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第一部
ボーイ・ミーツ・ガール
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新たな一日は夢の終わりとともに始まる。目覚めると見慣れた天井が視界にうつった。
少しして意識がはっきりしてくると、次第に夢の内容は朧気になっていく。昔の夢、ということだけは何となくわかっていた。夢をみる度に、ずいぶんと遠くに来てしまったことを実感した。
何度も昔の夢を見る理由はわからない。
はやく復讐を果たせと、怨念が急き立てているのかもしれない。
だとすれば、その怨念は決して自分だけのものではないはずだった。
「……バカバカしい妄想だな」
父親譲りの赤髪を手で乱暴にかきあげて妄念を散らし、勢いよくベッドから跳ねた。
アルテアの朝ははやい。日が昇る前に起床し支度を整え、音をたてないように屋敷を出た。
日課の始まりだ。
屋敷の横手に広がる森を抜けて曲がりくねった坂道を上がると、村を一望できる高台に出る。かつて何かの建造物があったことを思わせる朽ちた外壁があり、その陰にひっそりと雨宿りでもしているみたいに花が咲いていた。まるで壁が雨風から花を守っているようにも見えた。
日の昇る前とあって辺りはまだ薄暗かった。
日光で暖まる前の少し冷たい空気で肺を満たして高台から村を見下ろすと、幾度も目にした景色が広がっていた。
広大な麦畑だった。ときおり風が吹いてはそれに合わせて稲穂が倒れるように揺れて、風が止むとまた起き上がった。
『稲っていうのは案外に強いものでな。どれだけ雨風に見舞われても簡単には負けないんだ。農業は忍耐だ。強い心が求められるし、農作業は足腰をつかう。意外と剣の道に通ずるところがあるんだ』
そう言いながら、村人に混じって農作業をする父の姿をふと思い出す。
巡回といいながら村を回っては、そうやって手伝っているらしかった。村人たちとも良好な関係を築いているようで皆に慕われていた。
『 お前もやってみるか?』
そう聞かれて断ったときの、父の少しだけ残念そうな顔が頭をちらつく。そして先日の食事の席での、父の厳しい表情を思い出した。
自分は何か失敗したのかもしれない。途端にそんな気持ちが強くなった。
それを追い出すみたいに頭をふって、再びしんとした空気を吸い込んで、吐き出す。鍛錬の際に意識を切り替えるためのおまじないのようなものだった。ずっと繰り返してきただけあって、アルテアの意識はぱっと切り替わった。
この場所で鍛錬を初めたのは四歳になったばかりの頃だった。それから約一年、毎日続けていた。一連の流れは身体が覚え込んでいた。
身体を十分にほぐしてから、まずは剣の素振りを始めた。
毎日見ている父の姿をイメージして、それを自分の身体に
重ね合わすようにして近づけていく。
アルテアは、村の景色を背に剣を振る父の姿が気に入っていた。
それがあまりにも自然で美しいとさえ感じてしまった。
だから、村を一望できるこの高台を見つけた時、この場所で剣を振ることを決めた。
回数は特に決めていなかった。
父の姿と自分の姿がぴたりと一致して納得できるまでそれを続けた。
素振りが終わると少し乱れた息を整えてから魔法の訓練にうつる。
精神を研ぎ澄ませて己の身体の内にある力を感覚する。
それを練り上げるイメージで、身体の特定の部位に集中させて限界までその状態を維持する。目、腕、胴、脚と上から順番に部位をうつし、最後に全身を魔力で覆った。
むらなく均等に魔力がいきわたる状態を意識する。それが終わるとインターバルをとり、魔法の詠唱を始める。彼は屋敷にある魔導書を読み漁り、上級属性魔法なら無理なく発動できる域に達していた。
赤子のころより魔力の枯渇を繰り返してきたかいがあり、いまや使い切るのが難しいほどの底知れない魔力量を誇っていた。最近では常に魔力を放出した状態を保っているほどだ。
一般的には扱える元素魔法の属性の数が才能をはかる目安として浸透している。元素魔法は火・水・風・地・光・闇の六つ。位階は初級、中級、上級、超級、神級と上がっていく。光と闇は特別な適性を持つ者のみが扱えるため使い手はめったにいない。光闇を除いた四つのうち、二つの属性を上級まで扱うことができれば優秀、三つなら天才だと言われている。
アルテアは生まれた直後から訓練してきただけあり全ての属性を操ることができた。しかし魔法は元素魔法の他にも様々な種類のが存在するのでこれはあくまでも目安だ。アルテアは慢心することなく鍛錬に精を出していた。
いつも通りのメニューをこなし手持ち無沙汰になり、ぼんやりと、瓦礫の隅に咲く一輪の花を眺めた。ぽつんと離れて咲く花は、そんなこと気にした風もなく、空に伸びた茎の先に青く美しい花を咲かせていた。
アルテアにはそれがとても気高くも見えたし、寂しくも見えた。
不意に一年前の出来事を思い出した。
鍛錬を初めてすぐ、何名かの子どもが魔法を教えてほしいとやってきた。子どもの相手をするのは苦手で、ずいぶんと頭を悩ませた。
だがそれは程なくして解決した。
ある日、アルテアは子供達と揉め事を起こした。そのことで村の大人になにか言われたのだろう。その日を境にここには誰も寄り付かなくなった。
あの頃はうるさかった。子どもたちが危なっかしくて鍛錬にも集中できないほどだった。そう思えば、結果的にこうなって良かったのかもしれない。
どのくらい物思いにふけっていたか、背後で枝の割れる乾いた音が聞こえてアルテアは意識を現実に引き戻された。
魔獣か何かだろうと見当をつけて気怠げに振り返る。
「んん……?」
アルテアから困惑気味の声が漏れる。
視線の先には、まったく見覚えのない少女が立っていた。
一瞬にして、目を奪われた。
息の仕方を忘れてしまいそうなほどの、美しい少女だった。
それなのに、真っ先に「幻」という言葉が思い浮かぶほど、その少女の存在は薄く、透き通っていた。
風が吹き、森の木々がざわざわと鳴いた。少女の細く白い髪がきらきらと流れた。風の中で光るように舞う少女の髪は、夜空をはしる流星のように美しく、儚かった。驚くほど華奢なからだを白いワンピースで包む彼女は、まるで星の切れ端が落ちてきたみたいだとも思った。
風が止み木々の鳴き声が止まると、しんとした静寂が戻った。こちらを見る少女の大きく眠たげな目の奥で、血のように紅い瞳が魅惑的な魔力を放っていた。
吸い込まれそうなほど美しい瞳はしかし、どこか機械的でもあった。
「……」
「……」
お互いにらみ合ったまま無言の間が続いた。無視するか、話しかけるか、アルテアは決めあぐねていた。目が合ってしまったからには声をかける他ないと思った。
でも、どう話しかけて良いのかわからない。距離感も。
「……だ、だれ?」
「……」
アルテアの意を決した問いかけに返答はなかった。
「お、おーい」
「……」
手を顔の前で振った。
手をおって、かすかに少女の目線が動いた。立ったまま寝ているといわけでもなさそうだった。ならどうして無視されているのか、不安になる。
怪訝な顔で少女を見据えるアルテアだったが、やがて何かに気づいたという風に手を叩いて何かを探すように辺りを見回す近くにあった木の枝を拾って地面に「名前は?」と文字を掘った。耳が聞こえないと考えたからだ。
「アルテア」と書いたあとに文字と自分とを
交互に指さして、少女にも木の枝を渡した。
少女は枝を受け取ると、枝とアルテアと地面とを順番に視線をうつして、再びアルテアの顔をじっと見つめた。
そして薄い唇を何度かもごもごと動かしてから、風に飛ばされそうな小さな声で、言った。
「……じ、よめない」
「しゃべれるのかよ……!」
アルテアはすっ転びそうになった。
少しして意識がはっきりしてくると、次第に夢の内容は朧気になっていく。昔の夢、ということだけは何となくわかっていた。夢をみる度に、ずいぶんと遠くに来てしまったことを実感した。
何度も昔の夢を見る理由はわからない。
はやく復讐を果たせと、怨念が急き立てているのかもしれない。
だとすれば、その怨念は決して自分だけのものではないはずだった。
「……バカバカしい妄想だな」
父親譲りの赤髪を手で乱暴にかきあげて妄念を散らし、勢いよくベッドから跳ねた。
アルテアの朝ははやい。日が昇る前に起床し支度を整え、音をたてないように屋敷を出た。
日課の始まりだ。
屋敷の横手に広がる森を抜けて曲がりくねった坂道を上がると、村を一望できる高台に出る。かつて何かの建造物があったことを思わせる朽ちた外壁があり、その陰にひっそりと雨宿りでもしているみたいに花が咲いていた。まるで壁が雨風から花を守っているようにも見えた。
日の昇る前とあって辺りはまだ薄暗かった。
日光で暖まる前の少し冷たい空気で肺を満たして高台から村を見下ろすと、幾度も目にした景色が広がっていた。
広大な麦畑だった。ときおり風が吹いてはそれに合わせて稲穂が倒れるように揺れて、風が止むとまた起き上がった。
『稲っていうのは案外に強いものでな。どれだけ雨風に見舞われても簡単には負けないんだ。農業は忍耐だ。強い心が求められるし、農作業は足腰をつかう。意外と剣の道に通ずるところがあるんだ』
そう言いながら、村人に混じって農作業をする父の姿をふと思い出す。
巡回といいながら村を回っては、そうやって手伝っているらしかった。村人たちとも良好な関係を築いているようで皆に慕われていた。
『 お前もやってみるか?』
そう聞かれて断ったときの、父の少しだけ残念そうな顔が頭をちらつく。そして先日の食事の席での、父の厳しい表情を思い出した。
自分は何か失敗したのかもしれない。途端にそんな気持ちが強くなった。
それを追い出すみたいに頭をふって、再びしんとした空気を吸い込んで、吐き出す。鍛錬の際に意識を切り替えるためのおまじないのようなものだった。ずっと繰り返してきただけあって、アルテアの意識はぱっと切り替わった。
この場所で鍛錬を初めたのは四歳になったばかりの頃だった。それから約一年、毎日続けていた。一連の流れは身体が覚え込んでいた。
身体を十分にほぐしてから、まずは剣の素振りを始めた。
毎日見ている父の姿をイメージして、それを自分の身体に
重ね合わすようにして近づけていく。
アルテアは、村の景色を背に剣を振る父の姿が気に入っていた。
それがあまりにも自然で美しいとさえ感じてしまった。
だから、村を一望できるこの高台を見つけた時、この場所で剣を振ることを決めた。
回数は特に決めていなかった。
父の姿と自分の姿がぴたりと一致して納得できるまでそれを続けた。
素振りが終わると少し乱れた息を整えてから魔法の訓練にうつる。
精神を研ぎ澄ませて己の身体の内にある力を感覚する。
それを練り上げるイメージで、身体の特定の部位に集中させて限界までその状態を維持する。目、腕、胴、脚と上から順番に部位をうつし、最後に全身を魔力で覆った。
むらなく均等に魔力がいきわたる状態を意識する。それが終わるとインターバルをとり、魔法の詠唱を始める。彼は屋敷にある魔導書を読み漁り、上級属性魔法なら無理なく発動できる域に達していた。
赤子のころより魔力の枯渇を繰り返してきたかいがあり、いまや使い切るのが難しいほどの底知れない魔力量を誇っていた。最近では常に魔力を放出した状態を保っているほどだ。
一般的には扱える元素魔法の属性の数が才能をはかる目安として浸透している。元素魔法は火・水・風・地・光・闇の六つ。位階は初級、中級、上級、超級、神級と上がっていく。光と闇は特別な適性を持つ者のみが扱えるため使い手はめったにいない。光闇を除いた四つのうち、二つの属性を上級まで扱うことができれば優秀、三つなら天才だと言われている。
アルテアは生まれた直後から訓練してきただけあり全ての属性を操ることができた。しかし魔法は元素魔法の他にも様々な種類のが存在するのでこれはあくまでも目安だ。アルテアは慢心することなく鍛錬に精を出していた。
いつも通りのメニューをこなし手持ち無沙汰になり、ぼんやりと、瓦礫の隅に咲く一輪の花を眺めた。ぽつんと離れて咲く花は、そんなこと気にした風もなく、空に伸びた茎の先に青く美しい花を咲かせていた。
アルテアにはそれがとても気高くも見えたし、寂しくも見えた。
不意に一年前の出来事を思い出した。
鍛錬を初めてすぐ、何名かの子どもが魔法を教えてほしいとやってきた。子どもの相手をするのは苦手で、ずいぶんと頭を悩ませた。
だがそれは程なくして解決した。
ある日、アルテアは子供達と揉め事を起こした。そのことで村の大人になにか言われたのだろう。その日を境にここには誰も寄り付かなくなった。
あの頃はうるさかった。子どもたちが危なっかしくて鍛錬にも集中できないほどだった。そう思えば、結果的にこうなって良かったのかもしれない。
どのくらい物思いにふけっていたか、背後で枝の割れる乾いた音が聞こえてアルテアは意識を現実に引き戻された。
魔獣か何かだろうと見当をつけて気怠げに振り返る。
「んん……?」
アルテアから困惑気味の声が漏れる。
視線の先には、まったく見覚えのない少女が立っていた。
一瞬にして、目を奪われた。
息の仕方を忘れてしまいそうなほどの、美しい少女だった。
それなのに、真っ先に「幻」という言葉が思い浮かぶほど、その少女の存在は薄く、透き通っていた。
風が吹き、森の木々がざわざわと鳴いた。少女の細く白い髪がきらきらと流れた。風の中で光るように舞う少女の髪は、夜空をはしる流星のように美しく、儚かった。驚くほど華奢なからだを白いワンピースで包む彼女は、まるで星の切れ端が落ちてきたみたいだとも思った。
風が止み木々の鳴き声が止まると、しんとした静寂が戻った。こちらを見る少女の大きく眠たげな目の奥で、血のように紅い瞳が魅惑的な魔力を放っていた。
吸い込まれそうなほど美しい瞳はしかし、どこか機械的でもあった。
「……」
「……」
お互いにらみ合ったまま無言の間が続いた。無視するか、話しかけるか、アルテアは決めあぐねていた。目が合ってしまったからには声をかける他ないと思った。
でも、どう話しかけて良いのかわからない。距離感も。
「……だ、だれ?」
「……」
アルテアの意を決した問いかけに返答はなかった。
「お、おーい」
「……」
手を顔の前で振った。
手をおって、かすかに少女の目線が動いた。立ったまま寝ているといわけでもなさそうだった。ならどうして無視されているのか、不安になる。
怪訝な顔で少女を見据えるアルテアだったが、やがて何かに気づいたという風に手を叩いて何かを探すように辺りを見回す近くにあった木の枝を拾って地面に「名前は?」と文字を掘った。耳が聞こえないと考えたからだ。
「アルテア」と書いたあとに文字と自分とを
交互に指さして、少女にも木の枝を渡した。
少女は枝を受け取ると、枝とアルテアと地面とを順番に視線をうつして、再びアルテアの顔をじっと見つめた。
そして薄い唇を何度かもごもごと動かしてから、風に飛ばされそうな小さな声で、言った。
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