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神尾浩紀は、数か月前まで僕――深山那智の恋人だった。過去形なのは、別れたから。いや、そもそも付き合っていたというのは語弊があるかもしれない。アイツは遊びで僕に付き合ってと告白してきたのだから。

「アイツは僕が好意を寄せていることに気づいていた。それを逆手にとって暇つぶしのおもちゃにしたんですよ、アイツは。それはもう酷い裏切られ方をされましてね。そのせいでアイツのお仲間に憂さ晴らしに殴られる毎日。アイツはぼろぼろになる僕を笑って見ているだけ。あの日も、そんないつもの毎日でした」
「召喚された日か」
「はい。正直、助かりましたよ。僕をあの世界から引っ張り出してくれて。味方なんて誰一人いない。あんな世界にいても、いいことなんて何にもない。アイツらは『勇者様とそのお仲間』を演じて、元の生きやすい世界に戻るつもりなんでしょうけど、僕はずっとここにいたいです」
「……だから、足首の怪我を引き延ばしているのか」

気づいていたのか。

僕は、包帯の上から足首を撫でた。夜な夜な、部屋を歩き回って足首に負担を与えていた。この足が治れば、またアイツらの中に放り込まれる。巧妙に仕掛けてくる奴らだ。人がいたとしても気づかれないように僕をいたぶるだろう。

だからといって、僕が何かを訴えたところでいいことはない。アイツらは人の良い『勇者様』と『お仲間』を演じている。これまでも学園の中でそうやって教師たちを騙していたのだ。自分たちの外面を良く見せることなんて朝飯前のはずだ。特に神尾は、女教師も教師と生徒の禁断の壁を軽々と飛び越えて告白するようなイケメンだ。顔が良い奴はこういう面でも特をする。

だから僕は、これ幸いと足首を犠牲にした。本来なら一人で歩き回れるほどに回復するはずのところを、無理に体重をかけて歩くことで回復を後回しにした。それで何が変わるとも言えない。最終的には、アイツらの中に放り込まれるだろう。けれど、僕は往生際悪く、悪あがきし続けた。

「このままでは、まともに歩けなくなるぞ」
「それでも、アイツらの中に放り込まれるよりマシです。旅に出れば、それこそ肉体的暴力だけじゃなく、性処理目的の暴力もされるでしょう。神尾はキスが限界だったようですが、神尾が他の奴らに僕を使うように言えば、有り余った性力をぶつける先として遠慮はしないのは目に見えています」

最後には、どこかの街にでも捨てられるのが落ちだろう。アイツらと行動を共にした場合の末路は十中八九大当たりだ。

「で、そんなクズというよりゲスな奴と俺が似てるだって?」
「目が、似てるんですよ。性格がとかではなくて。その、何か危険なものを胸の奥隠しているような目が……僕にキスした時のアイツと似ているんです」
「……へぇ?俺とキスしたときに他の男、しかもそんなクズ野郎のことを思い出していたとは、とんだ屈辱だな」
「え」

確かに、キスをしている時に他の人のことを考えるのはよろしくない。

「すいませんでした……?」
「謝られるのはもっと屈辱だ」
「えぇ……確かにアイツのことを考えてしまったのは認めますけど、あんなキスされてずっと考えてなんかいられませんでしたし……」

あんな、欲をぶつけられるようなキス、思い出すだけで顔が熱くなる。表情筋は凍ったはずなのに、それを溶かすように熱く火照ってしまう。

「『勇者様』には、どんなキスをされたんだ?」
「え、なんでそんなことを」
「いいから言え」

どんな羞恥プレイだ。あれほど神尾とのことを思い出すことを嫌がっていたのに。

「ただ触れ合うだけのキスですよ。唇と唇が触れるだけ。ただの皮膚接触」
「つまらんな。そんなつまらないキスをする男のどこが好きだったんだ」
「……さぁ?忘れました」
「それなら、俺とのキスはどうだった」

だからどんな羞恥プレイだよ。今あれほど淫らなキスをした相手を前に、その感想を言うなんて……。

「……好きでした。あんなキス、初めてでしたけど…………」

舌と舌が触れ合う、その生々しい性を感じる行為を思い返す。あれが俗にいうディープキスなのか。ハマりそうで少し怖かった。

「なら、俺と付き合え」
「は……」

無意識に唇を触っていたらしい手を取られ、凸拍子もない言葉をぶつけられる。

「いや、貴方がさっきカミングアウトしたえげつない行いを聞いて僕が受け入れるとでも……?」
「あれはむかついた奴にしかやっていない。そのうえキスもしていない。俺の身体は男に対しては清らかなままだぞ」
「それはそれでえげつなさが極まりました。しかし、何故僕なんです?貴方程の顔の良さなら、どんな男も女も手に入るでしょう」
「お前に惚れているから」
「は……?」

開いた口が塞がらない。この神が二物も三物も与えたような男が、僕のような平凡な男に惚れた……?ありえない。裏切られた僕の話を聞いての発言。やはりこの男はドSだ。

「ありえません」
「何故分かる」
「貴方は神尾と似ているから」
「そうだな。お前に向けている感情の根っこは同じだろう」
「……?どういう」
「でも俺は『勇者様』と違って独占欲が強いんだ。手に入らないなら壊すのではなく、大切に大切にして甘やかして俺がいないと泣いてしまうくらい俺に依存させる」
「……それを聞いて、僕が簡単に受け入れるとでも?」
「断ってもいいが、既にお前を囲う準備は整っている」
「……まさか」

この一か月、目の前の団長さん以外と会っていない。食事を運ぶのも、入浴の補助も全部彼が行ってきた。あまりの用意周到さに思わずゾッとした。

「恐ろしい人ですね、本当に」
「俺と付き合っても、俺に囲われても、悪いことはないだろう?どちらもアイツらと関わる必要はなくなる。俺と婚姻すれば、国王陛下もお前を無理に旅に出すことはされないはずだ」
「婚姻?男同士なのに?」
「この国では同性間の結婚も認められている。貴族も後継問題を解決さえすれば何も言われない」
「つまり、結婚を前提にお付き合いってことですか」
「貴族が恋人をつくるときは基本的に結婚が前提だ」

この申し出を受けるべきか。僕にとっては悪い点は特にない。少しこの人の性癖やら性格やらが怖いくらいで、待遇はいいだろう。なにせデロデロに甘やかしたいタイプのヤンデレだから。……ヤンデレかぁ。

「お前は俺に囲われることに対して拒否感はない。そうだろう?なら何も考えることなく、俺を受け入れればいい」
「……なんで、そんなことが貴方に分かるんですか」
「分かるさ。お前は既に俺を受け入れている。無意識でもな。お前は寂しがり屋なんだよ」
「寂しがり屋……」
「誰かに構ってほしい。強い感情で縛ってほしい。そういう思いが漏れている。だから俺もお前が気になったんだ」

そうか。僕は誰かに依存してほしいんだ。僕だけを見て、僕だけを欲してほしい。僕を愛してくれるなら、その間は僕も愛するだろう。なんとなく、そう思った。

「……いいですよ。付き合いましょう。僕たち」
「…………」
「なんですか?」
「決断の良さは一丁前だな」
「貴方は僕を囲いたくて、僕は貴方に囲ってほしい。つまり両想いです。それなら断る理由もないかと」
「俺の愛は重いぞ。文句言うなよ」
「貴方こそ、僕に愛を伝えてくれなかったら僕はすぐに離れてしまいますよ。僕を離さないようにしてくださいね」
「上等だ」

先程の甘ったるいキスとは程遠い、僕の全てを食らいつくし貪るような荒々しいキス。噛みついてきそうなほどの勢いにベッドの上で後退りしそうになるが、後頭部を抑えられて逃げ道を失った。僕が吸い込む空気にさえ嫉妬していそうな彼の愛を受け入れるのは早まったかもしれないと少しだけ後悔した。けれど、それを飲み込むほどの充足感が強すぎて、僕は婚約者となった団長さんの首に腕を回したのだった。




「ところで、僕の何が気に入ったんですか。行動動機があるはずでしょう」
「初めて会ったとき、尿意を堪える顔がエロかった。それと吐いていたときに口淫させたいと思ったからだな」
「最低ですね」
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