのままだと小さいので、パソコン画面くらいに拡大したパネルを表示させた。
覚えのあるゲーム画面そのままで、当初はウケ狙いの機能かと思っていたが、これが意外と馬鹿にできない。
大きい画面は色々確認しやすい。スマホだとつい猫背になり、首を下にしてずっと見ていることになるので、長時間の操作は肩が凝る。また、小さい文字を目で追うから、将来的に眼精疲労で視力に問題が起こるかもしれない。
(雪を圧縮とかできるのかな。あ、できるっぽいな)
できる限り圧縮して雪を出したら、真っ白な煉瓦のようなものが出てきた。もはや氷の塊で、イグルーを作れそうである。
ある程度の量を家の裏に捨てて、残りは何か使い道があるかもと、異空間バッグに移動させておいた。
少し待っていると、ガッツリ支度を整えたハレッシュが再びやってきて、二人は狩りに出発した。
「あいつらは切って丸ごと鍋に入れても美味いぞ! ただ、生きているうちは絶対食うなよ、遅効性の毒で痺れて、こっちがやられる」
乗り気な様子で進んでいくハレッシュに、シンが質問する。
「あの、ベジトレントって、僕はまだ見たことないんですけど」
「見ればすぐにわかるぜ。トレントサイズのブロッコリーが歩いてるんだぞ?」
ほれ、とハレッシュが指さした先には、真っ白な雪の中でやたら目立つ、燦然と輝く緑色があった。
実際は輝いてはいないが、冬場の山の色合いは、基本雪の白と樹木の黒っぽい幹、地面だって雪から顔を出している部分は落ち葉や土の茶色が多い。岩や常緑樹も多少あるが、そこまで彩度の高い緑色ではない。
そんな中を緑の塊がのっしのっしと元気に動いているのだから、目立たないわけがない。
巨大ブロッコリー(仮)は日当たりのいい場所を見つけると動かなくなった。
そのうち、そろりそろりとスリープディアーがやってきた。体が割と小さいから、若い個体だろう。最初は恐る恐る幹に口をつけていたが、しばらくすると我慢ならなくなったのか、足をかけ上の葉を毟り取るようにして食む。
その様子を、シンは木の陰から窺っていた。
(うーん、この時期に柔らかい木の芽や草の芽は少ないからなぁ)
新鮮で柔らかい葉はスリープディアーにとってご馳走だ。蹄をガツガツと幹に必死に引っ掻きながら、少しでも多く青い葉を食べようとしている。
しかし、唐突にその体が痙攣して、スリープディアーは口から泡を噴いてバッタリと卒倒した。
なんとか体勢を立て直そうともがくように手足をばたつかせているが、多少雪や土を蹴散らす程度で、蹄は地面を捕らえて立ち上がることはなかった。
死にたくないと全身で訴えているが、それを遮るように影が覆う。
わさわさと枝を伸ばし、シュルシュルと根が蔓延る。ゆっくり、だが確実に、ずるずるとスリープディアーを覆い隠していく。やがてスリープディアーは、生きたままベジトレントの体の中に引きずり込まれていった。
「食虫植物みたいだ……」
シンの呟きに、ハレッシュが反応する。
「虫っていうか、肉食植物だろう、ありゃ」
「あれってどうやって倒すんですか? 全身食べられるなら、燃やすわけにもいかないですよね」
「脆いっつーか、柔いから。アイツの幹って、鋭いもんで切り込みを入れてやれば、ざっくり切れるか、折れて倒れる。衝撃には強いけど、斬撃にはめっぽう弱い。剣や斧を使って一定以上の力で切り込めば、すぐぽっきりいくんだ」
ニカッと笑うハレッシュの手には、大きな木こり用の斧。
そのためにこの大きな一振りを用意していたのかと、シンは納得する。
いくら斬撃に弱いといっても、スリープディアーなどの、角や蹄を持つ大型の草食動物だって、貴重な餌をへし折ってまで食べようとはしない。枯れてしまえば、それ以上の食料は見込めないのだ。
ちなみに本日は、シンの愛馬であるデュラハンギャロップのグラスゴーと、ジュエルホーンのピコはお休みだ。うっかり魔角でドッカンドッカンしそうなグラスゴーは、連れて行かなくて正解だった。
(しかしデカいな。あれが全部食べられるなら、しばらくは新鮮なサラダや野菜たっぷりのポトフがいっぱい食卓に並びそうだな……)
シンは隣家の主婦、ジーナ・ベッキーの料理にすっかり胃袋を掴まれている。
ベジトレントを持っていけば、お裾分けが期待できるだろう。
口の中で涎を感じるあたり、シンも体は素直で食べ盛りの少年である。
三大欲求というのは偉大なのだ。
ハレッシュも似たようなもので「シチュー……いや、ポトフ。美味い葉物があるなら、パンとソーセージを挟んで……」と、ブツブツ言っている。完全に食い気の煩悩に支配されている様子だ。
その時、スリープディアーを食べていたらしいベジトレントが、ぴかっと光った。
変化は劇的だった。
ずもももと地響きを立て大きくなり、三メートルほどの大きさが一気に十メートルほどの巨木サイズになる。葉は一層青々と茂り、色とりどりの果実がたわわに生っている。
「な……あれは進化か!? カボチャにキュウリ、それに、林檎にオレンジに桃に葡萄!?」
「大きくなりました……。幹にトウモロコシと芽キャベツ、枝にはトマトや枝豆がありますよ!」
つまり、可食部が増えた。
そのメタモルフォーゼを見たハレッシュとシンに、激震が走る。
「「なんてご馳走だ……!!」」
二人とも、ベジトレントが動く野菜にしか見えていない。進化というのは魔物のパワーアップを意味しているが、そのインパクトは完全に食欲に負けていた。
そこそこ山間を歩き回っていたので、お腹も減っている。
ましてベジトレントは、遠目には巨大ブロッコリーが闊歩しているようにしか見えないので、余計に食欲をそそる。
すでに二人の脳味噌の中には、ベジトレントの成れの果てが美味しく出来上がっていた。
「い、いいかシン! 逃がすなよ!? 絶対火は使っちゃだめだからな!」
「わ、わかってますよ! ハレッシュさんこそ、一発で仕留めてくださいね!」
進化の余韻でしばしじっとしていたベジトレントが、少しずつ動きはじめた。
まずはシンが、口の中には毒消しを煮詰めた飴を含みつつ接近する。
この飴は、味はいまいちだが、解毒力と効果時間は抜群だ。しかも劣化が遅いので、暑い場所でなければ使い勝手がいいのだ。
ベジトレントはシンの小さな外見に油断したのか、ぴたりと動きを止めて捕食体勢に入った。シンは迷うようにベジトレントの周囲をうろうろした後、やがて幹に手をかけた。
するすると木登りをして、果実に手を伸ばす。いくつかもいでも、ベジトレントは反応しなかった。まるで普通の木であるかのように大人しい。
ハレッシュの話によると、基本、ベジトレントはトレントの中でも動きは遅く、特殊な毒を使う以外の危険は少ないらしい。相手が果実に口をつけ、動けなくなったところを仕留めるのが、この魔物のスタイルだという。
完全にシンに気を取られているのか、ベジトレントは露骨に彼の周囲に果実を実らせる。あからさますぎて、擬態する気があるのかないのかわからない。
余程シンを食べたいのだろう、かなり積極的である。
シンがベジトレントをご馳走扱いしているように、ベジトレントもシンをご馳走扱いしている。
やがて爽やかで甘い香りがうっすら漂ってきた。
(……この匂い、ベジトレントから出てる?)
精神干渉とか、麻痺毒や睡眠毒の一種だろうか。
だが、別に意識がおかしくなる感じもしないし、体も痺れない。口に含んだ解毒飴がきちんと仕事しているのだろうと、シンは満足する。
そのまま木の上からハレッシュの様子を窺う。
シミュラクラ現象ともとれるようなトレントの顏(多分)の逆側から、少しずつ距離を詰めていた。
万が一の時、魔法の使えるシンの方が、捕らわれた時に逃げやすい。彼が抵抗している間にハレッシュが外からガンガン攻撃すれば、脆いベジトレントは捕食を諦めざるを得ないだろう。
「うぉらああああ! 今日はアスパラの肉巻きだああああ!」
哀れなベジトレントは、せっかく大きく育った直後に収穫された。
基本、ベジトレントは人間に見つかると刈り取られる確率が非常に高い。
彼らの毒は草食動物系に対して特に有効だが、人間にはあまり効きがよくないらしい。
人間に毒が回りきるのに時間がかかって、捕食する前に逃げられたり仲間を呼ばれたりして狩り尽くされる。あるいは、鈴なりの実にいぶかしんだ人間に魔物だとバレて、即行伐採される。この二つのパターンが鉄板だ。
ベジトレントは各家に分配され、タニキ村が三日ほどお祭り騒ぎになるくらい喜ばれた。
さすがにこのサイズは、シンとハレッシュだけでは食べきれない。
人には硬くて食べにくい部位は、グラスゴーやピコをはじめとする騎獣や家畜にも分けられて、綺麗に平らげられた。
ちなみに村人たちに人気だったのは、チーズをトロットロに溶かして肉や野菜の上にたっぷりかけた料理だ。
チーズの塩気、乳脂肪のコクは正義である。
シンも良く伸びるあっつあつのチーズに悪戦苦闘しながらも、美味しくいただいた。
あとで調べたところ、シンたちが狩ったのは、エルダーベジトレントというレアモンスターだった。
◆
シンは今後についてちょっと真面目に考えていた。
冬のタニキ村は閉ざされていたのでよかったものの、春になったらえらいことになりそうだ。
神子様扱いされるのは、キカたちの一件で十分酷い目に遭ったから、絶対神殿には行きたくなかった。なお、タニキ村に残った聖騎士のアンジェリカとレニは、程よい距離感を保ってくれているので別枠だ。それでも、シンの中で神殿の株は駄々下がりしていた。
対して、きちんとシンのために動いてくれたルクスやチェスターをはじめとするティンパイン王国関係者の株は爆上がりしている。
シンは別に、万人に跪かれて殿上人のように扱われるのを求めているわけではないのだ。
普通に地味で平凡な自給自足系スローライフを送りたい。
YES地味、NOゴージャス。
どうやらティンパインではシンを公的な貴人として扱う予定らしい。
戦神バロスの失墜に伴い、神子をはじめとする加護持ちの価値が高騰しているのも理由だろう。
ルクスからは、危険だからティンパインで保護したいという考えが見て取れた。これは権力欲というより、純粋にシンの身を案じてのことだろう。
そうじゃなかったら、その場で聞き出せる情報を可能な限り毟り取って、盗んだバイク――ではなく、自前の魔馬で走り出して、国境越えをしていた。
とはいえ、他国の事情もよくわからないし、特に異世界人の能力を搾取するテイラン王国に行くのは絶対に嫌だった。
ティンパイン王国の外は、戦神の失墜の影響でかなり壮絶な被害が出ていると聞く。
治安の悪化は十分にあり得る。文化的で安全な生活をするにあたって、そこは致命的だ。
情勢の悪い国で子供が見栄えの良い馬に乗ってうろちょろしていれば、当然狙われるだろう。賊の入れ食いだ。
町や村の中も治安が良いとは限らないし、宿屋でも身ぐるみを剥がされる恐れもある。
かといって、人のいない場所に自分で一から生活基盤を作るのは大変だ。
異空間バッグを駆使して家を持っていくことは可能かもしれないが、生活水の確保なども考えねばならない。
下手に水辺だと地盤は弱いし、河川の氾濫に巻き込まれる可能性があるため、水路を引くか、井戸を掘る、湧き水のある場所を探す必要がある。
それに、たった一人だと迂闊に病気やケガはできない。
(そもそも、探知系のスキルや能力がある人がいたら、厄介だよな……)
警察犬みたいに遺留品から探知できるタイプならまだしも、千里眼のようにあらゆる事象を吹っ飛ばすチート持ちがいたら、どこに移動してもバレる。
国家と宗教を相手取って決死の鬼ごっこをしながら逃亡生活なんて、スローライフとは程遠い。
捕まったらきっと、スキルや加護を上から下まで全部調べられまくり、ガチガチ軟禁生活のスタートだ。
プライバシーなんぞ、考慮される可能性はない。
加護持ちを雑に扱うと、お偉い超常的な存在がキレることがあると言っていたので、貴人用の牢のようなところに入れられるのが無難なところだろう。
四六時中監視されることは避けられない。シンという個は無視されて、『神子様』としての言動を求められる。
(加護は周囲の環境に影響を与える……。たとえばティンパインが来年災害に襲われて、別のところが妙に豊作で災害が少なくなったら、きっと僕の存在は疑われる)
加護も善し悪しだ。
周囲が飢饉にならないことはありがたいが、自分の加護を余計な場所に知らしめてしまい、行動範囲がモロバレである。
今年、ティンパインの冬の災禍が少ないのは、全てシンの影響だとは、一概には言えない。それでも、自分の加護の規模を軽視して、ティンパインを敵に回してまで他所に動くのは良作とは思えなかった。
少なくともシンには『神々の寵愛』と呼ばれる称号がある。
神々――つまりは複数形だ。
シンはスマホを取り出し、『神々の寵愛』の詳細を開いてみた。
そこには主神の幼女女神フォルミアルカ、少しおっかない美と春の女神ファウラルジットに始まり、ずらりと名前が並んでいた。
(え、何これ……コワァ……知らんのがいっぱい……)
無意識のうちにシンのメンタルが、か弱いネコチャンになった。
シンがキャラ崩れして、きゅっと口を引き結んでしまうくらい、お会いしたことのない偉大な方々(推定)のお名前がいっぱいある。
スマホの画面をぴっと指で弾く。スクロールバーが下に行くにつれて、どんどん小さくなるのに気づいて、シンはそっとスマホを閉じた。
(……え? んん? 加護ってそうそうホイホイ貰えるものじゃないはずなのに、なんであんなにあるの? 間違えて神名一覧でも開いた?)
思わず〝考える人〟のポーズになるシン。
ダンディボイスが『真一、クールだ。びーくーる』とシンの心に語り掛けてくるが、それもシンのもう一つの心の声なので、途中から自信なさげに震える。
心臓はドコドコ鳴っていてなんだか落ち着かないし、背中に汗がびっしょりである。
興味がなくて放置していたら、とんでもないことになっていた。
見ず知らずの神様がなんで加護を与えているのか、理解不能である。小市民には荷が重い。
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