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果実 14
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二月に入り、千秋は順調に成長していた。体の大きさで言えば、もう小学校高学年くらいだろう。あと十年分も成長してくれれば、元の千秋と同じ年の頃になる。
早く千秋に会いたい。しかし、純粋に千秋の帰りを待てていない自分をどこかに感じて、光は自己嫌悪に陥っていた。
それは、自分が異端なのだということを思い知らされたから。二宮と鳳の姿を見て、自分が如何に間違っているのかということを、まじまじと見せられたから。
だが、それだけではなかった。いつも自分に波乱と困惑をもたらす存在、舞衣がいたからだ。性懲りもなく、光はまた、舞衣と会う約束をしてしまっていた。
今回は早い時間ではなく、もっと遅い時間に。遅番の仕事が終わってからでは、二十三時を回ってしまうから、確実に終電はなくなると説明したものの、それなら朝まで飲めばいいと言われ、押し切られてしまった。
そうなると、確実に果実製造所にいる千秋には会いに行けなくなる。ただ、行かない日もすでにあったのだから、一日くらいいいではないかと、そういう声が自分の中にあるのが、自分自身で情けなかった。
次郎の顔が見辛い。やましい部分があるからだ。それを悟られないように、光は無理にも明るく振る舞った。次郎が先に上るまでの時間が、どれほど長く感じられたことかと、店のドアを出て上に上がっていく次郎の背中を見ながら、光はそう思った。
今日から初対面の従業員が来ていた。彼の名は猿渡といった。猿渡はどことなく某怪盗のように長い顔に短髪で、もみあげが顎にまで届いているのだが身長は低くて、それがアンバランスに感じる。明るく付き合いやすそうなタイプだ。
次郎曰くベテランらしいので、他の二人の従業員と同じく、どの仕事を任せても大丈夫だが、レジ締めだけは自分でやりなさいと言われていた。
シャッターを下ろしてレジを閉め、一日の勤務が終わった。
「ほんとに先帰っちゃって大丈夫ですか?」
「大丈夫っしょ。おつかれ」
「それじゃ、お任せします。お疲れ様です」
後は裏口の鍵を閉めるだけだから、大した仕事は残っていない。安心して、光は待ち合わせの場所に向かった。
前に飲み屋に行った時同様、待ち合わせは交番だった。さすがに今日は待たせることになるかと思ったが、今日もまた、自分の方が先に着いた。
だがもう、待ち合わせ場所に来ないのではないかという恐怖はなくなっていた。トラウマは消えたのかもしれない。そう思うと、舞衣と再会したことは、まんざら悪いものではなかった。
「ごめんね、今日も待たせちゃって」
手を振りながら近づいてきた舞衣の髪から、いい匂いが漂ってくる。これは香水だろうか。
「いやいや、全然」
「お風呂入ってたら遅くなっちゃった」
ということは、髪から漂ってきたのはシャンプーの香りか。たくさん吸い込もうとして、匂いが鼻の粘膜に突き刺さりむせた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫」
顔が赤くなるのを恥じると、更に顔が赤くなる。悪循環を断ち切るのに、光はそっぽ向いて、夜の冷たい風に顔を晒した。
朝までやっている店となると、どうしてもチェーン店が選択肢として増えてくる。それでもいいかと尋ねると、舞衣がそれでいいと言うので、オシャレと言えなくもないチェーン店に行くことにした。
「明日は仕事いいの?」
朝まで飲んで仕事は大丈夫なのかという心配はあった。
「うん、代休だから」
「それなら大丈夫だね」
「光くんは?」
「俺は遅番だから、大丈夫」
「そっか、じゃあゆっくりできるね」
ゆっくり、と言われるといやらしい想像をしてしまう。ただ飲むだけだと言い聞かせて、居酒屋に入店した。
個室の居酒屋だった。他の客から中が見られにくい構造になっており、デートにはもってこいというやつだ。席について、とりあえず一杯目を注文してから、おつまみを選ぶ。
「夕ご飯食べてないからお腹空いちゃったぁ、光くんは?」
「俺も、働いてたからお腹空いちゃったよ」
「じゃ、がっつり行こうか? でもこの時間に食べるのって、結構罪悪感だよねぇ」
「姫路さん、痩せてるから大丈夫だよ」
「えぇ、脱いだらすごいんだよ? 見る?」
「いやいやいや」
「光くんすぐ恥ずかしがるんだから、可愛い」
うまく返答できずにいると、飲み物が運ばれてきた。ついでに注文をすることで、さっきまでの会話の流れをなかったことにする。
「あ、そういえばさ、仕事小売って言ってたけど、何売ってるの?」
「あぁ、えっとね……」
即答はできなかった。別に、果実を売る仕事を恥だと思ったことはない。ただ、どんな仕事でも、馬鹿にする人というのは一定数いる。
それに、人によっては仕事というよりも、その会社の規模で見る。果実関連企業でも、大手の製造会社などは安定した企業として就活でも人気がある。
だが、果実店というのはやはり性玩具を売る店で、それを馬鹿にする人は少なくない。光は果実店勤務な上に、橘果実店は社員ひとりの零細企業だ。馬鹿にされる可能性は高い。
舞衣はどうだろう。かつての舞衣であれば、確実に馬鹿にされていた。しかし、今の舞衣なら。いや、別に、嫌われても構わないんだと、光は開き直った。
「果実を売ってるんだ」
一瞬間が空く。
「へぇ、そうなんだ。おっきいお店なの?」
やはりそう来たか、と光は思った。
「いいや、小さいところで、社長と俺だけ」
もうこれで、舞衣は自分に興味を失ったかもしれない。別に、それはそれで構わないんだと、自分に言い聞かせる。
「へぇ、いいね。なんか、社長と距離が近くて。やりがいありそうだね」
舞衣の反応はそれだけだった。思ったよりも簡単に受け入れられて、拍子抜けしてしまう。舞衣は光の社会的な地位だとか、そういうことにあまり興味はないようだ。
「そうだね。自分が頑張らなきゃって気にはなるかな」
「社長と二人しかいないってことは、光くんは副社長?」
「いや、違うよ。まだ転職したばっかだし」
「でも、これから新しい人が入ってきたら、そうなるんじゃない?」
言われてみれば、そういうこともあるかもしれない。
「そうかもね」
「それに、社長が引退したら、光くんが社長になったりして」
社長になった自分を想像してみる。笑うと金歯が見えて、袖口から高級時計をのぞかせ、でっぷりした腹で高笑いする。そんな光景を思い浮かべてみて、それがなんだか滑稽で、光は思わず笑ってしまった。
「そういうこともあるかもね、社長、子供もいないし」
「すごーい、未来の社長さんじゃん! じゃさ、私が光くんと結婚したら、社長夫人だね」
などというバカ話は尽きないもので、否応なく会話は弾む。運ばれてきた料理は思ったよりも美味く、それに舞衣も満足しているようだった。
酒は進み、それにつれて、時間は加速度的に進んでいった。普段ならもう寝ている時間で、その上酔っているから、最高に眠い。
「私ちょっとお手洗い行ってくるね」
昼寝でもしてきたのだろうか。舞衣はまだまだ元気といった様子で杯を重ねている。このチャンスにと、光は目を閉じた。どうせ女性のトイレは長い。五分でも寝れば、少しは目も冴える。光が頬杖をついて体を安定させた瞬間、その意識は一瞬で暗転した。
「えい!」
寝入っていたのもつかの間、衝撃で目が覚める。
「うお!」
頬杖から顔がずり落ちて、ジョッキに顎をぶつけた。ジョッキはぐわんぐわんと踊って、足音を立てて止まった。何をするんだ、と抗議しているようだ。
「起きた?」
トイレから戻ってきた舞衣が、自分の向かいではなく、隣にいた。どうやら、ヒップアタックをかましてくれたみたいだ。
「ごめんごめん、ちょっと酔った」
舞衣がそのまま詰めてくるので、光は少し横にどかざるをえなくなった。
「まだまだこれからなのに」
頬をふくらませる。携帯の時計を盗み見ると、もう五時を回っていた。
「姫路さんって、結構お酒強いよね」
「そんなことないよぉ、光くんと飲んでると楽しいから、飲んじゃうだけ」
「勘違いするから、やめたほうがいいよ。ほら、そっちに戻ろう」
「勘違いじゃなかったら?」
「え?」
不意に舞衣の顔が近づき、そしてキスされた。光の口腔に舌がねじ込まれ、ねっとりと舌が這う。その感触は、愛撫だった。下腹部に血が一瞬にして流れこむのが分かった。ズボンの中で苦しいと呻いている。
「どう?」
「どうって」
聞かれても、頭の中が真っ白になり、答えることができない。
舞衣は酒のせいか、それとも別の何にかのせいか、火照った顔をしている。浮かべる笑みは得も言われぬ妖艶さで、思わず手が伸びてしまう。舞衣が欲しいと、体が訴える。
「そろそろ始発動く時間だねこんなにひとつの店で飲み続けたのってあんまりないかもぉ。光くんと話してると、あっという間に時間経っちゃうね」
「そうだね、俺もだよ」
ぼんやりとした頭で、光はうわ言のように答えた。
「ねぇ、光くんの家って、ここから近かったよね?」
「三十分はかからないと思うけど」
「行ってもいい?」
光は思わず硬直した。家に来るということは、つまり。
「で、でも、それはさ」
「……いいでしょ?」
腕に抱きつかれ、胸を押し付けられた上に上目遣いで言われると、それはもう抗いようがなかった。気がついた時にはもう、首を縦に振り、居酒屋を出て、駅の改札口に向かっていた。
途中から、何を話したのかまったく覚えていない。気がついた時には電車に乗っていて、いつの間にか光は自分の部屋に舞衣を招き入れていた。
舞衣に唇を奪われ、ベッドに押し倒される。舌が光の口腔内を犯していく。ぬらぬらとした舞衣の唾液が、光の喉を流れる。あれよあれよという間に、光は服を脱がされていた。脱いだ端から舞衣の舌が光の体を愛撫していく。
「くっ……」
思わず漏れた光の声に、舞衣は妖艶な微笑みを返した。するすると、舞衣は恥じらいもなく服を脱いでいく。ブラジャーを外して現れた胸は、思っていたよりは大きくなかったが、それでも大きなことに変わりはない。思わず手が伸びる。
すると舞衣は胸を光の自由にさせた。舞衣の右手は光の腹をなぞりながら、下腹部へと伸びた。
そして、張り詰めた光のものをそっと撫でた。生まれて初めて他人に触られた衝撃は、光の脊髄を駆け抜け、脳天にまで電流を走らせる。それだけで、果ててしまいそうになる。肛門と睾丸の間に力を入れて、光はなんとかそれを我慢した。
「しよっか?」
ただ一言、舞衣が言った。
「うん」
光は舞衣にされるがままに流された。立ち上がった光は、台所に向かう。それを舞衣が目で追っていた。手にしたのは、果物ナイフだ。するには、これで穴を開けなければならない。
「え? ちょっと? どうしたの、光くん?」
舞衣はそれを見て、ベッドの上で後ずさった。そして、布団にくるまり、身を守ろうとする。真っ直ぐに指さした先にあるのは、光が手にした果物ナイフだ。
「え?」
言われて初めて、光は自分がナイフを握りしめていることに気がついた。
「どういうつもり?」
「これは、いや、するなら穴を開けないといけないかと思って……」
「光くん、私は果実じゃないよ。人間だよ」
諭されて、光の意識がだんだんと覚醒していった。そうだ。舞衣は果実ではなく、生身の人間だ。するのに、穴を開ける必要なんてない。
「ご、ごめん、俺……」
慌ててナイフを元に戻し、舞衣に必死で取り繕う。
「……もしかして、初めてだった?」
「……うん」
「そっか、なら仕方ないよ。ほら、続きしよ?」
そう言って、舞衣は布団をどけて、その裸体を顕にする。さっきまでの光だったら、舞衣に飛びついていたかもしれない。しかし、光はナイフを手にしたことで、思い出してしまった。千秋との夜のことを。
一体自分は何をしているんだ。光のものはみるみる萎えて、縮こまっていく。毛の中に埋もれそうなほどに。
千秋というものがありながら、何故自分は舞衣を部屋にあげて、こんなことをしているんだ。ダメだ、これ以上してはいけない。靄がかかっていたような意識がはっきりしていく。それと共に、光はこめかみに鈍い痛みを感じた。
酔っていた。完全に酔っていた。酔っていたからと言って許されることをしているわけではない。
でも、酔っていたことに気がついた今、もうこれ以上舞衣と触れ合ってはならない。触れ合ったらもう、製造機の中で寝ている千秋に合わせる顔がない。すでに合わせる顔なんてないかもしれないが、だからといって深みにはまっていいわけではない。
「ごめん、姫路さん……できないや」
光は俯き、そして床に落ちていたパンツを拾い上げた。
「なんで? どうしたの、急に?」
「ごめん。どうしても」
光は舞衣に目を合わせず、パンツを履いて、ズボンに足を通した。
「こんな時間なのに、ごめん。今日はもう、帰って欲しいんだ……これでタクシーでも乗って」
ズボンから財布を抜き出し、一万円札を舞衣に差し出した。我ながら最低なことをしていると思う。
「……そっか。うん、それなら仕方ないね」
舞衣は光から一万円札を受け取ると、服を着始めた。光はそれから目を逸らす。
服を着終えると、舞衣はかばんを肩に掛け、そして玄関に向かった。
「それじゃ、またね」
「うん、また」
きっと気を悪くしただろう。もう二度と会うことはないだろうな。それでいいと思った。これで終わってしまっていいと、光はそう思った。
玄関から舞衣が出て行くと、光は風呂に向かった。とにかく今は、体を清めたかった。やってはいけないことをやってしまった。その罪を、水に流したいと思った。
それがどれだけ自分勝手なことなのか分かっていても、その罪の重さに耐えられそうになかったから。
早く千秋に会いたい。しかし、純粋に千秋の帰りを待てていない自分をどこかに感じて、光は自己嫌悪に陥っていた。
それは、自分が異端なのだということを思い知らされたから。二宮と鳳の姿を見て、自分が如何に間違っているのかということを、まじまじと見せられたから。
だが、それだけではなかった。いつも自分に波乱と困惑をもたらす存在、舞衣がいたからだ。性懲りもなく、光はまた、舞衣と会う約束をしてしまっていた。
今回は早い時間ではなく、もっと遅い時間に。遅番の仕事が終わってからでは、二十三時を回ってしまうから、確実に終電はなくなると説明したものの、それなら朝まで飲めばいいと言われ、押し切られてしまった。
そうなると、確実に果実製造所にいる千秋には会いに行けなくなる。ただ、行かない日もすでにあったのだから、一日くらいいいではないかと、そういう声が自分の中にあるのが、自分自身で情けなかった。
次郎の顔が見辛い。やましい部分があるからだ。それを悟られないように、光は無理にも明るく振る舞った。次郎が先に上るまでの時間が、どれほど長く感じられたことかと、店のドアを出て上に上がっていく次郎の背中を見ながら、光はそう思った。
今日から初対面の従業員が来ていた。彼の名は猿渡といった。猿渡はどことなく某怪盗のように長い顔に短髪で、もみあげが顎にまで届いているのだが身長は低くて、それがアンバランスに感じる。明るく付き合いやすそうなタイプだ。
次郎曰くベテランらしいので、他の二人の従業員と同じく、どの仕事を任せても大丈夫だが、レジ締めだけは自分でやりなさいと言われていた。
シャッターを下ろしてレジを閉め、一日の勤務が終わった。
「ほんとに先帰っちゃって大丈夫ですか?」
「大丈夫っしょ。おつかれ」
「それじゃ、お任せします。お疲れ様です」
後は裏口の鍵を閉めるだけだから、大した仕事は残っていない。安心して、光は待ち合わせの場所に向かった。
前に飲み屋に行った時同様、待ち合わせは交番だった。さすがに今日は待たせることになるかと思ったが、今日もまた、自分の方が先に着いた。
だがもう、待ち合わせ場所に来ないのではないかという恐怖はなくなっていた。トラウマは消えたのかもしれない。そう思うと、舞衣と再会したことは、まんざら悪いものではなかった。
「ごめんね、今日も待たせちゃって」
手を振りながら近づいてきた舞衣の髪から、いい匂いが漂ってくる。これは香水だろうか。
「いやいや、全然」
「お風呂入ってたら遅くなっちゃった」
ということは、髪から漂ってきたのはシャンプーの香りか。たくさん吸い込もうとして、匂いが鼻の粘膜に突き刺さりむせた。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫大丈夫」
顔が赤くなるのを恥じると、更に顔が赤くなる。悪循環を断ち切るのに、光はそっぽ向いて、夜の冷たい風に顔を晒した。
朝までやっている店となると、どうしてもチェーン店が選択肢として増えてくる。それでもいいかと尋ねると、舞衣がそれでいいと言うので、オシャレと言えなくもないチェーン店に行くことにした。
「明日は仕事いいの?」
朝まで飲んで仕事は大丈夫なのかという心配はあった。
「うん、代休だから」
「それなら大丈夫だね」
「光くんは?」
「俺は遅番だから、大丈夫」
「そっか、じゃあゆっくりできるね」
ゆっくり、と言われるといやらしい想像をしてしまう。ただ飲むだけだと言い聞かせて、居酒屋に入店した。
個室の居酒屋だった。他の客から中が見られにくい構造になっており、デートにはもってこいというやつだ。席について、とりあえず一杯目を注文してから、おつまみを選ぶ。
「夕ご飯食べてないからお腹空いちゃったぁ、光くんは?」
「俺も、働いてたからお腹空いちゃったよ」
「じゃ、がっつり行こうか? でもこの時間に食べるのって、結構罪悪感だよねぇ」
「姫路さん、痩せてるから大丈夫だよ」
「えぇ、脱いだらすごいんだよ? 見る?」
「いやいやいや」
「光くんすぐ恥ずかしがるんだから、可愛い」
うまく返答できずにいると、飲み物が運ばれてきた。ついでに注文をすることで、さっきまでの会話の流れをなかったことにする。
「あ、そういえばさ、仕事小売って言ってたけど、何売ってるの?」
「あぁ、えっとね……」
即答はできなかった。別に、果実を売る仕事を恥だと思ったことはない。ただ、どんな仕事でも、馬鹿にする人というのは一定数いる。
それに、人によっては仕事というよりも、その会社の規模で見る。果実関連企業でも、大手の製造会社などは安定した企業として就活でも人気がある。
だが、果実店というのはやはり性玩具を売る店で、それを馬鹿にする人は少なくない。光は果実店勤務な上に、橘果実店は社員ひとりの零細企業だ。馬鹿にされる可能性は高い。
舞衣はどうだろう。かつての舞衣であれば、確実に馬鹿にされていた。しかし、今の舞衣なら。いや、別に、嫌われても構わないんだと、光は開き直った。
「果実を売ってるんだ」
一瞬間が空く。
「へぇ、そうなんだ。おっきいお店なの?」
やはりそう来たか、と光は思った。
「いいや、小さいところで、社長と俺だけ」
もうこれで、舞衣は自分に興味を失ったかもしれない。別に、それはそれで構わないんだと、自分に言い聞かせる。
「へぇ、いいね。なんか、社長と距離が近くて。やりがいありそうだね」
舞衣の反応はそれだけだった。思ったよりも簡単に受け入れられて、拍子抜けしてしまう。舞衣は光の社会的な地位だとか、そういうことにあまり興味はないようだ。
「そうだね。自分が頑張らなきゃって気にはなるかな」
「社長と二人しかいないってことは、光くんは副社長?」
「いや、違うよ。まだ転職したばっかだし」
「でも、これから新しい人が入ってきたら、そうなるんじゃない?」
言われてみれば、そういうこともあるかもしれない。
「そうかもね」
「それに、社長が引退したら、光くんが社長になったりして」
社長になった自分を想像してみる。笑うと金歯が見えて、袖口から高級時計をのぞかせ、でっぷりした腹で高笑いする。そんな光景を思い浮かべてみて、それがなんだか滑稽で、光は思わず笑ってしまった。
「そういうこともあるかもね、社長、子供もいないし」
「すごーい、未来の社長さんじゃん! じゃさ、私が光くんと結婚したら、社長夫人だね」
などというバカ話は尽きないもので、否応なく会話は弾む。運ばれてきた料理は思ったよりも美味く、それに舞衣も満足しているようだった。
酒は進み、それにつれて、時間は加速度的に進んでいった。普段ならもう寝ている時間で、その上酔っているから、最高に眠い。
「私ちょっとお手洗い行ってくるね」
昼寝でもしてきたのだろうか。舞衣はまだまだ元気といった様子で杯を重ねている。このチャンスにと、光は目を閉じた。どうせ女性のトイレは長い。五分でも寝れば、少しは目も冴える。光が頬杖をついて体を安定させた瞬間、その意識は一瞬で暗転した。
「えい!」
寝入っていたのもつかの間、衝撃で目が覚める。
「うお!」
頬杖から顔がずり落ちて、ジョッキに顎をぶつけた。ジョッキはぐわんぐわんと踊って、足音を立てて止まった。何をするんだ、と抗議しているようだ。
「起きた?」
トイレから戻ってきた舞衣が、自分の向かいではなく、隣にいた。どうやら、ヒップアタックをかましてくれたみたいだ。
「ごめんごめん、ちょっと酔った」
舞衣がそのまま詰めてくるので、光は少し横にどかざるをえなくなった。
「まだまだこれからなのに」
頬をふくらませる。携帯の時計を盗み見ると、もう五時を回っていた。
「姫路さんって、結構お酒強いよね」
「そんなことないよぉ、光くんと飲んでると楽しいから、飲んじゃうだけ」
「勘違いするから、やめたほうがいいよ。ほら、そっちに戻ろう」
「勘違いじゃなかったら?」
「え?」
不意に舞衣の顔が近づき、そしてキスされた。光の口腔に舌がねじ込まれ、ねっとりと舌が這う。その感触は、愛撫だった。下腹部に血が一瞬にして流れこむのが分かった。ズボンの中で苦しいと呻いている。
「どう?」
「どうって」
聞かれても、頭の中が真っ白になり、答えることができない。
舞衣は酒のせいか、それとも別の何にかのせいか、火照った顔をしている。浮かべる笑みは得も言われぬ妖艶さで、思わず手が伸びてしまう。舞衣が欲しいと、体が訴える。
「そろそろ始発動く時間だねこんなにひとつの店で飲み続けたのってあんまりないかもぉ。光くんと話してると、あっという間に時間経っちゃうね」
「そうだね、俺もだよ」
ぼんやりとした頭で、光はうわ言のように答えた。
「ねぇ、光くんの家って、ここから近かったよね?」
「三十分はかからないと思うけど」
「行ってもいい?」
光は思わず硬直した。家に来るということは、つまり。
「で、でも、それはさ」
「……いいでしょ?」
腕に抱きつかれ、胸を押し付けられた上に上目遣いで言われると、それはもう抗いようがなかった。気がついた時にはもう、首を縦に振り、居酒屋を出て、駅の改札口に向かっていた。
途中から、何を話したのかまったく覚えていない。気がついた時には電車に乗っていて、いつの間にか光は自分の部屋に舞衣を招き入れていた。
舞衣に唇を奪われ、ベッドに押し倒される。舌が光の口腔内を犯していく。ぬらぬらとした舞衣の唾液が、光の喉を流れる。あれよあれよという間に、光は服を脱がされていた。脱いだ端から舞衣の舌が光の体を愛撫していく。
「くっ……」
思わず漏れた光の声に、舞衣は妖艶な微笑みを返した。するすると、舞衣は恥じらいもなく服を脱いでいく。ブラジャーを外して現れた胸は、思っていたよりは大きくなかったが、それでも大きなことに変わりはない。思わず手が伸びる。
すると舞衣は胸を光の自由にさせた。舞衣の右手は光の腹をなぞりながら、下腹部へと伸びた。
そして、張り詰めた光のものをそっと撫でた。生まれて初めて他人に触られた衝撃は、光の脊髄を駆け抜け、脳天にまで電流を走らせる。それだけで、果ててしまいそうになる。肛門と睾丸の間に力を入れて、光はなんとかそれを我慢した。
「しよっか?」
ただ一言、舞衣が言った。
「うん」
光は舞衣にされるがままに流された。立ち上がった光は、台所に向かう。それを舞衣が目で追っていた。手にしたのは、果物ナイフだ。するには、これで穴を開けなければならない。
「え? ちょっと? どうしたの、光くん?」
舞衣はそれを見て、ベッドの上で後ずさった。そして、布団にくるまり、身を守ろうとする。真っ直ぐに指さした先にあるのは、光が手にした果物ナイフだ。
「え?」
言われて初めて、光は自分がナイフを握りしめていることに気がついた。
「どういうつもり?」
「これは、いや、するなら穴を開けないといけないかと思って……」
「光くん、私は果実じゃないよ。人間だよ」
諭されて、光の意識がだんだんと覚醒していった。そうだ。舞衣は果実ではなく、生身の人間だ。するのに、穴を開ける必要なんてない。
「ご、ごめん、俺……」
慌ててナイフを元に戻し、舞衣に必死で取り繕う。
「……もしかして、初めてだった?」
「……うん」
「そっか、なら仕方ないよ。ほら、続きしよ?」
そう言って、舞衣は布団をどけて、その裸体を顕にする。さっきまでの光だったら、舞衣に飛びついていたかもしれない。しかし、光はナイフを手にしたことで、思い出してしまった。千秋との夜のことを。
一体自分は何をしているんだ。光のものはみるみる萎えて、縮こまっていく。毛の中に埋もれそうなほどに。
千秋というものがありながら、何故自分は舞衣を部屋にあげて、こんなことをしているんだ。ダメだ、これ以上してはいけない。靄がかかっていたような意識がはっきりしていく。それと共に、光はこめかみに鈍い痛みを感じた。
酔っていた。完全に酔っていた。酔っていたからと言って許されることをしているわけではない。
でも、酔っていたことに気がついた今、もうこれ以上舞衣と触れ合ってはならない。触れ合ったらもう、製造機の中で寝ている千秋に合わせる顔がない。すでに合わせる顔なんてないかもしれないが、だからといって深みにはまっていいわけではない。
「ごめん、姫路さん……できないや」
光は俯き、そして床に落ちていたパンツを拾い上げた。
「なんで? どうしたの、急に?」
「ごめん。どうしても」
光は舞衣に目を合わせず、パンツを履いて、ズボンに足を通した。
「こんな時間なのに、ごめん。今日はもう、帰って欲しいんだ……これでタクシーでも乗って」
ズボンから財布を抜き出し、一万円札を舞衣に差し出した。我ながら最低なことをしていると思う。
「……そっか。うん、それなら仕方ないね」
舞衣は光から一万円札を受け取ると、服を着始めた。光はそれから目を逸らす。
服を着終えると、舞衣はかばんを肩に掛け、そして玄関に向かった。
「それじゃ、またね」
「うん、また」
きっと気を悪くしただろう。もう二度と会うことはないだろうな。それでいいと思った。これで終わってしまっていいと、光はそう思った。
玄関から舞衣が出て行くと、光は風呂に向かった。とにかく今は、体を清めたかった。やってはいけないことをやってしまった。その罪を、水に流したいと思った。
それがどれだけ自分勝手なことなのか分かっていても、その罪の重さに耐えられそうになかったから。
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