復讐も忘れて幸せになりますが、何がいけませんの?

藤森フクロウ

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59、忘れられていた復讐(フレア視点)

 

 グランマニエ帝国の栄華の象徴である宮殿。
 その一角には吟遊詩人に女神の如くと称される美姫が一人滞在していた。
 彼女の名前はフレア・アシュトン――現在、第四皇子に是が非でも皇子妃にと熱望されている話題の令嬢だ。
 既にハインリヒの囲い込みは大詰めを迎えており、事実上内定している。
 彼女は今、ゆったりとバスタイムを楽しんでいた。乳白色の湯の上には、色鮮やかな花弁が漂っている。それは目で見ても美しいが、美容効果も高く、また何とも言えない芳醇な香りを放っている。
 湯船につかりながら新聞を読むという、ややはしたない姿でリラックスしていたフレア。
 とある紙面を見て「あら、忘れていたわ」と小さく声を上げた。
 その声に、丁寧によく泡立てて髪を洗っていたメイドが顔を上げる。

「如何いたしましたか、皇子妃殿下。かゆいところが? 何か気になることが?」

 まだアシュトン公爵への縁談は正式に結んでいないはずだが、既にフレアは妃扱いだった。
 誰も彼も、フレアを『皇子妃殿下』と呼ぶ。
 トップである皇帝が黙認どころか、積極的にその噂を広めているのだから止めようがない。
 フレアは嫌な気持ちになるどころか、少し面映ゆい気持ちになる。
 ブランデルではいくら頑張っても、それが当たり前だった。失敗すればフレアのせい。成功すればエンリケやグラニアの功績となった。
 足りなさすぎるエンリケの補佐をするために、多くを学んだこともあり、フレアはグランマニエで学ぶことは比較的少なかった。
 王宮で王太后ゾエやその肝いりの講師にやたら厳しく叱責され、支離滅裂なグラニアの罵倒に耐える必要もないので勉強も素直に楽しかったほどだ。
 グランマニエの王宮図書館や、王立図書館の蔵書は素晴らしかった。
 皇子妃教育で気になったことを自分で調べると、様々な視点でも学び、考察するのが楽しかった。時折、本に夢中になり過ぎてハインリヒが嫉妬して取り上げる程に、のめり込んでいた。
 ブランデル王国とは違い、グランマニエ帝国は息がしやすくすべての色が新鮮だった。
 祖国であるはずのあの場所は、思い返せば返すほど碌な思い出がない。

「いえ、どうやらブランデルでクーデターが起きているそうなの。現ブランデル王族が処刑されるそうよ。代わりに王弟のクラウス・ブランデル殿下が、新たな王となるらしいの。嫌だわ、すっかり忘れていたわ」

 フレアの守りたいと思っていた、親身になってくれていた使用人たちは既にグランマニエに揃っている。
 母や祖父母もきちんと身辺整理を済ませた後、使用人たちと共に移住しに来るという。
 そして、フレアの邪魔者たちは全てブランデルに置いてきた。彼らの希望を潰してから、仕上げてきたのだ。
 フレアを使い潰そうとしていたジョージにヘンリー。
 スケープゴートにしようとしていたゾエ。
 存在自体が足かせだったエンリケ。
 頭のおかしい計画をしていたグラニアやケイネス。
 彼らは場所が違うが、仲良く塀の中。
 特に最後は念入りに潰した。願望達成に必須なフレアはグランマニエ、ユリアはランファン、そしてエンリケは処刑されることとなった。

「随分前から荒れていたと聞きます。これも仕方のない事かと……」

「そうね……その通りだわ」

 ヘンリーがベネシーを裏切った時からもう、今のブランデルは終わり始めていた。
 クラウスが新たに王となってもいつまで持つか微妙なところだ。ヘンリーを今更追い立てても、今まで民に寄り添わず、真実を偽り続けたのは変わりない。
 所詮、クラウスも古い革袋でしかない。
 今の民衆は新しい王を欲しがっている――王弟では近すぎる。今まで民の苦境に見向きもしなかったというのに、蜂起した民衆にぐらついた隙に起こした簒奪。
 漁夫の利にも見える。
 それは民の望んだ指導者ではない。
 フレアの歯切れの悪い様子に、祖国の恐慌に憂いているのかとメイドは慌てて話題を変えた。

「ああ、そうですわ。ところでフレア様は『横顔』という本をご存知ですか? 帝国で凄く人気があって、今度舞台化されるそうですわ」

「ハインリヒ様に頂いて、読んだわ。なかなか陰鬱なところもある内容だけれど、大衆向けするかしら?」

「その辺は脚本家や役者の見せどころですよ!」

 曖昧に微笑んだフレアに、侍女ははしゃいだように公演される舞台の人気俳優の名を出す。どうやら一番人気の俳優のファンらしく、ルックスは勿論のことで声や演技も抜群に素晴らしいらしい。
 フレアは笑顔でその話を聞きながら、今度はオペラや観劇にハインリヒを誘いたいとこっそり心の中で思うのだった。いつも連れて行ってもらっているばかりなので、こちらからお誘いしたい――でもはしたなくはないだろうか。
 そっと押さえた胸の下で、トクトクと鼓動がいつもより大きく鳴っていた。

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