乙女ゲームの悪役になったので、人生まっとうしてやります。

九時良

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深愛

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空気が先生のほうに流れている。泣くほど好きだったらしい女の子たちはコロッと騙されているし、花園さんは釈然としないみたいだけどオロついている。

「みなさんはそれでいいのですか? もっともっと、言いたいことは?」

朝顔先輩は何を考えているのかわからない無表情だ。真っ直ぐな硬い声で問いかける。緊張している様子ではない。心を隠すのが上手い人なのだろう。油断ならない。

「……私、もういいや。疲れちゃった」

ため息の混ざった鼻声で睦先輩は呟く。岩倉先輩は奥歯をギリギリ噛み締めて立ち尽くしていた。

「こんなの……間違ってる……」

花園さんは二人の姿に酷く心を痛めつけられてしまったらしい。ショックを受けたみたいに呟いて顔を青くしている。

気持ちはわかる。だが、ここで終わってしまうなんて、集まった意味がない。私はため息をついてうざったく垂れてきた髪の毛を掻きあげる。胸を張って腕を組んで虚勢を張る。聖薇は確かに強かったかもしれないが、こういうポーズをとることで勇気が出てくるのは確かだった。

「今の言葉で丸め込まれてしまいましたの?  腑抜けているわね。恨むら最後まで恨みなさい。ここで負けたら生きるのが辛いくらい後悔することになるわ。このゴミ屑を気が済むまで殴って、それからお縄にかけることにしませんか?」

たとえイタチの最後っ屁だとしても、何か手段に訴えないといけない。脱力してはいけない。彼女たちが私みたいに必要以上に追い詰められることはないのだ。

確かに自分が悪いところもあるだろう。ブサイクに生まれた私が悪いのだ。

で? なんで死ななくてはいけない。ブサイクを見る視線だけで十分に傷ついている私が必要以上の攻撃を受ける筋合いはない。彼女たちもそうだ。イケメンに優しくされてのぼせてしまったことが悪い、男を見る目がないのが悪い。だからって人を信じられなくなるくらい嫌な思いをするのはおかしい。花園さんだってそうだ。男性が怖くなるような記憶を植えられてそのまま生きていくなんて、それこそ間違っているのだ。

こんな考え方では戦争はなくならないかもしれない。でも、殺すための暴力ではなく、死なないための戦いは必要だ。弱いのではない、誰かが弱みに付けこんで来るから弱くなる。

「殴られて免職が許されるわけではなくてよ。悪いと思っているのならば、私達の『愛情』を受け取っていただけましてね?」

土下座している関先生の頭を押さえつけて耳元に囁きかける。さすがに、地面へひれ伏せさせることはしない。そこまで悪者ではない。

「ああ……気が済むまで殴ってくれ」

少し驚いたようだけど、すぐ神妙な顔になって頷いた。それが本心かどうかは知らない。まったく憎たらしいやつだ。

「ちなみにあなたが部屋に入ってくる前から全部を録音しているの。あなたが言ったことの責任を自分でとれるなんて思っていないわ。一方的に暴力を振られたわけではない。そうよね?」

「……怖いね。君はもっとおっとりした子だと思っていたけれど」

困った様子ではなかった。ふっと関先生の口元がおかしそうに緩む。何が笑えるのかちっともわからない。自虐だとしたらマシかもしれないけれど、世界に期待を抱くのはやめたほうがいいだろう。

「成長させていただき、どうも」

私はスカートの端をつまんで、軽く膝を折る。

そうよ。それでいいわ。――聖薇の声が私を明るく励ます。ケロリとした声音に彼女が悪役であることを思い知らされた。

生き抜くために、聖薇のように悪を愛することも必要なのだろうか。誰かを乏しめたり嗤ったり傷付けたりするようなアホみたいな悪ではなく、何かを利用し踏み台にし取り込んで行くような強かな悪。

「殴らせて。……いいでしょ」

睦先輩が一歩前に出た。だから私は一歩下がる。

関先生は「ああ。ごめんね」と奥歯を食いしばった。睦先輩の勢いを付けた平手が飛んで、関先生のシャープな頬に赤い痕を作る。運動部は強いらしい。関先生の頬と自分の手の平を眉間に皺を寄せて見た後、鬱々とした顔で下がった。

入れ変わるように、ずいっと一歩、前に出る岩倉先輩。黙って平手が飛んだ。フーッ、と、獣じみた息をこぼして、肩で呼吸する。さらにもう一発、グーが飛んだ。関先生の喉からグッと声が漏れた。

「私の気持ちはこんなものではない。……けど、お前に全部くれてやるのはもったいない。これで最後だ」

スラリとおみ足が上がった。ぐわっと上がった細くしまった足――が脳天に叩き落とされる。思わずつられて見てしまったらしく、先生の顔は上を向いていた。

銀縁眼鏡の真ん中にぶち当たる。先生の高い鼻が潰れた。眼鏡がひしゃげて、足を下げると同時に転げ落ちる。

「ちなみに私は中学まで空手をやっていた」

背筋を伸ばして岩倉先輩が言う。……怖。心の距離が瞬時に遠ざかって白けた目をしてしまう。

「御崎さんはいいのかい?」

怖い女性がスッキリした笑顔を向けた。思わずビクついてしまったけれど、顔を抑えて体を丸めた関先生を見たら、なんだか笑えてしまった。世の中、くだらなくて笑えることばっかりだ。怖い女性もさっきまでは泣いていた。

「え?  だって遊びだもの。本気になるわけないじゃない」

私は肩を竦めた。それからチラッと花園さんを見ると、困ったように苦い顔をした。

「あ……私も、ここまででお腹いっぱいです」

「じゃあ、最後は朝顔先輩ね。よろしいかしら?」

さっきから貫き通した無表情を口元だけ歪めて、朝顔先輩は小さく頷いた。ゆっくりと足音も立てずにうずくまった関先生に歩み寄ると、広いのに情けない背中をそっと撫でた。

「私は許します。あなたのことを愛しているから」

朝顔先輩の華奢な背中から後光が差して見える。こんなに澄んで、透明な言葉、聞いたことがない。なんて馬鹿な人だと思った。関先生が悪い人ならば私と同じことを思っただろう。そして、彼女の背中に私と同じような羽根を見たことだろう。上げた顔は朝顔先輩の顔と重なって見えないけれど。

朝顔先輩は抱きしめるように耳へ口を寄せる。

「――でも、次はありませんよ?」

静かだから聞こえてしまった。関先生は救われた顔をしているから、今度こそは彼女を裏切らないで欲しいと思う。多分、裏切ったら大変なことになるから。こいつヤンデレだ。
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