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呪われた指輪.1(リアム視点)

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 朝日が昇る前に俺は目を覚ました。
 手足をうん、伸ばせばお尻が上がる。実に不本意な態勢だ。

 「天使像はもう客間に戻ったか」

 いつの間にうとうとしていたのだろうと、前足で顔を擦りながら窓を見るとそこに天使像はいない。一晩中飛び回り散々俺を追いかけまわしたあとも、朝日が昇る前には必ず客間に戻っていたので、そこは変わらないらしい。

「解呪は痛みを伴うから可哀想とは、いったいどんな感性をしているんだ」

 とんでもないことを言い出すなと、隣でですうすう寝息を立てるティナを見る。
 優しいのか甘いのか全く意味が分からない。

 ただ、ティナにとって呪いが恐ろしいものでないことだけは理解した。それは、十年以上呪いに悩まされている俺にとって、驚きともに胸に熱いものをこみ上げさせた。
 安堵とも存在を許されたともいえる、複雑で温かい気持ちだ。 

「それにしてもティナはどうしてこんなに良い匂いがするのだろう」

 柑橘系にも甘い果実にも似た香り。俺の身体からも同じ匂いがするのは抱かれて眠ったからだ。
 ついつい本能のまま堪能してしまったのは猫だから仕方ない、と思うことにした。

 白く柔らかそうな頬が時折動き、むにゃと小さな声が聞こえる。
 今は猫、だからこれは野生の本能だと、爪を立てないよう気を付けながら肉球で押せば、むにゅっとへっこんだ。同時に唇がちょっと尖る。それが面白くって可愛くって、二、三度むにゅむにゅしていると、背中にぞわぞわっとよく知った感覚が走った。
 
「……まずい。もう朝日が昇る」

 こんな場所で元の姿に戻ったら。
 ティナが目覚めて目にするのは一糸まとわぬ俺の姿。言い訳すら許されない状況だ。

 慌ててベッドを降り、ソファに置かれていたタオルを咥えると、ドアノブに数度ジャンプしてなんとか扉を開ける。
 転がるように廊下に出て階段を二段上がったところで、とうとうむずむずは全身に及んだ。

「……ま、ここまで来れば大丈夫か」

 すっかり人間の足に戻ったのを見て、危機一髪だったとふぅと息を吐く。口にまだ咥えているタオルを腰に巻くと、足音を立てないように階段を上がり自室に向かうことに。
 あと数段と気を抜いた時、三階の階段脇の壁から見知った顔がぬっと現れた。

「うわっ」
「うわうわっ」

 俺より驚いた声を上げ、ひっくり返りそうになるのを耐えた茶色い髪の男は、目を丸くしてこちらを見てくる。素足から始まり、腰に巻いたタオル、寝ぐせのついた頭を順番に見て、もう一度目線を下げタオルで止まる。

「リアム! お前、何でそんな恰好してんだ?」
「ボブ、お前こそどうしてここにいるんだ?」
「俺はお前に会いにきたんだよ。昨晩も来たんだけど、トニーにお前は留守だから朝出直して欲しいって言われて……って、家にいるじゃないか。俺に居留守をつかったな」
「い、いや。そういう訳では」

 しどろもどろと言い訳を探すも、残念ながら一文字も浮かんでこない。するとさらに口撃が続く。

「だいたいお前はいつも日暮れ前に姿を消して女の元へ行く。その上、今夜は女を連れ込んだのか。ちょっとは騎士としての節操をだな……」
「しっ、静かに。起きるだろう」

 慌てて階下を見降ろし、ティナが部屋から出てこないことを確認し、ほっとする。

 日が暮れれば猫になる、そんな奇怪な呪いを掛けられたのは俺が十ニ歳の時。
 それでも祖父や父のように騎士になることは諦めきれず、今は夜勤のない部署で働いている。
 しかし成人男性ともなれば、夜会もあるし同僚に飲みに誘われることもあり、日暮れ前にいつも姿を消すのは、明らかに不自然だった。

 そこでまことしやかに噂され始めたのは、毎日日暮れ前に女の元へ通っているというもの。しかも相手は複数だとか、未亡人だとか、人妻だとか。俺が否定できないのをいいことに言われたい放題だ。結果とんでもない女っ誑しとして騎士団で名を馳せることになった。実に不本意だ。

「おいおい、下にいるのか? お前、今どれだけ緊急事態か分かっているか?」
「いや……、えっ何かあったのか?」
「あったから、こんなに早くやってきたんだろう。それなのにお前は!!」

 ボブが怒りでぶるぶる震える手で俺を指差した時だ。カチャリと扉が開く音が階下から聞こえてきた。

「リアム様、お声が聞こえたのですがそこにいらっしゃるのですか?」

 なんとも可愛らしい鈴を転がすような声に、ボブは俺を押しのけ階下を覗き込む。
 すると赤い髪に寝着のティナが三階を見上げているではないか。フワフワのちょっと寝ぐせのついた髪がとても愛らしいが、それどころではない。

「……あれ? あの、初めまして。えーっと」
「リアムの幼馴染のボブです。すみません、起こしてしまいましたか」
「はい、いえ、あの、大丈夫です。えーっと、リアム様、そちらに黒猫はいますか?」
「いや、いない。ティナ、ちょっと友人と話すので、まだ寝ていてくれ」

 裸の上半身をボブの身体で隠しながら、ティナを見下ろす。
 しかし、ボブはがばっとこっちを振り返った。

「なぁ、もしかして彼女が魔女か?」
「そうだが……。どうしてそのことを知っているんだ?」
「俺が用があるのは正確に言えば彼女だからさ。ティナさん、ちょっと呪いについて相談があるんだけれど、今からいいか?」
「分かりました。着替えてから行きますので待ってください」

 ティナが戸惑いながら部屋に戻るのを見送ると、ボブはその太い腕を俺の首に回した。

「お前! あんな可愛い子と一晩中! 羨ましすぎるだろう!!」
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