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第一部
おくりもの
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それからアルテアの日常は目まぐるしく流れていった。
朝は鍛錬をして、それが終われば家でターニャの指導を受け、イーリスに読み書きを教えた。
家で一緒に昼食をとり、勉強して、夕食を共にすることもあった。
たまに父やターニャと一緒に森に入って狩りをしたり、設置した魔道具の効果を確認したり、狂暴化した魔獣を間引いたりした。
血なまぐさいものをイーリスに見せるのは気がすすまなかったが、
彼女はどうしてもついてくると言ってきかなかった。
イーリスはやはり要領が良いようで、綿が水を吸い込むようにどんどん色々なことを覚えていった。きっと元から類まれない才能があったのだろう。
一方で鍛錬には頑なに参加を拒否した。
理由を聞いても「なんとなく」と答えるだけだった。
嫌な思い出があるのかもしれないと思い、それ以上聞くことはしなかった。
ただ、少女はアルテアの少し後ろで剣を振る彼の姿を眺めていた。
気づけば二ヶ月近くがあっという間に過ぎていた。
当初の思惑から外れ、長い期間を彼女と共に過ごしていた。
ずっとこの日が続けばいい。
心の奥底でそんな思いが首をもたげたが、抑えつけた。
ある日、いつものように勉強を教えていると、イーリスがどことなく寂しそうな顔をしていることに気づいた。
二ヶ月近く毎日一緒に過ごしたおかげか、変化に乏しい表情からも感情の機微を読み取れるようになってきていた。
「どうした?」
これまでは淡々と言いつけ通りに勉強をこなす彼女が、今日は手を止めて神妙な顔つきで紙を睨みつけていた。
わからないところでもあるか?と聞いても彼女は首を横に振るだけだった。
仕方ないと諦めて、横目でイーリスを見つつ読みかけの魔導書に目を戻した。
イーリスはしばらく本とにらめっこを続けたところで、何かを決心したように顔を上げた。
「アル」
「ん?」
アルテアが魔導書から顔を上げた。
少女の血のように紅い瞳が自分をしっかり捉えていた。
言いたいことがあるときに、口をもごもご動かす癖は健在だった。
「わたし、そろそろ王都に戻らないといけない……」
彼女はずいぶん流暢に言葉をしゃべるようになっていた。
「そうか」
平静を装って短く返し、また魔導書に視線を戻した。
「……それだけ?」
「ああ」
「……ほんとにそれだけ?」
イーリスが視線の湿度をあげる。へばり付くような視線にさらされ、耐えかねたアルテアは観念したように魔導書を閉じた。
「二ヶ月くらいはここにいる、って会ったばかりの時に話してたじゃないか。そろそろ頃合いかなって見当はついてた」
自分でもひどく言い訳がましく聞こえた。自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「アル、つめたい」
イーリスが小さな肩を落として目を伏せた。扇状の長いまつげが窓から差し込む日光に照らされて、少女の白い頬に影を落とした。
アルテアには、その影の一点に少女の悲しみが凝縮されているように感じられた。
かち、かち、かち、と時計の針がすすむ音だけが部屋に残る。
その沈黙に先に音を上げたのは、アルテアだった。
「ちょっと待ってろ」
顔を伏せるイーリスにそう伝えて部屋を出た。しばらくして戻ってきたアルテアの手には、一冊の本と黒塗りされた小箱が握られていた。
きょとんとするイーリスの隣に腰をおろして、それらのものを机の上に置いた。
「これは単語帳だ」
「たんご、ちょう」
首を傾げながら耳なれない言葉を繰り返す彼女に頷いて答えて、本を彼女の手に押し付けた。
「まあ、簡単な辞書みたいなものだな」
「中、見ていい?」
「ああ」
アルテアが答えると、少女は一枚ずつページをめくって目を通した。ページには単語と例文と、拙い絵が書いてあった。
どれもイーリスが覚えていない言葉か、苦手としている言葉だった。
「覚えきれてない言葉あるよな。俺は一緒に王都には行けないから、もう教えることはできない。だからこれを見て勉強するといいよ」
少女は一文字ずつ、文字の上をなぞるようにして最後まで目を通してから、単語帳を大事そうに両手で包み込んだ。
それから「ありがと」と言った。
アルテアは照れを隠すためか、ふんと小さく鼻を鳴らして机に置かれた小箱に手を伸ばした。
「手、だして」
差し出された少女の手にその小箱を置く。
「……あけてみて」
イーリスは受け取った小箱を探るように眺めてからフタを開けると、中には紅玉のペンダントが入っていた。
透き通った宝石の中にゆらゆらと炎が揺れていて、それは少女の瞳によく似ていた。
「父さんに少しだけわがままを言って魔鉱石をもらってな。それに炎の魔法を流し込んでつくったんだ」
アルテアは早口でまくしたてるように言った。珍しく、聞かれてもいないことを説明していた。
半分は少女の反応をみるのがこわかったのと、もう半分はただ恥ずかしかったのかもしれない。
アルテアにとって人に何かを贈るというのは初めての経験だった。
「きれい……」
イーリスが、誰にも聞こえないくらい小さな声で、惚けるように呟いた。
「どうして……この色にした?」
ペンダントの宝石を指でさすりながらイーリスは聞いた。
「好きな色だからかな。俺の髪の色とおそろいだし」
腕を組んで偉そうに言い切った。
イーリスはそれを聞いて納得したのか。
「おそろい」と言ったとあとに「つけていい?」と尋ねた。
無言でうなずくと、何度かカチャカチャと音をたててペンダントのひも状のところをいじって、首に回した。
名も無き紅い宝石が、彼女の胸のあたりで深い輝きを放っていた。
「……どう?」
「うん、似合ってるんじゃないかな」
「そっか。うれしい」
その言葉を聞いて胸を撫でおろす。イーリスは変わらず無表情だったが、本当に喜んでいることはわかった。
そこにイーリスが
「……ん」と言って頭を突き出した。
アルテアが半ば反射的に彼女の頭を撫でると、少女はぼーっとしながら猫みたいに目を細めた。
この二ヶ月の間に何度もやったせいか、最初は気恥ずかしかった行為にも今更恥ずかしさは感じない。
アルテアは頭をなでながら、本当に妹ができたみたいだなと思った。
朝は鍛錬をして、それが終われば家でターニャの指導を受け、イーリスに読み書きを教えた。
家で一緒に昼食をとり、勉強して、夕食を共にすることもあった。
たまに父やターニャと一緒に森に入って狩りをしたり、設置した魔道具の効果を確認したり、狂暴化した魔獣を間引いたりした。
血なまぐさいものをイーリスに見せるのは気がすすまなかったが、
彼女はどうしてもついてくると言ってきかなかった。
イーリスはやはり要領が良いようで、綿が水を吸い込むようにどんどん色々なことを覚えていった。きっと元から類まれない才能があったのだろう。
一方で鍛錬には頑なに参加を拒否した。
理由を聞いても「なんとなく」と答えるだけだった。
嫌な思い出があるのかもしれないと思い、それ以上聞くことはしなかった。
ただ、少女はアルテアの少し後ろで剣を振る彼の姿を眺めていた。
気づけば二ヶ月近くがあっという間に過ぎていた。
当初の思惑から外れ、長い期間を彼女と共に過ごしていた。
ずっとこの日が続けばいい。
心の奥底でそんな思いが首をもたげたが、抑えつけた。
ある日、いつものように勉強を教えていると、イーリスがどことなく寂しそうな顔をしていることに気づいた。
二ヶ月近く毎日一緒に過ごしたおかげか、変化に乏しい表情からも感情の機微を読み取れるようになってきていた。
「どうした?」
これまでは淡々と言いつけ通りに勉強をこなす彼女が、今日は手を止めて神妙な顔つきで紙を睨みつけていた。
わからないところでもあるか?と聞いても彼女は首を横に振るだけだった。
仕方ないと諦めて、横目でイーリスを見つつ読みかけの魔導書に目を戻した。
イーリスはしばらく本とにらめっこを続けたところで、何かを決心したように顔を上げた。
「アル」
「ん?」
アルテアが魔導書から顔を上げた。
少女の血のように紅い瞳が自分をしっかり捉えていた。
言いたいことがあるときに、口をもごもご動かす癖は健在だった。
「わたし、そろそろ王都に戻らないといけない……」
彼女はずいぶん流暢に言葉をしゃべるようになっていた。
「そうか」
平静を装って短く返し、また魔導書に視線を戻した。
「……それだけ?」
「ああ」
「……ほんとにそれだけ?」
イーリスが視線の湿度をあげる。へばり付くような視線にさらされ、耐えかねたアルテアは観念したように魔導書を閉じた。
「二ヶ月くらいはここにいる、って会ったばかりの時に話してたじゃないか。そろそろ頃合いかなって見当はついてた」
自分でもひどく言い訳がましく聞こえた。自分に言い聞かせていたのかもしれない。
「アル、つめたい」
イーリスが小さな肩を落として目を伏せた。扇状の長いまつげが窓から差し込む日光に照らされて、少女の白い頬に影を落とした。
アルテアには、その影の一点に少女の悲しみが凝縮されているように感じられた。
かち、かち、かち、と時計の針がすすむ音だけが部屋に残る。
その沈黙に先に音を上げたのは、アルテアだった。
「ちょっと待ってろ」
顔を伏せるイーリスにそう伝えて部屋を出た。しばらくして戻ってきたアルテアの手には、一冊の本と黒塗りされた小箱が握られていた。
きょとんとするイーリスの隣に腰をおろして、それらのものを机の上に置いた。
「これは単語帳だ」
「たんご、ちょう」
首を傾げながら耳なれない言葉を繰り返す彼女に頷いて答えて、本を彼女の手に押し付けた。
「まあ、簡単な辞書みたいなものだな」
「中、見ていい?」
「ああ」
アルテアが答えると、少女は一枚ずつページをめくって目を通した。ページには単語と例文と、拙い絵が書いてあった。
どれもイーリスが覚えていない言葉か、苦手としている言葉だった。
「覚えきれてない言葉あるよな。俺は一緒に王都には行けないから、もう教えることはできない。だからこれを見て勉強するといいよ」
少女は一文字ずつ、文字の上をなぞるようにして最後まで目を通してから、単語帳を大事そうに両手で包み込んだ。
それから「ありがと」と言った。
アルテアは照れを隠すためか、ふんと小さく鼻を鳴らして机に置かれた小箱に手を伸ばした。
「手、だして」
差し出された少女の手にその小箱を置く。
「……あけてみて」
イーリスは受け取った小箱を探るように眺めてからフタを開けると、中には紅玉のペンダントが入っていた。
透き通った宝石の中にゆらゆらと炎が揺れていて、それは少女の瞳によく似ていた。
「父さんに少しだけわがままを言って魔鉱石をもらってな。それに炎の魔法を流し込んでつくったんだ」
アルテアは早口でまくしたてるように言った。珍しく、聞かれてもいないことを説明していた。
半分は少女の反応をみるのがこわかったのと、もう半分はただ恥ずかしかったのかもしれない。
アルテアにとって人に何かを贈るというのは初めての経験だった。
「きれい……」
イーリスが、誰にも聞こえないくらい小さな声で、惚けるように呟いた。
「どうして……この色にした?」
ペンダントの宝石を指でさすりながらイーリスは聞いた。
「好きな色だからかな。俺の髪の色とおそろいだし」
腕を組んで偉そうに言い切った。
イーリスはそれを聞いて納得したのか。
「おそろい」と言ったとあとに「つけていい?」と尋ねた。
無言でうなずくと、何度かカチャカチャと音をたててペンダントのひも状のところをいじって、首に回した。
名も無き紅い宝石が、彼女の胸のあたりで深い輝きを放っていた。
「……どう?」
「うん、似合ってるんじゃないかな」
「そっか。うれしい」
その言葉を聞いて胸を撫でおろす。イーリスは変わらず無表情だったが、本当に喜んでいることはわかった。
そこにイーリスが
「……ん」と言って頭を突き出した。
アルテアが半ば反射的に彼女の頭を撫でると、少女はぼーっとしながら猫みたいに目を細めた。
この二ヶ月の間に何度もやったせいか、最初は気恥ずかしかった行為にも今更恥ずかしさは感じない。
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