果実

伽藍堂益太

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果実 16

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 再会前夜。バレンタイン・イブとでも言うべきか。二月十三日のシフトは、光が一日通して店番をすることになっていた。
 それというのも、今日は次郎が冬美を迎えに行く日だからだ。四十日間待った末の再会なのだ。幾度と無くそれを経験してきた次郎といえど、その日は待ち遠しいに違いない。
 だから、光は気を使って、一日通しでシフトに入ることを申告した。その変わりと言ってはなんだが、光は明日、休みをもらっている。千秋との再会の日だからだ。
 休日になったとはいえ、次郎も果実製造所に向かう。よって今、次郎は光が運転する白いライトバンの助手席に座っていた。長らく車を運転していなかった光も、入社してからこのライトバンで製造所までの道は何度も運転したので、慣れてきた。千秋が戻ってきたら、中古で軽自動車でも買おうかと検討している。
「悪いね、乗せてもらって」
「いやいや、同じ目的地なんですから。帰りも搬入待っててもらえれば、送りますよ」
「いや、せっかくの休日だからね。二人で散歩して帰ることにするよ」
「そうですか」
 想像するだけで、微笑ましい光景だった。もうすぐ、明日には、自分も千秋との再会を果たせる。どこに行くかは、もう決めていた。きっと、千秋も喜んでくれるはずだ。
 製造所に着き、光は光で果実の搬入をした。申し訳ないとは思いつつもスーパーに果実を卸す時間があるので、商品の果実たちに先にシャワーを浴びさせた。
 次郎は製造室の奥で、冬美の装置の処理をしてそれを待ち、順番が空いてから冬美にシャワーを浴びさせて、外出できるように着替えをさせた。
 それが終わると、二人揃って光のところに挨拶に来た。
「東さん、ありがとうございます。この人、休みにしてもらっちゃって」
 冬美はたおやかな身のこなしでお辞儀した。
「そんな、社長に胡麻すってるだけですから」
「何言ってるんだ、君は」
 とても和やかな時間だった。冬美の隣に並んだ次郎は幸せそうで、二人とも、静かに再会を喜び合っているのが分かる。
「それじゃ、後、よろしく頼んだよ」
「はい、ごゆっくり」
 製造所を出て行く二人の背中をみおくりながら、良い休日になってくれたらな、と光は素直にそう思うことができた。
 それから、光は本日の製造分を新たに製造機にセットして、製造所を後にした。一日の仕事はもう大体覚えているし、スーパーの人にも顔を覚えてもらっている。店で接客をしつつ、資格の勉強もして、長い一日の勤務をつつがなく終えた。
 そして最後にもう一度、製造所に向かった。明日やっと再会できる千秋に会いに。
 もうほとんど出会った時と変わらない千秋が目を閉じて眠っている。早く明日になれ。製造機のカウンターはもう残り僅かな時間を表示している。このままここで眺めていようか。そう思ったくらいだったが、ここで徹夜してしまっては、せっかくの二人の休日を楽しむことができない。
 後ろ髪引かれる思いではあったが、光はパイプ椅子から立ち上がると、最後にもう一度千秋の姿を確認して、製造所を後にした。

 いよいよ明日だ。そう思うと、布団の中で思わず身を捩ってしまう。落ち着いていられない。電気を消して、真っ暗にしても、眠気は一向にやってこない。
 明日は昼頃に製造所に行く予定だった。次郎と違って、こちらは初めての再会だ。できることなら、誰もいない時に、二人きりでそれを味わいたい。光のささやかな願いだった。
 明日のことを想像すると、余計に目が冴えてくる。何度も寝返りを繰り返して、光はようやく眠りにつくことができた。
 目覚ましが鳴る。眠りから覚めた光は、瞬時にして布団をはねのけた。普段なら温もった布団が恋しくて、しがみついてでも出ないものを、今日は千秋が待っているからというだけで、肉体的な欲求を軽くいなせてしまう。
 身支度は入念に整えた。服は一張羅を選んだし、髪もきちんとセットした。そして、朝食はしっかり食べておく。果実は食事をしない。だから、千秋を食事に付き合わせるのも悪いので、一人の間にたくさん食べておくことにした。
 準備は万端。
「これは絶対いるよな」
 玄関に置いてある紙袋の中に手を突っ込んだ光は、中からメガネケースを取り出した。大事に大事に、鞄にしまう。鞄の中には、千秋が着ていた服も入っている。白いブラウスに、セーター。それにスカート。
「やべ、あれも持ってかなきゃ」
 光は慌てて部屋に戻った。そして、昨日ハンガーに掛けて用意しておいた赤いコートを引っ掴んだ。こればっかりは、鞄に丸めて突っ込むわけにはいかなかった。
 深呼吸をして、忘れ物はないかと確認する。大丈夫。いよいよ、千秋との再会の時。光は家を出て、徒歩で製造所へ向かった。たった十分の距離が、いつもよりも長く感じられる。嬉しい心拍数の上昇のはずなのに、あまり長く続くものだから、疲労すら感じるほどだった。
 製造所の門をくぐり、誰もいない施設内に入る。今日この時間には、事務所にも人がいない。その時間を狙ってきた。足音が響く。その音はいつもよりもテンポが早く、そして強く響いた。
 鍵を回す手が汗に濡れて、指先がおぼつかなく、手こずる。焦っている。
「何やってんだ、俺」
 そんな自分がおかしくて、光は思わず苦笑いした。何故だか、そんな自分も今日は愛おしい。
 開いた扉の先。杉林のように整列してズラリと並ぶ製造機の間をすり抜けて一番奥へ。そこに、千秋がいる。わ、どうしよう。わ、わ。胸の内に浮かぶ言葉すら、意味を結ぼうとしない。
 デートに赴く中学生のような面持ちで、光は一歩一歩、奥へ向かう。製造所の隙間から千秋の製造機がちらりと見える度に、心臓が楽しげに跳ねる。
 抜けた。製造機の隙間を抜けた。千秋の製造機の前に躍り出る。小窓を開けた。千秋は、初めて出会った時の千秋で、眠っている。カウンターは。
 台座の下部にある日数を数えるカウンターは、ゼロを表記している。分かっていても、それが嬉しい。今まで指折り数えていたのだ。それがやっと、今日この日に。
 光はタッチパネルを操作した。培養液を排出する。パイプを流れていく。小窓を開くと、みるみる培養液が減っていくのが見えた。培養液の水位が減り、浮力が減っていくと、千秋の体が沈んでいく。
 それと共に、千秋の意識が覚醒していく。ゆっくりと瞼を開く。足を折り曲げて製造機の底に座った千秋がゆっくりと顔を上げる。
「千秋さん」
 中にまで声が届いているかは分からない。しかし、千秋は顔を上げた。
 ピー、ピー、と培養液の排出が完了したというお知らせの電子音がなる。光は製造機のロックを解除した。カシャっという音がして、製造機の瓢箪の下部が、半分に割れるように開く。中から千秋が製造機を押し開けた。
「光さん」
 ずっと聞きたかった声。平坦な声なのに、そこにゆらぎが生じていた。中から千秋が文字通り生まれたままの姿で飛び出す。
 光はしっかりと、千秋を抱きとめた。服が濡れるにも構わず、しっかりとその存在を確かめ合うように抱きしめ合った。
「繋がりました。私」
 平坦なはずの声。しかしその語尾に、僅かな抑揚がついた。
「うん。繋がったんだよ。これからも繋がってくんだ」
「はい」
 顔を上げた千秋は、満面の笑みだった。その笑顔に、光の意識のすべてが奪われる。初めて見た、千秋の笑顔。再会の喜びから生まれた笑顔だった。思わず光も笑顔になって、ほっぺたがつり上がりすぎて、痙攣するかと思うほどだった。
 光は再会を、涙ナミダで迎えると思っていた。しかし、これは嬉しい誤算だった。幸せが、腹の底から、胸の奥から湧き上がる。幸せの源泉を掘り当てたようだ。
 どちらからともなくキスをして、それでやっと、二人は自分たちの状態を把握した。床はびしょびしょに濡れてしまっていて、光は培養液を拭いていない千秋と抱き合ったものだから、コートがすっかり湿ってしまっていた。
「乾かさないとね。千秋さんも、シャワー浴びなきゃ」
「はい」
 そう言った千秋は、胸を隠していた。光は目を疑った。千秋が、果実である千秋が、恥じらっている。
 こうやって少しずつ、感情を開花させていくのだろうか。それとも、封印されていたものが、解除されていくのだろうか。そのどちらでもいい。光は千秋の見せる感情の発露すべてが愛おしかった。
「浴びてきます」
「使い方分かる?」
「はい」
 千秋は光の方を振り向かず、逃げこむようにシャワー室に入った。光はそれを微笑ましく見送った。
 それから、光は床の掃除をした後、千秋の服を揃えてシャワー室の前に置くと、その上に、棚から出したバスタオルを置いた。
「出たとこに着替えとタオル置いておくよ」
「ありがとうございます」
 シャワーの音に半分かき消された返事がくる。まるで、恋人か夫婦のようなやりとりだ。いや、これから、本当にそうなっていく。そうなっていく二人の、記念すべき一ページで、そして千秋が望んでいた、紡ぐ歴史の一片だ。
 光はドライヤーでコートを乾かしながら、千秋が出てくるのを待った。
「お待たせしました」
 赤いコートを手にかけて、千秋が出てきた。
「全然」
 光はそれを、当たり前に受け取って、そして背中から、千秋にコートを掛けてやる。千秋も当然のように袖に腕を通して、ボタンを閉じる。
「行こうか?」
「どこへですか?」
 すぐに答えてもいい。けれど、目的地に辿り着くまでの間、焦らすのも楽しいかと光は思った。
「内緒」
「……」
 こんな時、どうやって返したらいいのかが分からないようだ。どんな表情をしていいのかも分からないのか、難しい表情をしている。
「お楽しみ、ってやつだよ」
「なるほど」
 平坦な声に、僅かに感嘆が混じる。
 それから二人は、手を繋いで製造所の門を出た。繋げるという行為。繋がるという行為。これはきっとこれから、二人にとってとても大事な行為になっていく。その予感が、千秋の手のひらから伝わってきた。
 光にとって当たり前の景色を歩く。その道は、通勤に使う道だったり、仕事中車で通る道だったり、買い物に行くときに使う道だったり、色々だ。
 日常が染み付いた道。その道を、今二人で手を繋いで歩いている。自分の日常に千秋がいる。思わず光の手に力が入る。千秋もそれを同じ力で握り返す。
 歩き続けて、橘果実店の前を通る。中を覗くと、雉島が店内で作業していた。会釈すると、手を振ってくれた。
「光さん。もしかして、あそこに向かっています?」
「どうだろうね?」
 あの場所に来る時、千秋はこの道を通っていたに違いない。察しがついているようだ。それでいい。ただ、あの場所の前に立って、やっぱりね、と笑い合いたい。
 急な坂を上って、信号を渡り、左手にある建物の前に二人で立った。
「やっぱり、ここですね」
「ここだよ。だって、ここで出会ったんだしさ、それに、あの日ここで会う約束してたから」
「……はい」
 二人が立つのは広場、自転車やバイクがところ狭しと並べられている。あの日座った、体を心底冷やすコンクリのベンチ。建物を見上げて、千秋はつぶやいた。
「ここに十八時……」
「やっぱり、覚えてくれてたんだよね」
「当たり前です」
 なんで来てくれなかったのかなんて、理由はもうどうでも良かった。
「やり直そう、十二月二十三日から」
「……はい」
 千秋が見せてくれた、二度目の笑顔だった。二人出会った図書館で、あの日からやり直す。この日初めて、二人一緒に自動ドアをくぐった。そして光は気がついた。やり直すんじゃなくて、前に進むんだ。

 久しぶりに過ごした図書館での時間はこの上もなく幸福で、またたく間に過ぎていった。気が付くと閉館時間になっており、二人は名残惜しみながら、図書館を後にした。しかし、寂しい気持ちはすぐに反転する。
 初めての、二人での帰宅だ。同じ場所に帰る。同じ場所に住むのだから当然のこと。それが当然だということは、嬉しいのだ。ステップを踏んでしまいそうになるくらいに、嬉しいことなのだ。
 坂を下る。その先に橘果実店がある。行きには次郎がいなかったが、今はどうか。
「ちょっと寄ってこうか?」
「はい」
 この時間なら、間違いなく次郎は店内にいる。二人は坂を下り、飲食店を横に眺めながら歩いた。橘果実店の前に着くと、二人してドアのガラスを覗きこむ。そこには見知った姿があり、光は安心して果実店のドアを開けた。
「あれ? 今日休みじゃなかったの?」
 二宮がレジカウンターに肘をついた状態で、体を捻って光の方を向いた。カウンターを挟んで反対側では、次郎が苦笑いを光に向けている。今日も二宮が果実自慢をしていたのだろう。
「東くんじゃん。今日は彼女連れ?」
 鳳までいた。男性型の果実の前にしゃがんで、品定めをしていたようだ。膝に手をついてゆっくりと立ち上がる。
「はい、彼女連れです」
 はっきりとそう言えることが、どれだけ嬉しいか。そして、自分のその言葉に千秋が頷くというのが、輪をかけて嬉しい。
「うわぁ、うざいねぇ」
 そう言って、鳳は笑った。
「いや、ほんと、腹立ちますね」
 二宮も笑う。
「そう言ってくれるなよ、私の娘とうちの社員なんだから」
 次郎の言葉に、千秋以外の全員が目を見開いた。
「店長娘さんいたんですか? そういえばどことなく……って別に似てないや」
 二宮は二人の顔を見比べる
「ま、奥さんいるんだから、当たり前っちゃ当たり前か」
 鳳のリアクションは大きくないが、それでも驚いていることに変わりはない。
「さて、いいもん見れたし、そろそろ帰ろうかな。東くん、義理チョコ、店長に渡してあるから、あとで食べなね。娘さんも。そこのお兄さんも食べていいよ」
 そういえば今日はバレンタインデーだった。鳳は手を振って、光が礼を言う間もなく、颯爽と帰っていった。
「ねぇ、店長。あの人何者ですか? 紹介してくれません?」
 鳳が出ていくなり、二宮が言った。
「自分で聞きなさいよ。まだその辺にいるから」
「そう、ですよね。よし行こう。いってきます」
 慌ただしく、二宮は鳳の後を追った。負け戦の臭いを嗅ぎ取った光は、思わず手を合わせたくなった。
「そうだ、千秋。上に冬美がいるから、チョコでももらってきなさい」
「はい」
 千秋が光の顔を窺う。光が頷くと、千秋は店を出て、二階に向かった。
「娘って、どういうことですか?」
 千秋が出ていくと、光は次郎に尋ねた。詰問というよな口調ではなく、ただ純粋に、疑問と興味の声色だ。
「千秋はね、元々、売り物として作ったわけじゃなかったんだ」
「じゃあ、なんのために」
「冬美のためだったんだよ。冬美に、私以外にも親しくできるものを与えたかった」
 目を細めて、次郎は言う。
「冬美には深い交友関係がないからね。挨拶くらいする人はいても、友達にはなれない。果実は転生を繰り返すわけだから、一定の年齢の幅を行ったり来たりするだけだ。だから、友達を作ってしまえばいずれ冬美が歳を取らないことに疑問を持たれて、果実であることもバレるだろう。
 そうしたら、その友達は冬美を途端に物扱いすることになる。それは冬美にとって不幸じゃないか。そうならないように人間関係を構築することはさけてきた。
 でも、それは如何にも寂しくはないか? だから、私はもうひとり、果実を作ることにしたんだ。冬美の子供になるような果実を。
 冬美は転生を繰り返しているからね、その度に経験と知識を積んで、思考も複雑になっていく。そんな冬美の相手になってくれる果実には、それなりに考える力だとか、知識が必要になってくるだろう。あまり能力が違いすぎる相手とは、楽しめるほどの会話は成立しないからね。
 だから私は千秋の製造機の学習装置のリミッターを解除したんだ。転生を繰り返させ、知識と経験を積ませるためにね。売り物にするつもりはなかったからね」
 光は頷いた。
「ただ、リミッターを解除したことは、千秋に良くない影響を与えてしまった。いや、良くないと一概には言えないかな。
 とにかく、千秋は自分の存在について考え初めてしまったみたいなんだ。生まれたその日から。果実というものの運命について。それに、自分の果実としての商品価値について。
 千秋は果実としての商品価値は高くない。スタイルが特別いいわけでもなく、顔が特別可愛いわけでもなく、ニッチな需要があるかといえばそうでもない。商品用に作っていたとしたら、最悪スーパーに売る方に選ばれていたくらいだ……いや、すまない。別に千秋を貶めたいわけではないんだ。いや、本当に申し訳ない」
「やめてください。分かってますから、大丈夫です」
 深々と頭を下げる次郎に、光は恐縮した。それに、それは概ね事実だ。もし、初めから性玩具として使うつもりで果実を選ぶとなれば、おそらく千秋は選択肢に入らない。
「うむ、すまないね……それから彼女は本を読みだした。自分という存在について考えるための指針を探すためだったのかな。うちにあったものをね。それに飽きたらなくなったのか、もっと本を読みたいというから、図書館を教えてやった。
 千秋は繋がりというものについて深く考えだした。短い人生で何を残せるのか。誰かと繋がるということは、どういうことなのか。毎晩冬美と話していたよ。そんな時だったんだね、君と出会ったのは」
 彼女の父親から、彼女の幼少期の話を聞くというのはこういうことなのだろうか。酒でもあったらと思うが、ここは店内だ。
「千秋は君のことを話していたよ。色々教えてくれる人がいるとね。それから、クリスマス・イブのデートのこともね。千秋は知識としてそれがどういうものだったのかは知っていた。だからこそ、考えこんでしまったんだな。
 千秋ははっきりと言葉にはしなかったが、君との繋がりを求めていた。しかし、自分に残された時間は少ない。それで、千秋は果実としては驚異的な判断をした。
 君のことを慮ったのだよ。自分が果実と知られれば、きっと君は幻滅する。もし幻滅しなくても、自分が死ねば、君が落ち込むかもしれない。だったらいっそ君と会わずに、商品として自分の生を全うしようとしたんだ。自分から言い出したよ。自分を売ってくれと。
 自分の気持ちを全部吐き出して、千秋はそう言ったんだ。断れなかったよ。おそらくそのまま売れ残って、スーパーに卸すことになると思っていた。そしたら驚いたよ。いや、私ではなく千秋がだったけどね。バックヤードから店中を覗いていた千秋が、君の名を呼んだんだ。まさか君が来るとはね」
「自暴自棄だったんです。デートの予算、パーッと使おうって」
「運が良かったね。本当に。こういうのを運命って言うんだろうね」
 自分で言うのと人に言われるのとでは、その重みが違う。それを運命と、信じることができる。
「良かったよ。千秋が君に再会できて。大切にしてやってくれよ」
「はい」
 万感の思いを込めて、光は頷いた。
 話し疲れた。会話していた時間はそれほど長くなかったが、その内容は光にとっても次郎にとっても、非常に重たいものだった。それを口に出したのだ。疲れるのも無理は無い。倦怠感で二人の口が重くなり始めた時、店のドアが開いた。
「戻りました」
 千秋だ。その後ろから、冬美もニコニコしながらついてきた。
「おかえり」
 千秋は手に、何やら箱を持っていた。白地に赤いハートが水玉のように散りばめられた箱に、ピンクのりボンが掛けられている。それはお世辞にも器用とはいえない出来だった。結び目の位置はずれ、紐の長さはアンバランスで。
 それをスッと真っ直ぐに、光に差し出す。
「バレンタインデーです」
「俺に?」
「はい。中身は冬美さんが作ったものです。でも、包装は私がやりました」
 なるほど、知識はあっても経験のない、不器用さが滲み出た千秋らしい包装だ。でも、その気持ちが嬉しい。外見、外っ面は問題ではなかった。
「ありがとう」
「……そのうち中身も私が作れるようになります」
「うん、そうだね。時間はあるから」
「……はい」
 手を伸ばし、千秋からプレゼントを受け取る。
「良かったわね、千秋」
 冬美は千秋の頭を撫でた。まるで、娘を褒める母親のように。
「はい」
 また、千秋の笑顔だ。たどたどしく、顔の動きはぎこちないけれど、気持ちを表情に出す努力をしている。
「そろそろ行きます。仕事の邪魔しちゃ悪いし」
 長いこと店に居座ってしまった。光はそう切り出した。
「千秋、昼間暇だったら、うちにいらっしゃい」
 冬美が言った。千秋が自分を見つめる。だから光は、頷いた。娘が実家の母親と会うことを止める気など、毛頭なかった。
「はい、そうします」
「それじゃ、今日はこれで」
「あぁ、また明日」
 手を振って、次郎たちと別れる。店を出て、二人家路に着く。すっかり日が落ちて、辺りは暗くなり始めていた。商店街の店々の蛍光灯が眩しい。
「いいご両親だね」
「はい」
 ご両親。千秋は繋がりを初めから持っていた。きちんと繋がって生まれてきた。言葉にはしなかったが、千秋もそう思いっているはず。その表情を、光は少しずつ読み取れるようになっていった。
 夜風に吹かれ、身を縮める光に、千秋がそっと寄り添う。自然と繋ぎ合う手。真っ直ぐに続く道を、二人は言葉もなく歩いた。握り合う手のひら以上に、互いの気持ちを語る言葉を、二人は知らなかったから。
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