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第一部
愛
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アルテアは道すがら、家族にどう説明したものかと頭を悩ませていた。
イーリスを家に連れて行くことには少しばかり懸念があった。
呪いが信じられている以上、家族も彼女を恐れるかもしれなかった。
だが結果としてそれは杞憂に終わった。
両親は少女を朗らかに迎えた。
父は友達ができてよかったと笑い、母はまるでもうひとり娘ができたようだと喜んだ。
母の言葉で、イーリスのような妹がいたらどんな感じなのだろうかと想像してみる。
手のかかりそうな妹だとは思ったが、不思議と面倒だとか不快だとかは思わなかった。
ターニャは相変わらずの無表情で何を考えているかわからなかったが、少女を嫌ったり恐れたりしている様子はなかった。
どうやら問題はなさそうだと内心でほっと一息ついてから、ティアとたどたどしく話をしている少女を見やり、何から教えたものかと思案する。
悩んだ末、イーリスには基本的なマナーや常識から教えることにした。
手始めにテーブルマナーや公の場での言葉遣いなどの礼儀作法から教えていく。
間違いや補足があるときはターニャがすぐに助言をくれた。
このことでアルテアはひそかにターニャを見直すことになった。
彼女の知識や所作は完璧だった。
父や母に対する物腰が砕けているせいか、メイドだという実感が
あまりなかったが、実演を交えて指導する彼女の立ち振る舞いは
美しいとさえ感じるほどだった。
そういったやり取りでターニャの中の何かを刺激してしまったのか。
「やはり坊ちゃんもまだまだ未熟。良い機会なので二人まとめて私がご指導させていただきましょう」
そして彼女の鬼の指導が始まった。
アルテアはこういった分野に苦手意識を抱いていた。
前世では治安維持の道具程度の扱いしか受けたことがなく、礼儀やマナーといったことに関しては無縁で言葉遣いなど気にすることもなかった。
だからこの世界に来てからも必須のものを習得しただけで洗練させることはしなかったし、それ以上の指導を受けることのないように、それとなく避けてきた。
そのツケがいま、大波のごとく押し寄せてきていた。
そしてアルテアの自信を喪失させる意外な事実が判明した。
礼儀作法の面においてはアルテアよりもイーリスの方が優秀だった。
彼女は教えられたことを瞬時に理解し身につけていった。
アルテアが四度か五度ほど手直しを受けるところを、イーリスは一度で終えてしまう。
教えるつもり満々でいたところを逆に少女に教えられてしまっていた。
あまりの衝撃に若干うつろになった目を中空にさまよわせていると、背後からイーリスが彼の肩を、ちょんと指で何度がつついた。
振り向くと、仮面を張り付けたような顔で親指を立てながら少女が言う。
「げんき、だしな」
驚くほど抑揚がなかった。
「お、おう……」
アルテアはたじろぎながら、少女の後方に控えるターニャにちらと視線をうつした。
メイドは澄ました顔で、自分は関与していませんという意思を言外に発していたが、絶対に何か吹き込んだに違いない。
粘着質な視線を飛ばし続けるとやがてメイドがケロッとした顔で白状する。
「坊ちゃんをからかえる機会はそう多くないですから。レアですよ、レア」
少しも悪びれないその言いぶりは、もはや気持ち良いほど堂に入っていた。
この人は本当に使用人なのかと疑いたくなった。
そうして指導が続いてしばらくして、ティアがお茶とお茶菓子を持って部屋に入ってきた。
紅茶の上品な香りが部屋を満たしていく。
それだけで疲労が吹き飛びそうな、落ち着く香りだった。
お茶菓子はティアの手作りの焼き菓子らしく、隠し味は母の愛だと言った。
そのティアの言葉をつかまえて、イーリスが小声で尋ねる。
「あい、ってなに?」
「ん?あー……愛ってのは、あれだ」
それ以上言葉が続かずに口を閉じる。
言葉の意味はもちろん知っている。
だが、おそらく彼女の知りたいことは言葉の意味ではない。もっと本質的なことを求めているに違いない。その答えをアルテアもまだ知らなかった。
──愛ってなんだ?
心の中でそう問うてみても答えてくれる者はいない。
行き場を無くした問いはぐるぐると同じところを回り続けて、結局どこにも辿り着けなかった。
「……わからない。すまない」
なんとかそれだけ答えて、足場を無くしたみたいに宙ぶらりんになった会話を終わらせる。
出来るなら答えてあげたかった。
いっそ表面的なことでもいいからもっともらしく言ってやっても良かったのかもしれない。でも何故かそれはできなかった。
「……そっか」
抑揚のない彼女の声は、やはり感情が見えにくい。
しかし、目を伏せる姿はどこか寂しそうに見えた。
「二人とも浮かない顔してどうしたの?紅茶が口に合わなかったかしら?」
大人しい様子の二人を心配するようにティアが声をかけた。
「何でもないよ、母さん」
そう言ってから、誤魔化すように紅茶を飲み、お茶菓子を食べて、四人で談笑した。
そうして身の内に少しの靄を残しながらも一日が過ぎた。
イーリスを家に連れて行くことには少しばかり懸念があった。
呪いが信じられている以上、家族も彼女を恐れるかもしれなかった。
だが結果としてそれは杞憂に終わった。
両親は少女を朗らかに迎えた。
父は友達ができてよかったと笑い、母はまるでもうひとり娘ができたようだと喜んだ。
母の言葉で、イーリスのような妹がいたらどんな感じなのだろうかと想像してみる。
手のかかりそうな妹だとは思ったが、不思議と面倒だとか不快だとかは思わなかった。
ターニャは相変わらずの無表情で何を考えているかわからなかったが、少女を嫌ったり恐れたりしている様子はなかった。
どうやら問題はなさそうだと内心でほっと一息ついてから、ティアとたどたどしく話をしている少女を見やり、何から教えたものかと思案する。
悩んだ末、イーリスには基本的なマナーや常識から教えることにした。
手始めにテーブルマナーや公の場での言葉遣いなどの礼儀作法から教えていく。
間違いや補足があるときはターニャがすぐに助言をくれた。
このことでアルテアはひそかにターニャを見直すことになった。
彼女の知識や所作は完璧だった。
父や母に対する物腰が砕けているせいか、メイドだという実感が
あまりなかったが、実演を交えて指導する彼女の立ち振る舞いは
美しいとさえ感じるほどだった。
そういったやり取りでターニャの中の何かを刺激してしまったのか。
「やはり坊ちゃんもまだまだ未熟。良い機会なので二人まとめて私がご指導させていただきましょう」
そして彼女の鬼の指導が始まった。
アルテアはこういった分野に苦手意識を抱いていた。
前世では治安維持の道具程度の扱いしか受けたことがなく、礼儀やマナーといったことに関しては無縁で言葉遣いなど気にすることもなかった。
だからこの世界に来てからも必須のものを習得しただけで洗練させることはしなかったし、それ以上の指導を受けることのないように、それとなく避けてきた。
そのツケがいま、大波のごとく押し寄せてきていた。
そしてアルテアの自信を喪失させる意外な事実が判明した。
礼儀作法の面においてはアルテアよりもイーリスの方が優秀だった。
彼女は教えられたことを瞬時に理解し身につけていった。
アルテアが四度か五度ほど手直しを受けるところを、イーリスは一度で終えてしまう。
教えるつもり満々でいたところを逆に少女に教えられてしまっていた。
あまりの衝撃に若干うつろになった目を中空にさまよわせていると、背後からイーリスが彼の肩を、ちょんと指で何度がつついた。
振り向くと、仮面を張り付けたような顔で親指を立てながら少女が言う。
「げんき、だしな」
驚くほど抑揚がなかった。
「お、おう……」
アルテアはたじろぎながら、少女の後方に控えるターニャにちらと視線をうつした。
メイドは澄ました顔で、自分は関与していませんという意思を言外に発していたが、絶対に何か吹き込んだに違いない。
粘着質な視線を飛ばし続けるとやがてメイドがケロッとした顔で白状する。
「坊ちゃんをからかえる機会はそう多くないですから。レアですよ、レア」
少しも悪びれないその言いぶりは、もはや気持ち良いほど堂に入っていた。
この人は本当に使用人なのかと疑いたくなった。
そうして指導が続いてしばらくして、ティアがお茶とお茶菓子を持って部屋に入ってきた。
紅茶の上品な香りが部屋を満たしていく。
それだけで疲労が吹き飛びそうな、落ち着く香りだった。
お茶菓子はティアの手作りの焼き菓子らしく、隠し味は母の愛だと言った。
そのティアの言葉をつかまえて、イーリスが小声で尋ねる。
「あい、ってなに?」
「ん?あー……愛ってのは、あれだ」
それ以上言葉が続かずに口を閉じる。
言葉の意味はもちろん知っている。
だが、おそらく彼女の知りたいことは言葉の意味ではない。もっと本質的なことを求めているに違いない。その答えをアルテアもまだ知らなかった。
──愛ってなんだ?
心の中でそう問うてみても答えてくれる者はいない。
行き場を無くした問いはぐるぐると同じところを回り続けて、結局どこにも辿り着けなかった。
「……わからない。すまない」
なんとかそれだけ答えて、足場を無くしたみたいに宙ぶらりんになった会話を終わらせる。
出来るなら答えてあげたかった。
いっそ表面的なことでもいいからもっともらしく言ってやっても良かったのかもしれない。でも何故かそれはできなかった。
「……そっか」
抑揚のない彼女の声は、やはり感情が見えにくい。
しかし、目を伏せる姿はどこか寂しそうに見えた。
「二人とも浮かない顔してどうしたの?紅茶が口に合わなかったかしら?」
大人しい様子の二人を心配するようにティアが声をかけた。
「何でもないよ、母さん」
そう言ってから、誤魔化すように紅茶を飲み、お茶菓子を食べて、四人で談笑した。
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