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第三章 大団円

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「円佳」

 聞かないわ。
 絶対に振り向かない。
 多分、透也君は黒い湖のような瞳で私を見つめている。
 彼の双眸を見てしまえば……、逆らえなくなりそうで。

「マドモアゼル・デュポワをそそのかしたのがこの兄妹と言っても?」

 足が止まる。

 そうか。
 嘉島のシステムに侵入するなんて、凄腕さんだと思った。
 あの家のセキュリティを弄れるんだもの、船のシステムなんて簡単だよね。

 マドモアゼル。
 おっとりしてお茶目で、お姉さんてこんな感じなのかな、と思っていた。
 でも、信じていた人に裏切られたのも辛かったし、あのベッドでの時間は怖かった。

 なにより、私はあのとき透也君の心を手放した。

 透也君は出逢ったときから、沢山の言葉や態度で私への気持ちを表してくれていたのに、疑ってしまった。

 陛下や殿下を責めれば『いくら暗示をかけても彼女の心にないことを言えるはずがない。君を傷つけたのはマドモアゼル本人だ』とでも言い逃れするかもしれない。

 許せない。
 罪を憎んで人を憎まずなんて、聖人みたいなことを出来ない。
 私の怒りを感じ取ったのか、陛下が必死な形相になった。

「円佳、妹はまだ十二歳なんだ!」
「……………………は?」

 部屋から出かけた足が止まる。
 ぎぎぎ、と後ろを振り返った。

「じ、じうに?」

 あんなに完成された美しさと清潔な色気があって、ハイティーンですらないですと? 

 確かに、小学生の頃から究極の美みたいだった三歳下の男の子を知っている。
 加えて、長じるにつれて凛々しさも増しちゃって、天上の美みたいな人が私の旦那様。

 あー、ヨーロッパの人達からみたらローティーンにしか見えないだろう私を見てバカにするのももっともよねえ。
 妙~な子供っぽさも納得した。

 しかし陛下もずるいよね。
 子供に携わる仕事を望んでいる私なら、手加減するだろうとの策略だ。
 どこまでも人のことを調べて、優位に立てるようにする。
 それは為政者として大事な素質なんだろう。
 必死な表情も、と思っちゃうのは庶民のひがみかしら。

 この人、今まで周りを手のひらで転がしてきたんだろうな。
 けれど、透也君相手にはそうはいかない。

 私の考えを裏付けるように旦那様の声はとても静かだった。

「円佳。僕と同じで、彼らも年齢が免罪符となる世界に生きていない」

 そうだ。
 初デートの日、透也君は十二歳だったけど十五の私を堂々とホテルに誘ってきた。
 なにをするのかを私以上に知っていた透也君は、行動には責任を伴うことを既に知っていた。

 その論理でいえば、殿下は自分のしたことの責任をとらなければならないし、透也君は面子を侮辱されて黙ってはいけない。
 けれど。

「五歳でテロリストとなる子供もいる」

 透也君の言いたいこともわかっている。

 乳児院で辛い環境の子供を見てきている私でさえ、世界にはもっと過酷な環境に置かれている子供がいることを知ってはいる。

 甘い認識でいたら、大人でさえ弑されるような子供に、生温い温情は危険だということも。

「それでも、彼女は保護すべき子供だわ。……お尻ぺんぺんはしてやるつもりだけど!」

 陛下に乗ってしまう私は甘っちょろいかもしれない。
 手を差し出したら、大けがをするのかもしれない。私の行動が透也君の足をひっぱってしまったら。

 ううん、後悔はあとでするものだ。
 透也君のことだから、あえて彼がムチになって、私をアメにしてくれるのだ。

 ふふ。
 世界中に『嘉島透也を怒らせたら、奥方に縋れ』って宣伝して回る気かな。
 透也君が私だけに優しいから、私は安心して手心を加えられるの。

 私がにこにこ顔になった意味がわかったのだろう、透也君がそれはそれは甘い笑みを浮かべてくれた。

 彼は私のしたいように、と言ってくれた。だから、私はこれで正解なのだ。

「彼女を迎えに行ってくる。陛下、わかっていると思うけど嘉島透也に二度の温情はないわ。あとは、透也君と二人でどうぞ」

「円佳。第七船倉に追いつめる」
「わかった」

 なにも言わなくても、私のガードさん達がつき従ってくださるのがありがたかった。


 第七船倉は最下層のデッキの右側に位置している。

「エレベーターはもしかすると彼女の統御下かもしれません」

 ガードさんの言葉により、地道に階段を降りていく。

 船内パンフレットによれば、上方の甲板は表向きというか乗客用の設備に使用されている。
 下方の甲板はバックヤード(こっちはパンフレットにはぼやかされている)……たしかに、下に行けば行くほどそっけなくなっていく。

 最上層から最下層まで、地味に遠い。
 喫水線(海面に接してる面)より下の層に降りてきたことでひんやりしているし、湿度も高いような気がする。

 上にいたときは気にならなかった色々なこと。
 船の揺れも感じるし、エンジンの唸りをずっと聞いているとぼうっとしてきそう。

 なにより、船体が軋む音が今にも壊れそうに思えてしまう。入り組んだルートで迷子になりそうだし、ひと気がなくて怖い。

「一人だったら、心が折れてました……」

 ガードさんがついてきてくださったことに感謝した。

「円佳様と我々はチームですから」
「皆さんにそう言って頂けて嬉しいです」

 それにしても、こんなところに女の子が一人。
 透也君の手下てかのスタッフさん達や乗客も教育が行き届いてるから、殿下に手出しはしない。
 が、乗組員に悪いやつがいたらと思うと、早く見つけて保護しなきゃ。

「本当は、なにが彼女に起こっても身から出た錆。……と斬り捨てられればいいんだろうけど」

 独り言をガードさんが拾ってくださる。

「それが円佳様ですから」

 言外の意味も正確に理解してくれてるみたい。

 ガードさんの一人がタブレットを見せてくださる。
 ただ、カメラが切り替わっていくが下層にいくにしたがい画像が乱れがちになっていて、ここに到着したときにはノイズの嵐が酷かった。

「これって、彼女が妨害電波とか出してるからですか?」

「いえ。単純に天井などの障害物を通り越して無線通信をする場合、壁・天井などに使用されている素材によっては通信できない場合があります」

「電波ってなんでも通り抜けるのかと思ってました」 

「金属は電波を反射もしくは吸収をします。コンクリートや土壁・断熱材などの高密度素材・高湿度環境は電波を減衰させます。木材などの場合も減衰退する場合があります」 

 んーむ。
 船もそんな物質で作られてるものね。

 ガードさんが配電盤らしき扉をあけ、器用にタブレットに接続していく。
 あ、有線は大丈夫なのか。
 そして、タブレットに示された船の見取り図はどんどん封鎖されていく。

「あの」
「なんでしょう」
「封鎖ってどうやってるんですか」

 シャッターをガラガラびしゃーん、とか。アニメや漫画で観たりする隔壁がどーんと降りてくるわけではないと思うんだけど。

 ガードさんは私も詳しくは知らないのですが、と前置きして語ってくれた。

「船体には、船内の一部が浸水しても船が浮力を失わないように、縦・横の仕切り壁や外板、甲板などで水密に仕切られた区画がいくつも設けてあります」

 水密とは、水圧がかかっても鋼材などの継ぎ目から水が漏れない性質だと教えてくれた。

 それらは船の建造時に船体の骨格(ていうのかな?)としてつくられるものらしい。
 防水と防炎を兼ねているし、タンクを区切る壁にもなっているそう。

「水密横隔壁にはまず、船首と船尾を衝突や座礁などから防護する船首隔壁と船尾隔壁、および機関室の前後端を仕切る二枚の機関室隔壁があります」

 えーと。
 頭の中で船を描いてみる。

「ああ、だから船内の見取り図がロールケーキの輪切りみたいなんですねっ!」

 多分、外国生まれのガードさん、『ワギリ』を脳内翻訳していたらしく、しばし無言。 

「……そうです」

 数秒置いてからと答えてくださったんだけど。声が震えてます。

 なによう。
 私、そんなにおかしなことを言った?

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