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呪いの天使像.1

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 リアムの住むスタンリー邸は、「魔女のよろず屋」と王都の真ん中にある城の中間程の場所にあり、馬車で十五分とかからなかった。

 曽祖父が騎士として武勲を上げ準男爵位となったのが始まりで、邸は貴族と裕福な平民が暮らす一角にあった。この国で準男爵位は三代限り、比較的平民に近い地位だとティナは馬車の中でリアムから教えてもらった。

 木がこんもりと生い茂げる庭の向こうにあったのは、赤い屋根の三階建ての邸。とはいっても見上げるほど大きいわけではない。ティナは出迎えてくれた執事のトニーに案内され客間へと向かった。

「これが件の天使像ですか」

 腰を屈め、客間の端にある棚に置かれた天使像と目線を合わせながらティナが呟く。
 部屋にはリアムをはじめ使用人が三人。彼らからはティナの後ろ姿しか見えず、これから何が起こるのかと固唾を飲んで見守っている。

 しかし、ティナの顔に緊張感はない。寧ろ頬が緩んでいる。

(スカートのドレープだとか髪の緩やかなウェーブが丁寧に作られていて上品だし、ぷっくりした頬が可愛らしい)

 そこはかとなく漂う呪いの気配も、実にティナの好みだ。

 同席している使用人は、トニー、その妻で料理人のリリ、二人の娘のケイト。全員が住み込みで働いているので呪いがどんなものかは知っている。その内トニーだけは申し訳なさそうに肩を落とし頭を垂れていた。

「私がこんなものを持ち帰ったばかりに。愛らしい微笑についつい心奪われ買ったのですが、まさか呪われていたなんて。いっそのこと呪いの矛先を私に向けてくれれば、良かったのに」
 
 憔悴しきった顔ではぁ、と大きく息を吐く。
 ティナは振り返り天使像からトニーへと目線を移す。
 
「呪われているかなんて普通は分かりませんから仕方ないです。私だって触ってみなければ分かりません。ですから、リアム様、ひとまず触れても宜しいですか?」
「もちろん。好きにしてくれ」

 リアムの返事を聞き、そっと天使像に触れれば黒い呪いの靄が手のひらから伝わってきた。詳細は魔法陣を描かなければ分からないけれど、おおよそのことならこれだけで感じ取れる。

「これは随分昔に掛けられた呪いですね。すでに天使像と一体化しています」
「それはどういうことだ? さっき見た鏡の呪いとは違うのか」
「大きな意味では同じなのですが、鏡が呪いの鎖を纏っているとしたら、天使像はその鎖を取り込んだ状態です。呪いをかけられて長い月日を経ると起きる現象で、こうなると天使像がいわば人格を持ったように振る舞い始めます」

 呪いの品が、意思や感情に近いものを持ち出すのは珍しくなく、厄介かどうかは掛けられた呪いの種類と力による。ちなみにティナの遊び相手となっていたのは呪いが人格化した品物達だ。

「呪いが人格化……」

 ティナの説明に、トニーはフラッと倒れそうになり、ケイトが背中を支えた。しかし、その顔も青ざめている。
 ティナは詠唱すると天使像の真正面に魔法陣を出し、さらに呪いを詳しく解析しだす。

「……ご安心ください。この天使像に掛けられた呪いはそこまで邪悪なものではないので大丈夫です」
「あんなに夜中に飛び回っているのにか?」
「本当に害するつもりなら、飛び回って遊んでないでひと思いにヤッちゃいますから」

 さらっと恐ろしい言葉が出てきたが、悪気はない。少々人の心の機微に疎いだけだ。
 ただ、四人の顔色がさっと白くなったが。
 そんなことに気づかず、ティナは話を続ける。

「呪ったのは女性です。思い合っていた男性に手ひどく振られ、友人と結婚したことを恨み、腹いせに呪いをかけた天使像を結婚祝いの品として贈ったようです」
「待て待て、それだけ聞くと相当恨んでそうなんだが」

 焦るリアムとは対照的に、ティナは落ち着いた表情で首を振る。

「死を願うような呪いはかかっていません。屋敷の主人に不運が重なる程度の些細なものです。例えば、大切なグラスが目の前で勝手に割れたり、一晩中女性の泣き声がしたり、髪の毛が抜けちゃたり、その程度ですよ。どちらかの死ではなく、新婚生活の邪魔をしたかったようです」

 充分怖いと思うのだが、言った本人はふふふ、と目を細め笑っている。
 その笑みがなんとも恐怖を引き立たせ、皆が一歩退いた。
 リアムに至っては、近くにある鏡で頭髪を確認し始める。

「でも、おかしいですね」
「何がだ?」

 鏡を見ながらリアムが答える。その背後からトニーも鏡に頭を写しているけれど、彼が薄毛なのは天使像のせいではないと思う。

「この呪いの対象となるのは邸の主人である男性。でも、被害を受けているのは黒猫なのですよね?」
「…………」

 微妙な空気が流れ、ティナがはて、と首を傾げつつ皆を見ればさっと視線を逸らされた。

(……よく分からないけれど、触れない方が良さそうね)

 何だろうと思わなくもないけれど、それ以上は深入りしないことにする。

「えーと、では、解呪しても良いですか?」
「あぁ、頼む」

 できれば夜中飛び回る愛らしい姿を見たいのだけれど、実に残念だ。
 ティナは手のひらを天使像に向け、魔力を流し始め……しかし十数秒、手を下ろした。

「どうした? 黒い靄が出てこないが終わったのか?」
「申し訳ありません、どうやら簡単に解呪できないよう殻に篭っている状態です」

 呪いを発さない代わりに全身を呪いの幕で覆い、他の魔力が及ばなによう閉じ固まっていた。こうなるとティナの魔力もはじかれてしまい解呪できない。

「では、呪いは解けないのか?」
「動くためには殻から出ないといけないので、夜を待てば解呪できます」

 天使像の飛ぶ姿を見られると、ティナは小さな拳を握る。
 これは仕方ない、決して私利私欲を優先したわけではない。

「それならば、不本意だが夜を待つか。ティナ、まだ半日もあるがどうする?」
「できればこの可愛い……じゃ、なかった。呪いの天使像について夜までに詳しく調べても良いですか?」
「場に合わぬ言葉が混ざっていた気もしたが、こちらとしては問題ない。昼食や飲み物はケイトに用意させよう。それとは別に今晩は泊まってもらうことになるだろうから部屋も用意する」

 リアムの言葉に使用人三人がすっと部屋を出て、それぞれの仕事に取り掛かる。
 まさしく至れり尽くせり。さすが貴族様、待遇が手厚い。 

「そういえば、猫はどちらにいるのですか?」

 一番の被害者である黒猫が見当たらない。愛猫というからには、リアムにピッタリ寄り添っているのだとばかり思っていたけれどそうではないらしい。

「……おそらく、黒猫は夜にしか出てこないだろう」
「分かりました」
「それから、俺は用があるので、日が沈んだ頃に外出する。それまでは執務室にいるから何かあれば呼んでくれ」
「はい」

 ティナが元気に頷くのを、訝し気に見つつ、リアムはそれ以上聞かれたくないとばかりにそそくさと部屋を出て行った。
 その後ろ姿を見送ると、ティナは待ってましたとばかりに天使像に駆け寄る。

「あなた、本当に可愛いわね」

 鼻先を突けば、気のせいか石膏でできた頬がほんのり赤らんだ。
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