乙女ゲームの悪役になったので、人生まっとうしてやります。

九時良

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お昼休みの前が関先生の授業だった。私はノートを持って先生のところへと向かった。

「先生、わからないところがありまして」

というのは嘘だ。何かしら理由をつけて近づくきっかけを作るのはよくある手段だろう。

私は先生に言ったのに教室がざわっとした。

「御崎様が?」

「嘘だろ……」

「きっと青樹君のことがショックだったのよ……」

放っておかれないのが聖薇なのだろう。いちいちうるさい。居心地が悪い。どうしてこっちばかりを見るのか。好奇の視線を向けられて、胃がムカムカする。どうして私は聖薇なのに、美人なのに、ブサイクだったときと同じ気持ちの悪さを感じているのか?

「ついでに手伝ってもらいたいことがあるんだ。ちょっときてくれ」

「はい。よろしくてよ」

先生の視線がちょっと意味深で、ときめいてしまう。私は小首を傾げて微笑んだ。教室なのに二人きりの世界、な気分。救いがあれば雑音なんて切り捨てるのはたやすいことだ。乙女ゲームに爪先から頭のてっぺんまでずっぽりとハマっていたときもそんな気分だった。

「あ、あの……」

……無粋な声が割り込んでくる。幸せに、ガラスのような亀裂がピシッと走る。不機嫌に振り返ると、聖薇ファンクラブのクラス委員が肩幅を狭めていた。

「そういうのは自分がお手伝いいたしますので、御崎様はどうぞ、休んでお昼を……」

「あら、あなたこそお休みしてお昼を食べなさいな。きっちり食事をとらないからそんな細くて小さくて風に吹かれたら倒れてしまいそうなモヤシなのではないかしら? パシリみたいな小間使いで廊下を走るのではなくて運動場をハムスターの滑車みたいにぐるぐる回ってきたら少しはマシになるかもしれませんわ。さっさと食事を済ませてグラウンド十週走ってらっしゃい! よろしくてね?」

教室は私の言葉に圧倒されたように黙りこくっていたけれど、終わったとわかったらクスクス笑いが起こった。関先生も我慢できなかったのか、口元を押さえて肩を震わせている。そのため一部の生徒が「関先生が笑ってる……」と驚愕していた。

話題の中心、晒しあげられたクラス委員は、棒立ちになっていた。

しかし、すぐに膝を折って、地面へとひれ伏した。

「ありがとうございますっ! ありがおうございますっ……! 聖薇様に罵り激励されるなんて夢みたいです……!」

……なにそれ。唖然として言葉がでてこなくなった。関先生は吹き出して、それから咳払いをした。

***

資料室に入ると同時、先生は口を開いた。

「今日は御崎節全開だったね」

教室の声音と違って、電話で聞くようなラフな口調だ。先生は肩の力を抜いて笑う。機械的な鋭く刺さる冷たさが抜けてぐっと人間らしくなる。なんだかホッとして、私はふて腐れたフリをする。

「だって、せっかく先生が私にご用を下さったのに……無粋だわ」

「おやおや。面倒を頼んだのに、それじゃあ喜んでいるみたいじゃないか」

「もちろん喜んでます。わからないところがあるなんて嘘ですわ」

「嘘はいけないな。……という僕も、手伝いなんて嘘なんだけどね」

「あら。嘘はいけなくてよ」

くすくすくす、とお互い押さえて笑う。外に笑い声が漏れ聞こえたら、お互いのイメージとしてあまりよくないのだ。……なんてスリリングな状態! 胸が踊る。ワクワクする。良質のアドレナリンがどんどん排出されて、聖薇の目もキラキラ輝いていることだろう。

ある程度気持ちがほぐれたくらいの間で、私はふうっとため息じみた吐息を一つ。関先生を上目遣いに見上げた。

「……でもね、私、見せないように務めてますけど、落ち込んでます。ご存知でしょう?」

「そうだね。本当に君は頑張り屋さんだと思うよ」

優しく笑って頭を撫でられる。人にこんな風に頭を撫でられたこと、私のときはあったっけ? 昔は両親も撫でてくれたはずだ。社会の人間は私のことを爪弾きものにしても。せめて両親は私を子供として愛してくれていたはずだ。目を閉じて思い出すけれど――聖薇には必要がないものなのに。聖薇にあってはいけないものなのに、私にはなくてはならない。それがなければ私が私ではない。ただ、私が生きていていい存在なのかは、わからない。

「そのままにしていて」

先生が囁いた。するっと頬に手が伸びて、私の肩が跳ねる。さっきまではブラ付いてあるかないかも意識しなかった手にも、ぎゅっと力が入った。瞼もぎゅっと閉じる。

「可愛いよ」と、甘い声。可愛い? 私。可愛い? 嬉しくて嬉しくて、涙が出そうだった。それまでは縁遠い言葉だったし、聖薇になってからも言われなかった。だから人から言われるのは始めてだ。体が震えるくらい、嬉しい。

先生は私の前髪を持ち上げて、額にそっと口をつけた。唇は手入れされているのか柔らかい。ドキドキする。私は震えるように瞼を上げて、微笑む関先生をおずおず見上げる。

「元気が出るおまじないだよ」

心臓が破裂しそうだ。恋愛ってこんなにも恥ずかしくて嬉しくなるものなのだろうか。

「あっ、あの……」

相手は大人だ。憧れを押し付けてみたい。少し背伸びをしたい。もしかすると世間の私と同じ年齢の人にとっては日常茶飯事かもしれないけど、私にとっては――手を硬く握り出して、思ったまま口に出してみる。

「私、生徒ですけど、子供じゃなくてよ。キスはここにするものではなくて?」

私は拗ねたように、人差し指を唇にトンとあてる。驚いたみたいに関先生は戯けた笑い顔を作る。

「これは参ったな」

「……つれないわ」

ダメだったようだ。ごまかされて話が終わってしまった。やはり女の子からガンガン行くのは好かれないのだろうか。聖薇なんかは、はしたないと見下しそうだ。

諦めたところで、不意に先生が私の肩を掴んだ。ぐっと引き寄せられて、顎を上げさせられて、唇と唇がぶつかる。さっきと違って、湿った唇がちゅっと音を立てて吸われる。

「満足かい?」

少し意地悪に訪ねる先生。いい匂いと、体温と、硬い胸板。自分の小ささを実感して、大きいものに包まれたくなる。

「……もう一回、欲しいです」

私は夢見心地で呟く。先生の体にそろそろと手を回して、しがみついてみる。ぴったりと体が密着すると、なんだか安心した。人間の体温が心地いいなんて知らなかった。

「わがままなお姫様だな」

しょうがないように言って、先生の顔が近づく。私は目を閉じる。

それからしばらく抱き合って、時間をずらして資料室を出ていった。そこからは学校の景色でしかなく、さっきまで本当にあんなことをしていたのかと思うと、それはそれで恥ずかしくなった。けど、じわじわと幸せな感じがする。

今日は、乙女ゲームみたいだ。いや、これは乙女ゲームだった。
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