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第一部
少女の信頼
しおりを挟む「おいし……い?」
「ああ、おいしいよ……」
隣から飛んでくる少女の問いかけにアルテアは半ば反射的に答えた。その顔は感情を感じ取れない機械のように無機質であり、どこか疲れているようにも見えた。
アルテアはナイフとフォークを華麗に使いこなし、イーリスのつくった料理を口に運んでいく。
「おいしい……?」
「ああ、おいしいよ……」
朧げな目で少年が答えた。
少女のつくった料理は本当に美味しかった。一口目を食べた時などは驚きのあまり唸ってしまったほどだった。だから少女には素直にとてもおいしいと伝えた。
それがよほど嬉しかったのか、少女はアルテアが料理を口に運ぶごとに感想を求めた。
「おいしい?」
「……」
もう何度目になるかわからない少女の問いかけについ無言になる。
「おいしく……な、い?」
途端に少女の声が悲しみを帯びたものに変わる。それに気づいたアルテアはすぐさま口を開く。
「いや、めちゃくちゃおいしい。おいしすぎて逆に言葉を失っていた」
イーリスは安心したようにほっと息を吐いた。
──まあ、いいか。
料理はおいしいし、少女も喜んでいるならそれでいい。アルテアはそう思った。だから結局、料理を全て食べ終わるまで少女に付き合うことになった。
朝食を食べ終え、ターニャが淹れた食後のお茶を飲んでいると、コンコンコンと乾いたノック音が響いた。
ターニャが玄関に向かい扉を開けて客人を迎え入れた。扉から巌のような身体の男がぬっと入ってくる。
顔は森のように深い髭に覆われており、その風体だけ見ればいかにも厳格だと言わんばかりの男だ。
「いよぉ。すまねえな、邪魔するぜぃ」
「いらっしゃい、テオさん」
ティアがそう声をかけるとテオも手を挙げてそれに応えた。
その見た目とは裏腹に、男は中に入るなりめいっぱい破顔させてアルテアたちと気さくに挨拶を交わす。
「アル坊もイー坊も元気そうだなぁ!」
テオは、がはは、と笑いながら二人の頭をわしゃわしゃと撫で回す。アルテアはもみくちゃにされながらも、全く不快さは感じなかった。それどころか、不思議と安心してしまう。
もっと幼い頃、それこそ赤子だった頃、父や母の腕に抱かれていたときに感じたものに似ていた。生まれて初めて彼らの顔を見た時のことを思い出す。
全く見も知らぬ他人であるはずなのに、なぜか警戒心はすぐに霧散した。腕に抱かれて揺られるうちに安らぎすら感じるようになり、自分を見て微笑む彼らを見ると胸の内側があたたかくなった。
そしてそれは今でも変わらない。
この世界に来てから、ひどく落ち着いている自分がいることにふと気づく。
家族と過ごす時間、イーリスと話をしているとき、景色を眺めながら村を歩いたとき。どうしようもないほどに心が安らぐ。
だがアルテアにとってその感情は不要でしかない。いつかは去ることになる世界なのだ。切り捨てなければならないものなら最初からない方がいい。必要なのは混じり気のない純粋な殺意だけだ。
教祖を殺さなければならない。仇を討たなければならない。それを忘れて安寧に過ごすなど烏滸がましいにも程がある。そんなこと決して許されはしない。
「……ル。アル……」
少女の声にはっとなり意識を戻した。
「ぼうっとしちまって珍しいな。アル坊、調子悪りぃのか?」
「具合、わるい……?」
「いや、何でもないよ。少し考え事してただけ」
顔を上げて、不思議そうに自分を見るイーリスと心配そうにするテオに大丈夫だと告げる。
「そうか?ならいいけどよ。ま、お前さんは普段から気ぃはりすぎだからな。たまには抜けてるくらいで丁度いいぜ!」
がはは、と豪快に笑ってアルテアの背中をバシバシと叩く。その勢いに若干息を詰まらせながらアルテアが尋ねる
「ところで、何か用事あるんじゃないんですか?」
「おっとそうだった。いけねえいけねえ」
そう言ってティアに小包を渡すと、ティアはそれを受け取って代わりに脇に抱えていた本を手渡した。
「わりぃな、いつも借りるばっかりでよ」
そう言いながらテオが本を受け取る時に表紙がチラリと目に入って、アルテアは思わず驚きの声を上げる。
「へえ……意外ですね。テオさんが高度な魔導書を読むなんて」
「いんや、俺は読まねえよ。ひとり娘がいるんだが、最近はこういうのが好きでな。あんまりにも熱心なんで旦那に無理言って貸してもらってんんだ」
「なるほど。というか、娘さんがいたんですね」
「まあ、な」
「ん……?」
なぜか急に歯切れが悪くなったテオの様子にアルテアが首を捻る。
もしかしたらあまり踏み入ってほしくないのかもしれないと思い、それ以上聞くことはしなかった。
「そういえば、今日は旦那は出かけちまったのか?」
テオが話題をかえて家の中をきょろきょろと見回した。
「ええ、主人はサーショまで視察に」
「明日の朝には戻られるご予定です」
ティアとターニャがそれぞれアルゼイドに不在を告げると、テオは困ったような顔をして肩を落とした。
「どうかしたんですか?」
珍しく気落ちするテオにアルテアが聞く。
「……おめえらが領主様から頂いた魔道具あったろ?どうにもその中のひとつに調子の悪いのがあるみたいでよ……そこだけ魔獣が凶暴になってんだ。だから旦那に様子を見てほしいって頼みたかったんだがな」
「なるほどね。でも、じゃあ冒険者に頼めばいいんじゃないですか?魔鉱採取の時期には商人の護衛やらギルドの依頼やらで来てる人がいるでしょう」
「彼らには大黒穴の警備や村内の警邏をお願いしているのですよ、坊ちゃん」
ターニャが言う。
「魔鉱は貴重ですからね。この時期は魔鉱を狙った野盗や傭兵崩れといった無法の輩が絶えないのですよ。人員を分散させて警備を手薄にするのはあまり得策ではないでしょう」
「村が活気付くのはいいんだけれど、揉め事が増えるのはいやよねぇ」
ティアがおっとりと言い、テオがどうしたものかと大きく唸る。
「……俺が様子を見てくるよ」
気がつけばそう口にしていた。
「アル坊が、か。……確かにお前さんなら出来るんだろうがなぁ」
テオが伺うようにターニャに方へ顔を向ける。
「そう言うだろうとは思っていましたよ、まったく……」
ターニャが呆れたように首を振る。
「まあ、魔道具を設置したのは坊ちゃんですからね。早く済ますには本人が行くのが一番でしょう。……ただし、私も同行させていただきますよ」
そう言ってターニャがティアの方へ目をやると、ティアもはにこりと頷いて了承の意を示した。
アルテアは思いの外すんなりと認められたことに拍子抜けする。
そして、なぜ自分が行くと口走ってしまったのか疑問に思う。無関心を貫くことを決めているのに。
考えてみても答えは出なかった。
そうして考え込んでいると、今まで黙って話を聞いていた隣の少女が口を開いた。
「私も……いく」
予想外の言葉にアルテアは目を見張る。
「いや、それはさすがに……」
危険だ。言葉には出さずにターニャに目で訴えた。
イーリスが魔法を使っているところを見たことがないし、戦闘の経験があるとも思えなかった。狩りや魔獣の駆除に帯同したことはあるが、それはアルゼイドも一緒にいたからだ。
彼がいるなら絶対に安全だと思えたからこそ不安もなかった。だが今はその父はいない。自分ひとりでは少女を守り通せる自信がない。
その弱気が伝わったのか、イーリスは強気な口調で言い募る。
「大丈夫、アルがいるから。アルはぜったいに守ってくれる」
真っ直ぐに目を見ながらそう言い切られて、アルテアは唖然とする。彼女の信頼がいったいどこからくるのか、まるでわからない。
炎のような紅く力強い瞳に捉えられ、アルテアはそれ以上何も言うことができなかった。
「女の子にそこまで言われたら頑張るしかないわよね」
ティアがくすっと笑い、ターニャがやれやれと言うように肩をすくめる。
「男なら腹括るんだな!」
テオがそう言ってアルテアの背中をバシッと叩いた。
「わかったよ……何かあったら俺が助ける。
その代わり俺からあまり離れるなよ。距離があると助けられないからな」
「ん、わかった」
少女は満足そうにそう言って、ぴたりとアルテアに身を寄せた。
「いや……今じゃないから……」
少し疲れたようなアルテアの声が空気に溶けて消えていった。
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