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黒猫の呪い.2
しおりを挟むリアムの言葉に、ティナはベンジャミンへの恨み節を止めた。
「ここで事故にあったのですか?」
「そうだ。あの崖の上から馬車で落ちたんだ」
見上げれば、急な傾斜の山肌に道があるのがかろうじて見えた。
おそらく、足場の悪い細い道。それに物凄い高さだ。
「あそこから落ちて助かったのですか?」
俄には信じられない高さ。手でひさしを作り見上げながらティナはリアムに問いかけた。
「そうだ。両親に挟まれて俺はかろうじて生きていた。でも全身が痛くて動けなくて」
「それで師匠が助けたのですか?」
そこまで言ってティナはハタッと言葉を停めた。
身体ごと回転させて周りを見渡し、今度は自分のつま先に視線を落とし草をきゅっきゅっと踏む。
パチパチと瞼を開けて閉じ、湖で視線をとめた。
「ここ、私もきたことがあります」
「ティナもか?」
「はい。あの湖で遊んだことがあります。確かこの近くで解呪の依頼があって。でもその時の私はまだ十分に魔力をコントロールできなくて、ここで師匠の帰りを待っていたのです」
「こんな辺鄙な場所でか?」
「師匠が結界を作ってくれたので……そうだ、あの時急に雨が降ってきて。師匠の結界は雨もはじいてくれるので平気なのですが、雷も鳴って怖くなってミーを抱きかかえたんです。そうしたら、突然大きな音がして、結界に何かがぶつかって」
そこまで話してティナはハッとリアムと視線を合わせる。
「あの時ティナはここにいたのか」
「思い出しました! 結界が山から落ちてきた馬車を受け止めたのです。でも、衝撃全てを吸収することができなくて、馬車はつぶれてしまいました。駆け寄ったのですが、大人二人は息をしていなくて、男の子だけがかろうじて目を開けていて……それがリアム様ですか?」
「状況から考えてそうだと思うが、何年前の話だ?」
「師匠に預けられてから二年後だから十三年前でしょうか」
時期もぴったりだと確認しあうと、二人はベンジャミンを見る。
満足そうに頷いたところを見ると、ここに連れてきたのは二人の記憶を呼び覚ますためのようだ。
「ティナがベンジャミン氏を呼びに行ってくれたのか?」
「分かりません。どうしてでしょう。記憶がすごくぼんやりしているのです。七歳でしたけれど、そんな衝撃的なことなら覚えているはずなのに」
「魔力欠乏を起こしていたんだよ。無謀な術を無理な掛け方をしたからその反動で三日間眠り続け記憶を失くしてしまった」
「私が魔力欠乏ですか?」
余りある魔力量だけには自信があるティナが驚き目を丸くする。だってそんな記憶は微塵も残ってないもの。
思い出そうと頭を抱えたところで、あれ、と疑問が浮かぶ。
七歳の頃と言えば自分の魔力を抑えるだけで精一杯だったから、碌に魔法が使えなかったはず。
そのティナが魔法を使ったというのだ。
「私は何の魔法を使ったのですか?」
「何か思い出すことはないか?」
「これ以上ですか、無理です。頭に霧がかかったようで、ぼんやりとしています」
ベンジャミンはティナの手をとると、リアムの手と重ねた。
呪いがフワフワと手を通して伝わてくる。優しい呪い、必死な思いが伝わってきた。
ティナは目を閉じ流れ込んでくる黒い靄を辿りつつ記憶を遡る。さっきまで全然思い出せなかったのに、黒い靄がそれを後押ししてくれるかのように、記憶の断片が浮かんできた。
(無茶苦茶で魔法の基礎も分かってない、でも魔力量だけでなんとかしようと必死で……、そうだ。あの時私は)
ティナの手が微かに震え出す。ごくんと唾を呑み込んだその顔はさっきまでと違って青白い。
「……この呪いを掛けたのは私です」
「ティナがか?」
「はい。今にも男の子ーーリアム様が死にそうで、でも、私の力ではリアム様を馬車から引きずりだすこともできなくて……」
「それで?」
リアムが続きを促せば、ティナは深く頭を下げた。足もとの踏みつぶされた草を見ながら、申し訳なさそうに小さな声で言葉を続ける。
「一緒にいたミーを見て思いついたのです。猫に変えれば、小さくすれば引きずりだして師匠のもとまで連れていけるって」
「……そういえば、猫になった俺はティナの飼い猫にそっくりだったな」
「はい。姿を変える時に参考にしたんだと思います。でも、変身魔法なんて理屈は聞いていましたがよく分からず、とにかくありったけの魔力を注ぎこみました。申し訳ありません。私のせいです」
どうりで無茶苦茶なはずだ。ベンジャミンでもできなかった魔力による変身を、技術を飛び越え魔力量だけでやり切ったのだから。
(酷い高熱でうなされたことがあったのは覚えているけれど、この時だっだんだ)
息ができず、胸の上に錘を乗せられたような圧迫感があった。なんだかベンジャミンに必死に名を呼ばれ手を握られていたので、もしかしたら命が危うかったのかも知れない。
「ということは、俺はベンジャミン氏の結界とティナに助けられたということか」
「いえ、助けたなんて。私のせいでリアム様はずっと困っていたはずです」
「ああ、確かに困った。何せ夜になると猫になるんだから夜遊びができない。おかげで随分と純粋無垢に育ったものだと我ながら思うよ」
「ふざけないでください!」
わざとらしく腕組みするリアムにティナが思わず声をあげれば、一瞬目を丸くしたあとリアムはケラケラと笑った。
「困ったことなんてその程度だよ。そして困るのは生きていたからこそ。ティナ、ありがとう。俺を助けてくれて」
ふざけた表情をくるりと変えて、リアムは優しく目を細める。
紫色の瞳に映るティナの顔がくしゃりと歪み、あれよあれよと涙がこぼれだした。
ぼとぼと、ぼとぼと溺れるそれを手の甲でグイッと拭うも、拭いたそばからまた溢れてきてしまう。
しまいには、手の甲はぐちゃりと濡れて、足もとの草の上に涙が落ちた。
「……リアム様が生きていてよかった」
「うん、ティナのおかげだよ。ありがとう。だからもう泣き止んで」
リアムはハンカチを取り出し、まるで幼子にするように頬を拭う。ぎこちない手つきを、ティナはじっとされるがままに受け入れた。
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