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続放課後
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「ところで――よろしければ、花園さんからお先に。雄星のことかしら?」
私は作った笑みのまま、どうぞ、と花園さんに軽く手を向ける。心の中を見透かされた気がしたのか、花園さんは少し怯えたように肩を震わせて、私に恐ろしげな視線を向けてきた。これはなかなか悪くない。
「……うん。そうなの。昨日の夜ね、お風呂上がりに携帯見たら、雄星君からメールが来てね。私の家の前にいるって」
ストーカーみたい。
「それで、急いで出ていったの。そしたら雄星君、スーツみたいな格好でね、でも、顔真っ赤にして……たくさん泣いた後だったのかな。私、心配になって『うちにあがってく?』って聞いたんだけど」
ここからアダルトオンリー?
「雄星君は、いらないって。でね、なんかよくわからないんだけど、私の手をグッて握ってきて……手貸して、こんな感じ」
花園さんが白くて小さな手を伸ばす。私は花園さんに言われるがまま手を取って力一杯に両手で包まれた。すごく柔らかい。
「『俺、絶対にすげえバンドマンになるから! だから、そのときまで待っててくれ!』――って、言って……とっても一生懸命な感じで。ここで変なこととか細かいこと言ったら悪いのかなぁって『応援してるよ』って言ったの」
私はてっきり、雄星はゲームみたいに花園さんに告白するのだろう、と思っていた。そうなったら玉砕だから立ち直れなくなる。心配はしたが、杞憂だったらしい。これがハッピーエンドか、私には何とも言えないけれど……。
手が離れる。なんだか名残惜しいが、聖薇らしいように、膝の上へ戻す。
「『うん』とは言わなかったのかしら?」
「わからない約束はできないよ。約束破るの嫌いだもん。でも、雄星君には元気になって欲しかったの」
目の前の彼女が心の底から嘘偽りなく言っていることは、態度を見ればわかる。同性だからこその嗅覚か、同性の嘘はわかるし、鼻に付く。私は花園さんの頭の回転が悪いなんて思っていたみたいだけど、実はとんでもない悪魔なのかもしれない。不快になるよりまず先に、眼が丸くなってしまった。
「それで雄星君『ありがとう』って、そのまま帰っちゃって……今日来ないから心配して電話しても、通じなくて。御崎さんなら、知ってるかなって」
「知らないわ。どっかの都心の路上にでも立ってるんじゃない? スカウト待ちながら」
「学校にも来ないで?」
「学校は来ないどころか辞めるかもしれないわ。親に縁を切られたのよ」
言うべきではなかったかもしれない。花園さんの顔は真っ青になってしまった。カタカタ、と、震えが伝わってくるようだ。
「あなたのせいじゃなくてよ。私は火付け役だけど、責任は全部雄星の家の中にあるもの。むしろあなたは被害者だわ。巻き込まれたんですから」
「でも、私、止めた方がよかったのかな……」
「雄星が決めたことじゃないの。彼は背中を押して欲しかっただわ。もし止めるなら……そうね、花園さんは、彼の演奏とか歌とか、一流になれるって思っていらっしゃる?」
ピタリと会話が止まった。蓄音機からたゆたうような音色。さっき終わって、今、取り替えられたばかりの音楽は『モア』。私は知らなくても聖薇は知っている。私たちの会話を『世界残酷物語』とでもマスターは言いたいのだろうか。
「お待たせしました。クッキーはサービスね」
私たちの膠着を解くように、目の前にコーヒーが置かれた。アーモンド入りのプレーンクッキーが添えられている。恐らく手作りだ。
私は会釈を、花園さんはお礼を言う。花園さんが黒砂糖を二つ入れてかき回したから、私もマネをしてみた。
花園さんは、 気持ちを落ち着けるように軽く口に含んで、ため息。
「ホントに私、人を傷付けているのかも。前にもとっても悲しいことがあって、すごくすごく、後悔したの。私はもっと何かできたんじゃないかって……でも、私が何かしたから、傷付けたのかな」
泣きそうな顔でそんなことを言うものだから、そんなことはないんじゃない? なんて言いたくなったけれど、言ったらただの嘘になる。私は格好付けてコーヒーを啜って――熱かった。
「大丈夫?」
「私は御崎聖薇よ。大丈夫に決まってるじゃない!」
聖薇の知識によると、スタンフォード監獄実験で女性の服を着せられた囚人役は女性的な仕草になったという。私の仕草や発言も聖薇的になって然るだろう。実験で異常が見られたのも二日目と言うじゃないか。
コホン、と私は咳払いを一つ。マスターがクスリと笑う。
「ともかく、雄星のことはあなたが悩むことではありません。あなたが悩むべきは私の預かり知らないところだわ」
やっぱり花園さんは落ち込んだように頭を項垂れさせている。悪役の聖薇がヒロインの悩みなんか知らないし、そもそもゲーム中にそんな設定あっただろうか?
「ねえ、黙るなら、私の話をしてもよろしくて?」
「あ、うん。ごめんね。どうぞ」
「関先生のことはどう思っていらっしゃって?」
花園さんは、はぁ? と言わんばかりに目と口をぽかーんと丸く開いた。それから何ともいえないように困った顔をする。
「……その、雄星君のことがあったのに、その話は、ちょっと……不謹慎、かな?」
「聖薇は雄星に突っぱねられても好きでい続けたわ。でも私はそんな酷いこと許せなかったの。これは雄星とその両親が招いたことなのに、どうして私が落ち込んだり構ったりしなくてはいけないのかしら?」
「……だとしても、それまで好きだったんでしょ?」
「私はあなたみたいに罪悪感で立ち止まるくらいなら嫌いにならないわ。憎いから決断したのよ。憎ませる方が悪い! 許せるわけないっ!」
――あれ。これは、聖薇のふり、だろうか? それとも私だろうか? 聖薇という美しい仮面がズルズルと剥がれて、内側にある、臭くて汚くて愚図でブスな私が現れているような気がする。だって、目の前の花園さんは肩幅を縮めて、まるで怪物を見るような目で私を見つめている。狼を前にした子ヤギみたいに小刻みに震えている。
彼女の目に涙が滲んだとき、私はハッと我に返って、聖薇の中に収まった。
「ごめんなさい。私、帰るわ」
聖薇の記憶に則って、私は少し多めのお金をテーブルに置いて店を出た。マスターは心配そうにしていたけれど「またきてね」と一言かけてくれた。返事をする心の余裕はなくて、花園さんも、追いかける余裕がなかったらしい。
私は作った笑みのまま、どうぞ、と花園さんに軽く手を向ける。心の中を見透かされた気がしたのか、花園さんは少し怯えたように肩を震わせて、私に恐ろしげな視線を向けてきた。これはなかなか悪くない。
「……うん。そうなの。昨日の夜ね、お風呂上がりに携帯見たら、雄星君からメールが来てね。私の家の前にいるって」
ストーカーみたい。
「それで、急いで出ていったの。そしたら雄星君、スーツみたいな格好でね、でも、顔真っ赤にして……たくさん泣いた後だったのかな。私、心配になって『うちにあがってく?』って聞いたんだけど」
ここからアダルトオンリー?
「雄星君は、いらないって。でね、なんかよくわからないんだけど、私の手をグッて握ってきて……手貸して、こんな感じ」
花園さんが白くて小さな手を伸ばす。私は花園さんに言われるがまま手を取って力一杯に両手で包まれた。すごく柔らかい。
「『俺、絶対にすげえバンドマンになるから! だから、そのときまで待っててくれ!』――って、言って……とっても一生懸命な感じで。ここで変なこととか細かいこと言ったら悪いのかなぁって『応援してるよ』って言ったの」
私はてっきり、雄星はゲームみたいに花園さんに告白するのだろう、と思っていた。そうなったら玉砕だから立ち直れなくなる。心配はしたが、杞憂だったらしい。これがハッピーエンドか、私には何とも言えないけれど……。
手が離れる。なんだか名残惜しいが、聖薇らしいように、膝の上へ戻す。
「『うん』とは言わなかったのかしら?」
「わからない約束はできないよ。約束破るの嫌いだもん。でも、雄星君には元気になって欲しかったの」
目の前の彼女が心の底から嘘偽りなく言っていることは、態度を見ればわかる。同性だからこその嗅覚か、同性の嘘はわかるし、鼻に付く。私は花園さんの頭の回転が悪いなんて思っていたみたいだけど、実はとんでもない悪魔なのかもしれない。不快になるよりまず先に、眼が丸くなってしまった。
「それで雄星君『ありがとう』って、そのまま帰っちゃって……今日来ないから心配して電話しても、通じなくて。御崎さんなら、知ってるかなって」
「知らないわ。どっかの都心の路上にでも立ってるんじゃない? スカウト待ちながら」
「学校にも来ないで?」
「学校は来ないどころか辞めるかもしれないわ。親に縁を切られたのよ」
言うべきではなかったかもしれない。花園さんの顔は真っ青になってしまった。カタカタ、と、震えが伝わってくるようだ。
「あなたのせいじゃなくてよ。私は火付け役だけど、責任は全部雄星の家の中にあるもの。むしろあなたは被害者だわ。巻き込まれたんですから」
「でも、私、止めた方がよかったのかな……」
「雄星が決めたことじゃないの。彼は背中を押して欲しかっただわ。もし止めるなら……そうね、花園さんは、彼の演奏とか歌とか、一流になれるって思っていらっしゃる?」
ピタリと会話が止まった。蓄音機からたゆたうような音色。さっき終わって、今、取り替えられたばかりの音楽は『モア』。私は知らなくても聖薇は知っている。私たちの会話を『世界残酷物語』とでもマスターは言いたいのだろうか。
「お待たせしました。クッキーはサービスね」
私たちの膠着を解くように、目の前にコーヒーが置かれた。アーモンド入りのプレーンクッキーが添えられている。恐らく手作りだ。
私は会釈を、花園さんはお礼を言う。花園さんが黒砂糖を二つ入れてかき回したから、私もマネをしてみた。
花園さんは、 気持ちを落ち着けるように軽く口に含んで、ため息。
「ホントに私、人を傷付けているのかも。前にもとっても悲しいことがあって、すごくすごく、後悔したの。私はもっと何かできたんじゃないかって……でも、私が何かしたから、傷付けたのかな」
泣きそうな顔でそんなことを言うものだから、そんなことはないんじゃない? なんて言いたくなったけれど、言ったらただの嘘になる。私は格好付けてコーヒーを啜って――熱かった。
「大丈夫?」
「私は御崎聖薇よ。大丈夫に決まってるじゃない!」
聖薇の知識によると、スタンフォード監獄実験で女性の服を着せられた囚人役は女性的な仕草になったという。私の仕草や発言も聖薇的になって然るだろう。実験で異常が見られたのも二日目と言うじゃないか。
コホン、と私は咳払いを一つ。マスターがクスリと笑う。
「ともかく、雄星のことはあなたが悩むことではありません。あなたが悩むべきは私の預かり知らないところだわ」
やっぱり花園さんは落ち込んだように頭を項垂れさせている。悪役の聖薇がヒロインの悩みなんか知らないし、そもそもゲーム中にそんな設定あっただろうか?
「ねえ、黙るなら、私の話をしてもよろしくて?」
「あ、うん。ごめんね。どうぞ」
「関先生のことはどう思っていらっしゃって?」
花園さんは、はぁ? と言わんばかりに目と口をぽかーんと丸く開いた。それから何ともいえないように困った顔をする。
「……その、雄星君のことがあったのに、その話は、ちょっと……不謹慎、かな?」
「聖薇は雄星に突っぱねられても好きでい続けたわ。でも私はそんな酷いこと許せなかったの。これは雄星とその両親が招いたことなのに、どうして私が落ち込んだり構ったりしなくてはいけないのかしら?」
「……だとしても、それまで好きだったんでしょ?」
「私はあなたみたいに罪悪感で立ち止まるくらいなら嫌いにならないわ。憎いから決断したのよ。憎ませる方が悪い! 許せるわけないっ!」
――あれ。これは、聖薇のふり、だろうか? それとも私だろうか? 聖薇という美しい仮面がズルズルと剥がれて、内側にある、臭くて汚くて愚図でブスな私が現れているような気がする。だって、目の前の花園さんは肩幅を縮めて、まるで怪物を見るような目で私を見つめている。狼を前にした子ヤギみたいに小刻みに震えている。
彼女の目に涙が滲んだとき、私はハッと我に返って、聖薇の中に収まった。
「ごめんなさい。私、帰るわ」
聖薇の記憶に則って、私は少し多めのお金をテーブルに置いて店を出た。マスターは心配そうにしていたけれど「またきてね」と一言かけてくれた。返事をする心の余裕はなくて、花園さんも、追いかける余裕がなかったらしい。
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