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第二部
アジトにて
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自分は正しいことをやっている。ヴァルター・ウォルツは廊下を歩きながら心の中で何度かそう繰り返した。
先日取り逃した少女のことが気がかりで、そのせいか彼の足取りはいつもより忙しない。一緒に逃げられた男のことは、正直彼にとってどうでも良かった。奴隷商に身を落とす男のことなど路傍の石ほどにも関心はなく、生きていようが死んでいようが興味はなかった。むしろ死んでいたほうがすっきりするかもしれない。ただ少女には怖い思いをさせてしまったと、死体を目にした時の少女の顔が頭をよぎるたび、申し訳なくなる。
しかし、それも仕方の無いことなのだと、ヴァルターは自分に言い聞かせる。あのまま奴隷として売られていたら、きっと少女はもっと悲惨な目にあっただろう。
端的に言って、奴隷は家畜だ。どれだけ小さな子どもであろうが、奴隷なら主の命令に忠実でなければならない。主に働けと言われたら働いて、靴をなめろと言われたら靴をなめる。人の形をした、飼い主に忠実な家畜。それが奴隷だ。
無論、奴隷は人である。しかし、この世界はそれを認めない。
「綺麗事じゃ生きてけねぇんだよ」
いったい誰に対してか、言い訳じみた呟きを漏らして足早に歩く。
森の深くに佇む古ぼけた館の廊下は、昼間でも薄暗く深深としていた。天井に吊るされた魔力灯の明かりが廊下を照らすがその光は弱々しく、今にも消えてしまいそうなほどで、視界の端に移る壁の染みなどまるで人影のように見えてたいそう不気味で、たまに幽霊と錯覚してしまいそうになる。
しかし、こうした陰鬱な場に身を置くのは盗賊にとって珍しいことではない。むしろ雨風凌げる屋根があり、多少固いがちゃんとしたベッドがあることを思えば、盗賊という立場を思えば破格の場所だ。
多少古く傷んだところもあるが寝食するのになんなら問題はない。森の奥まったところにあるので人目にもつきづらく、隠蔽の魔道具と合わせれば発見されるおそれはほとんどない。増えすぎた団員を率いて拠点を転々とする生活には限界を感じていたため、身を隠すにはうってつけの場所だった。しかも、前の住居者が置いていったのか、隠蔽の効果を持つ魔道具のおまけつきときたのだから、この時ばかりは信仰心の薄いヴァルターも思わず神に感謝したものだ。
『神さまはいつもあなたを見守っているわ。だから良い子にしてるのよ』
ふと、ヴァルターは亡き母の口癖を思い出した。信仰にあつく、優しい女性だった。
──神さまはいつも見守っている。
手伝いをした自分を褒めるとき、悪さをした自分を叱るとき。ことあるごとにそう言って自分の頭を撫でる母は、いつも優しく微笑んでいて──自分はそれにどう答えていたか、思い出すことはできない。
何にせよ、盗賊稼業に精を出す今の自分は”良い子”とはほとほと無縁だ。神にも見限られているに違いない。
なんとなく足を止め、ひび割れた窓から空を見やる。空は鬱蒼としげる木々にほとんど覆われているものの、それでも木々の隙間からか木漏れ日が落ちてきていて、中庭にわずかな陽だまりをつくっていた。中庭では、鬼事に興じる子供たちが黄色い歓声を上げて走り回っていて、少し離れたところで大人たちが見守るようにその光景を眺めていた。仲睦まじい家庭的な光景であるが、彼らは血の繋がった家族ではない。
その証拠と言うべきか、彼らの種族はてんでバラバラで、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、竜人とバラエティに富んでいた。いずれも悪どい奴隷商によって奴隷として売り買いされそうになっていた者たちだった。
奴隷商の商隊を襲撃したことはもはや数え切れない。その度に行くあてのない奴隷たちの面倒をみるようになり、気がつけば盗賊団はかなりの大所帯となってしまっていた。そして今日、その大所帯にまたひとり、少女が加わる予定だ。そろそろ襲撃班が少女を連れて戻る頃だと算段をつけ、部下に命じていた歓迎の準備の進捗を確認しに行くところだった。
「あっ、ヴァルターだ! やっほー!」
歩き出そうとしたところで、ヴァルターに気づいた子どもたちが足を止めて手を振った。めんどくせぇ、と内心ため息を吐きつつヴァルターも窓を開けて「よぉ」とそれに応じる。
「ヴァルターもいっしょにあそぼーよ! あったかくて気持ちいーよ! たのしーよ!」
勝気な獣人の少女がよく響く声で言いながら、ヴァルターに手招きする。
「俺ぁいま忙しいんだ。ガキと遊んでるほど暇じゃねえ」
「そんなこと言って、ほんとは負けるのがこわいんだろー! あたし、またすっごく速くなっちゃったし、最近負け無しって感じだし? もしヴァルターが勝てたらね、ごほーびもあげるよ!」
少女は身のこなしをアピールするように、その場で跳んでくるりと宙で回ってみせた。空中で猫のように何度か体をきりもみさせて、タンッと軽快な音を響かせて着地する。見事な宙返りを披露した少女に他の子どもたちが「いえーい!」と拍手を送った。
少女は、どうだ? と不敵な笑みで頭上のヴァルターを見上げる。
「ガキがナマ言ってんじゃねえ。十年はえーんだよ」
相変わらずつっけんどんなヴァルターの態度に、少し褒められることを期待していた少女は、むすっと頬を膨らます。
「ふーん。いいんだ、そんな態度で。知らないよ。せっかくヴァルターが勝ったら……お、お嫁さんになってあげるつもりだったのに!」
「ばーか、それこそ十年はえーよ。マセたこと言うのはおねしょ癖治してからにしろや」
所詮は子どもの言うことだと、あっけらかんと軽口で返してから呆れ顔で大人たちを指さす。
「つーか、どこでそんなこと覚えてきやがる。──てめぇら、ちゃんと教育しとけや」
二人のやりとりをニコニコしながら見ていた大人たちに苦言を呈してから、ヴァルターは手をひらひらと振ってまた歩き出した。
そのすぐ後に、「おねしょなんかしてないもん!!」という怒声が城中に響き渡った。
先日取り逃した少女のことが気がかりで、そのせいか彼の足取りはいつもより忙しない。一緒に逃げられた男のことは、正直彼にとってどうでも良かった。奴隷商に身を落とす男のことなど路傍の石ほどにも関心はなく、生きていようが死んでいようが興味はなかった。むしろ死んでいたほうがすっきりするかもしれない。ただ少女には怖い思いをさせてしまったと、死体を目にした時の少女の顔が頭をよぎるたび、申し訳なくなる。
しかし、それも仕方の無いことなのだと、ヴァルターは自分に言い聞かせる。あのまま奴隷として売られていたら、きっと少女はもっと悲惨な目にあっただろう。
端的に言って、奴隷は家畜だ。どれだけ小さな子どもであろうが、奴隷なら主の命令に忠実でなければならない。主に働けと言われたら働いて、靴をなめろと言われたら靴をなめる。人の形をした、飼い主に忠実な家畜。それが奴隷だ。
無論、奴隷は人である。しかし、この世界はそれを認めない。
「綺麗事じゃ生きてけねぇんだよ」
いったい誰に対してか、言い訳じみた呟きを漏らして足早に歩く。
森の深くに佇む古ぼけた館の廊下は、昼間でも薄暗く深深としていた。天井に吊るされた魔力灯の明かりが廊下を照らすがその光は弱々しく、今にも消えてしまいそうなほどで、視界の端に移る壁の染みなどまるで人影のように見えてたいそう不気味で、たまに幽霊と錯覚してしまいそうになる。
しかし、こうした陰鬱な場に身を置くのは盗賊にとって珍しいことではない。むしろ雨風凌げる屋根があり、多少固いがちゃんとしたベッドがあることを思えば、盗賊という立場を思えば破格の場所だ。
多少古く傷んだところもあるが寝食するのになんなら問題はない。森の奥まったところにあるので人目にもつきづらく、隠蔽の魔道具と合わせれば発見されるおそれはほとんどない。増えすぎた団員を率いて拠点を転々とする生活には限界を感じていたため、身を隠すにはうってつけの場所だった。しかも、前の住居者が置いていったのか、隠蔽の効果を持つ魔道具のおまけつきときたのだから、この時ばかりは信仰心の薄いヴァルターも思わず神に感謝したものだ。
『神さまはいつもあなたを見守っているわ。だから良い子にしてるのよ』
ふと、ヴァルターは亡き母の口癖を思い出した。信仰にあつく、優しい女性だった。
──神さまはいつも見守っている。
手伝いをした自分を褒めるとき、悪さをした自分を叱るとき。ことあるごとにそう言って自分の頭を撫でる母は、いつも優しく微笑んでいて──自分はそれにどう答えていたか、思い出すことはできない。
何にせよ、盗賊稼業に精を出す今の自分は”良い子”とはほとほと無縁だ。神にも見限られているに違いない。
なんとなく足を止め、ひび割れた窓から空を見やる。空は鬱蒼としげる木々にほとんど覆われているものの、それでも木々の隙間からか木漏れ日が落ちてきていて、中庭にわずかな陽だまりをつくっていた。中庭では、鬼事に興じる子供たちが黄色い歓声を上げて走り回っていて、少し離れたところで大人たちが見守るようにその光景を眺めていた。仲睦まじい家庭的な光景であるが、彼らは血の繋がった家族ではない。
その証拠と言うべきか、彼らの種族はてんでバラバラで、人間、エルフ、ドワーフ、獣人、竜人とバラエティに富んでいた。いずれも悪どい奴隷商によって奴隷として売り買いされそうになっていた者たちだった。
奴隷商の商隊を襲撃したことはもはや数え切れない。その度に行くあてのない奴隷たちの面倒をみるようになり、気がつけば盗賊団はかなりの大所帯となってしまっていた。そして今日、その大所帯にまたひとり、少女が加わる予定だ。そろそろ襲撃班が少女を連れて戻る頃だと算段をつけ、部下に命じていた歓迎の準備の進捗を確認しに行くところだった。
「あっ、ヴァルターだ! やっほー!」
歩き出そうとしたところで、ヴァルターに気づいた子どもたちが足を止めて手を振った。めんどくせぇ、と内心ため息を吐きつつヴァルターも窓を開けて「よぉ」とそれに応じる。
「ヴァルターもいっしょにあそぼーよ! あったかくて気持ちいーよ! たのしーよ!」
勝気な獣人の少女がよく響く声で言いながら、ヴァルターに手招きする。
「俺ぁいま忙しいんだ。ガキと遊んでるほど暇じゃねえ」
「そんなこと言って、ほんとは負けるのがこわいんだろー! あたし、またすっごく速くなっちゃったし、最近負け無しって感じだし? もしヴァルターが勝てたらね、ごほーびもあげるよ!」
少女は身のこなしをアピールするように、その場で跳んでくるりと宙で回ってみせた。空中で猫のように何度か体をきりもみさせて、タンッと軽快な音を響かせて着地する。見事な宙返りを披露した少女に他の子どもたちが「いえーい!」と拍手を送った。
少女は、どうだ? と不敵な笑みで頭上のヴァルターを見上げる。
「ガキがナマ言ってんじゃねえ。十年はえーんだよ」
相変わらずつっけんどんなヴァルターの態度に、少し褒められることを期待していた少女は、むすっと頬を膨らます。
「ふーん。いいんだ、そんな態度で。知らないよ。せっかくヴァルターが勝ったら……お、お嫁さんになってあげるつもりだったのに!」
「ばーか、それこそ十年はえーよ。マセたこと言うのはおねしょ癖治してからにしろや」
所詮は子どもの言うことだと、あっけらかんと軽口で返してから呆れ顔で大人たちを指さす。
「つーか、どこでそんなこと覚えてきやがる。──てめぇら、ちゃんと教育しとけや」
二人のやりとりをニコニコしながら見ていた大人たちに苦言を呈してから、ヴァルターは手をひらひらと振ってまた歩き出した。
そのすぐ後に、「おねしょなんかしてないもん!!」という怒声が城中に響き渡った。
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